第九話 風花

―――ひーちゃんがどこかに行っちまいそうな気がしてよ。
―――ま、そんなことになっても、すぐに探し出して連れ戻してやるけどな。



 どんよりとした雲が、新宿に重くたちこめている。雨上がりの道路はしっとりと濡れ、そこかしこに水溜まりを残していた。
 この外気温からして、明日の朝には凍っているに違いない。
 かじかむ指先をポケットにつっこみ、祇孔は出来たばかりの『友人宅』へと急いだ。身につけている真っ白な学生服は大分手を加えてあるものの、都内でも名高い進学校のものとすぐに知れる。
 傍らには、これも『友人』の壬生紅葉が歩いていた。

 「会いたい人がいるんです」

 そう言って、秋月マサキが祇孔に見せた一枚の絵画。
 カンバスを埋め尽くしていたのは、黄金に輝く龍とそれに立ち向かう若者達の姿だった。御伽噺の中にしか存在しない構図だ。
 だが、マサキは日本の歴史を陰で支えてきた占星術師の一族の血を受け継いでいる。未来の一端を絵筆に乗せて描き出す《力》を有しているのだ。
 11月は竜潜月とも呼ばれる。竜の隠れる月の終わりに、龍の夢を見るとはいかなる皮肉か、と祇孔は考えた。この者達が現実に龍と戦うことになるとは、祇孔はもちろんマサキとて信じてない。そこには何か寓話的な意味合いが込められているのだろう。未来を示す占いとは、深い霧の向こうにある影を見定めるようなもの。形を捕らえることのできる者であっても必ずしも正しい答えを得られるとは限らないのだ。
 それでも、人との交流を好まないマサキをして、協力を望んでしまうほどには彼等の背負う運命は重く。なによりも大切に想い護ると誓った『友人』の頼みを無下にできない祇孔は、案内役を引き受けながらも滅多な人物には会わせられないと、少々試させてもらうことにした。

 ちょっとした遊びのつもりだった。

 なのに、気がつけばどっぷり首まで浸かり込んでしまっている自分がいる。
 緋勇龍麻。真秀(まほ)の顔立ちに浮かぶ穏和な笑みの裡に、鬼神のごとき強さを宿した人間。
 一体、彼の何が自分達の心を捕らえて放さないのだろう。

  

「……龍麻?」
 壬生がふいに足を止めた。
 つられて祇孔も、同じ方向に首を向ける。
 道行く誰もが振り返る、闇になお艶やかに照り返る漆黒。滑らかな白皙の肌。
 灰色の風景の中、そこだけ切り取られたようにふわりと浮き立つのは――。
「緋勇!あんた何やってるんだこんなところで!?」
 声に反応し、緩慢な視線が振り返った。
「紅葉に村雨?……ずいぶん珍しい取り合わせだね」
 いつもの人好きのする笑顔とは異なる淡雪のごとき風情に、胸を突かれる。
「龍麻こそ、こんな遅くにどうしたんだい?そんな薄着で出歩いてたら風邪を引いてしまうよ」
 いち早く駆け寄った壬生が、自分のコートを脱いで龍麻の肩に着せ掛けた。
 次いで手袋を差し出そうとしたところ、「紅葉の方が寒くなる」と当人に止められる。壬生は渋々とそれを引っ込め、代わりにマフラーを有無を言わさず巻きつけた。
 祇孔は込み上げる笑いを噛み締める。能面みたいな顔しかできないと思っていた男が、いやはや意外な一面があるものだ。
「緋勇。あんた今日は龍山とかいう爺の所へいったんじゃなかったのか?」
 マサキの助言に従って、龍麻の出生の秘密とやらを聞きに。
「行ったよ。話も聞いてきた。今は散歩の途中」
 端的な答えが返る。
「こんな時間にか?」
「夜の方が静かだからな」
 ああ、でもここは騒がしいか、とひとりごちて、くすくす笑う。
 祇孔と壬生は顔を見合わせた。
 龍麻は薄いワイシャツにジーンズといういでたちだった。他人の嗜好にケチをつけるつもりは毛頭ないが、この寒空では狂気の沙汰だ。
 白蛾翁・龍山のところでなにかあったのだろうか。
「龍麻、僕たちはこれから如月さんのところへ行くんだけど、よかったら君も一緒にこないかい?」
 壬生が誘う。このまま龍麻をひとりにしておくのは不安だった。
「そりゃいい、ちょうどメンバーが足りなかったんだ。あんた麻雀はできるか?」
 返答も聞かず祇孔が腕を掴んだ。苦笑しつつも龍麻はおとなしく従う。
 肩を並べた黒髪の麗人を、あらためてつくづくと眺め、祇孔は言った。
「しかし、あんたは人目を引くな。衆目を集めまくってるぜ」
 加えて、祇孔や壬生の外見も水準以上なのだから、3人集まれば嫌が応にも人目を引く。
「……ああ、そうか」
 祇孔の言葉に首を傾げた龍麻が、何かに気づいたように頷いた。薄く開いた唇が、細く息を吐き出す。
 呼吸に合わせ、揺らぐ《氣》。
 龍麻の周囲の空気が色を変えた。あれほど抜きん出ていた存在感が雑踏に埋もれていく。
「お、おい、緋勇!?」
 素人目にはわからない、けれど劇的な変化に祇孔は度肝を抜かれた。
 壬生ほどではないが、祇孔も護衛という立場上、極力目立たないようにする方法を心得ている。気を抑え、あるいは殺し、他者の眼に映りながらも『認識されない者』となる術を持っているのだ。
 だが、龍麻の場合は。
 抑制ではなく、変質。己の気配の質を変え、周囲と同調させてしまう人間など始めて見た。
 聖霊宿る山河で禅を組み精神統一しているとでもいうならまだしも、ここは東京のど真ん中。人も多く、雑念が澱んでいる。空に満ちる《氣》が一時も安定しない場所なのだ。
(緋勇の奴、いつもこうやって自分の《氣》を隠してたのか?)
 驚きを通り越して呆れてしまう。
「ごめん。考え事してたから、気配を抑えるの忘れてた」
 しれっと述べる青年に、初めて底知れぬ畏怖を抱いた。

