第伍話 月ノ雫

 ひとりでは見えないことが見えるかもしれない、と龍麻は言った。

 水澄みぬれば、きさらぎあり。
 祖父はことあるごとにそう口にした。江戸が鎮護は『飛水』たる如月家の使命であると。
 それは将軍家を主家と仰ぐ忍び一族が賜りし勅命。
 祖父の意向に逆らうつもりはない。義務を苦痛と感じたこともない。
 しかし、時折ふと思う。
 江戸が東京と名を改めてよりはや数十年。時代は移ろい、人々の生活は変遷していった。将軍家の権威も失墜して久しい今、如月家だけが過去の柵(しがらみ)に捕らわれ続けている。

 この街は、本当に護る価値があるのか?

 そんな迷いを龍麻に見透かされた。
 深い深い黒曜石の瞳が自分の姿を捉えている。義務と使命に凝り固まった心の奥底を暴き立てる。
 気がついたときには協力を請う申し入れ受けていた。
 彼等と共にあれば、己の中に蟠る感情と折り合いをつけることができるかもしれない。
 龍麻なら、問いかける先のない疑念に光明を与えてくれるかもしれない。

 そんな気にさせられたのは、彼が特殊な星のもとに生まれた存在だからだろうか――。

  

 如月骨董店の若き店主、如月翡翠は今日も今日とて商売に勤しんでいる。
 いまもまた、陳列品にはたきをかけ、帳場に鎮座ましましている招き猫の手入れに余念がなかった。
 本日の来店者数ゼロ、売上金額もゼロ。それでも、店主は一向に意に介さない。
 翡翠は未だ学業に従事する身、祖父から引き継いだこの店は半分道楽でやっているようなものだ。まして店に置いてある商品は、一般の客に気軽に売り捌いて良いものではなかった。骨董と呼ばれようともここにある品は飾るだけのモノではあり得ない。使われてこその道具。役に立ってこその品物だ。しかるべき人物にしかるべき時に売り渡す――これが如月骨董店の営業理念だった。
 つまりは必要としない人物には逆立ちしても売らないわけで……それでなくとも、閑静な住宅街の合間にひっそりと構えている店、排他的な雰囲気が立ちこめる薄暗い店内と客足が途絶える素養が揃っているというのに、せっかく訪れた一見(いちげん)の客もほとんどが高値を吹っかけられて追い返えされてしまう。如月骨董店に閑古鳥が鳴き、開店休業をかこつのも自明の理といえた。
 では、まったく商売が繁盛していないのかといえばそうでもない。
 江戸の時代から連綿と続く店の歴史と、注文すれば必ず期待に応えてくれる店主の手腕に絶大なる信頼を寄せる古馴染みが結構な数、存在するのだ。ただ彼らの多くは、老齢なうえ世に知られた名士であるため、御用とあればこちらから出向いていくこととなる。
 店を開くのは換気のためのようなもの。ならば、雨の日も風の日も営業する必要はない。事実、これまでは店主の気まぐれによって、開けたり閉めたりされていたのだ。
 翡翠が連日、帳場に座るようになったのはつい最近のこと。
 蝉の声が驟雨のごとく降りそそぐ暑い夏の日に端を発していた。
 そして、その要因は――――。
 こつん、と店先で微かな足音が響く。
「こんにちは、お邪魔してもいいかな?」
 唄うような、耳に心地よく響く声。骨董店にはそぐわない学生服に身を包んだ肢体が、悠揚と店に足を踏み入れてくる。

 待ち人来る(きたる)。

「やあ、いらっしゃい龍麻。よくきたね」
 翡翠は相好を崩して、来訪者を迎え入れた。

「商品の手入れの途中だったのか?」
 布巾を片手に、ひと抱えもある巨大な猫の置物を抱えていた翡翠は、速やかかつ丁寧にそれを元の場所に戻す。
「いや、丁度ひと息入れようと考えていたところだ。よかったらつき合っていかないかい?いいお茶が手に入ってね」
 数秒前までは思い浮かべもしなかったことをさらりと口に乗せた。
 ついで座布団を出してきて龍麻に薦めると、いそいそとお茶の支度に取りかかる。
 無愛想、無表情、無関心ないつものお前はどこへ行ったんだ!と、普段の彼を知る人間が目にすれば絶叫したことだろう。すわ天変地異の前触れかと、右往左往する者のひとりや二人はあるに違いない。
 それくらいに翡翠の愛想はよかった。
 そう、如月骨董店は彼(と一応その仲間も)のために毎日営業されているのだ。
 龍麻は週に1、2度訪ねてきては、お茶の時間を過ごしていく。二人で他愛ない話をしながらくつろぐひとときが、翡翠にとっては何よりの愉しみとなっていた。店の戸を開けておくのはいつでも龍麻が入ってこれるようにとの配慮から。戸口が開いていれば、自然、店は営業しているということになる。

