第八話 残月/参

 葛飾区地下鉄通路――。

 人も列車も寝静まった頃、星彩も届かぬこの場所に徐々に足音が近づいてくる。
 あれは裁きの天使が羽搏く音色。
 もうじき彼らはここへくる。
 罪深い『僕』という存在を断罪するために――。



 最初から気乗りはしなかった。
 ターゲットは5名。写真を見る限り、平凡な高校生としか思えない。
 一緒に組まされた者達も気に入らなかった。
 八剣右近と武蔵山太一。
 腕は確かだが人を傷つけることに喜びを見出す人格異常者と、思考能力皆無の筋肉バカだ。
 仕事の話を持ってきた副館長も嫌いだった。隙あらば、館長にとって変わろうとしている俗物の印象が拭えない。
 それでも、館長の意向といわれれば従うほかはなかった。
 幼い頃から、面倒を見てくれた館長には恩義がある。
 なにより、自分には金が要るのだ。病気の母の入院費を維持するためには、いくらあっても足りなかった。

「もうやめてよ。あんた悪い奴じゃない。あたしのこと助けてくれたじゃないか!」
 泣きそうな顔で訴えてくるのは、人質にしていた藤咲亜里沙だ。
 5日も監禁した相手に、よくそんな科白が吐けるものだと思う。
 八剣が殺そうとしていたエルという犬を助けたことや、藤咲が奴らの欲望の対象とされないよう守っていたことは、別に彼女のためではない。それが館長の望まぬところだったからだ。
「でも、でもさっこいつが京一を……っ!!」
 やりきれない顔でこちらを指差すショートヘアの少女、桜井小蒔に、
「そのとおりだ、僕は君達の敵でしかない」
 冷め切った口調で言い放ってやる。
 顔色をなくす少女を庇い、凄まじい形相で睨み付けてくるのが醍醐雄矢。『真神の顔』との二つ名をもつ青年だ。
 哀しげに面を伏せる美里葵と、硬い表情で佇むアイドル、舞園さやか。
 極度の緊張状態を長く強いられたがために体調の優れない藤咲を支えるのは、確か霧島諸羽といったか。舞園のボディーガードを自任していると聞く。
 そして――。
「……京一はどうなった?」
 いっそ静かともいえる声が響いた。そこに蔑みの色はなく、汚れのない眼差しが、こちらの本質を捉えようとまっすぐに見据えてくる。
 彼が、緋勇龍麻。
 不可思議な《力》を操り、東京の怪事件にあたる高校生達の中心的人物にして、此度の依頼人が、もっとも強く抹消を希望した相手。
「あいにくそれは僕の担当じゃない。確かめたければ自分でするんだね」
 ごく簡潔に答える。写真以上に整った容貌と清澈な《氣》に、思わず喉が鳴った。少し声が震えてしまったかもしれない。
「そう……じゃあ、はじめようか」
 淡々とした声に胸を突かれた。
「龍麻どうしてさ!どうしてアンタ達が戦わなくちゃならないんだい」
 藤咲の悲痛な叫びにすら心が動かない自分が、何故、と考える。
「戦う理由があるからね。俺にも――彼にも。一度、決着はつけるべきだ」
 自分が拳を引かないのは、仕事であるから。
 ならば緋勇が戦う理由は、やはりあの朱色の髪の青年を奪われたことによるのだろうか?
 胸の奥底がじりりっと焼けついた。とうの昔に枯渇したと思っていた感情が、埋火のごとく奥底で燻りだす。
「俺は緋勇龍麻。……名前を聞いてもいいかな?」
 緋勇があるかなしかの笑みを浮かべた。

「壬生……壬生紅葉だ」
 紅葉はきっと勝てない。彼こそが自分を審判の炎で燃やし尽くす者なのだと確信を抱いた。

  

