Overthrow! Secret organization of evil

 蒼穹は澄み渡り、風は心地よく草原の表層を撫でて若草色の絨毯を爽やかにそよがせている。
 翼を広げ悠然と空を舞う1羽の鷲を見上げ、僕はひっそりと溜息をついた。

 こんなに空は青いのに。
 こんなにも太陽は輝いているのに。

 何が哀しくて、武装に身を固めたむさ苦しい男どもに囲まれてなくちゃいけないんだろう。
「あれは総帥が目として使っている下僕の鷲。我々の様子を見るために使わされたのでしょう」
 僕と並んで馬を進めていた軍師が、同じように空を仰いで目を眇めた。
「悪の秘密結社第二の拠点と云われたハイランドは既に我が軍の手に落ちました。いかな絶大なる力を以て世に名を馳せた総帥といえども、安穏としてはいられぬのでしょうな」
「……そうですね、シュウさん」
 適当に相槌を打って視線を泳がせる。はっきり言ってまったく興味のない話題だった。
 悪の秘密結社だかフリーメイソンだか第三帝国構想だかは知らないけど、やりたい奴にはやりたいようにさせておけばいい、というのが僕の持論だ。
 もちろん、ひとつの勢力が成長すればそれに対抗しようとする別の勢力が顕れるのも世の常なのだからして文句をつけようは思わない。……僕の与り知らぬところでやってくれている分には。
「私のことは軍師とお呼びくださいと申し上げましたでしょう。まだ軍主としての自覚が足りないようですね、カイネ殿」
 やる気のない返事が不満だったらしく、軍師が眉を顰める。
「我等レジスタンスは、悪の秘密結社に唯一拮抗する組織として、いまや大陸中の人々の希望を担っているのですよ。その旗頭であるあなたがそのようなことでどうするのです」
 ましてや、これから決戦を交えようとしているときに。
「僕としては代理を立てて頂いても一向にかまわないんですけどね」
 軍の勝利の為なら死をも厭わない、といわんばかりに決意を湛えた兵達の表情にうんざりして、つい本音を漏らしてしまう。途端に、軍師の柳眉が跳ね上がった。
「いい加減にしてください。仕方がないでしょう。恨むなら『真の紋章』に選ばれてしまった己が身を恨むのですね」
 でなければ、どうしてこんな使えない奴を軍主に迎え入れたりするものか、とでも付け加えたそうな口調だ。
 はいはいはいはい。そうでしょうとも。僕だって別に選ばれたくなんかなかったんですけどね。
 けど、言っちゃあなんだけど、あんなどこの誰とも知れないおばさんの言葉を鵜呑みにして軍主を決めちゃう君達だってどうかしてると思うよ。

 レナンカンプの宿の隅でひっそりと発足した『悪の秘密結社』が、当時大陸最強と謳われた赤月帝国を討ち滅ぼしたのは今から3年ほど前のこと。
 結社を率いる総帥は居城を赤月帝国の首都グレッグミンスターへ移すと、奪った玉座を暖めるゆとりもなく続けて諸外国への侵攻を開始した。かの人が大陸全土の8割方を手中に収めるまでに要した期間は三年にも満たず。危機に瀕した人々が世界を自分達の手に取り戻さんと立ち上がり、都市同盟を中心にして集まったのがレジスタンス軍の始まりだ。
 しかしてレジスタンスは結成当初、まったく纏まりのない組織だった。
 軍主となるべき特出した人物が見あたらず、その為に民族・地域・人種間で衝突が絶えることなく起こっていたためだ。
 彼らの前に『運命の執行者』と名乗る星見の女性が顕れたのは、内部分裂も時間の問題かと思われたそんな時。転移魔法でも使ったのか忽如として人々の前に姿を現した彼女は、総帥に対抗するためには『真の紋章』を持つ指導者が必要だと説き、自分がそれを与えようと申し出てきた。
 世界を統べると謂われている『27の真の紋章』――そのうちのひとつを総帥が有しているという噂は前々からあった。レジスタンス軍の人達は息を呑み、彼女の話に耳を傾ける。
 まあ、ただ単にイっちゃってるっぽいおばさんに声を掛けるのが怖かっただけかも知れないけど。
 理由はどうあれ、ひとしきり演説した星見様は、静聴されたことに大変気をよくして懐から水晶球を取り出した。
 高く掲げられた結晶の中心で閃光が弾け、目を射抜くほどの眩い輝きがあたりを照らし出し――。
 再び静寂が戻ったときには真の紋章のひとつ『輝ける盾の紋章』が僕の右手に宿っていたのである。
 紋章が本物であると確認された時点で、僕のレジスタンスにおける役割は決定した。文句をつけようにもおばさんは既に姿を消してしまっている。
 僕は元々からレジスタンスのメンバーだったわけじゃない。たまたまアルバイトの掃除夫として雇われていたから居合わせたというだけで。
 唯一の保護者であったじっちゃんを亡くし、義理の姉であるナナミと二人なんとか食いつないでいかなければとハイランドの田舎村から出稼ぎにやってきた矢先の出来事だった。
 以来、食べ物に困ることはなくなったけど、命の保証は得られない殺伐とした毎日を送っている。
 僕としては、貧乏でも堅実で心安らかに暮らせる日々の方が望ましいんだけどなあ。