「何か良い品は入った?」
 和菓子を乗せた黒塗りの盆を手に戻ってきた翡翠は、上得意客の問いかけに首肯した。
「ああ、日本刀の業物が一本入荷されているよ。蓬莱寺君なら使いこなせるだろう。他にも面白い品がいくつかあるから、ゆっくり見ていってくれたまえ」
 玉露の香り豊かな湯飲みを手渡し、慣れた所作で着流しの裾を捌くと龍麻の隣に座る。
「そうさせてもらうよ。でも今日は別のことで来たんだ」
 店と住居の間にあるあがりまちに腰を下ろしていた龍麻は、受け取ったお茶をおいしそうに啜った。
「別のこと?」
「醍醐のことで世話になったから、そのお礼にね」
 翡翠はふっと口元に小さな笑みを浮かべる。
「礼には及ばない。同じ四神の同士として、当然のことをしたまでだ」
 四神とは方位を司る聖獣のことで、北の玄武、東の青龍、西の白虎、南の朱雀からなる。
 人の中には、稀にこの四神の《力》を一部宿して生まれてくる者があった。
 翡翠に宿る『玄武』然り、醍醐の内に眠っていた『白虎』然りだ。
「僕は飛水流忍術の後継者という立場上、早くから自覚があったが醍醐君は違う。事実をありのまま受け止めるのは、相当の覚悟を必要としただろう」
 なにせ、自分の内にそんなものがいるとはつゆ知らず生きてきたのだ。
 白虎の《力》は醍醐にとって寝耳に水。青天の霹靂。人生観が一変してしまうほどの衝撃だった。
 唐突に訪れた覚醒は、精神・肉体ともに多大なる負担を与え――。
 暴走した《力》は身近にいた『敵』佐久間の死を招いた。
 決して好ましい相手ではなかった。思い返してみても迷惑を被り、手を焼かされた記憶しかない。それでも人殺しは罪。慚愧の念にかられた醍醐は、あわや精神崩壊の一歩手前まで追い込まれた。
 小蒔の献身的な説得と、翡翠の力添えがなければ、醍醐は今も心を閉ざしたままだったろう。
「その後、醍醐君の様子はどうだい?」
「ありがとう。お陰様で、大分落ち着いたみたいだ」
「そうか、それはなによりだ」
 うん、と頷いて龍麻はくすりと笑った。
「醍醐も真面目だから。俺に言わせれば、佐久間の死は自業自得だと思うけど」
 力を求めるあまり魔を呼び込み、人としての姿を捨てた男。ましてや小蒔を人質に取り、散々暴行を加えた挙げ句、醍醐を罠に嵌めようと画策していたのだから、どうされようと文句をいえる立場ではない。
「龍麻、それ醍醐君には……」
「大丈夫、言わないよ」
 深くなる笑み。僅かに細められた眼に混じる艶に、ぞくりと肌が粟立った。
 醍醐や小蒔は知らないであろう別の側面を、龍麻は翡翠の前で隠そうとはしない。
 そのことが、翡翠に密かな優越感をもたらす。
 こうした何気ない瞬間に、龍麻に傾倒していく自分を感じる。

