第六話 誘い/壱

 私に何ができるのだろう。
 あなたのために、何をしてあげられる?
 彼女のように、私はあなたのために命を投げ出せるのかしら。



 比良坂が炎に身を投じたあの日から、龍麻の瞳には翳りがさしていた。皆で笑いさざめくこの瞬間にも、心はどこか遠くを見つめている。
 近しく接してきた葵達だからこそわかる微かな変化。
 責任を感じているのか、醍醐はなにかと龍麻をかまいたがった。京一は以前にもまして行動を共にすることが多くなっている。
 夏休みの間、葵と小蒔は出来る限り龍麻を連れ出した。彼女のことでこれ以上落ち込まないよう、誰かが側についていた方がいいと思ったのだ。龍麻は一人暮らしだというから、部屋にこもっていれば嫌でも独りにならざるを得ない。
 プールに行ったり、買い物に行ったりとあちこち連れ歩くうちに、龍麻の表情にも自然な笑みが戻ってきて、葵達は安堵の息をついたけれども。
 誰よりも強く、優しい龍麻。彼の腕はいつでも葵を包み込んでくれる。葵を護ってくれている。
 でも、本当にそれだけでいいのだろうか?

 もし、もっと葵がしっかりしてれば、彼女は死なずに済んだかもしれない。
 比良坂だけではない、多くの人が亡くなったり傷ついたりしている。
 その中で、葵はどれだけのことをしてこれたのだろう。
 この先、同じような悲劇を生まないために、葵は何をすればいい?

 どうしたら、龍麻の役に立てるのだろうか。

  

 これまでに関わった事件が、一連の流れを帯びていると気づいたとき、裏で糸を引く組織の存在もあきらかになっていった。
 残虐非道にして、人を人とも思わぬ所業を繰り返す、彼らの名は鬼道衆。かつて将軍家に断絶された大名・九角家に仕えていた忍びだ。
 如月の話では、九角家には代々より伝わる宝があったが、将軍家に献上することを拒んだがために、怒りをかったのだという。
 絶えて久しいはずの輩が何故今になって跳梁跋扈しはじめたのか。
 疑問は、実際に対峙することで氷解した。
 鬼道衆は人ではない。
 深い怨恨を抱きながらも奥津城に眠っていた彼等を、何者かが怨霊として蘇らせたのだ。
 鬼道衆を解き放ち、従わせる者――となれば彼等の主家の存在に思考が帰結するのは当然のこと。
 亡者に呼びかけられる声を持つのは生者のみ。これらを鑑みれば、どこかに落ちのびた生き残りがいたのか、外に生まれた血脈があったと見て間違いないだろう。

  

 如月が先祖の残した文献を紐解くことを約束してくれたので、九角の調査は一旦彼に任せ、葵達はこれまでに倒した鬼道衆の処遇を考えることにした。
 怨霊は何らかの道具に憑くことによって肉体を得る。一度、霧散させた魂でも、依るべきものが残っていれば、何度でも復活できるのだ。
 下っ端である忍軍は呪符に憑いていたため、燃やせば事は済んだが、上忍ともなるとやはりそれなりの呪具を必要とするらしい。五人の幹部を倒した後には、掌に握り込めるほどの小さな霊珠が残った。
 龍麻達は醍醐の師匠である白蛾翁・龍山の進言に従い、霊珠を五色不動に奉ずることに決めた。
 今の東京に闇に属するモノが多く出没するのは、東京という土地を守護する結界が弱まっているためだ。霊力の強い珠を各々の不動尊に奉納することは、鬼道衆の復活を防ぐだけでなく、結界の強化にも繋がるのだと白蛾翁は教えてくれた。

