Fortunate's wheel/前編

 ルカ・ブライトを倒した後、シュウさんが休暇をくれた。
 労働過多で倒れた僕を心配してくれたらしい。
「ねえねえ、カイネ。せっかくだからどっか行こうよ」
 ナナミのはしゃいだ声に僕は頷いた。
 シュウさんはゆっくり休養を取るようにって言ってたけど、別にいいよね。僕だってたまには戦争のことを忘れて遊びたいもん。お休みって仕事を忘れるためにあるんだし。
 ナナミと相談して、バナーの方へ行くことに決めた。本当はキャロに帰りたかったんだけど、さすがにそれは無理だから。
 せっかくだから、ビッキーのテレポートに頼らず歩いていこうというナナミの提案も含めてシュウさんに伝えると、案の定渋い顔をされた。
 でも、もう決めたから、今回は絶対に譲らない!
 僕が密かに決意を漲らせていると、シュウさんは護衛をつけることを条件に許可をくれた。渋々って感じだったけどね。
 さあてと。誰に一緒に来てもらおうかな。護衛のためとはいえ、やっぱり気の合う人達と一緒にいたいじゃない?
 と考えて、思いついた。
「そうだ、ルックとフッチとサスケにしよう!」
 うん、我ながらグットアイデア!あの三人ってば、協力攻撃だってあるっていうのに、いまいち仲が悪いんだもん。この機会に関係を修復してくれるといいなあ……って僕ってばやっぱり仕事のこと考えてるよ。忘れるって決めたのに、だめだなあ。
 あ、でもあの三人とは、何度も行動を一緒にしているし、気心もしれてるから仕事を抜きにしても楽しめるよね。
「あとは……う~ん。シーナとかかなあ」
「いけません!」
 最後のメンバーを考えていたところで、シュウさんから待ったがかかった。そうだった、僕、シュウさんの部屋でそのまま考え込んじゃったんだっけ。
「子供ばかりでなにかあったときにどうするんですか。せめてひとりは保護者をつけてください」
「え……でもシーナは……」
 21歳だよと言いかける僕を遮って、
「私は引率者をお連れ下さいと申し上げたのです。あんな率先して厄介事に首を突っ込むだろう人間を連れて行ってどうするんですか」
 情け容赦なく言い切った。いいのかなあ、シーナってあれで一応、トラン共和国大統領の息子なんだけど。
 でも、ここでシュウさんの機嫌を損ねて、せっかくの休日をフイにするのは嫌だったから、おとなしく忠告に従うことにする。
 結局、バナーがトラン共和国領と隣接していることを考慮して、最後のひとりはロッカクの里の副頭領・カスミさんにお願いした。
  

 草原を横切り、ラダトから船にのってバナーの町まで。
 毎日毎日闘いに明け暮れていたおかげで、ここら辺のモンスターはぜんぜん相手にならない。
「最初の頃は、結構苦労したのに、知らないうちにずいぶんと強くなっていたんだなあ」
 日々是精進に励んだ甲斐があったってことだよね。ホント、頑張ってるもんなあ僕。
「だったら、なんでわざわざ協力攻撃なんてつかったんだよ!」
 船上の甲板で、しばし感慨に耽っていると、サスケが顔を真っ赤にして怒鳴ってきた。あれ、僕また考えてたこと口に出しちゃってたんだ。
「えーっ。だって、あれだとモンスターを一掃できるんだもん。楽じゃない♪」
「俺とフッチは大変なんだよ!ったく、なんだって闘いの度に、味方に背後から攻撃されなくっちゃなんねーんだ!」
 サスケは俯いてぷるぷる震えている。
「……僕はそれほど大変でもないけどね。キミ達の修練が足りないんじゃないの?」
 ルックが横合いから口を挟んだ。
