第八話 残月/弐

 初めて会ったとき、なんて綺麗な人なんだろうって思った。
 強い意志の宿る凛とした瞳。いつまでも耳の奥に残る甘露のごとき声。
 柔軟な四肢から繰り出される技は、艶麗でありながらどこまでも鋭くて……。
 あの人の傍らに立てたなら、どんな気分になるだろう。
 それを体現する人物に鮮烈なまでの羨慕(せんぼ)の情を抱く。
 彼を尊敬するのは真実。けれど彼のようになれれば、あの人に認めてもらえるかも知れないという考えを抱いたことも否めない。
 憧憬と羨望と。果たして天秤はどちらに多く傾いているのだろう。

  

 取り乱した藤咲をなんとか落ち着かせ、龍麻達はエルを探すことにした。エルは藤咲の飼い犬だ。亡くなった弟の代わりに可愛がっていたようなところもあり、彼女にとってはかけがえのない存在だった。
 杏子のことはまかせてくれという天野と別れ、案内されるまま小さな公園へ向かう。
 藤咲がエルとはぐれてしまったというその場所を基点に、分散して周囲をあたることにした。
「ひーちゃん?」
 藤咲と組んだ京一が、背中を引かれる感触に振り返る。龍麻が京一の制服の裾をそっと掴んでいた。
「…………気をつけて」
 京一だけに届く、小さな声。京一は少なからず驚いた。
(藤咲の不安が移ったのか?)
 肩に腕を回し、乱暴に引き寄せる。
「なんだよ、今生の別れみてェな面して。すぐ会えっだろ」
 他の連中には、いつものスキンシップの延長と映るだろう事を意識した行為。
『どうした、いつになく弱気じゃねーか』
『……別に。ただ、なんとなく胸騒ぎがしたから』
 一瞬の抱擁の間に短く囁きを交わす。
 微かに震える長い睫毛に唇を寄せたくなる衝動を、京一は必死に押さえ込んだ。
 元気づけるためとはいえ、衆人環視の中で実行した日には、どんな制裁を受けるかわからない。
 まだ、命は惜しい京一だった。
 代わりに力を込めてぎゅっと抱き締めてから、名残惜しげに手を放す。
「じゃあな、また後で会おうぜ」
 明朗な笑顔。見送る瞳がそれとわからない程度に色彩を変えた。
 龍麻の悪い予感はよく当たる。

―――その夜、京一と藤咲はついに戻らなかった。

  

 大通りを流れるテールランプの川。
 行き交う雑多な人の波。
 ネオンサインが毒々しい光彩を放つ、眠りを拒絶した街。
 時計の針は深夜を告げていた。
「やっぱり、タクシーを呼べばよかったね、さやかちゃん」
 諸羽は足取りの覚束ない酔っぱらい達の群れから、上手に少女を庇う。アルコールに溺れた者達は、すれ違う年若いカップルなど、気に留めてもいなかった。彼等がさやかに気づいていたら、ちょっとした騒ぎが起こったことだろう。諸羽はほっと、息をついた。
「いいの、あそこすごく暑かったから。涼みがてらちょっと歩きたかったの」
 さやかはつい先程まで、スタジオでドラマの撮影を行っていた。夕刻には終わるはずが、さやかの母親役の女優がNGを連発し、今の今まで長引いてしまったのだ。
 スタッフ達の苛立ちが募ったせいもあるのか、スタジオには異様な熱気が立ちこめていた。
「ごめんなさいね。霧島君には迷惑かけちゃうけど」
「そ、そんなことないよ、僕もさやかちゃんと一緒に歩けて嬉しいし……」
 諸羽は首を振る。見ているだけの自分でさえ、息苦しさを感じたのだ。さやかが新鮮な空気を求める気持ちは、よくわかる。
「いつもありがとう。霧島君」
 カメラに向けるのとは違う自然な微笑みに、諸羽の頬も緩んだ。アイドルのさやかより、こうした表情の方がずっと可愛いのにと思う。
 アイドルであろうとなかろうと、諸羽にとってさやかは守りたいたったひとりの女の子だった。