「ねぇ、シュウさん。どうしても悪の秘密結社と闘わなくちゃいけないんですか?彼等がそんなに悪いことしているとは思えないんですけど」
 悪の秘密結社の総帥(略して悪の総帥)は元々、赤月帝国の大貴族だったって聞いている。なんでも冤罪を負わされ賞金首までかけられてしまった為に帝国と対峙する羽目になったのだとか。自らと自らを慕って付いてきてくれた者達の身を守るためにはいたしかたのないことだったんだろう。
 そりゃあ、その後外の国を侵略した行為は決して誉められたものではないんだけど。
 総帥は支配した土地で悪評の高かった政治家や領主を退け、いままでその人たちの懐を潤すだけだった税金が公共施設の建立や橋の整備など本来の目的に使われるよう手配した。秘密結社に併合された土地の住民達からは前よりも住みやすくなったとの声さえあがっている。
 最近では風評を聞きつけた者達が一致団結して領主を追い出し、進んで結社に土地を差し出すという事態まで起こり始めていると聞く。総帥はこうした土地を受け入れながら穏やかに統治の手を拡げていた。
「吸収された国が略奪だの、無理な課税だのを受けてるわけじゃないですし。案外、総帥が大陸の制圧をしちゃったほうが平和になるんじゃないかな~……な、なんて、ちょっとだけ思ってみたりしたわけなんですけど」
 軍師に凄まじい目つきで睨みつけられてしまったので、語尾を濁す。
「何を仰ってるんです。あなたは事の次第がよくわかっていないのですね」
 深く嘆息して、シュウさんが僕を諭した。
「彼等は『悪の』!!秘密結社なのですよ。悪しき存在でないはずがありません!転じて彼等に対抗する我等こそが正義!歴史に名を残す存在であることに間違いはないのです。なぜならば正義は必ず勝つものと相場が決まっているのですから」
 ……さようでございますか。
 反駁する気も起こらないよ。どうしてこんなの軍師に据えたかなあ、レジスタンスも。
「さあ、カイネ殿。全軍に合図を!」
 しかたがない、さっさとやってさっさと終わらせよう。
 変なモノに関わり合ってしまった自分の不幸を嘆きながら、僕は右手を高々と挙げた。
「進軍開始!!」
 これだけは軍師からお墨付きをもらっている張りのある声で高らかに宣を下す。
 雄大な羽を広げる鷲が、大空でゆっくりと旋回した。
  