「てめーは後ろから、魔法をぶっ放してるだけだろ!」
「サスケ……諦めなよ。この人たちには勝てないって」
 フッチが妙に悟りきった表情で、サスケの肩を叩く。
「お前はいいのかよ。このままじゃ俺達、殺されかねないぞ!!」
 う~ん。この二人はわりと気が合ってるみたいなんだけど……。
「あ、それは絶対ないから大丈夫よ!だって、お薬たくさんもってきてるもん」
 ナナミがにっこりと微笑んだ。
「そういう問題か!?」
「え、違うの?だったらこういうのはどう?もし寝込むようなことがあったら、このナナミちゃんが、毎日、精のつく特製料理を届けてあげる。すぐに元気になるんだから!」
「…………」
「…………」
 ナナミが言い終わると同時に、フッチとサスケの顔からさーっと血の気が引いた。
 確かに衰弱しているときにナナミの料理なんか口にしたら……二度と起き上がれないかも知れない。まあ、僕は慣れてるから大丈夫だけどね。
「フッチ……俺達、絶対倒れないようにしような」
 がっしりと両肩を掴むサスケに、こくこくと頷くフッチ。
 あ、友情を深めてる。どうせならここでルックも混ぜてあげてくれればいいのに。
 なんてことを考えていると、ナナミがカスミさんに無邪気な声で話しかけていた。
「ね、あの二人なんで急にやる気になったんだろ?カスミちゃんどう思う?」
「え……さあ、わたしには……」
 カスミさんが、微妙に引きつった顔で曖昧に微笑む。
 ナナミに悪気はないんだ。ただ、自分の料理の破滅的な味に気づかないだけで。
  

 バナーで宿をとったあと、僕とナナミは二人で散歩に出かけた。
 船酔いでフラフラしてるルックと、カスミさんは宿に残った。看病されるなんてルックは嫌がるだろうけど、やっぱりひとりでほっとくわけにはいかないもんね。
 フッチとサスケは協力攻撃の特訓だとかいって、二人でどっかに行っちゃった。なんでも、なるべく魔法のダメージを受けない方法を編み出すんだって。せっかくのお休みなのにふたりとも真面目だなあ。
 それほど広くない村の中を、ナナミと並んで歩いていたら、目の端を赤い布の切れ端が通り過ぎた。僕はすぐにそれの正体に思い至る。きっとあの子だ。
「あれ、こないだの子じゃない?確かコウくんとかいったっけ……あんなところで、何してるのかな」
 ナナミも気づいたみたいで、僕のスカーフをぐいぐい引っ張った。
 ……ちょっとナナミ、息ができないって。
 茂みにしゃがみ込んでいたコウは(だから、赤い切れ端しか見えなかったんだね)、ナナミの声に気づいて立ち上がると、こっちに走ってきた。ナナミがやっと力を緩めてくれる。はーっ、あやうくお花畑で妖精さんと遊ぶところだったよ。
「こないだのおにーちゃんとおねーちゃん」
 コウは大きな瞳をキラキラとさせて見上げてきた。
 赤い服に、黄色いスカーフ。コウの格好は僕とほぼ同じ。……って、コウがマネしてるんだから似てて当然なんだけどね。
 コウは僕が同盟軍のリーダーだってことを知らないから、僕のことを自分と同じ『カイネ将軍のファン』だって思いこんでいる。べつに隠してる訳じゃないんだけど、面と向かって『ファン』なんて言われるとやっぱ名乗りにくいじゃない。
 「ねえ、カイネ将軍にあわせてあげようか」
 だけど、僕たちの目の前まで来たコウは、とんでもないことを言い出した。
「今ね、ボクの宿にとまってるんだ。セラウィスって名のってるけど、ボクはあのひとがカイネ将軍なんだとおもうな」
 僕とナナミは顔を見合わせた。
(ねえ、まさかまた偽物が出たの?)