「あら、あれは龍麻さんじゃない?」
 道路を挟んだ向こう、ガードレールに腰掛ける人影を、さやかが指さす。
「えっ!?」
 諸羽の心臓が大きく跳ね上がった。
 さやかに対するほんわかした気持ちとは違う。京一に対する敬慕の念とも異なる。
 眼が、気持ちが、無意識に姿を追い求める。他の事柄が色褪せていく。
 ……あの人以外の存在が、意味のないものと化していく。
「ほんとだ。龍麻先輩っ!」
 諸羽は、はやる気持ちを抑えきれず大声を上げた。袖を引こうと、伸ばされたさやかの手が宙を掴む。
 彼の存在を諸羽に伝えてしまってからすぐ、さやかは龍麻の様子がおかしいことに気づいた。
 感情の宿らぬ貌。
 全身から滲む他を排斥する雰囲気。
 振り向いたときには、いつもどおり口元に笑みを湛えていたけれど。
 龍麻はあきらかに無理をしていた。
 芸能界という虚飾に満ちた世界に身を置くさやかだからこそ気づいたこと。さやかと諸羽が声をかけてしまったばっかりに、龍麻は内面にあるものを押し殺さなければならなくなってしまった。

 さやかがカメラの前でいつも微笑んでいるのと同じように。

 ……そっとしておいてあげたかったのに。
「舞園、霧島」
 龍麻が音もなく立ち上がり、重力を感じさせない動きでガードレールを飛び越えた。
「珍しいところで会うね。仕事の帰り?」
「はいっ。ドラマの収録があったんです」
 直立不動の姿勢で、はきはきと答える。諸羽は誰に対しても行儀が良いが、内実、他人に向ける評価は厳しい。彼が仲間内で先輩と呼び慕うのは龍麻と京一の二人だけだった。
「龍麻先輩は、ここで何をなさってたんですか?」
「人と待ち合わせをしてたんだ」
「……ちょっと霧島君」
 さやかが今度こそ袖を引く。
 爽やか好青年を地でいく諸羽だが、人の心に機敏ではない。はっきりいってしまえば鈍感だ。
「なに、さやかちゃん」
 脳天気な笑顔が、ちょっと憎らしい。
 諸羽はさやかにとって一番近しい男の子だ。でも、彼に対する淡い想いも、龍麻の前では少しだけ意味合いを変える。
(だって、龍麻さんに関することでは、霧島君はライバルなんだもの)

 第一印象は、守ってあげたい人。
 哀しいほどに澄み渡る《氣》を纏い。純粋な心を手放すことなく生きてきた人。
 裡に秘められた透明な痛みに、憐憫と愛しさがこみ上げる。
 傷つくことを怖れず、風を受けて歩いていこうとする彼の姿に。
 躰ではなく、心を抱き締めてあげたいと感じた。

「龍麻さんに用事があるのなら邪魔しちゃ悪いわ」
「えっ、龍麻先輩。もしかして僕達お邪魔でしたか?」
 あたふたと手を振り回す後輩に、龍麻は優しく笑いかける。
「大丈夫だよ。霧島達も知ってるひとだから……ありがとう舞園」
 龍麻の目が和んだ。さやかの気遣いをきちんと汲み取ってくれている。
 さやかは首を振り、胸の奥の痛みを堪えるように静かに俯いた。

