murmur5/故を偲ぶ

 唯一、客を通さなかった部屋に足を踏み入れたセラウィスは、そこに先客がいたことに少なからず驚いた。
「久しぶりの実家に安眠を貪ってるのかと思えば、こんなところをフラフラしてたのかい?」
 あいかわらずの皮肉な口調。元解放軍のメンバー達が痛ましげにセラウィスを見る中、このひとつ年下の友人だけは変わらぬ態度で接してくれる。腫れ物に触るような扱いに正直疲れていた少年は、ほっとくつろいだ表情で応えた。
「ルックこそ、こんなところで何をしてるの?」
「キミを待っていたに決まってるだろ」
「ここは僕の部屋じゃないよ」
「見ればわかるよそのくらい」
 だからこの部屋にいたのだと言われ、セラウィスは仄かな笑みを浮かべる。
 見透かされているというわけか。
 ここは、セラウィスの親友が、マクドール邸に泊まる際に利用していた部屋なのだ。
 ひとつを除き、当時のままに保存された空間。
 クレオが手配してくれたのだろう壁に掛けられた小さめの絵画だけが、部屋の使用者がもういないことを秘やかに示していた。
「それでこんな夜遅くにどうしたの?思い出話をしにきた……というわけじゃなさそうだけど?」
「わかりきった過去なんか話したくもないね。僕が聞きたいのはこれからのことさ……アイツに力を貸すつもりなのかい?」
 ルックにしては珍しい率直な問いかけ。セラウィスは少し間をおいた。
「うん……彼が望めば、そうなるだろうね」
「何故だい?君は今回、宿星じゃないだろう」
「僕も訊いていいかな」
 部屋を横切り、ベッドに腰掛ける。
「どうしてレックナート様は、彼に紋章を与えたの?」
 かつて『始まりの紋章』と呼ばれていたものが、分かたれることで生まれた剣と盾の紋章。護りの力を得た幼き軍主は、その半身をいまは敵国にいる親友が持っているのだと語った。
「世界構築の縁起によれば、あの紋章は互いに奪い合い貪り合う性質を持っているんじゃなかったかな。それをあえて彼等に渡したのは、星見殿が最初から含みを持っていたから?」
 類い希なる星見の力で。レックナートは、彼等が袂を分かつことを知っていたのだろう。親友同士で刃を交えなければならない運命を、紋章の性質が後押しした。
 口調も表情も変わることなく穏やかに話す少年に、ルックは右目だけを微かに眇める。
「……キミ、怒っているだろう」
「そう見える?」
 見えないらから、怖いのだ。
 少年は自らの感情を静かに沈ませていく。音ひとつたてず、外に窺わせることもなく。ただただ、沈沈(しんしん)と底知れぬ澱みへと――。
 その淵に触れし者は、永劫の闇に飲み込まれるだけ……。
 彼のそんな姿を目にする度に、ルックは……解放軍の者達は罪悪感を覚える。
 覇王たる資質を持つ少年だった。彼でなければ偉業は成し得なかった。少年に戦旗を振らせ続けるために自分達は、感受性の強かった彼の心を犠牲にしたのだ。
「……レックナート様は、彼等を殺し合わせようとしているわけじゃないよ」
 自分たちは3年前と同じ過ちを繰り返そうとしているのかもしれない。絶望的だった戦況は、奇跡的な盛り返しを見せているというのに。軍主を努める少年の笑顔は翳りを帯びていく。
 それでも、彼でなければならないのだと、星は告げた。
 宿命は大河のごとく、流れを変え難きもの。
 ならば、未だ幼き子等が動乱の時代に溺れてしまわぬように。強大な敵の凶刃を前にして為す術もなく立ち竦むことのないようにと。願いを託して運命の執行者である女性は紋章を与えたのだ。
「あの二人が、いずれ紋章の宿業をも乗り越えてくれることを星見様は期待しているんだよ」
「そう……でも、今のあの子にはちょっと荷が重いんじゃないかな」
「だから、アイツの手助けをするって?いやに肩を持つじゃないか。そんなことしたって、キミにはなんのメリットもないだろ?」
「彼が心配だから。では、納得してくれないのかな?」
 どこまで本気か解らない英雄のお言葉に、ルックは溜息を吐いた。
「そういうことにしておいてあげても良いけどね。僕はまたキミが隠遁生活に厭きて暴れたくなったのかと思ったよ」
「ひどいな。僕は基本的に争いは好まないよ」
 『好まない』と、『得意でない』ことはイコールではない。ルックは肩を竦めた。
「そういえば、キミ何時の間にあんな小技を覚えんだい?」
「あんな小技?」
 おっとりと、小首を傾げる。こんな仕草は、本当に育ちのいい良家の子息そのままといった雰囲気で、とても一国をうち倒した指導者には見えない。
「アイツの紋章に干渉したことだよ。キミなんだろ。レックナート様の封印を解いて『輝く盾の紋章』の力を引き出したのは」
 そのことか、とセラウィスは頷いた。
「うん。ルックは気を失っていたし、僕一人の力では少し心許なかったからね。協力してもらったんだ。やり方は、前に見たから知っていたし」