 向かうは、悪の秘密結社の総本山グレッグミンスターの皇城。
 敵は方々に罠を張り、至る所で待ちかまえていた。

 戦いは凄惨を極め大地は血で赤く染まり、それを糧にして炎が渦を巻く。
 死体の焼ける焦げた臭いと断末魔の叫びが方々で上がっていた。

―――などというナレーションをいれる必要もなく。

 僕たちはすごぶる快適に皇城までの道のりを辿っていった。
 流石に城下の人たちは退避済みらしく人気こそなかったが、それ以外はなんの変哲もない。
「お気をつけください、カイネ殿。これは間違いなく罠です」
 門番の少年が愛想よく僕たちを通してくれたことに不服を感じているシュウさんは、ずっと眉間に皺を寄せたままだった。まだ若いのに跡が残ったらどうするつもりなんだろう。
「総帥は年齢こそカイネ殿と同じくらいであるものの、積み上げてきた経験にも知識にも雲泥の差があります。警戒しすぎるほどに警戒しておいて間違いは……」
「え?!そうなんですか?総帥って僕と同じ年頃だったの?」
 吃驚してつい軍師の言葉を遮ってしまう。
「確か、貴方よりも2つ上だったと記憶していますが……もしや、ご存じなかったんですか?」
 ご存じなかったですとも。
 怪訝な顔をしたシュウさんに思いっきり頷いた。だってほら、悪の組織なんかに全然興味なかったし。総帥がどんな人物かなんて考えたこともなかったよ。
 けど……ふぅん、2つ年上かあ。
 僕がいま16歳だから、そうすると現在総帥は18歳。3年前に赤月帝国を滅ぼしたときには、まだ15歳だったって計算になる。若いのに苦労したんだなあ……。
 我が身と引き比べて思わず同情してしまう。
「お願いですから少しは情報を耳に入れておいてください。これから刃を交える相手なのですよ」
 シュウさんが額を抑えた。
 うん、そうだね。本人に会う前にちょっと相手について知っておくのもいいかも知れない。従業員AとBに聞いてみることにしようっと。
「カイネ殿!どちらへ行かれるのですか?!」
 軍師を残し、隊の先鋒へと向かう。従業員AとBはそれぞれ歩兵隊と遊撃隊の隊長をしていて、前身は悪の秘密結社の工作員という肩書きを持っていた。どういった経緯で脱会し、レジスタンスに身を寄せることになったのか詳しい経緯を僕は知らない。けれど総帥の傍近く仕えていたといわれている彼等ほど、敵将の情報を引き出すのに適した者達はいなかった。
「フリックさん、ビクトールさん!」
 兵士の間を縫って馬を進める。僕の呼びかけに気づいた二人は、手を挙げて答えてくれた。
「よぉ、カイネどうした?」
「軍主自らが来るなんて何かあったのか?」
 磊落な挨拶を返してくれる熊そっくりの大男ビクトールさんと、懸念に顔を曇らせた青いマントの青年フリックさん。
 まったく性格の違う二人ながら、彼等はとても仲がよかった。本人達に言わせると『腐れ縁』になるらしい。
「そういうわけじゃないんですけど。僕、あなた達から総帥の話をお伺いしたいなと思って」
 馬上から用件を告げると二人が顔を見合わせた。
「総帥の話か」
「う、う~ん……」
 難しい顔をして黙り込む。
「どうしたんですか、二人とも?もしや総帥ってそんなに怖い人なんですか?」
 やたらと逞しい体格に、いかにも犯罪者ですといった厳めしい顔をしているとか。
 だったら嫌だなあ。お近づきになりたくないよ。
「怖いというわけじゃ……いや、やっぱり恐ろしいのかあれは?」
 ぶつぶつとフリックさんがひとりごちている。ますますよくわからない。
 困惑している僕に気づいたビクトールさんが、苦笑を浮かべた。
「まあ、なんというか不思議な奴なんだよ。そうだな、一言で表すなら……『こいつだけは敵に回してはいけない』と思わしめる人物ってとこだな」
「ああ。俺はあいつだけは怒らせたくないよ」
 隣でフリックさんがこくこくと頷いている。
 ……敵に回してはいけないって……僕たち今からその人と一戦交えにいくところなんですけど?
「二人とも、だったらなんでレジスタンスなんかに参加したんです?」
「しかたがなかったんだよ」
 フリックさんが相棒の胸を拳でたたいた。
「この馬鹿が、もらった退職金全部飲み代に換えやがったんだ」
 多少は反省しているのか、ビクトールさんが頭を掻く。
「いや~、それで食い詰めて困っているところに衣食住保証つきだっていうレジスタンスの隊員募集のポスターを見つけたもんだからつい、な」
 ついってビクトールさん……。
 二人が退職金と言っているのは間違いなく前の職場――悪の秘密結社から支払われたものだろう。
 そんなものまで貰っておきながら敵陣に寝返ったなんて知ったら、悪の総帥じゃなくたって怒るに決まってる。僕は手綱を引き、二人から微妙に距離をとった。
「となると、真っ先に総帥に狙われるのはお二人なんですね。……ご、健闘をお祈りします」
 いけない、危うくご冥福をお祈りしますって口に出しちゃうところだったよ。
「おい」
「ちょっと待てカイネ」
 ビクトールさんとフリックさんが顔色をなくす。普段の行いは善くしておくべきなんだなと僕は合掌しながら先人の教えを深く心に刻み込んだ。