「龍麻君。こんな時間を指定したあげく、待たせちゃってごめんなさいね」
 ヒールの音も高らかに、ビルの谷間からスーツの女性が現れる。
「あ、天野さん」
 諸羽が眼を瞬いた。
「あら、霧島君にさやかちゃん。あなたたちも待っていてくれたの?」
「いいえ、わたしたちはここで偶然、龍麻さんと出会ったんです」
「え……え、と、龍麻先輩と待ち合わせってことは、もしかして……」
 こんな時間だし……。
 諸羽はしどろもどろになった。真っ赤になった顔は何を考えているのか一目瞭然だ。
「ふふっ。残念ながら霧島君が考えているような艶っぽい話じゃないわよ。もっとも龍麻君ならいつでも大歓迎なのだけれど」
 ちらりと意味ありげに視線を流す。成熟した大人の誘惑を龍麻は余裕で受け止めた。
「光栄ですね。次の機会には、是非お願いしたいな」
「えええ~っ!???」
 諸羽は眼を白黒させている。
 つまらないわね、と天野が自分の頬に手を当てた。
「どこで女性のあしらいを覚えてきたのかしら。霧島君はこんなに純情なのに」
「可愛いのは、ひとりいれば充分でしょう?」
「それもそうね」
 二人に笑われ、諸羽はやっと自分がからかわれていたのだと気づいた。
「……霧島君」
 さやかの冷たい視線が痛い。
「それでお願いしていた事なんですけど」
「ええ、調べがついてるわ」
 天野はショルダーバックから小さなメモを取り出した。
「これよ。でも、こんなこと聞いてどうするつもりなの?」
 龍麻はうっすらと謎めいた微笑を浮かべる。天野が急に真面目な顔つきになった。
「もしかして、蓬莱寺君が行方不明なことと関係あるのかしら」
「え!?」
 諸羽とさやかの声がハモった。
「……誰から聞きました?」
「アン子ちゃんからよ。蓬莱寺君がしばらく学校を休んでるって。絶対何かあったはずなのに、皆が口を噤んで教えてくれないって怒ってたわ。いえ、心配していたという方が正しいかしら」
 京一が消えたと同日。拳武館高校に乗り込んだはいいものの、門前払いをされた杏子は無事、天野に保護されていた。
 数日して。悔しがる杏子が、再挑戦など目論みはしまいかと心配した天野が様子を見に行ったところ、先の話を聞かされたのだ。
「それと前後して龍麻君から連絡があったでしょ。もしやと思ったのよ」
 口調だけは穏やかに流れる会話に、諸羽が割り込んだ。
「ちょっと待ってくださいっ!京一先輩が行方不明って、どーいうことなんですか!?」
「言葉通りだよ……京一だけでなく、一緒に行動していたはずの藤咲も家に帰っていない。今日で四日目になるかな」
「そんな、どうしてそんなに落ち着いているんです!京一先輩が心配じゃないんですか!?」
「霧島君!」
「龍麻さんは京一先輩の相棒なんでしょう。どうして探してあげないんですか!!」
 京一は諸羽の理想だ。龍麻を相棒と呼ぶ彼のようになりたいと、ずっと思ってきた。
 それなのに、龍麻は京一がいないことを平然として受け止めているかのように見える。
 諸羽は憤りを覚えていた。
「霧島君やめて!」
 さやかが諸羽の腕にしがみつく。語気を厳しくしてクラスメートを諌めた。
 目に見えるばかりが真実ではない。さやかは諸羽が気づかなかった先刻の龍麻の様子を思い出していた。
 あれはきっと、京一がいないことへの……。
「霧島君落ち着いて」
 天野が宥めた。
「龍麻君だって心配しているからこそ、こうして私に連絡をくれたのよ」
「あ……っ」
 諸羽がはっとして口元を抑える。
「それで蓬莱寺さんの消息は掴めたんですか?」
 すかさずさやかが尋ねた。
 天野は龍麻を見る。部外者である自分がどこまで話していいものかと考えあぐねているのだ。
「まだだよ。でも手掛りはある。京一に仕掛けられた罠は巧妙だけど、霊的なものじゃなかった。《力》の所有者はそれを過信し、依存する傾向があるっていうのにね」
「ということは、京一先輩を襲ったのは《力》を持っていない人ってことですか?」
 龍麻は首を振った。
「普通の人間にやられてしまうほど京一は弱くない。相手はよほど《力》の使いどころを心得えた人物か、あるいは、むやみに《力》を振りかざすことを禁じられている者のどちからだ」
 そして、藤咲の飼い犬を囮に持ち出す手口は、個人の行える作戦ではない。敵は龍麻達のことを徹底的に調べ上げ、最も有効な手段を講じてきている。20人はいる龍麻の同朋全員の素行調査を行うことができ、なおかつそれをこちらに気取られないだけの能力を有する者。
 相手が相応の人材を保持する組織であることは、想像に難くなかった。
「俺が調べた限りでは、東京近郊でこの条件に当てはまるのは二つ。拳武館とローゼンクロイツ学院だけだ。けど、ローゼンクロイツは既に瓦解してしまっているから……」
「それで拳武館の名が浮かんだのね」
 天野が感嘆の息を漏らした。少ない情報でよくここまでの結論を導き出したものだと感心する。
「拳武館って、あのスポーツ高校ですか?」
 何のことやらわからず、諸羽が訊ねた。答える天野の口調が、固いものになる。
「表向きはね。しかしてその実態は、裏で暗殺稼業を営むプロの組織よ」
「暗殺者!?そんな……でも、それじゃ、京一先輩は……」
 諸羽の声が掠れた。
「そんなはずないわ!蓬莱寺さんに限って……っ」
 さやかが身を震わせる。