 つい先日、ラダトの町で仲間にしたホイの顔が浮かぶ。ホイってば、僕の名前を騙ってあっちこっちでさんざん無銭飲食してたんだ。それがわかっちゃった時に、怒ったみんながホイを袋叩きにしたんだけど……たまたま一緒にいた僕まで巻き沿いを食っちゃったから、ナナミはあんまり彼にいい感情を持っていない。
(でも、本人はちゃんと違う名前を名乗ってるんでしょ?コウが勘違いしてるだけなんじゃないかな)
 ひそひそと話をする僕たちに、コウが不思議そうに首を傾げた。
「ねえ、どうしたの?カイネ将軍にあいたくないの?」
「う、う~ん。どうしようかなあ」
 返答を濁していると、コウがぱっと顔を輝かせた。
「そっか、わかった!おにーちゃんたち、こわいんでしょ。大丈夫だよ、カイネ将軍ってね、おにーちゃんたちと同じくらいの歳なんだから」
 そっか。服装が伝わってるくらいなんだから、年や背格好だって当然、知られているよね。
 僕の中で好奇心がムクムクと頭をもたげてきた。僕に似た少年か。
「……うん。会ってみたいな」
 呟くと、コウが嬉しそうに笑った。
「よかった。じゃあおにーちゃんたち手伝ってよ」
「手伝うって、何を?」
 ナナミがパチパチと目を瞬いた。
「カイネ将軍はね、ここへきてから、ずうっと釣りばっかりしているんだ。でね、あいに行こうとしても、いっつも金髪で背の高い人が通せんぼしてるの」
 だから、ボクもまだちゃんとカイネ将軍に会えないんだ、とコウは寂しそうにいった。さっき茂みにしゃがみ込んでいたのも、なんとか釣り場をのぞき込もうとしていたからなんだって。
「ふーん?なんか、よくわかんないけど。とくにかく協力すればいいのね。だったらこのナナミちゃんにまかせて!」
 ナナミがどんっと胸を叩いた。そんな気安く請け負って大丈夫なのかなあ。そりゃ会いたいって言ったのは僕なんだけどさ。

 簡単な打ち合わせをした後、コウのために『カイネ将軍』を宿屋に連れて行くことを約束して僕たちは釣り場へ向かった。
 宿の裏手にある大きな木のところまで行くと、コウの話しどおり背の高い金髪の男の人が立っている。近づくと、彼は慌てたように両手を広げた。
「あ、あっ、あー。すすす、すいませんっ。この先はちょっと、ご勘弁願えませんか」
 ……なんだか、外見と話し方に随分とギャップのある人だ。
 背中に背負った、大きな戦斧とか、頬の十文字の傷とか、コウならひと目で逃げ出しそうな雰囲気なのに。
「でも、僕たちこの先の釣り場に行きたいんですけど」
 言うだけは、言ってみると、彼はすごく困った顔を作った。……あ、でも緑色の目はすごく優しいや。
「申し訳ありません。もう少し、もう少しだけ、まってもらえませんか?」
 本当に済まなさそうに謝ってくる。なんだかこっちが悪いことをしているみたいだった。

『うわ~~。さらわれるぅー!!特にそこの背の高い金髪のおにいさーん。たすけて~~!!』
 どう考えても緊張感のない声が、村のはずれから響いてきた。いかにもな悲鳴。ダメだ。こんなんじゃ、ムササビだって騙せないよ。
 って、思ったんだけど、驚いたことに金髪の男の人は、慌てて左右を見回した。
「こ、これは、どうしたことでしょう。……いまのは宿屋のお子さんの声では!?た、大変ですー。ぼぼぼ、ぼっちゃん。ちょっと様子を見てきます。すぐに戻りますからねー」
 最後の台詞だけを背後に向かって叫ぶと、慌てふためいて駆けだしていってしまった。
 ……いいひとなんだなあ。
 ちょっと複雑な罪悪感にかられながら、僕とナナミはこの隙に釣り場へ向かう。
 釣り場は、子供の遊び場程度のちっちゃなものだった。
 そうだよね。考えてみれば、バナーはすぐ目の前が大きな川だから、本当に釣りをしたいなら、船でそっちに行くよね。僕だったらそうする。
 なのに、こっちにいるってことは……。
 ここにいる人は、きっとひとりになりたかったんだ。
 どうしよう。やっぱり行かない方がいいのかもしれない。
 僕は土壇場で怖じ気づいてしまった。
「どうしたのカイネ。急に立ち止まって」
 ナナミが怪訝な顔でのぞき込んでくる。
「う、う……ん。やっぱり……」
 やめよう、って言いかけたとき、声が聞こえた。
「……誰?」
 高くもなく、低くもない静かな声。決して大きくはないのに、不思議と胸に響いてくる。
 声の方にあわてて目を向けると、赤い服を来た花車な背中が映った。
 若草色のバンダナが揺れる。逆光に照らされた姿が、音もなく立ち上がった。
 形は違うけど、僕と同じ色の服。似たような背丈。そっか、だからコウは間違えたんだ。
 あれ?でも当人であるはずの僕には、疑問を抱かなかったよね。なんでだろ?