「退職後の進路は本人次第だから、そんなことで怒ったりはしないよ」

 なおも言い募ろうとする二人――僕に弁解したってしょうがないのに――の言葉を制するように。僕たちの進行方向先から声が届いた。
 決して大きくもなければ、押しつけがましい威厳に満ちていたわけでもない。
 なのに、武具の擦れる音も、人々のざわめきも。地面を踏みならすブーツの音さえもすり抜けて。玲瓏と響いた、その韻律。
 誰もがぴたりと動きを止めた。
 目を凝らせば、霞がかるグレッグミンスター皇城の門前にうっすらと人影が浮かび上がっている。
 しわぶきひとつたたない静寂の中、僕たちの頭上を飛び続けていた鷲が陰翳に向かってゆっくりと降下を始めた。
「そ、総帥……」
 腐れ縁コンビが息を呑む。手綱を握る僕の手が、緊張にじわりと汗ばんだ。
 肩に鷲を留まらせた影が、こちらに向けて足を踏み出す。
 翻る薄紫色のマント。露わになる白い軍服。少しずつ明かされていく彼の姿は、ついいましがた想像していたような大男でもなければ粗暴な筋肉漢でもなかった。身長は僕と同じか少し低いぐらい。けれど全体的に僕よりひとまわりは細く、しなやかな肢体は花車と呼ぶに相応しい。
 闇になお映える射干玉色の髪。滑らかできめの細かい白皙の肌。長い睫の下から覗く瞳は柔らかでありながらどこか幽玄で奥が深くて。
 …………言ってもいいですか?
 なんか、めちゃめちゃ好みなんですけど。人生16年、これほどの美人さんには初めてお目に掛かりました。
「久しぶりだねビクトール、フリック」
 元社員の前に立った総帥は、ごくごく自然に挨拶をした。
「その、なんというかだな……」
「お前も、変わりなさそうだな~、アハハ……」
 珍しくへどもどしているビクトールさんと、虚ろな笑いを響かせるフリックさんに、総帥が花が綻ぶような笑顔をつくる。
「元気そうでなによりだね」
 笑顔は美人度三割り増しってよく言うけれど、最初から美人さんな彼が笑うとそれはもう、ものすっっっごくっ!!!綺麗だ。
 羨ましすぎるぞ腐れ縁コンビ!僕にも笑いかけてくれないかなあ。
 半ば陶然として総帥を見つめ続けていると、彼に仕える鷲が甘えるように躯をすり寄せた。
 総帥は僅かに目を細め、指先で優しく下僕を撫でる。僕はこのときほど、自分が猛禽類に生まれなかったことを後悔したことはなかったよ。
 でもでも!鷲なんて所詮は獣(けだもの)。ペット以上の存在にはなれないんだから僕が妬んだりする必要はないんだよね。
 一生懸命己を慰めていると、ふと彼の視線が僕に定まる。
「もしかして君が、この軍の統率者なのかな?」
 どうしてわかったんだろう?特に立派な鎧甲をつけていたわけでもないのに。あ、馬に乗ってるせいかな?周囲はみんな歩兵だから確かに目立ってるよね。
 けど、それなら本陣から使わされた下っ端の連絡係と見なすのが妥当だ。腐れ縁コンビとの会話を聞いていたのだとしても、彼等の――尊敬も謙譲もない――話しぶりから僕の立場を理解することは難しいだろう。
 以前から僕のことを気にして情報を仕入れていた、とかかな?だったら、すごく嬉しいんだけど……。
 あれこれと想いを巡らせていると、僕の前にフリックさんとビクトールさんが移動してきた。
 ちょっと邪魔なんですけどー?
「……なんでこいつが軍主だと思ったんだ」
 緊張を滲ませフリックさんが問いかける。
「なんとなく、だけど?その様子だと正解だったみたいだね」
 総帥がきょとんと小首を傾げた。ああ~、そんな姿も極悪に可愛いです~~。
「相変わらず妙な勘が働くなあ。けどよ俺達も仕事なもんでな。こいつにちょっかいだされるわけにはいかないんだよ」
 ビクトールさんが剣の腹で自分の肩を軽く叩く。
 僕は今一度手綱を引き絞ると、身を挺して主を庇おうとする二人の忠臣を容赦なく蹄にかけた。
「うぉ??!」