「悪りィな、大会前だってのに、案内役なんて頼んじまってよ」
「なあに、遠慮するな。お前達の役に立てたのならなによりだ」
 京一の言葉に気さくに答えたのは、鎧扇高校柔道部の部長を務める紫暮兵吾だ。
 龍麻達が、五色不動を訪ね歩いていると聞いて、学校の近くだからと目黒不動への案内役をかって出てくれた。
 紫暮とはちょっとした誤解がもとで一戦交えたことがある。誤解はすぐに解けたのだが、紫暮はそのとき垣間見た龍麻の強さにどっぷりとはまり込んでしまっていた。元来の面倒見のいい性格も手伝って、連絡すれば二つ返事で協力してくれる。
 格闘馬鹿はコレだから……と醍醐と紫暮を見比べつつ、京一がこっそりと思ったのは内緒だ。
「ホントにありがと。紫暮クン。助かっちゃったよ。お陰で道に迷ったりしなくて済んだもん」
「部活の邪魔をして悪かったな」
 小蒔と醍醐も口をそろえて礼を述べる。紫暮は豪快に笑った。
「そんなに礼を言われるほどのことじゃない。じゃあ、俺はそろそろ戻るからな。また困ったことがあればいつでも相談してくれ」
 たまには道場の方にも顔を出せよと言い残し、柔道着に身を包んだ巨漢は学校に帰っていく。その背中を見送った龍麻は、制服のポケットから宝珠を取り出した。
 小さな祠に近づくと、祠と珠とが共鳴して光を発し始める。
 龍麻は宝珠を乗せた手を差し出した。光は点滅を繰り返しながら徐々に強さを増していく。
 祠に招かれたように、宝珠が龍麻の掌から浮かび上がった。すうっとなだらかな弧を描きながら、ひとりでに開いた扉の内に吸い込まれていく。
 扉が音を立てて閉まった。
「あ?もしかしてこれで封印できたのか?」
 あまりにもあっけない幕切れに、京一が眼をしばたたく。
 そうみたいだね、と龍麻が頷いた。
「よし、この調子でとっとと全部終わせちまおうぜ」
 目白、目青、目黒、と巡り、残すところはあとふたつだ。
 龍麻はしばし躊躇ってから言った。
「そろそろ日が暮れるし、今日はこのくらいにしないか?幹部を斃したとはいえ、鬼道衆忍軍はまだまだ残っている。暗くなると奴等が襲ってくるかもしれないだろ?」
 龍麻や京一はよくても、葵や小蒔にあまり無理をさせるわけにはいかない。連日帰りが遅ければ、家の人も心配するだろう。
 醍醐も同意を示す。
「じゃあ残りは後日にして、今日のところはこれで解散だな」
 葵は龍麻の判断をありがたく思いつつ、こめかみを走った痛みをそっと手で抑えた。
 このところ夢見が悪い。繰り返し繰り返し同じものを見続けている。
 嵯峨野の時のように他人からもたらされたものではない。それは、葵に妙な息苦しさと懐かしさを与える夢だ。

(そう、あれは私の……)

 数日後。
 再び五色不動巡りを始めた龍麻達は、目赤不動を経て目黄不動へと赴いていた。
「美里、顔色が悪いね。体調が悪いんじゃないのか?」
 京一の隣を歩いていたはずの龍麻が、いつの間にか葵の側へと移動してきている。
 気遣いをありがたく感じながら、葵はゆるくかぶりを振った。
「いいえ、なんでもないの。大丈夫よ」
 龍麻に心配をかけたくない。もしかすると、夢の内容を話したくなかったのかも知れないが。

 鬼をひとつ封印するごとに、甦える記憶がある。

 時代がかった背景の中、お姫さまのような格好をした自分が座している。
 殺伐とした雰囲気が立ちこめ、なま暖かい風が城の中にまで血の臭気を運んできた。
 戦が近い。
 それも、勝てる見込みのない戦が。

「嘘!真っ青だよ。ここのところ、ずっと具合わるそうじゃない。」
 心配してくれる小蒔の甲高い声にさえ、感情が波立つ。放っておいて欲しいと叫びたくなるのを懸命に堪え、相手を安堵させる言葉を選んだ。
 親友の気持ちに感謝する反面、苛立ちを覚える自分に嫌悪する。