 どちらかというと苦手な相手である。京一は、いつもさやかをアイドルとして扱い、色眼鏡で見る。諸羽の崇拝を一身に受け、龍麻に一番近い場所にいることに対する嫉妬もあった。けれど死んでもかまわないと思ったことは一度もない。
 龍麻は目を伏せた。
「さあ。敵が拳武館であることはまず間違いがないだろけど、確証は持てないからな。ただ、これだけの仕掛けをしておいて標的が京一ひとりということはないだろう。そろそろ向こうから接触があってもいい頃だ」
 今朝ほど醍醐の家に送りつけられてきた封書の件もある。
 中身は、龍麻達四人の写真と、大きく朱字でバツのつけられた京一の写真。
 犯行声明と不安の誘発。
 そこからは、京一の身に変事があったことを知らしめ、次はお前達だと嘲笑うかのような悪意が感じられた。
「あっ!もしかして、京一先輩、そいつらに捕まっちゃってるんじゃないですか!?」
 諸羽が一縷の望みに縋る。
「俺達をおびき寄せる餌なら藤咲ひとりで事足りる。京一は人質向きの性格じゃないしね」
「でも、まだ『そう』と決まったわけじゃないんですよね?確認……されたわけじゃないんでしょう」
 さやかが懸命に言い募った。少しでも望みがあるなら諦めて欲しくない。龍麻自身のために。
「そうだね、俺達が探した限りでは、何も見つからなかった」
 藤咲も――京一の死体も。
 拳武館が亡骸を持ち去ったとは考えにくい。行方不明では、依頼人に任務の遂行に疑いを抱かれる恐れがあるからだ。犯行現場を写真などに残せば後々の禍根となる場合もある。仕事の結果は、公共の報道機関を通じて伝えるのが一番確実な方法だった。遺体に加害者を特定させる痕跡を残してしまったというなら話は別だが、プロの暗殺者がそんなヘマをするとも思えない。
「だったら、京一先輩は無事なんですよね」
 諸羽の表情がぱっと明るくなった。
「けどそれだと、蓬莱寺君がどうして行方知れずになったのかという疑問が残るわね」
 天野の言葉に、龍麻が視線を落とす。
「京一が生きているとして、俺達の前に姿を表さないのなら……自分の意志でそうしているんだと思う」
 拳武館に敗れた己を恥じてか、戦いに嫌気が差したのか。どちらにしても自分から去ったものなら追うわけにはいかない。
 さやかと諸羽は口を噤んだ。
 重くなる空気を払拭するかのように、龍麻が息を吐き出す。
「だけど京一も俺達も、拳武館に狙われるほど悪事を重ねた覚えはないんだけどな」
 誉められたものでもないが。
 杏子も言っていたが、拳武館が動くのは法の網をくぐって謀略を巡らせる者に限定される。政治家や財界人ならいざ知らず、一介の高校生が標的とされるなど普通では考えられない。
「それについては、思い当たる節があるわ。拳武館は最近になって内部分裂しかかっているという噂があるの」
 校門前で言っていた『気になること』だ。
「館長の理念は、拳武館が一種の秘密警察となって社会の秩序に貢献することよ。それに対して、副館長を中心とした一派に、拳武館を金銭のみで動くビジネスとして確立させようとする動きがあるの」
「じゃあ、龍麻先輩達を狙うのは副館長側の人間なんですか!?」
「可能性は大きいわね。いまは館長が海外へ長期の視察に出かけてしまっているから、副館長派が勢いづいているのよ」
「……なるほど、それでか」
 龍麻が思案深く半眼を伏せる。天野が聞きとがめると、なんでもないと答えた。
「ありがとうございます天野さん。参考になりました」
「龍麻君。……くれぐれも気をつけて」
 彼らの背負うものは大きい。
 見ていることしか出来ない天野は、せめて皆の無事を願わずにはいられない。
 痛ましげな顔をする天野に龍麻はにっこりと微笑んだ。
「簡単にやられたりはしませんよ。俺達も……京一も」
 天野は顔を赤らめた。慰めるつもりが、逆に慰められてしまうなんて。それも年下の相手に。
「ふふ、そうね。私は車で帰るけど、よかったら乗っていかない」
「お言葉は嬉しいんですけど、ちょっと考えたいことがあるので」
 歩いて帰ります、と龍麻は丁重に断った。さやかと諸羽もそれに倣う。もともと二人の家はここからさほど遠くない場所にあった。
「そう残念ね。そのうち一緒に食事にでも行きましょう」
 口紅を履いた唇が艶やかに形作られる。少し離れた場所に停車した車に乗り込む天野の後ろ姿を視線で追いながら、さやかが口を開いた。
「龍麻さん喉渇きませんか?わたし、あったかい紅茶が飲みたくなっちゃいました」
「さやかちゃん僕が買ってくるよ」
 忠犬よろしく諸羽が反応する。それぞれの注文を聞き、いそいそと3メートル先の自動販売機へ向かって走っていった。そこの紅茶は売り切れている。龍麻に会う前に、ふと目にとまったのを覚えていたのだ。
 人のいい諸羽はさやかのために、もっと遠くの自販まで赴くだろう。
 さやかは龍麻に正面から向き合うと、深々と頭を下げた。
「龍麻さん、今日は邪魔をしちゃってごめんなさい」
 天野の申し出を断ったのは、たぶん龍麻がひとりになりたかったからだ。天野も解っていたから、おとなしく引き下がったのだろう。
「いや、いい気分転換になったよ」
「でも……」
 納得しかねる様子のさやかに、嘘じゃないよと言い添える。
「舞園には見抜かれてしまうからね」
「わかりますよ。わたしだって一応プロですから」