「な、なにすんだ、カイネ」
 馬の前足、右と左にそれぞれ一人ずつ。仲良く踏み潰された二人が揃って抗議している。
 朴念仁どもめ!人の恋路の邪魔をするのが悪い。昔から言うでしょう、そういう悪い人たちは馬に蹴られちゃえばいいんだって。
 僕はまだがなり立てている彼等の声を聞き流して、馬から降り立った。
 自己紹介は人伝や噂話に頼ったりせず、きちんと自分でやらないとね。
 熊と青マント、二つの障害を踏み越えて総帥に近づく。足下で「ぐえぇ」とかいう妙な音が鳴ったけど気のせいだと思うことにした。
「あ、あの。僕カイネっていいます。お名前をお伺いしてもいいですか?」
 なにはともあれ、お互いの名前も知らないんじゃ何も始まらない。握り拳を固めて勇気を振り絞ると、目の前の佳人が僅かに目を瞠った。
 その時、僕は初めて漆黒だと思っていた彼の瞳に微かな紅が入り混じっていることに気づく。まるで夜の湖面に浮かぶ赤い月みたいだ。ユラユラと揺らめき漣の間で光りが煌めいている。
 ふわぁ、本当に美人さんなんだなあこの人。
「セラウィス・マクドールだよ」
 うっとりと双眸を覗き込んだ僕に、総帥が僅かに興じるような笑みを浮かべた。
「えっと、セラウィスさんって呼んでもいいですか?」
 彼が僕との会話を嫌がっていないことに気をよくして、さらに話しかけてみる。
「別にいいけど……」
 よし!まずは第1段階をクリアだ。今現在、おつきあいとかしている人とかはいるのかなあ。これだけ綺麗な人なんだもん、言い寄ってくる人間の一人や二人や十人や二十人は必ずいるに違いない。
 すっごく気になるけど、出会ったばかりの人にそんなプライベートな質問をするわけにはいかないし……。しかたない、やはりここは定石通りお友達から入ることにしよう。
「じゃあ、セラウィスさん。よろしければ僕と……」
「なにをやってるんですか、あなたは!!」
 結婚を前提にお付き合いを……じゃなかった、お友達になってくださいませんか?って言いかけたところを、シュウの怒鳴り声にかき消された。無粋な奴。
 どうやらシュウは敵と遭遇したとおぼしき前線が一向に闘う気配を見せないうえに、軍主である僕が戻ってこないもんだから訝しんで様子を見に来たらしい。
「いったい何があったんだ!ビクトール、フリック、その様はなんだ?!敵にでもやられたのか?」
 いまだ地面に這い蹲っていた二人がのろのろと身体を起こした。
「いや、これは……」
「カイネにな……」
 それに!と質問しておきながら二人の回答を無視して――もちろん大事ないってことがわかってるからだろうけど――髪を振り乱し僕たちの方へ目を転じる。
「もうじき開戦だというときに、カイネ殿は何時まで遊んでいるおつもりですか?その少年はいったい誰なんです?また門番ですか?」
 なあんだ。シュウさんも悪の総帥の顔知らないんじゃないか。
「このひとはセラウィス・マクドールさん。悪の秘密結社の総帥です」
 しょうがないので、僕が紹介してあげることにした。
「……は?」
 セラウィスさんを凝視して、シュウがぽかんと口を開く。
 まあ、普通はこんなところに敵の御大自らが、しかも単身で待ち受けていようとは誰も考えないよね。
 シュウさんも、「おい本物なのか?!」なんてビクトールさんとフリックさんに確認している。
「く、くくく……そうか、こんなところに絶好の機会が転がっているとはな」
 二人の同意を得たシュウさんが、低く笑い出した。……なんか、すっごい怪しいんですけど……。
「いまこそ我等の悲願が達成されるときが来た!レジスタンス達よ、立ち上がれ!!悪の総帥を討ち取るのだ!!」
「僕と闘うつもりなの?」
 相変わらず穏やかに微笑んだまま、総帥がおっとりと問いかける。我らが正軍師殿は哄笑した。
「無論だ。この軍勢の前にただ一人で顕れるとは愚かなり総帥!ビクトール、フリックお前達も与えられた給料分ぐらいは働け!」