「どうしたの、こんなところで。道に迷ったって事はないよね」
 目の前に立った彼が、ほんの少しだけ低い目線を僕に合わせてくる。
 うわあ、すごい!!!
 彼を間近にみて最初に抱いた感想がこれだった。
 容姿の整った人なら同盟軍のメンバーにも、たくさんいる。ルックとかもそうだし。……まあ、中身の方はアレだけど。
 でも、この人はそういうのとはちょっと違う。なんていうか、すごく印象的だ。何気ない動作のひとつひとつが網膜に焼き付いて、離れないような……う~ん、うまく言えないや。
「君たち?」
 僕をのぞき込んでくる瞳が怪訝そうな色を浮かべた。
 いけない!見とれてる場合じゃなかった。早く何か答えないと。
「え……っえっと……」
 しどろもどろになりながら、なんとか言葉を引っぱり出す。なんだかすごく緊張した。
「あの……ちょっと一緒に来てもらえませんか?」
 うわーん、僕の莫迦ッ!!いきなりこんなこと言ったら相手に変に思われちゃうよ!
「あ、えっと、あの、ですね……」
 僕は取り繕うおうと、バタバタと両手を動かした。
 目の前の人が、きょとんと目を見開き小首を傾げる。
 闇に炎の朱金をとかし込んだような不思議な虹彩に、僕の姿が映っていた。
 う、うわ~~ど、どうしよう。なんか心臓が飛び出しそうだよぉ。
 身体の横で、掌を握ったり開いたりして一生懸命落ち着こうとしている僕を、隣のナナミが「なにやってんのよ!」と肘でつついた。そういえばナナミもいたんだっけ。
「あのね、あなたに会いたいって子がいるの。それで、あたしたち会わせてあげるって約束したからここへきたの」
 僕を押しのけ、ナナミがずいっと身を乗り出してくる。いいけどナナミ、それじゃあ僕の話と大差ないよ。僕は内心、冷や汗をかいてたんだけど、驚いたことに目の前の人は納得して頷いてくれた。
「宿屋の子だね。なんだか僕を誰かと間違えてるみたいだったから」
 ゆったりとした口調で言って、くすりと笑みを漏らす。
「それじゃあ、さっきのも君たちの仕業かな」
 悪戯っぽい光の宿る、けれどどこか大人びた微笑み。ふうん、この人こんな風に笑うんだ。
「ぼっぼっちゃ~ん。大変です~~」
 ぼーっとして、そんなことを思っていると、あの金髪の人が戻ってきた。意外と早かったな。
 僕がオタオタしてたから、こっちが時間を食ちゃったってこともあるかもしれないけど。
「どうしたのグレミオ。そんなに血相変えて」
 勢い込んで詰め寄る青年に、バンダナの少年は落ち着き払って応える。あしらいが慣れている所を見ると、この二人、いつもこんな感じなんだな。
「や、宿屋のお子さんがっ!!山賊につれていかれてしまったんですっ!」
「あっ、それは……」
 自分たちが仕組んだお芝居なんです、ってナナミが言いかけたんだけど。
「とにかくっ、一緒に宿屋に来てください~~」
 ……せんぜん聞いてないや。この人、僕たちがいることに、もしかして気づいていないんじゃないかな。
 『坊ちゃん』と呼ばれた人は、しばらく沈黙して、おもむろに僕たちを振り返った。
「君たち、まさか誘拐犯まで用意しておいたってことは、ないよね」
「えっ?ううん、いくらなんでもそこまでは……」
 この金髪の青年――グレミオさんにちょっとだけいなくなってもらえれば良かったんだから。
「と、なると……嘘から誠が出たってことかな」
「えっえ?それって……」
 まさか、コウが本当に誘拐されちゃったってこと?
 そういえば、グレミオさんは『つれていかれた』って言った。それって山賊に攫われるところを見てたってことで……ええ~!?
「あ、それでですね。実は、さっきフッチくんにお会いしたんですよ。お懐かしいですね~」
「フッチに?」
「ええ。一緒にいたお友達の方が、山賊の後をつけて行かれましたので、フッチくんにはさきに宿屋に行ってもらってます」
 この人たち、フッチと知り合い?それで、サスケが後を追いかけたって?