 鼻先まで1センチと迫った拳がぴたりと止まった。

 個々の技能もさることながら、緋勇龍麻の指示による連携が圧倒的な強さを放っている。
 紅葉が連れてきた加勢など、なんの役にも立たなかった。彼等の倍の人数を導入していたにも関わらずだ。
 完膚無き敗北だった。
「なぜ止めを刺さない?」
「俺達は殺人者じゃない」
 拳を引く緋勇の傍で、醍醐が吐き捨てた。彼の意識下では紅葉はいまだ仇敵のままだ。
 それでも、殺人は犯せないという。
「それが正しい人間のありようなんだろうね」
 皮肉のつもりではなかったが、嫌な顔をされた。
 制服の埃をはたき、立ち上がる。ふらついたところを緋勇が何気なく支えてくれた。
「ゴメン。ホク達ちょっとやりすぎちゃったみたい」
 桜井は紅葉の怪我の具合を案じている。ついさっきまであれほど憎しみを露にしていたというのに。よほど根が善良な少女なのだろう。
「大丈夫かい?壬生」
 心配げに様子を訊ねてくる藤咲に、紅葉はなんでもないというふうに首を振った。
「ひとつ聞いていいかしら」
 緋勇と紅葉を交互に見つめ、美里が躊躇いがちに言葉を紡ぐ。
「あなたと龍麻の技は、どうしてそんなに似ているの?」
 紅葉は虚をつかれた。
(それは、僕が聞きたいくらいだ)
 まったく『同じ』ものではない。紅葉は足技、緋勇は拳技を基本の型としている。にもかかわらず、両者の技から受ける印象はとてもよく似ていた。まるで、根底は繋がっているのだとでもいうかのように。
 黙りこむ紅葉に、緋勇が口を開きかけた。
 しかし、形となる前に、粗暴な響きを持つ笑声によって封じ込まれる。
「よぉ壬生。やっぱり殺れなかったな」
 紅葉が表情を消した。急速に心が冷えていく。
「お前は甘ちゃんだからな。蓬莱寺の時みたく、俺がやってやろうか?」
「こいつが京一をッ!?」
 八剣の言葉に、桜井達が殺気立った。紅葉は緋勇の手を解くと、前へ進み出る。
「僕には僕のやり方がある。君ごときに口を出されるいわれはないよ」
 蔑みを隠そうともしない口調に、八剣の顔が怒りでどす黒く染まった。
「……館長に可愛がられているからっていい気になるなよ壬生ゥ。暗殺なんて所詮、スリルのあるゲームに過ぎないんだぜェ」
 ぐへへへへ、と武蔵山が隣で腹を揺らす。口の端から糸を引く唾液が醜悪だった。
「どういう意味だい」
 すっと目を細める。瞳が剣呑な色を帯びた。
「こいつらは副館長の命令で動いていたってことだよ」
 緋勇が断定した。紅葉は言葉を失う。
「副館長がより多くの利権を漁るためには、仕事を選り好みする館長が邪魔だった。けれど館長を蹴落とせるほどの足場を確保するには金が要る。察するに副館長は、館長の不在をいいことに個人的に請け負った仕事を生徒にやらせ、その金で理事長席の株でも買い占めるつもりだったんだろう」
「へえ、こりゃ恐れ入った。たいした慧眼だぜ」
 八剣が大仰に手を叩いた。
「いまの話しは本当なのか、君達は……っ」
 館長の方針に対して、反対勢力があることは知っていた。副館長がその筆頭であることも。だが、まさかここまで陰謀が進んでいたとは……。
「そいつの言うとおりよ。館長は生温い。下手に正義ぶるから見ろ、財政が逼迫して学校の運営さえ危うくなってきてんじゃねーか。いい子ちゃんぶったところで殺しは殺し。だったら、大金をせしめた方がずっと賢いぜ。俺達だって楽しめるしよォ」
 八剣と武蔵山が高らかに笑う。
 紅葉は拳を固めた。
「緋勇――。どうやら君達に詫びをいれなければならないようだ」
 爪が食い込むほどに握りしめた指先から、緋色の雫がぽたりと落ちる。
(館長を……拳武館の名を汚したことを後悔するがいい――)
「けど今は、こいつらを黙らせるのを先決させてもらうよ」
 その後なら、僕を君達の気の済むようにしてくれてかまわない。
「んな悠長なこと言ってられんのか壬生よォ。俺達ゃなァ、邪魔ならお前も始末していいってお許しをいただいてんだよ」
 愉悦を刻む八剣の唇。そこにいるのは唾棄すべき殺人快楽者だった。
「結局、愚かなのは僕ということか」
 苦い笑みを噛みしめる。
「そういうことだなァ」
 八剣は、言いざまに鞘走らせた刃を紅葉に向かって振り下ろした。
 間合いの外からの大仰な動き――剣掌・鬼剄だ。

 臍の下にある丹田に集めた《氣》で不可視の剣を作り出し、相手が本物の刀に気を取られている隙に、反対側から急所を突く技である。
 蓬莱時京一は、これの前に屈したのだ。