 彼は特別な『星』を頭上に戴く者。
 『玄武』である自分が彼を気にかけるのは当然のこと。
 それだけのことなのだと、自らを戒める。

「そうだ。この間、また別の四神が見つかったんだけど、話したかな?」
 深慮している翡翠に気づかず、龍麻がのんびりと話を続ける。
「別の四神?アランとかいう留学生のことかい?」
 陽気なメキシカンのハーフ、アラン蔵人は風の《力》を宿した霊銃の使い手だ。彼が青龍であることはすでに確認が取れていた。
「アランもそうだけど、マリィっていう女の子だよ。《発火能力》を持っている」
 マリィはローゼンクロイツ学院日本校で、実験用モルモットとして『飼われて』いた。学院長はジル・ローゼス。慈善家の仮面の裏で、第三帝国の構築とかいう誇大妄想を抱き、引き取った孤児を使って人体実験を繰り返していた。
 超能力を持つ人間兵器を造り出すことが目的だったらしい。
「そいつが何を思ったか、美里の《力》に眼をつけてね。あろうことか朝早くから誘拐事件を起こしてくれたんだ。一緒に担任の先生も連れて行かれちゃったから、HRが始まらなくて困ったよ」
「杜撰なことをするものだ。もっとも、そういった浅薄な輩だからこそ、滑稽無糖な思想をもてたのだろうが」
 翡翠は冷めたお茶を新しいものと入れ替えた。玉露の味は温度で決まる。茶道部部長のプライドにかけて龍麻に不味いお茶を出すわけにはいかなかった。
「だろうね。それで俺達が悪者をまとめて退治してお姫様達を救出してきたんだけど……」
「その少女はその後どうしたんだ?」
 実験に使われていたというのなら、マリィも孤児なのだろう。
「美里の家にいるよ。妹として引き取ることにしたらしい」
「……ご両親がよく許したね」
 翡翠は絶句した。
 さすがは聖女と名高い美里葵の両親というべきか。素性が知れないうえに、怪しい実験などに使われていた子供をよくも引き取る気になったものだ。それがマリィにとって最良の道であることは確かだが。
「俺も驚いたよ。……で、醍醐が言うには、マリィが最後の四神『朱雀』じゃないかって」
 覚醒してからこっち、醍醐はなんとなくだが同胞が判るようになった。
「でも確実じゃないから、確認をお願いしたいってさ」
「了承した。近い内に店につれてきてくれたまえ」
 だが、醍醐が感じ取ったのなら、まず間違いないだろう。これで四神が揃ったことになる。
「四神って純粋な日本人とは限らないんだな」
「生まれた方角と星の運行によって定められるからね。特に資質などが問われるわけではないよ」
 しかし、ほとんどの者は、内に秘めた《力》に気づくことなく一生を終えていく。ひとつの街に覚醒した四神が揃うことなど通常ではありえないのだ。
(今が通常の時ではないということか)
 翡翠は茶菓子をつまんでいる龍麻をそっと見やった。
(醍醐君。世の中には君よりもっと重い宿命を背負った人物もいるのだよ)

 始めてあったとき、彼が『何者』かすぐに分かった。
 翡翠の奥底に眠る異形の獣が囁く。自分たちを絡める浅からぬ縁を告げる。
 如月骨董店が取り扱う、実用に耐えうる武具や護符。
 彼が背負う宿命と向き合うためには、これらの品が必須となる。だからこそ、翡翠は彼等の望むままに商品を売り渡したのだ。
 ただ、それだけのことだった。
 翡翠の行く道と彼等のそれはあまりにも違う。
 一緒に戦うことや、こうして談笑することなど絶対にありえないと、そう思っていたのだ。
 龍麻が翡翠を初めて骨董品店の亭主以外の存在として捉えてくれた、あの夏の日までは。

 翡翠の視線に気づいたのか、龍麻が顔を上げた。射干玉色の髪がさらりと揺れる。
「探していた答えは見つかったのか?」
「え?」
 その奥からのぞく双眸に、少し驚いている己の表情が映った。
「始めて一緒に戦ったときに言ってたろ。自らの迷いに決着がつくまでは俺達につき合うって」
 翡翠は得心する。戦いも佳境にさしかかった感がある今、翡翠が戦線離脱するのは痛手となるだろう。龍麻はそのことを心配しているのだ。
「心配せずとも、関わったことを途中で投げだすような無責任な真似はしないさ」
 そういう意味じゃない、と龍麻は言いさした。
「ほら、俺達ばかりが一方的に頼ってるだろ」
 視線を逸らし、半眼を伏せる。
 今ある戦いに皆を巻き込んだのは龍麻だ。彼等はひとりだったらなら、厄介ごとに近づきはしなかっただろう。
 戦いに参加しているのはあくまでも自分の意志だと京一は憤慨していたが。根底に、龍麻の存在が大きく関与していることは間違いない。
 しかし、『飛水』の継承者は違う。東京の治安保持を役目とする彼は、龍麻がいてもいなくても戦い続けていく。
「俺はね嬉しかったんだよ。すごく勝手な思いこみだけど、始めて同じ目線で話せる相手に会えたと思った。だから、世話になった分だけ、俺も何か返したかったんだ」
 翡翠は軽い驚きを覚える。龍麻がこんなことを考えているとは思わなかった。常に皆の中心にあり、共にあるのはごく自然なことと感じていたから。
 驚愕は徐々に悦びに変わる。翡翠だけが、龍麻の中で特別な場所に位置づけられている。
「……僕も君の仲間になれてよかったよ。君たちから大切なことを学んだからね」
 知らぬうちに、自らの周りに壁を作っていたことを気づかせてくれた。忍ぶ者(しのぶもの)だからといって心まで殺してしまう必要はないのだと、教えてくれた。共に戦う仲間がいることで得られる心強さを感じさせてくれた。
 他の誰にも見せない柔らかな笑みで伝える。深く広がる瞳の色に誘われるまま、手を伸ばした。
「龍麻……」
 心臓が早鐘を打つ。指先が龍麻の頬に振れる……。