「嘘、うそぉ~。それじゃあ、コウくん本当に誘拐されちゃったんだあ~」
 ナナミもやっと本当らしいと認識したらしく、真っ青になる。
「わかった。宿に戻ろう」
 『坊ちゃん』は、手早く釣り道具を片付けると、グレミオさんに手渡した。
 開いた手には、木の陰に立てかけてあったらしい、棍が握られている。
 黒い棍と赤い服?
 あれ、この組み合わせって、最近どっかで見たような……?
「そういえば、こちらの方々はどなたなんですか?」
 首を捻る僕をよそに、グレミオさんが暢気な声をあげている。今頃気づいたのかなこの人。
 『坊ちゃん』は苦笑した。
「僕もいま知り合ったばかりなんだ。グレミオ、悪いけど紹介はあとにしてくれる?」
 僕は先に行くから、と彼は踵を返す。
「ぼっ坊ちゃ~ん!?」
「ちょっとぉッ」
 慌てるグレミオさんとナナミを後目に、僕は彼を追いかけた。この人すごく早い。
「フッチと知り合いなんですか?」
 必死で追いついて尋ねる。
「うん。昔ちょっと、ね」
 目の前の綺麗な人が、仄かな笑みを浮かべた。
  

 フッチから話を聞いたんだろう、宿には人が集まっていた。
 雑然とした雰囲気の中、飛び込んだ僕たちを皆が一斉に振り返る。
 輪の中心にいたフッチは、僕たちの姿を認めると驚いたように目を見開いた。
「セラウィスさんっ!グレミオさんがいたからまさかとは思ったけど、本当に、セラウィスさんなんですね!」
 あ、違う。僕たちじゃなくて、フッチが見てるのはこの人だ。
「フッチ?随分背が伸びたね」
 優しい言葉を掛けてくれる少年に、フッチが嬉しそうな顔をする。状況が許せば飛びつきかねない勢いだ。……あれ?今ちょっと胸がムカっとした。
 でも、もっと驚いたのは。
「……久しぶり、変わりないようだね」
 ルックが、小さな笑みを浮かべて彼に挨拶したんだ。あのルックがっ!だよ!!皮肉と嫌み以外で微笑みを浮かべることがあったなんて!!
 あんぐりと口を開けている僕の横で、言われた方も瞳に柔和な色を浮かべた。
「ルックこそ。めずらしいね、こんなところで会うなんて」
「べつに来たくはなかったんだけど、役目があるからしかたなくね。ところでこれはなんの騒ぎだい?階下があんまり煩いんでのぞいてみれば、君は飛び込んでくるし……」
 ルックってば、船酔いで休んでいたんだよね。カスミさんはどこにいるんだろう……と首を巡らせたところで、ガッシャーンって陶器の割れる音が響いた。
「あっカスミさん」
 僕の声にも気がつかないで、カスミさんが口元を両手で押さえている。……ずっと一点を凝視して。  金属製のお盆が足下で、ぐわんぐわんって震えてる。床に飛び散った水は、おそらくルックのために汲んできたものなんだろうな。
「セ、セラウィスさま……まさか、こんなところで会えるなんて……」
 くぐもった声は、懸命に嗚咽をおさえているみたいだった。感情の抑制に長けた忍びの彼女が――あ、サスケは別だよ。あれは修行が足りないみたいだから――こんなに己を出すなんて。
「カスミ……」
 あ。ちょっと困ってる。一体、どーゆう関係なんだろう。ううん、カスミさんだけじゃない、フッチやルックとだってすごく親しいみたいだし。
 なんだかおもしろくない。疎外感、を感じるからなのかな。
 僕は無意識に、隣に立つ少年の袖を引いてしまった。彼の瞳が自分を映してくれることを願って。
「ごめん。旧交を温めている場合じゃなかったね」
 彼は、小さく謝ってくれた。けど、違うんだ。僕の方こそ状況を忘れてた。
「あの僕……」
「ぼぼ、坊ちゃ~んっ。やっと追いつきましたあ~」
 ばったーんっって、僕たち以上の勢いで扉が開いて、ナナミとグレミオさんが飛び込んでくる。
「おいてくなんて、ひっどーいっ!カイネってば、いつからそんな子になっちゃったの!?」