 葵を災いと呼び、さっさと手放してしまえと口々に言う家臣達。
 二度と戻ってはこれないことを承知の上で、戦場へと赴く兵達の悲壮な顔。
 身内を失った遺族達が自分に向ける憎悪の視線。

 このごろでは、眠らずとも目を閉じるだけで、走馬燈のように記憶が流れていく。
 夢と現(うつつ)が交錯する。
 夢が、ただの幻ではなくなる―――。

 葵の身体がぐらりと傾いだ。
「美里!?」
 鋭く叫ぶ京一に、別の姿が重なる。

 真剣を握る剣客の青年の不遜な顔。
 錫杖を手にした僧兵の厳めしい立ち姿。

 それから……。

 ふっと愛しい人の面影が記憶の端を掠め、葵はゆっくりと目を閉じた。



―――美里 葵

 どこからか、声がする。
 聞き慣れたものではない。けれどどこかで聞いたことのある、漠然した不安と恐怖を呼び覚ます、声。

―――そろそろ、気づいているのだろう?

 《力》が目覚めた時にも、同じように直接頭に届く思念を聞いたことがある。しかし、あの時は未知のものに対する怖れはあっても、いまのように嫌悪が滲むことはなかった。

―――お前は、俺のものだ

(誰?あなたは誰なの!?)

 見えない相手に向かい、葵はありったけの勇気を奮い立てせて問いかける。

―――まだ、解らないのか。俺は、お前の……

(いいえ、私はあなたなんて知らないわ)

 聞きたくない、聞いてはいけないと、心のどこかで警鐘が鳴る。
 知ってしまったら、もう皆の側にいられなくなる。

 龍麻の側にいられなくなる。

―――ふっ、本当は思い出しているのだろう?自分が何者であるのかを

(貴方は何を言っているの?私が、何を思い出しているというの?)

 耳を塞ぎ目を閉じても、拭い去ることのできない……紅の色。
 記憶の底に封じられし、禁断の扉が開かれようとしている。
 深く昏い海に沈んでいた前世の罪が暴かれる。
 断罪の宣告が下る。

―――お前が我らを破滅に追いやったのだ

(あぁ、私は……)

 《菩薩眼》
 手に入れし者に、覇道を約定するモノ。
 稀なる力ゆえに、高き座を望む多くの者から求められ、同時に誰の手にも渡らぬ事を望まれるモノ。
 その特殊な《力》故に、多くの者達を悲劇に巻き込んだ血塗られた存在――。

 葵さえいなければ誰も不幸にはならなかったのだ。

  

 ふと気がつくと、葵は飾り気のないパイプベッドに横たわり、白い天井を見上げていた。
 意識が混濁しているのか、自分がいつから覚醒していたのかさえ定かではない。
 頬をつたう涙が、くせのない黒髪を濡らし、白いシーツにシミを作った。
 消毒液の独特の臭いと、色彩のない簡素な部屋の様子に自分がどこにいるのかを知る。
(桜ヶ丘病院……。皆が運んでくれたのかしら)
 上半身を起こすと、意識を失うまでは泥のようだった身体が、意外なほど軽くなっていた。
 拒絶していたものを受け入れたことが、逆に精神にかかっていた負担の軽減に繋がったのだ。
「葵ッ。よかったァ気がついたんだね」
 側に控えていた小蒔が椅子から立ち上がり、ベッドの端に両手をつく。その隣から蜂蜜色の頭がのぞいた。
「葵オネエチャン。ダイジョウブ?」
「まあ、マリィ、もう大丈夫よ。わざわざ来てくれたの?」
 やわらかく微笑んで、出来たばかりの義妹の小さな身体を抱き寄せる。
「ウン、マリィ今日、検査ノ日ダッタカラ。ソシタラ葵オネエチャンが、倒レタッテ聞イテ、スゴク心配シタンダヨ」
 人体実験の影響なのだろう、16歳という年齢にも関わらずマリィは外見も中身も子供のまま成長を止めていた。そのため、週に一度は桜ヶ丘病院で検査と治療を受けている。
「ホントだよ。目黄不動尊で封印が終わった途端に倒れるから、ボクびっくりしちゃったよ」
 ひーちゃんが病院まで運んでくれたんだからね。
 小蒔の告げた名前に心臓がズキリと痛んだ。