  

 骨董品店の若旦那は、飛び入り参加の客をいたく歓迎した。
 薄着で長時間外をふらついていた彼のために、わざわざ押入れの奥にあった暖房器具を――今あるものだけで充分だというのに――引っ張り出し、要望とあれば風呂まで沸かすという。
 龍麻が断ると、今度は帰る時のためにと上着の準備を早々に始めた。
「今夜は冷え込みが厳しくなるそうだ。壬生の上着をとってしまうのは気の毒だろう。なに、返してくれるのはいつでもかまわないよ」
(……ここにもトチ狂っていやがる奴がひとりいたか)
 冷静沈着な飛水流忍者は何処へいった如月翡翠。
 対象をひとりに限ってのことなのだろうが、それにしても。
(砂吐くほどに甘いぜ、あんたら……)
 己もまた、遠からず似たような状態に嵌りつつあることに気づいていない祇孔だった。

 正方形の卓上で牌を積み重ねていく。さすがに個人宅では電動とは行かず、作業は手で行われた。
 決められた数を手元に引き寄せ、対策を講じつつ並べ替える。龍麻が小さく舌打ちした。
 見れば微かに顔を顰めている。采配が悪かったのかと憶測していると、ばっちりと目が合ってしまった。
「村雨、それ俺にもくれる?」
 祇孔は唇に咥えた『それ』を見下ろす。
「いいけどよ、けっこうキツいぜこれ」
 差し出された箱から一本引き抜き、龍麻はライターの火を受け取った。軽く指に挟んで口元へ運ぶ動作がいやに様になっている。
「龍麻が煙草と吸うとは知らなかったな」
 酒は何度か酌み交わしたことがあるので、かなり強いことは知っていたが。日本酒で唇を湿らせていた如月は、卓上の端に置かれたグラスをちらりと見た。
 アルコール度数40%を超える琥珀色の液体を、龍麻は先程から水のごとく呑み干している。如月の記憶に間違いがなければ、それらが薄められた形跡は一度も無かった。
「そうだね。高校に通うようになってからは飲酒以外は全部絶ってたし」
 『ぜんぶ』というからには、酒と煙草以外にも手を染めていたものがあるのだろう。
「他には、何を嗜んでいたんだい?」
 好奇心というよりは、龍麻の過去が聞けるかも知れないという期待を込めて訊く。
 最初は麦酒に手をつけていた壬生も、途中から龍麻と同じものに切り替えていた。こちらは炭酸で程よく薄められている。
「……ひととおりは」
 どこからどこまでを指してひととおりというのか?
 聞きたいような、聞きたくないような。
「……あんた、おとなしそうに見えたのにな。この間の時とはえらく違うじゃねえか」
 祇孔は開いた口が塞がらなかった。四角四面な優等生かと思っていたら、とんだ食わせ者だ。
「あの時は、美里達が一緒だったからね」
「なんだ、真神の連中が一緒だと都合が悪いことでもあんのか?」
「都合というか……円満な相互関係を築く上での一種の社交術といったところかな」
 美里は、「自分達の住む街を護りたいから」戦うのだと言った。
 自分達は正義ではないと口にしながらも、彼女の中で『護る』という行為は『善』に定義づけられている。
 天に認められ、許しを得ていることなのだと信じ切っている。
 醍醐や小蒔にしても同じ。
 社会理念上、正しいと言われるものに行動基準を則し、己の正当性を確信すればこそ武器を取る。
 少しでも己に疑念を抱けば、彼等は使い物にならなくなる。醍醐が白虎に変生したときや、美里が自分の宿星を知ったときのように。協力を仰ぎたければ、彼女達が己の行動を信じ続けるよう誘導する必要があるのだ。
「その点、村雨達の判断基準は善悪にないだろう?」
 如月が東京を護るのは、それが使命であり、自分の存在意義であるからだ。
 壬生は、恩人である館長と、母の入院費を稼ぐために働いている。
 そして、祇孔は。やはり利己的な理由から協力を申し出でいた。東京の町を護ることはマサキを護ることに繋がるから。
 龍麻に惹かれたことは事実だが、マサキのことがなければ、行動を共にしようなどとは考えなかっただろう。ちょっかいをかけるだけなら、仲間になどなる必要は無い。
「行動と目的は同じでも、考え方には大きな隔たりがあるってことか……」
 煙草の灰を慎重に灰皿に落とす。周囲に散らしたりすると家主がうるさいのだ。
「あんたはどう思ってるんだ?」
 龍麻はグラスを卓上に戻した。
「俺は『大切なもの』を得るために、または失わないために戦うことが、大義名分になるとは思ってない」
 相手が鬼であれ、人であれ。龍麻達の行っていることは、殺戮以外のなにものでもない。
「真神の連中の崇高な信念は理解できねぇか?」
「そんなことないよ。信じる倖せっていうのもあるだろうし。要は、気持ちの持ちようだからな」
 行動に『許し』を求める者は、己の『善』さえ信じていれば悩みや迷いを抱かずに済む。
 龍麻はそれが欲しくなかったというだけのことだ。誰の許しもいらない。主義主張と自らの意志が龍麻の持つすべて。そこには、壬生や如月のような義務や使命さえ存在しない。思惑が対立したからこそ争いが起こり戦となった。それだけのことだと考えている。
「……あんた怖いな」
 だが、堅物の優等生よりはこちらの方が断然、面白味がある。
「人間ってのは、わからねえもんだ」
 煙で白濁する視界に目を細め、祇孔は満足そうに唇を歪めた。