 身を翻し緋勇のもとへ駆け戻る。技の性質を熟知している紅葉は、八剣の殺気の矛先が自分に向いていないことに気づいていた。
「壬生!?」
 緋勇の目が見開かれる。先程の戦いで体力を消耗した身では、己を盾とするのが精一杯だった。
 衝撃に呻き、倒れこむ背中を抱きとめられる。
 母親と館長以外で自分をこんな風に抱きしめてくれたのは緋勇が初めてだと、霞む意識でぼんやりと思った。
「壬生ッ」
「壬生さん!?」
 藤咲や霧島が口々に名前を呼ぶ。
「僕を心配する必要はない。自らの所業が跳ね返ってきているだけのことさ」
 背中を強打されたために肺が圧迫されている。詰まる息で自嘲気味に呟くと、醍醐に一喝された。
「こんなときに強がるな!」
「そうだよ!壬生君だけが悪いわけじゃないだろ!こんなときまであの馬鹿は雲隠れしたままだしっ」
 『馬鹿』とは蓬莱寺のことだろう。多少八つ当たりの感はあるが、そこからは蓬莱寺の無事を頑なに信じる気持ちが伝わってきた。
「そうだな、あんな馬鹿でもいるだけましか」
「桜井さん、醍醐さんもひどいです!京一先輩は馬鹿なんかじゃありません!」
 霧島が反発する。舞園は吐息を漏らした。
「でも、龍麻さんが危険なときにも現れないなんて……」
「そうだねェ。主役は遅れて登場するって言うけど、そろそろ出てきてくれないと活躍の場を逃しちゃうじゃないのさ」
「藤咲さん何言ってんの!!あの馬鹿に主役が勤まるわけないだろ。科白を覚える頭だってないんだから!!」
「小蒔ったら、そこまで言っては京一君に失礼よ」
 口々に好き勝手なことを言い募る連中を、紅葉は不思議な思いで見つめる。
「……君達は彼が本当に無事だと信じているのかい?」
 紅葉の背に手を回している緋勇が、迷いのない顔で答えた。
「もちろん信じてるよ。……馬鹿はそう簡単に死なないっていうし」
 そして耳元に唇を寄せ、紅葉だけに聞こえるよう告げる。
『……約束もしたしね』
「そうか……僕もその馬鹿に会ってみたかったな」
 これが仲間の絆というものか。蓬莱寺は幸せ者だ。これだけ多くの人間が、彼の帰りを待ちわびている。
 ……緋勇の信頼を預けられている。
「クックックックック。お別れは済んだかい。本当に愚かな男だよなぁ壬生。自分が殺そうとしていた相手を庇うなんてよぉ」
 八剣の殺気が濃くなる。
(また来る――!!)
 せめて腕の中の存在だけでも守りたくて、強く強く抱きしめた。
「おらぁ死ねやっ!」
「壬生、何をっ?!駄目だ。放せ……っ」
 緋勇が切迫した声を上げる。

