夕河岸

「花火を見に行こう」

 突然やってきたと思ったら、開口一番にそう言った相棒に連れられて、龍麻は川沿いの土手を歩いていた。
 人いきれがものすごい。この中を歩き回るなど狂気の沙汰だ。
「京一、花火なら家(マンション)の窓からだって見えるだろ」
 うんざりしながら口にすると、わかってねーなと京一が笑った。
「ふたりで見に来ることに意味があるんだろ」
「俺には無意味としか思えないよ」
 暑いし、冷房も効いてないし。
 不満顔の龍麻の顔が、ふいに明るく照らし出される。
 続いて鳴り渡る、どーんという音。
 虚空を飾った光彩と、腹の底を震わせる鼓の響きに、周囲からわっと歓声が上がった。
「……はじまったみてーだぜ」

 放射状に拡がる星の螺旋。
 夜空を埋め尽くす色とりどりの芭(はな)。
 闇の帳に流れて落ちる光の雫。
 爆ぜて瞬き。煌めいては解けていく真夏の夜の夢。

「キレイだよな……」
 しばし気を惹かれた京一が、ぽつりと呟いた。
「美しいものほど儚くできている」
 龍麻も同じ方向を見上げる。

 例えば、花のしまきが波高く見ゆるがごとく。
 焔の華が名残惜しくも虚空に散じていくがごとく。
 人が幽艶に惑いて戻れなくなることのなきように。
 薄倖たるのが宿命と、教えてくれたのは確か――義妹だったか。

「一睡の夢だと解っているからこそ、人は安心して酔えるんだろうな」
 命脈短きことの悲哀が、それらをより一層際立たせ。
 ひと夜限りと割り切って、人は夢に耽溺する。
「でもよ、花は翌年も咲くし。花火はまた作ればいいわけだろ」
 龍麻はとなりの相棒を振り返る。京一はもう花火を見てはいなかった。
 夏の太陽を思わせる明るい虹彩が、龍麻を映している。
「それに、一時だろうとなんだろうと頭に焼きついちまったものは、そうそうのことじゃ消えねェぜ」
 じゃなきゃ、毎年これほどの人が集まるはずがないだろう――と。
 囁かれたのは、引き寄せられた腕の中でのことだった。
「京一……人前ではよせってあれほど……」
「誰も見ちゃいねーよ」
 他の奴等はあっちに心を奪われているからな。
「だったら、お前も花火を見てろ」
 龍麻は両手を相棒の肩に置き、引き剥がそうと試みる。
 京一は腕に力を込めると、一層深く抱き込んだ。
「俺はお前の方がいい」

 春の代名詞たる夢見草の霞よりも。
 夏の風物詩である極彩色の錦よりも。

 目の前の深き漆黒に魅せられる。

「お前は、あんな風にあっけなく消えたりするなよ」
 真摯な瞳で覗き込むと、佳人は一瞬きょとんとした顔で眼を瞬き。
 ついで、ゆっくりと口元に笑みを佩いた。
「……お前が引き留めてみせればいい」
 できるものならば、と細められた瞳が妖しい艶を宿して輝く。

 誇り高く咲き誇り、心狂おしく誘いし解語の花。
 花盗人と成り果てて、手を伸ばせしは己が罪。
 甘き蜜に酔いしれて、蠱惑の馨に身を浸し。もとより醒めるつもりもない。
 枯れ果てようとも繋ぎ留め、共にどこまでも堕ちていこう。

「絶対に逃がさねェからな。覚悟しておけよ――龍麻」
 京一は不敵に口角を吊り上げ、二人を隔てる腕をやんわりと掴んだ。龍麻は促されるままに青年の首へと手を絡め、近づいてくる視線を受け止める。

 紫紺を染め上げ、心浮き立たせる光の祭典。
 眩き輝きは、その後に訪れし闇を一層、色濃きものへと変える。
 吐息に混じる語らいは、天を打つ音に掻き消され。
 ささやかなりし秘め事は、深き静寂(しじま)で覆い隠された。

2001/10/01 UP
暑中見舞いとして頂き物を下さった皆様に押しつけたもの。
かなり文章で遊んでます。
たぶんわけがわからないだろうと思われるので、ちょっと補足しておくと、夢見草は桜のこと。解語の花は美人さんの代名詞。
芭は平たい花のことで、華は牡丹のように立体的で中央に花芯のある花のことだそうです。

【祭りの後】

瀟洒なマンションの部屋の前にて。
京一:「なあ……ひーちゃん、ここ開けてくれよー」
龍麻:「断る!流された俺が馬鹿だった。もう、お前の言うことは絶対に信用しないからな」
京一:「いいじゃねェか、ちょっとぐらい注目を集めたって」
龍麻:「あれがちょっとか!?カメラをこっちに向けてた子までいたんだぞっ!」
京一:「へぇー。後で焼き増ししてくんねーかな」
龍麻:「……帰れ。(怒り心頭)」
京一:「わかった、悪かったって。もうしねェ。だから、な。入れてくれよ」
龍麻:「うるさいっ!扉を叩くな!!壊れたらどうしてくれる」
京一:「ひーちゃんがここ開けてくれるまでやめねェからな」
龍麻:「…………」
京一:「ひーちゃん?」
龍麻:「…………」
京一:「ちょっとやりすぎたか?」
扉の向こうから気配が遠ざかる。龍麻のマンションは部屋数も多くて広い。奥に入ってしまえば玄関口の騒音も苦にならないだろう。
それでも往生際悪く扉を叩き続けること約5分。願いが通じたのか天の岩戸は開かれた。
京一:「へへッ。やっとお許しが出たか」
龍麻:「(躰を部屋に入れようとする京一を押しとどめ)まさか」
京一:「ひーちゃん?」
龍麻:「さすがに暑い中、暴れさせてるだけなのは憐れだからな。差し入れだ」
京一:「……って、ひーちゃんコレ……」
龍麻:「それ飲んで一晩ぐらい粘れば許してやらないこともない。せいぜい頑張るんだな」
ぜったいに残すなよと、極上の笑顔で付け加える。
再び閉ざされた扉の前には、差し入れを手に呆然と立ち竦む京一の姿が残された。
京一:「インスタントのコーンスープ(熱湯)……。さっき気配が遠ざかってたのはこれを入れるためか」
外気温は30度。今宵も熱帯夜だ。ひーちゃんの怒りはなかなかに根深いぞ。