  

 如月の言葉どおり、寒さはどんどん厳しくなり、夜半過ぎには雪がちらつき始めていた。
「チッ、ついてねえぜ」
 骨董店の戸口より表に出た祇孔は、ふるりと身を震わせる。
「……ごめん」
 龍麻が心底申し訳なさそうに謝った。
 采配が悪いなんてとんでもない。最初に信じられないような大役で上がった龍麻は、その後もずっと勝ちつづけ、残りの三人はひたすら負け越す羽目に陥った。
 おかげで財布の中身もすっかり乏しくなっている。空っ風に晒されているのは躰ばかりではなかった。
「気にすることはないよ龍麻。僕達が未熟だったというだけのことだからね」
 フッと笑う如月の顔にも、どことなく無理が漂う。
「俺が悪かったんだよ。ちょっと苛ついていたから。《氣》のコントロールにムラがあったみたいだ」
 河が海に流れ込むように。強い《氣》は、弱い《氣》を引き寄せる。運も《氣》のひとつ。それが龍麻に向かって流れ込んでしまったのだから、勝率に偏りが生じるのは当然のことだった。
「もしかして、必要以上に酒や煙草に手ぇ出してたのはそのためか?」
 ニコチンは《氣》を濁らせ、アルコールは感覚を鈍らせる。理性で制御しきれないなら、外部の力に頼るのもひとつの手だ。
「あんまり効果はなかったけどね」
「意図してやったわけじゃねえだろ。俺だって、調子の良し悪しがあるしよ」
 たまにはこんな日もある。祇孔は諦めの境地に浸っていた。
 壬生はずっと気になっていたことを口にする。
「龍麻、龍山先生のところで何を言われたんだい?」
「たいしたことは何も。明日、新宿中央公園で人に会うよう言われたくらいで」
 後は、孤児になった龍麻を養子に出したのは龍山だったとか、黙っていて悪かったとか、年寄りの愚痴めいた述懐を延々と聞かされただけだ。
「では、やはり原因は蓬莱寺君か……」
 如月が嘆息した。龍麻が感情を乱すのはいつだって、あの明るい瞳の剣士のせいなのだ。
「そういやあ、さっきの話に蓬莱寺の名前は出てこなかったな。あいつのことはどう思ってるんだ?」
「……わからない」
 伏せられた目に苛立ちが過ぎるのを、祇孔は見逃さなかった。
「なんでぇ、喧嘩でもしたのか?」

「……違う。俺がひとりで勝手に機嫌が悪くなっただけだ」
 ぽつりと呟く、小さな声。

 龍山邸からの帰り道、龍麻は京一と通り雨をやり過ごした。龍山のところを出てから、ずっと何かを言いたそうに、こちらを見ていたから。他の皆の誘いを断って、京一と帰ったのだ。
 聞かなければ良かった、と後悔している。