「ひーちゃんッ!!」
 ガラガラっとけたたましい音を立てて、引き戸が開け放たれた。
「やっぱ、ここにいたんだな」
 せっかくのいい雰囲気を邪魔されたことに苛立ちを覚えつつ眼を転じる。そこには案の定、朱色の髪の青年の姿があった。
「京一、うるさいよ」
 突発事態に慣れているのか、龍麻はまったく動じない。
「だってよぉ。約束してたのにひーちゃん先に帰っちまうし……」
 京一は拗ねた顔で、ぶちぶちと文句を垂れている。お前は子供かっ、と翡翠はツッコミたくなった。
「……俺に、お前の補習を終わるのを待ってろって?」
 目を細めた龍麻が、口調だけはにこやかに切り返す。京一がギクリと肩を強張らせた。
「だいたいあれほど教えたのに、どうして追試なんだろうね?」
 睡眠時間を削ってまで教えてあげたのに。
 小首を傾げる仕草が可愛らしい。が、京一はその背後におどろおどろしくたちこめる暗雲の幻を見た。

 龍麻は成績が良い。転校して最初の実力考査では、美里に並び立つほどの点数を上げている。以後も定期テストのたびに片手で足りる順位を保持していたため、マリアから京一の面倒見を押し付けられてしまった。お友達なんだから、よろしく頼むわね、というわけだ。
「い、いやあ、ひーちゃんが教えてくれたおかげで、点数は大幅に上がったんだぜ。どの教科も10点はアップしてたし」
「……それでなんで追試になるんだい?」
 翡翠は頭痛を覚えた。10点アップでまだ追試ということは……もとはどんな点数だったことやら聞くのも恐ろしい。
「うるせえ、如月!てめえだって、ろくすぽ学校にいってやがらねぇくせに」
「あいにくと僕は、成績が学年3番以下になったことはない」
 君と一緒にしないでくれたまえと、涼しい顔で言ってのける。京一は、ぐぐぐっと拳を握りしめた。
「京一、補習を受けてきたにしては、いやに時間が早いけど、まさか、逃げ出してきたなんて事はないよね?」
「ひ~ちゃあん~~」
 腕時計に目を落としながら追い打ちをかける龍麻に、京一が情けない声を上げた。
「犬神の野郎と二人きりなんだぜ。俺の身に危険がせまってるとか考えねーのか?」
「考えない」
「君のような生徒をもつ、教職者の立場に同情するね」
 龍麻と翡翠の間髪を入れない答えが、京一を撃沈した。
 追試の監督官である犬神先生と京一は、すごぶる相性が悪い。というよりも、京一が一方的に嫌っていた。そのためかどうかは知らないが、犬神の担当教科である生物は毎回といっていいほど赤点を取っている。
 そんなに嫌いなら、顔を合わせなくてすむよう一度で試験をパスすればいいのに……。
 追試と課題のためにしょっちゅう顔を見合わせているから、よけいに苦手意識が募るのだ。
 しゃがんで頭を抱え込んでいる青年を見下ろし、龍麻は嘆息した。こんなところに陣取られては、翡翠の商売の邪魔になる。たとえ、客がほとんど来ない店であっても。
「ごめん、用事ができたから帰るよ。お茶ごちそうさま。品物は今度、改めて見せてもらうから」
 湯飲みを置き、立ち上がった。
「龍麻ならいつでも歓迎するよ。また来てくれたまえ」
 『龍麻』のところに、微妙に力を込めて翡翠が応じる。
「ほら、京一帰るぞ」
 龍麻はにこにことして頷き返すと、京一の襟首を掴み力づくで立ち上がらせた。
「うおっ、ひ、ひーちゃん!?」
「今夜は家で、徹夜の勉強会だ。明日になったら、犬神先生のところに引きずっていくからな」
 下された宣告に、京一が青ざめる。
「ちょっちょっと待て。俺は今日はひーちゃんと、ラーメン食って帰ろうと……」
 龍麻は京一をひたと見つめると、それはそれは綺麗な顔で微笑んだ。
「何か言った、京一?いっとくけど、二度目の追試は許さないよ」
「………………」
 言葉に凄味がある。京一の背中を冷たいものが流れ落ちた。
 翡翠は、ふたりを眩しそうに見つめる。龍麻は翡翠の前で己を偽ったりはしない。けれど彼が、こんな風に自分から触れるのは京一だけだ。
 一抹の侘びしさが胸をよぎる。引き留めたい、と無意識が願望を抱く。
 喉まで出掛かった呼びかけに答えるかのように、龍麻が振り返った。
「それじゃあまたな、翡翠」