 ナナミは僕の肩をつかんでガクガクと揺さぶった。ここ最近、ナナミにはずっと本拠地で留守番してもらっていたからなあ。その分も含まれているんだろうな。
 いつもより念入りに揺さぶられて、頭がくらくらし出した僕を、グレミオさんが助けてくれた。
「まあまあ、ナナミさん。それよりほら、コウくんのことをなんとかしないと」
「あっそうですよね。わたしったら。ごめんなさいグレミオさん」
 グレミオさんに謝っても、しょーがないと思うけど。
「コウ?宿屋の子がどうかしたのかい?」
「そういえば、ずいぶんと人が集まっていますけど、何かあったんですか?」
 ルックとカスミさんが、グレミオさんに問いかける。グレミオさんはにっこりと微笑んだ。
「おや、ルックくんにカスミさんではないですか。こんにちはー。お久しぶりですね」
「……グレミオ。挨拶は後でいいから。もう一度状況を説明して」
 聞こえてくる溜息に、グレミオさんは表情を引き締めた。
「あ、はい。そうでした。すみません坊ちゃん」

 悲鳴に駆けつけたグレミオさんは、山の方へ走っていくコウの後ろ姿を見つけ、慌てて後を追いかけた。灌木に覆われた狭い獣道では、子供の方が身軽に動くことができる。グレミオさんが邪魔な枝をかき分け、なんとかコウに追いついてみると、数人の大男に抱きかかえられた子供の姿がそこにはあった。グレミオさんはあわてて助け出そうとしたが、相手は複数。もしコウになに危害なんか加えられたりしたら大変だ。どうしようかと思案しているところを、やはり悲鳴を聞いて様子を見に来たフッチとサスケに出会い、二人の協力を得て現状にいたる。

 グレミオさんは、そんな内容を要領よくてきぱきと話した。なんだ、この人こんな話し方もできるんじゃない。いつもほやほや~ってしてるわけじゃないんだ。
 なんて、僕の感想は的をはずしていたみたいで、話を聞き終わった人たちは、皆一様に渋面を浮かべた。ツノを突き合わせて、誰が助けに行くかって押しつけあってる。バナーの山道に出る魔物は強いし、山賊の相手もしなくちゃいけないんじゃ、誰だって尻込みするよね。
 だからって罵り合いまで始めるのはどうかと思うけど。心配しなくても、もちろん僕たちが行くよ?もとはといえば、僕とナナミの悪戯が原因なんだし。
 僕はちらりと隣を窺った。
 ……一緒に、来てくれないかな。
 彼が武人として相当の修練を積んでいるだろうことは、走る姿をみただけですぐに気づいた。そりゃあ、僕たちだけでもなんとかなると思うけどさ。でも……でも、ここで別れたら、戻ってきたときにまだ、この人がいてくれるとは限らないじゃない?……ううん、きっと居なくなってる。そんな気がするんだ。
 お願いだから、もう少し一緒にいて。
 そんな願いを込めた、僕の視線の先で、その人がふらりと体勢を崩した。
「坊ちゃん!?」
 グレミオさんが悲鳴を上げる。片膝をついたその人は、胸の前で両手を握り合わせて、なにかに耐えるように息を詰めた。
 おろおろして同じように腰を落としたグレミオさんに、何事かを告げている。何を話してるのかな。声が小さすぎてよく聞こえないや。
「大丈夫……よ、坊ちゃん。……は、……が……してくれた……悪いモノであるはずが……せん」
 一生懸命に答えるグレミオさんの声も小さい。
 そうしてるとこの二人、すっごい親密そうに見える。内緒話なんて、なんかずるいなあって思ってたら、ルックがさっさと二人に近づいていった。
 彼の耳元に唇を寄せ、二言三言囁く。彼ははっとしたように顔を上げて、僕に視線を向けた。
 強い、強すぎる光を湛えた瞳に射抜かれ、僕はたじろぐ。これほど眼光に力を宿した人を僕はこれまでに知らない。
 けれど、それは一瞬のことで。再び視線をはずした彼は、立ち上がると、僕に協力を申し入れてきてくれた。
2001/04/29 UP
幻水は、だいたいこんな感じで。2主おばかですね(笑)
この話は後編に続きます。