 龍麻は強い人間だと、誰もが信じ込んでいる。揺るがぬ意志や、強靱な肉体。繰り出す技の峻烈さといった部分だけを捉えて、決めつけてしまっている。
 その、内面になど思いも馳せずに。
 脆く儚いものほど、表層を堅い殻で覆う。繊細な細工を壊さぬために、堅牢な囲いを築きあげる。
 厚い壁に阻まれるがゆえに、内側についた瑕疵に気づくこともなく。

「わたし達って似ていませんか?人の前で自分をつくって、ずっと演技して……」
 龍麻が小さな笑みを零した。
「かもしれないね。皆に言ってみる?緋勇龍麻は大嘘つきですって」
 さやかはあえて、カメラの前の微笑みをつくる。龍麻が大嘘つきなら、さやかだって同罪だ。皆の期待に答えるために、さやかはアイドルでいなければならない。諸羽の前でさえ、すべてを出せているわけではないのだから。
「アイドルは夢を与えるのが仕事なんですよ。自分から壊しちゃうわけにはいきません。それに……」
「それに?」
 さやかの瞳が愉しげに輝く。
「秘密は多いほうが楽しいでしょう」
 特に大好きな人と共有する秘密なら。
「それなら俺達は共犯者かな」
 誓いの証と龍麻が右手を差し出す。
「皆には、内緒ですよ?」
 さやかはそれを、ぎゅっと握り返した。
 好きな人にだけ披露する、最高の笑みで答える。さやかは満足だった。