 真の紋章は持ち主に隷属するだけのものではない。隙あらば、宿主を支配しようともくろんでいる。
 外から干渉してくる意志が宿主よりも強ければ、そちらに従ってしまうことさえあり得るのだ。

 先の戦争で。
 星見とその義理の姉は互いに異なる理由からセラウィスの紋章に関与してきた。
 復讐のために呪われし紋章『ソウルイーター』を奪おうとしたウェンディと、それを阻まんとしたレックナート。
 決戦を控えた荒野の一角で。宿星の集った解放軍の城で。セラウィスは紋章が己の意志にない働きをするのを目の当たりにすることになった。
 そして、降り積もる雪が音も悲しみも白く染め上げ、吸い込んでいった極寒の山頂で。かの親友が身を以て、紋章の使い方を教えてくれたのだ。
「あの子には悪いことをしたけど。心身共にかなりの負担を強いてしまったからね」
 星見の女性は、意味もなく『輝く盾の紋章』の力を抑えていたわけではない。『始まりの紋章』の片割れである紋章は、半身を失い欠けた部分を宿主に求めようとする。
―――足りない力を使用者の命で補おうとするのだ。
 完全なる『真の紋章』ではないそれは、不老の呪いにとりつかれることはない。だがその代わりに効力を発揮すればするほどに、使用者から生命力を奪い去っていく。
 却って寿命を縮めてしまうのだ。
「大丈夫だろ。アイツは叩いたって壊れないほど頑丈なんだからさ」
 毎日毎日、義理の姉にあれだけ乱暴に扱われてもけろりとしているのだ。ルックならば考えられないほどの頑強さである。
 ふふっと、セラウィスが珍しく心からの笑みを零した。
「幸せに、なって欲しいな」
「……キミがそんなことを言うなんてね」
 至極おどろいた顔でルックが少年を見る。彼に己の過去を重ねる、などという無意味な感傷をセラウィスが抱くとも思えないが……。
「誰かのために一生懸命になっているあの子を見ていると、微笑ましくてつい、ね」
 なるほど。ほとんど珍獣を観察するノリなのか。
「確かにアイツは、これまでキミの周りにはいなかったタイプだね」
「ルック。彼のことを見守ってあげて。あの子が絶望に染まらないように――深い闇に捕らわれてしまわないように」
 かつて、セラウィスの隣にいてくれたときと同じように。
 ルックはそっぽを向いた。
「僕はこれまでどおり、石版の守人をするだけさ」
 何かできるなどと自惚れたりはしない。
 3年前だって、見ていることしかできなかったのだ。
 少年の精神が音もなく崩れ落ちていく様を止める術さえ知らずに――。
「ルックが傍にいてくれて、僕は嬉しかったよ」
 沈む気持を包み込むような声音。セラウィスは時折こうやって、人の心を詠んでいるかのごとき言動をする。
「すごくルックには感謝してる」
「な、なに言い出すんだい急に……」
「3年前には言いそびれてしまったからね。いま、お礼を言っておこうと思って」
 にこりと微笑みかけられ、ルックの頬が火照った。わけもなくあたふたする気持ちにつられ、後ろに引いた足がローブの裾を踏んづけてしまう。よろめく身体を支えるため、とっさに両手でつかんだドアの取っ手を、そのまま勢いよく押し開けた。
「ぼ、僕はレックナート様に言われたからしかたなく役目を果たしてるだけだ。だいたいキミ首をつっこんでくるつもりなんだろ。アイツの面倒はキミが見ればいいさ。僕はもう寝るよ。おやすみ!」
 一気にまくし立てて部屋の外に飛び出す。
 おやすみ、という微かな声を背にして後ろ手に扉をバタンと閉めた。
 顔が朱くなっているのをしっかり見られたに違いない。憎まれ口も上擦った声では、照れ隠しとしか取られないだろう。
 ……実際そうだったのだから、しかたがないけれど。
「しばらくは、これでからかわれるかもしれないな」
 慣れ親しんだ相手に対しては、ちょっとだけ意地悪な一面もあるのだ、あの英雄殿は。
 しかし、そう呟くルックの顔はどことなく嬉しそうだった。
 彼が雲隠れしていた間、レックナートでさえその姿を捕らえることは適わなかった。セラウィスがその気になれば、他者が行方を掴むことは、ほぼ不可能に近い。
 けれど、今はカイネのことがある。都市同盟の戦争が終わるか、カイネ自身になにかしらの変化が訪れるまで、彼はこの地に留まるだろう。
 こんな他愛のないやりとりを、またセラウィスと交わすことができる。
 ルックはなんとはなしに、心を弾ませている己を自覚していた。
2001/08/05 UP
時間が掛かりました。いらない話をあれやこれやと詰め込みそうになってしまって…。
坊ちゃんは、ふんわりぽやぽやな割には、決して流されてくれない人だったりします。
おそらく、世の中で一番手強いのはこういうタイプなのではないかと……。
次は再び2主。一気にテンションがあがりますのでお覚悟を(笑)