 死を覚悟したそのとき、破砕音が響いた。

 八剣が瞠目する。《氣》によって練り上げられた刃が、別の《氣》によって粉砕されたのだ。
「人がいねー間に、よっくもやりたい放題してくれたな」
 藤咲達がどよめいた。紅葉にしがみついた緋勇の指が、僅かに強張る。
 暗がりから抜け出でる朱い髪。薄暗い電灯に、玉と散る白銀の刃。
「よォ、皆のもの待たせたな――蓬莱寺京一見参ッ!」
 不敵に笑うのは、まさしく緋勇達が信じ待ち望んだ青年だった。
「て、てめぇ、生きて……っ!!」
 あの時、殺したはずなのにっ!?
 狼狽する八剣に、蓬莱寺は鼻をならす。
「あったりめぇだ。そう簡単にくたばってたまるか」
 呼吸は一度止まったけどよ。
 鬼剄を喰らった蓬莱寺は、しかし並外れた天武の才により、紙一重で急所を躱していた。仮死状態に陥ったのを仕留めたと勘違いし、止めを怠ったのは八剣のミスである。
(そういうことか)
 緋勇達にはああ言ったものの、紅葉もまた、蓬莱寺の死に疑問を持つひとりだった。いつまでたっても、死体処理の報告が入らないことを訝しんでいたのだ。
「京一先輩!!やっぱり無事だったんですね!?」
「おうッ。心配かけちまったみてェだな」
 感極まった霧島が瞳を潤ませる。飄々として片手を上げた青年に、桜井は怒りを爆発させた。
「ホントだよ!この遅刻魔の大バカヤロウ!」
 涙混じりに怒鳴りつける。蓬莱寺はバツの悪い顔をした。
「間に合ったんだからいーじゃねェか。ったく人がいねェのをいいことに、馬鹿だ馬鹿だと罵ってくれちゃってよォ」
「懲りたんなら、次からは気をつけるんだな」
 鹿爪らしく教訓をたれる醍醐の顔も喜びで満ちている。
「京一、本当に京一なんだね」
「藤咲。遅くなって悪かったな」
 蓬莱寺が倒れるところをまともに目撃してる藤咲は、感慨もひとしおだ。
「……ひーちゃん」
 緋勇は無言だった。蓬莱寺は気まずさを取り繕うように、ぽりぽりと頭を掻く。
「その……ゴメンな」
 紅葉の腕の中で、龍麻は小さく頭を振る。蓬莱寺はホッと息を吐き出した。
「壬生つったっけか?サンキュな。俺の大切なもんを守ってくれてよ」
 他者に向けたのとは違う、深い眼差し。彼にとって緋勇は、特別な存在なのだろう。
 おそらくは、緋勇にとっても。
「……礼を言われる筋合いはないよ。僕がそうしたかったというだけのことだ」
(そう、僕が望んだことだ)

 緋勇の助けになりたいと感じたことも。彼にもっと自分を見つめて欲しいと想ったことも。

「ケッ。感動のご対面ってわけかよ!」
 八剣が唾を吐き捨てた。屈辱に顔が引き攣る。
「再会を祝して、仲良く冥土へ送ってやるよ。もう一回俺の技でくたばんな」
 指笛と共に、ばらばらと人が躍りでてきた。数は紅葉の時よりさらに多い。狭い地下鉄ホームが人いきれで溢れる。
「まずいぞ、挟み撃ちにされた」
 醍醐が舌打ちした。
「美里、壬生に回復呪文を」
 要請に応え、美里が小走りに近寄ってくる。緋勇は美里が《力》を使いやすいように壬生を支えながら、相棒を見やった。
「京一。どっちがいい?」
 短い問いかけ。対する応えもまた一言。
「決まってんだろ」
 借りは返さなきゃなァ。
「わかった。……壬生動けそうか?」
「あ……ああ」
 淡い光に慰撫され、痛みは遠のいていた。
「まさか君達も戦うつもりなのかい?」
「そうだけど、どうかした?」
 すでに弓をつがえた桜井が首を傾げる。紅葉は立ち上がり、躰の状態を調べた。
 美里の回復技は、調査書以上の威力があるらしい。これならいけそうだ。
「これは僕の戦いだ。君たちが関わる必要はない」
 蓬莱寺が牙を剥きだした。
「なに言ってやがる。いまさら引き下がれっかよッ!」
「あたしだってさんざんな目に合わされたんだ。お礼ぐらいさせてもらわなくっちゃねぇ」
 どこから取り出したものか、藤咲がムチをしならせる。
「私達はきっと力になれるわ」
「あの人たちが、わたしたちを放っておくとは思えません」
「僕もそう思います」
「挟み撃ちにされていては、逃げ場もないしな」
 美里、舞園、霧島に続き、醍醐もすっかり臨戦体制を整えている。
 膝をついていた緋勇も立ち上がった。
「降りかかる火の粉は払っておく主義なんだ……後顧に憂いが残っても困るしね」
 冷笑する唇から、ちらりと覗く紅い舌。紅葉の全身が粟立った。
「……わかった、今は君達と手を結ぼう」
 龍の逆鱗に触れし者は、五体を引き裂かれるという。静粛な緋勇の様は、まさしく嵐の前触れだった。彼の裡の眠れる《龍》が、目を覚まそうとしている。