 初めて会ったときから、不思議な懐かしさを感じていた人。
 《力》に目覚め、あまたの事件に遭遇した時も、龍麻さえいれば怖れるものなど何もなかった。この人に会うために生まれてきたのかも知れないとさえ思えた。
(龍麻、私たちは遠い昔にも、出逢っていたのね……)

「葵?どうしたの、やっぱりまだ具合が悪い?」
 黙り込んだ葵を、小蒔がおろおろと見下ろしている。
「葵オネエチャン……」
 マリィも瞳に涙を浮かべて、大切な義姉を不安げに見つめた。
「いいえ、なんでもないの。ごめんなさい」
 両手で顔を覆う。罪深き己を知ってなお、愛しい人の影を追い求めてしまう自分は、きっと浅ましい表情をしている。
 小蒔とマリィは葵の情緒不安定を体調不良のせいと受け取った。
「無理しない方がいいよ。詳しいことは、ひーちゃん達がたか子せんせーに聞いているところだけど、高見沢さんはたぶん疲労じゃないかって。一晩泊まって様子を見ましょうって言ってた」
「マリィ、明日モ一番ニ、オ見舞イニ来ルヨ」
 懸命に自分を案じてくれる仲間達に、しかし葵は頭を振ることしかできない。
「本当に、ごめんなさい……」

 葵を呼ぶ声は、自らの根元に繋がる古き血脈からの誘い(いざない)。
 己の侵した罪を償えと言い、あるいは、これ以上惨劇をみたくなければおとなしく我が手に落ちよと嘯いている。
 葵は応えなければならない。
 これ以上、大切な人たちを危険な目に遭わせないために。無関係な人を巻き込まないために。
 そして、己の罪と向き合うためにも。

 もう、誰も私のために傷ついて欲しくない。
 貴方を危険な目に遭わせたくはないの。
 龍麻……私、貴方を護りたい――。



 翌日、龍麻達はマリィから葵が消息を絶ったこと知らされる。
 残された手紙には短い文章で、謝罪の言葉と失踪が葵自身の意志であることが告げられていた。

2001/03/18 UP
紗夜ちゃんの話を書いたので、ここはやっぱり美里の話も書かなければと。
葵様、絶好調で突っ走ってます(笑)
うちの葵様はけっこう思いこみが激しいタイプなんです、ええ。

【次号予告(偽)】

葵がいなくなった。小蒔は哀しみに沈む心を奮い立たせ、強い決意を抱く!!
小蒔:「ひーちゃん。あの、今度の休みに海に行かない?」
京一:「海だあ~?いまじきじゃあ、海月(くらげ)が出てるぞ」
小蒔:「じゃ、じゃあ、高原とかにピクニックでもいいんだけど……ダメかな」
龍麻:「(よく分からないながらも人当たりの良さを発揮して頷く)別にいいけど」
小蒔:「あ、じゃあボクお弁当作るねッ!」
京一:「小蒔が弁当~?よせよせ、腹壊すのがオチ……うごぉッ!!???」
何故か地面に寝転ぶ京一。小蒔の後ろ手にハンマーが隠されている。
醍醐:「皆で、ピクニックもいいが、先に美里を助けることを考えんとな」
小蒔:「(ボソリ)葵がいないからチャンスなんじゃない」
龍麻:「えっ?何か言った桜井?」
小蒔:「ううん。それより皆じゃなくて、ボクひーちゃんと二人っきりで行きたいんだけど」
醍醐:「!!!?????」
龍麻:「……?俺はどっちでもいいけど……」
小蒔:「やったぁ!そうと決まったら、早く帰って献立考えなくっちゃッ」
さっさと帰り支度を始める小蒔。醍醐は背中で泣いている。京一は沈没したままだ。
龍麻:「……ねえ、皆。美里のことは……?」