 ……シュウ、軍主の僕を差し置いて勝手に命令を下すなんていい根性だね。
 僕が口を開こうとするのを制し、セラウィスさんがふわりと進み出た。
「しかたがないね」
 吐息のように呟いて半眼を伏せる。
「―――吾、生と死を司りし者の名において命ず……」
 静かに紡がれる呪韻。
 キンッっと耳鳴りがして空気が張りつめた。
 急にあたりが暗くなり重みを増したような錯覚を受ける。否、それは錯覚ではなかった。総帥を取り巻くように湧きだした闇色の霧が、ねっとりと周囲を包み始めている。
「な、なんだ?」
 シュウさんが狼狽して首を巡らせた。ビクトールさんとフリックさんは蒼白になってガタガタと震えている。
 儚く閉ざされた総帥の瞼が開く。その深淵から星のように瞬いて浮かび上がる白金の煌めき。それは赤と混じり朱金に輝きながら、やがて虹彩を黄金一色に染め上げた。
「あまねくものに―――」
 すっと上がる右手。何よりも濃い闇を纏いながら、誰よりも闇から浮き出る氷雪の肌。先程までの可憐な風情とは違う、蠱惑的でどこか淫靡な馨さえ感じさせる傾国の微笑を、僕は言葉もなく見つめた。
「粛せ…………」
「なにやってるのさ、キミ!」
 今や夜よりも深く立ち込めた霧の中より腕が伸びる。総帥の手首を掴んだそれより一瞬遅れて持ち主が姿を顕した。
 風に靡く長いローブと新緑色の瞳。異なる空間を渡って総帥に抑止を掛けたのは見知った人物だった。
「ルック?!」
 思わずあげた呼び声が総帥と重なる。僕は吃驚して隣を振り返った。
「え?セラウィスさんルックをご存じなんですか?」
 ルックは、『真の紋章』を僕に押しつけた星見のおばさんが役立つからと置いてった彼女の愛弟子だ。しかし当の本人は、態度は偉そうだしやる気はないし体力もないので、しかたなくレジスタンス軍の人員名簿管理を命じていたんだけど……。
 まさか、総帥と知り合いだったなんて。
「お前、悪の秘密結社のスパイだったのか?」
 シュウさんが呆然として呻く。けど、この際そんなことはどうでもよかった。問題は……。
「うん、友達だよ」
 瞳を漆黒に戻した佳人が僕に告げる。
 やっぱり~~~っ!まさかこんなところに伏兵ライバルがいたなんて!!ま、負けるもんか。セラウィスさんは絶対に渡さないんだからね!!!
 僕が密かに闘志を燃やしていると、ルックが険のある目つきで一同を睨んだ。
「なに、和んでるんだい?!キミ達少しは状況を考えなよ!」
「どうして怒ってるの?」
 総帥が不可思議そうにルックを見上げる。そんな可愛い表情ルックなんかに晒しちゃ駄目ですって~。
「キミね……いくら敵軍を排除するためだからって、そんなもの本気で発動したらどうなると思ってるのさ」
 僕たちに対するよりも少しだけ緩やかな口調でルックが言った。
「よくなかった?彼等が真剣だったから、僕もきちんと対応してあげないと可哀想かなと思ったんだけど」
 うわ~、セラウィスさんって優しい~。
「そんな必要ないよ。そもそも実力に差がありすぎるんだからね。やっつけるなら適当にぱぱっとやっちゃいなよ」
 そんなもの?と首を傾げる総帥に、星見様の愛弟子が是と返した。
「ルックがそういうなら……」
 えぇ?!そんなっ!!ルックの意見なんて採り入れちゃうんですか?
 二人ってそんなに仲がいいの?!!
 僕がショックを受けて立ち尽くしていると、いまいち釈然としない顔をしながらもセラウィスさんが右手から手袋を抜き取る。
「―――黙示録に記されし断罪の天使達よ……」
 露わになった甲に宿る暗褐色の刻印。僕の右手にあるモノと同じ波動を感じさせるそれが、昏い光を宿した。
 再び闇が撓む。総帥の右手に引き寄せられるようにして凝縮していく。
「我が生と死を司る紋章が啓示の元、最期の審判をなさしめよ!」