―――翡翠。

 ぽかんと口を開けて龍麻を見送ってしまった翡翠は、ふいに唇を歪めた。
「……まいったな」
 額を押さえひとしきり笑う。
 自分でもどうかしていると思う。たかだが名前を呼ばれただけのことが、こんなにも嬉しいなんて。
「龍麻。僕は、君のことが気になるのは、宿星のせいだと思っていた。のめり込んでいく自分が怖くて、無理に思いこもうとしていたのかも知れない。だが……」
 誰もいなくなった店内で、ひとり呟く。
 もう、誤魔化しはきかなかった。
「星も運命も関係ない。僕は君に、緋勇龍麻という人間に惹かれているんだ。どうしようもないほどにね」

 人との交わりは、げに疎ましきもの。
 ずっとそう考えていたというのに。
 あの瞳が自分の姿を映してくれるのなら、どれほど深く関わることも厭わない。
 むしろ、もっと振り回されたいとさえ思ってしまっている。

 おそらく、あの二人の間に翡翠の入り込む余地はないのだろう。
 それでも。
 翡翠だけが、龍麻にささやかな休息の場を与えることが出来る。
 『飛水』の役目に縛られる自分だからこそ、龍麻は安心できると言う。
「まさか、自分が玄武であることや、忍びが一族の末裔であることを感謝する日がこようとは」
 義務も役目も、相変わらず翡翠を煩わせるけれど、龍麻の役に立つならばそれも悪くない。

「この街も捨てたものではないな。君に会えたのだから」

 妖都、東京――。
 魑魅魍魎が跋扈し、人知れず百鬼夜行の横行する街。
 古き良き時代は去り、世は忙しなく、時は足早に過ぎていく。
 それでも、人の心のありように違いはないのだろう。
 誰かを大切に想う気持ち。何かを護りたいと願う心。
 ここには、かけがえのない人がいる。

 護りたい、ものがある。

 翡翠は苦笑を浮かべた。
「龍麻、僕は答えを見つけた気がするよ。君のお陰でね」
 だけどまさか、答えを見つけたことで、余計に彼等から離れがたくなるとは。
 これも、幸せのひとつの形だろう。

 苦みと甘さの同居する不可思議な感覚を噛みしめ、翡翠は商品の手入れを再開するために腰を上げた。

2001/03/08 UP
雨月のちょっと前のお話。
如月の口調がよく分からなくて、苦労しました。偽物っぽいですか?
それにしても、遊びで書いた予告がだんだん長くなってきているなあ(汗)
本編と入れ替わるのも時間の問題かも……。

【次号予告(偽)】

己の《力》のありように悩む美里。思いあまった彼女は単身、九角のもとへと乗り込んでしまう。
九角:「よく来たな。美里葵」
美里:「…………」
九角:「どうした?恐怖で声もでねぇってことはないだろ?」
美里:「(ため息)もうちょっと、期待していたのだけれど……」
九角:「あァ?」
美里:「仮にも私の遠縁なのだから、容姿端麗とまではいかなくても、それなりであって欲しかったわ」
九角:「(女性にもてまくっているのでちょっとプライドが傷つく)俺の何処が悪いって?」
美里:「まず髪型が気に入らないわね。手入れも怠っているし。ちゃんとリンスはしているのかしら?」
九角:「毎日、石鹸で洗ってるぞ」
美里:「ずぼらね。それに、その目つきの悪さッ!どうにかならないかしら」
九角:「どうにかって言われても、これは生まれつき……」
美里:「目尻にセロテープでも貼って矯正するといいわ。ああ、龍麻。早く助けに来て」
九角:「お前、自分から来ておいてよくそんなことが……」
美里:「大丈夫よ。置き手紙残してきたもの。私にはやっぱり龍麻しかいないわ」
九角:「もしかしなくても、その選択基準ってのは……」
美里:「もちろん、私に釣り合う容姿よ」