「桜井、醍醐は背後の敵を!美里は皆に防御の呪文を掛けて!藤咲は美里を護りつつ、近づいてきた奴を倒して欲しい」
 緋勇がてきぱきと指示を出した。
「あと桜井。ここでは火龍は使わないように」
「えっなんで?」
 矢に《氣》を込めていた桜井がびくりと肩を揺らす。今まさに使おうとしていた所だったのだろう。
「ここは火気厳禁だよ。警報装置が作動すると大変なことになる」
「あ。そっか」
 確かに、消防車やパトカーに列挙して押し寄せられると都合が悪い。
「龍麻先輩、僕とさやかちゃんはどうすればいいんですか?」
「二人は京一のお守り。あの『馬鹿』が暴走しないように見張っててやって」
「わかりました」
 彼に尻尾があれば、思いっきり振っていたところだろう。醍醐や桜井に食って掛かっていった件の発言も、緋勇が口にする分には、なんら問題ないらしい。
「壬生」
 最後に目線で問われ、紅葉はしっかりと頷いた。

 桜井は二本同時に矢を放つ。
 相手に攻め込む隙を与えず降りそそぐ弓矢に、八剣の手下達は次々と腕を射抜かれた。
 中指を中心に人差し指と薬指で矢羽を挟み、指先で角度を調整ながら引き絞る。弓を寝かせ水平に構えることで、矢の高さは一定に保たれていた。
 手甲で武装した拳を敵の鳩尾に叩き込む醍醐。鬼や邪霊ならばともかく、人間相手に白虎の《力》は使えない。自然、肉弾戦が主体となった。
 数に物をいわせて取り囲む輩はスピンキックで一掃する。弾き飛ばされた男は、藤咲の恰好の餌食となった。
「イかせてあげる」
 ムチが唸りをあげて空を切り裂く。美里の呪文に強化された一撃は、男達にお花畑の夢を与えたことだろう。

 舞園は清楚な声色を地下鉄ホームいっぱいに響かせていた。反響する音の洪水を浴びた者達が、虚ろな表情でがくりと膝をつく。
 特殊な音階を口遊む(くちずさむ)ことにより、聴くものに催眠効果を与える舞園の《力》。それは、船乗り達を妙なる歌声で惑わす幻獣、セイレーンを彷彿させた。
 フェンシングの剣を小刻みに振動させ、霧島はいくつもの竜巻を編み出す。京一の『剣掌・旋』を自分なりにアレンジした技だ。さらに《氣》を高めていると、突如背中をたたかれた。霧島はどきりとする。気配をまったく感じなかったのだ。
「あっ、みっ壬生さん」
「……あまり大きな技は使わないほうがいい。狭いから、味方まで巻き込まれる恐れがある」
「はっ、はい。すいませんッ!!」
「霧島、相手は一応、普通の人間なんだから、多少は手心を加えてあげたほうがいい」
 緋勇にまで諭され、霧島は恥じらう。
 敵の一掃に思いのほか手間取っているのは、なにも相手が強いからではない。相手が弱いために、返って労力を強いられることもあるのだと改めて理解した。

 ぽすっと空気を抜いたような音がする。
 耳ざとく聞きつけた蓬莱寺が振り返ると、銀色の短筒がこちらに標準を定めていた。サイレンサーつき小銃だ。
 蓬莱寺は地面を蹴って走り出した。再び発射された弾が、頬を掠めて飛びすぎていく。
「ここは火気厳禁だって、ひーちゃんが言ってたろーがッ!」
 峰に返した白刃が目にも止まらぬ速さで打ち下ろされた。手首がぼきりと嫌な音を立てる。痛烈な小手が骨を打ち砕いたのだ。
 痛みに声も出ない男を尻目に、返す刃が、別の一人の銃口を撫でた。
「ひっ……ひぃ……」
 引き金に手を掛けていた男が青くなって固まった。銃身の3分の1がすっぱりと切り落とされ、鮮やかな切り口を晒している。
 立ち竦むその者の背を何者かが突き飛ばした。倒れこんでくる躰を難なく避けると、後ろから短刀を振りかざした痩身の男が飛び出してくる。
 躱すでもなく蓬莱寺は膝を曲げ、頭を低くした。その頭上を飛び越え飛来する影。
 緋勇の靴底が、男の顔にめり込んだ。仰向けに倒れ込んでいく躰を踏み台に、軽やかに空中で一回転する。入れ替わりに膝を伸ばした蓬莱寺が、刀の柄で首の付け根を痛打した。
 緋勇の着地の隙を狙った姑息な者は、紅葉に脇腹を蹴り飛ばされ白目を剥く。
「な、なんだ、こいつら……なんだってこんなに強ェ」
 自分達の優位を信じていた八剣は、額に脂汗が浮かぶのを感じていた。
 武蔵山にいたっては、及び腰になっている。
「僕に喧嘩を売ったことを後悔するんだね」
 紅葉はかつての傍輩に鋭い眼差しを浴びせた。
「きっちり落とし前つけてやるから覚悟しやがれッ!!」
 蓬莱寺が切っ先を突き付ける。八剣は己を鼓舞するかのごとく口角を持ち上げた。
「おもしれぇ、返り討ちにしてやるぜ」
 怒号とともに刃が合わる。ぎちぎちと軋む金属。
 二合、三合と打ち合い、八剣が大きく間合いをあけた。
 左掌を刀の背にあて八双に構える。蓬莱寺がにやりとした。
 鏡に映したかのごとく同じ構えを取る。八剣の頬がぴくりと痙攣した。
「何の真似だ」
「言ったろ、借りを返すってなァ」
「はっ。ハッタリか?こけ脅しが俺に通じるとでも思ってんのかよ」
 鬼剄はたった数日で習得できるような技ではない。
「ハッタリかどうか……」
 蓬莱寺が右足を踏み出す。
「試してみやがれッ!!」