 心を覆う素敵な衣装で、気持ちを隠す微笑みで。
 皆が喜んでくれるなら、それだけでいいと思ってた。
 けれど、素顔のわたしを見てくれる貴方と出逢って、世界は優しいものに変わったの。
 愛しいって言葉の意味を始めて知ったの。
 あなたの微笑みこそがわたしの幸せ。あなたの傍にいられることがわたしの悦び。
 繊細な傷に指を這わせ、柔らかな腕で抱きとめてあげる。
 少しでも哀しみが和らぐように、少しでも笑顔を見せてくれるように。
 安らかな眠りを得られるように。
 祈りを込めて子守歌を囁く。星の瞬きよりも微かな、貴方だけに聞こえる歌を。

 ぱたぱたと諸羽の掛け寄る足音が近づいてくる。
 さやかと龍麻は目を見合わせた。瞳に浮かぶのは共犯者の笑み。
「さやかちゃん遅くなってごめん。紅茶がなくって探してたんだ。龍麻先輩もすみません」
 しきりと恐縮する諸羽に、さやかはすまなそうに肩をすぼめた。
「ううん、いいの。ごめんなさいね霧島君」
 少し照れて笑うボディガードに、もう一度心の中で謝る。龍麻と話すために諸羽を邪魔者にしてしまったことも含めて。
(本当に、ごめんなさい霧島君)

 諸羽はおそらく龍麻に協力を申し出るだろう。たいしたことは出来ないが何か手伝わせて欲しいと。
 もちろん、さやかも出来得る限りのことをするつもりでいる。

(けれど、蓬莱寺さん――)

 予想どおりの会話を展開する諸羽たちを横目に、さやかは空を見上げた。
 冬が近い。色なき風が玄く染まる。俄かに冷え込んできたのか、吐く息が白く濁った。

(悔しいけれど、龍麻さんが本当に笑うことが出来るのは、きっとあなたの前でだけ――)

 さやかも霧島も……その他の誰をも、京一の代わりになることは出来ない。
 龍麻の相棒にはなれないのだ。
 天衣無縫な剣士の無事を、強く願う。



 ビルの谷間から覗く空は星が見えない。

2001/05/18 UP
さやか嬢のモノローグは、ベタなアイドルソング風味。
書いててかなり恥ずかしかったです。

【次号予告(偽)】

深夜の地下鉄駅構内で、暗殺者達の激闘が始まろうとしていた。
壬生:「―――水月蹴ッ!!」
八剣:「やるな、壬生。では次はこっちからいくぜっ」
壬生:「待ってくれ」
八剣:「なんだ?泣いて懇願したって許してやらねえぜ」
壬生:「そうじゃない。今日はもう業務終了の時刻というだけのことだ」
八剣:「あァ?もうそんな時間か?しょうがねぇなァ」
京一:「待てお前ら。そんなんで勝負を預けちまうってのか?」
八剣:「俺達にとっちゃ大切なことなんだよ。時間外労働したところで残業代もでねぇしよォ」
壬生:「報酬に見合っただけの仕事をする。それが拳武館の掟だ」
八剣:「じゃ、帰るか。続きは明日またこの場所でいいか?」
壬生:「いいだろう。―――ところで緋勇。この後は空いているかい?」
龍麻:「え?特に予定はないけど……」
壬生:「一緒に食事でもどうだい?いい店を知ってるんだ」
京一:「だから待てって、お前ら」
壬生:「なんだい蓬莱寺。僕のアフターファイブを邪魔しないで欲しいな」
京一:「アフターファイブって……もうじき午前の5時じゃねえか」