 彼の紋章を中心に色濃き闇が、それを助長するような光が溢れた。

 …………。

 あ、危なかった~。
 危うくお花畑に足を踏み入れちゃうところだったよ。
 『輝ける盾の紋章』を全力で駆使して、なんとか衝撃を凌ぎきった僕はおそるおそる背後に目をやる。
 僕の踵より毛一筋ほど下がったところには、グレッグミンスターの中央広場よりも大きなクレーターが穿たれていた。
 深く広く抉られた地表には、軍師や腐れ縁コンビなどレジスタンス軍の主立った者達が屍累々と倒れ伏している。ナナミを連れてこなくて本当によかった。他の人たちはちょっと焦げちゃってるみたいだけど、あのくらいで死ぬような連中じゃないから放っておいても大丈夫だろう……たぶん。
 そう判断を下して前へ向き直る。
「そういえば君も『真の紋章』の保持者だったんだよね」
 五体満足な僕を見てしばし目を瞬いたセラウィスさんが納得したように頷いた。
「へぇ、宿したはいいけどまったく紋章を使えない、戦闘能力だけが取り柄の筋肉バカかと思ってたけど、それなりにできるじゃないのさ」
 褒めてるんだか貶してるんだか――まず100%貶してるんだろうけど──わからない魔法使いの言葉はとりあえず脇に置いておくことにする。
「どうする?まだ続けた方がいい?」
 お夕飯のメニューでも決めているかのような他愛なさで総帥が尋ねてきた。僕は頭を振りつつ気になっていることを質問する。
「参考までに聞きたいんですけど、いまのとさっきルックが止めたヤツとでは威力にどのくらいの差があるんですか?」
「考えたことないけど……100分の1ぐらいかな?」
 ねぇ?と総帥が傍らの友人に確認した。
「いまのを100倍すると大陸が沈むんならね」
 ……止めてくれてありがとうルック。僕は初めて君が役に立つという星見様の言葉を信じる気になったよ。
「で?キミはこれからどうするつもりなのさ。戦うつもりないならそこらに転がってるヤツ等を拾って逃げ帰ることにするのかい?」
 感謝の念が届かなかったのか、ルックの口調は相変わらず辛辣だった。僕は「まさか」と肩を竦める。どうしてそんな手間の掛かることをしなくちゃいけないんだろう。
「お願いがあるんです」
 総帥に駆け寄り、彼の両手を取ってしっかりと握りしめた。隣にいた魔法使いがぎょっと顔色を変える。
「ちょっと……」
「僕を『悪の秘密結社』に就職させてください!!」
 余計な口出しを許さず、一気に言い放った。
「……曲がり形にもレジスタンスの軍主が何言ってるのさ」
 魔法使いが呆れる。
「辞表出します!きっぱりすっぱり足を洗ってきますから!!」
 仇敵同士っていうのも、恋愛が盛り上がる一要素ではあるんだけどね。滅多に会う機会が作れない分、仲を進展させるのは難しい。せっかく会えても戦争中だったりしたら口説いている暇がないだろうし。
 その点、悪の秘密結社に就職すれば一緒に過ごす時間が増えて、この人に近づく害虫の駆除もできる。まさに一石二鳥、我ながらグッドアイデア~♪だ。
「そんなことが出来るとでも思ってるんですか……」
 よろよろとクレーターから這い上がってきたシュウが口を挟んだ。回復した……というよりは、執念で突っ込みを入れたって感じ。う~ん、さすがにしぶといなあ。