『剣掌・鬼剄!!!』

 双方の力が真っ向からぶつかった。
「てめェなんかに、二度と負けっかよっ!!」
 蓬莱寺が吼える。同じ技ならば勝敗を分けるのは、純粋な技量の差。

 八剣の刀が、中ほどから折れた――。

「ばっ馬鹿な……っ」
 弾き飛ばされ、無様にもんどりうった八剣が信じられないという顔をする。
 死線すれすれを潜り抜け東京を護ってきた蓬莱寺と、弱者をいたぶり嬲り殺していただけの八剣では、積み重ねてきた経験値が違う。
 八剣が勝つことが出来たのは、鬼剄による奇襲作戦が功を奏したに過ぎない。見切られてしまえば、勝機などあろうはずもなかった。
「うっ、くっそ……ッ、武蔵山の奴はなにしてやがる」
「無理無理。お前の相方は最強のコンビに足止めをくらってるからな」
 蓬莱寺が刀の背で肩を叩きながら誇らしげに宣告する。
 力任せに腕を振り回すだけの武蔵山は、相手の髪一筋すら捕らえることが出来ずにいた。大きくそれた拳は、哀れにも近くにいた味方に犠牲を強いる。
 蓬莱寺の邪魔にならないよう武蔵山やその取り巻き達を上手に誘導していた緋勇と紅葉は、どちらともなく瞳を合わせると、ふっと笑った。
 紅葉の唇から、自然と言葉が紡ぎだされる。
「陰たるは、空昇る龍の爪……」
 すでに馴染んだ技をなぞるがごとく、躰が動いていく。
「陽たるは、星閃く龍の牙……」
 高揚感だけが、これまでに感じたことがないものだった。
「表裏の龍の技、見せてあげましょう……」

『秘奥義・双龍螺旋脚!!』

 螺旋を描いて天に昇る2匹の龍が、武蔵山を捕縛した。

2001/05/18 UP
お、終わらなかった。紅葉VS龍麻達の殺陣シーンなんて全部削ったのに……。
しかたがないので潔く(?)続けます。

【次号予告(偽)】

激しい戦いも終わり、戦士達に訪れたしばしの休息の刻。しかし、平安とは長くは続かないものなのだ。
京一:「だから、ラーメンはとんこつに限るんだってっ!」
霧島:「すみません。いくら先輩のお言葉でも、僕、白いスープだけはどうしてもダメなんですッ!!」
小蒔:「そんなの京一の思いこみだろ。ラーメンは塩味が一番だよ」
醍醐:「俺はチャーシュー麺が……」
美里:「(醍醐の声を無視して)皆、争いは良くないわ。東京ラーメンといえば醤油でしょう」
藤咲:「美里さん、さりげなく主張してないかい?」
舞園:「あの、わたしあんまり辛いものは、喉に良くないから……」
京一:「よしッ。こうなったら、誰が一番正しいか力業で決めようぜ!!」
美里:「うふふ。京一君ったら。しかたないわね――ジバードッ!!」
霧島:「うわぁッ!!」
舞園:「霧島君っ!?やるしかないようですね。わたしの歌聞いてください!!」
京一:「う、うごぉ~頭が割れる~~」
壬生:「……龍麻。君たちはいつもこうなのかい?」
龍麻:「わりとね。なあ壬生。あいつらは放っておいて、お好み焼きでも食べて帰らないか?」