 僕は、さりげなく正軍師殿の頭を踏みつけ地に沈めておいてから上目遣いにセラウィスさんを伺った。
「手土産が必要だっていうのなら、レジスタンスの解体でも壊滅でもしてきますから。……だめですかぁ~?」
「そんなことはないけど……」
 総帥が戸惑った表情をする。
「レジスタンスの解体なんてキミにできるわけ?」
 ……いちいちうるさいなあ、ルック。せっかくセラウィスさんとお話してるのに。
「レジスタンスなんて『真の紋章』という旗頭がなければまとまることも出来なかった烏合の衆なんだから、僕がいなくなれば手を下さなくたって空中分解するんじゃないの?壊滅の方がお望みならもちろんせっせと破壊工作に勤しむことにするけどね。地方にある支部を含めたってさほどの時間はかからないと思うよ」
 やる気もなかったし、面倒だったから何もわからないふりをしていたけど。僕だってただ茫洋と軍主を勤め上げていたわけじゃない。いい加減嫌になったらナナミと一緒に逃げるつもりだったし、その時に追っ手がかかったりしないよう対策は万全に講じてきた。有形無形含めてあちこちに仕掛けておいた布石を一斉に使えば、ご要望にお応えすることなんて簡単だ。
「……なるほどね。『真の紋章』の主に選ばれるだけのことはあるってわけ」
 ルックがこれまでの人を小馬鹿にしきったのとはちょっと違う視線を寄越す。それは到底友好的とは呼べないモノだったけど、別に星見の弟子と誼を通じたいわけじゃないから気にも留まらなかった。
 肝心なのは……。
「そこまでしてもらう必要はないよ」
 もともとあまり動じない人なんだろう。セラウィスさんがふわふわ~っとした笑みを僕に向けてくれる。
「一緒に闘ってきた人達と仲違いするなんて嫌でしょう?彼等だって気の毒だし、ちゃんと円満退社してきてね」
「は、はい。お約束します~」
 やっぱりセラウィスさんって優しい。も~、なんでこんなに可愛いんだろうなあ。
 内心めろめろになりながら、口許がだらしなく弛みそうになるのを必死で引き締める。真面目な好青年を印象づけておかなくっちゃね!
「けど、カイネはうちにきて何の業務を担当したいの?」
 そんなこと決まってる!
 僕は満面の笑みではっきりと答えた。
「それはもちろん……」

   ・
   ・
   ・
   ・

  

 その後、年が明けるのを待たずに『悪の秘密結社』は大陸を平定した。
 統制者を失ったレジスタンスはすでに自然消滅してしまっている。
 大陸の歴史始まって以来の偉業を成し遂げた総帥は初代皇帝の地位に就き、国は繁栄し人々は平和を満喫した。
 そうして、その傍らには嬉しそうにお茶汲みをしている元抵抗組織の軍主の姿がみられたという。
2002/08/19 UP
今回は、何を思ったかいきなりパラレルです。そして異様に長い(滝汗)
この話はとある御方とのメールが切っ掛けになってます。
セラウィス……悪役似合いますね(汗) 本人も大変楽しそうに演じてます。
そして、まだ本編にも出してない設定がちらほらと顔を覗かせていたり……。
ついでに、後日談まであったりするのでよろしければそちらも合わせてお読み下さい。