 精神の奥に広がる湖は、波ひとつない鏡面のごとき水を湛えて澄み渡り。
 大勢は表面を撫でながらも、漣ひとつ立てることなく過ぎていく。
 小さな波紋を残すのは、一握りの者のみ。
 水面(みなも)に心地よい振動をもたらしてくれる存在だけが、龍麻の気持ちを引き寄せる。

 けれど、京一は。

―――俺さ、卒業したら修行のために中国に渡ろうと思ってる。
―――なあ、一緒にいかねえか?お前となら、何処まででも行ける気がするんだ。

 何の気なしに語られた一言が。色鮮やかな雫となって湖面に落ちる。
 少しずつ、けれど確実に水の色を浸食していく。違う色に染め変えられてしまいそうになる。
 誰一人立ち入ることの無かった領域に、あっさりと踏み込んで。
 京一が――京一だけが、龍麻に『不安』を抱かせる。龍麻の基盤を危うくする。

「一緒になんて、いけるわけない」

 手を伸ばしても、届かない天(そら)。届かない、想い。
 ……抱いてはならない、気持ち。

「惚気に聞こえるのは俺だけか?」
 祇孔が短くなった煙草を投げ捨てた。泥と混じった雪が、白い吸い殻を灰色に塗り変える。
「思うとおりにしたらいい……僕個人としては、引き止めたいところだけどね」
 龍麻が倖せなら、それが一番だよ。
「壬生の言うとおりだ。蓬莱寺君は甲斐性がなさそうだからね。苦労はするだろうが、二人ならなんとかやっていけるだろう」
 悔しいが、可能性という点では、この二人に適うものはいない。彼等がどこまで行けるのか、何を為してくれるのかを、見届けたいという気持ちさえ如月に抱かせる。
 龍麻は首を振った。
「俺にも絶対に譲れないものがあるんだよ……最初からわかりきっていたことなのに……」
 京一が余計なことを言ったりするから。これほどにも、精神が揺れる。
 《氣》が乱される……。
「自分の中に、こんな感情があるなんて思わなかった……」
 降りしきる雪を浴びるがごとく天に向かって手を伸ばす龍麻は、泣いているように見えた。実際に涙が頬を濡らすことはなかったけれども。

 空から落ちてくる結晶はましろ。消えゆく沫よりも透明な麗容。

 祇孔は手を伸ばしかけている自分に気づいた。凍える躰を抱きしめたいと感じるのは、暖めてやりたいからだろうか。それとも、逃がしたくないから、だろうか。
(そういうことか……)
 彼に惹かれた理由がなんとなく判った気がする。大股で歩み寄り龍麻の肩に手を置いた。
 出会ってからこっち、一度も勝てない相手を敬意を込めて呼ぶ。
「今度、必ず勝てるコツってのを教えてくれよ……先生」

「勝ち目の無い勝負はしないのが吉ですよ村雨」
 ぴきりっと祇孔の笑みが凍り付いた。
 嫌みったらしい声は、すでに嫌というほど馴染み深くなってしまったもので。
 うんざりしながら首を巡らせると、案の定、癖の無い黒髪を背中に流した青年の姿があった。
 背後には、スーツ姿の女性が影のごとく付き従っている。
「御門、芙蓉……」
 秋月家に仕える由緒正しき陰陽師の末裔と、その式神・芙蓉様のお出ましだ。
「何しにここへ来たか、などと愚かしい質問はしないでいただきたいものですね。あなたの帰りがあまりにも遅いので、マサキが心配しています。この雪で難儀しているのではないかとね」
 放っておきなさいと忠告したのですが。
「へいへい。それはお世話様で」
 恩着せがましい物言いに、かちんっときたので適当に相槌を打つと、背後に控える芙蓉が眦を吊り上げた。
「村雨、また晴明様にそのような無礼な口をっ!」
 どっちが無礼なんだか。
 御門の式神である芙蓉にとって、何を差し置いても主を庇うのは当然の勤め。言っても詮無きこととわかっていはいるのだが。
「秋月さんはひとりにして大丈夫なのか?」
 龍麻が空を見上げた姿勢のまま、視線だけを流した。幽玄なる瞳に魅入られ、芙蓉でさえ二の句が告げなくなる。御門は気を取り直すために小さく咳払いをした。
「……芙蓉以外の十二神将を残してきましたから」
 御門の扱う式神は、芙蓉を含め全部で12体。それらを総じて十二神将と呼んでいる。名の示すとおり、神格を有する彼等の前には、生半可な邪気や悪霊は近寄ることも叶わないだろう。
「私もひとつお聞したいですね。貴方が決めていることとはなんです?」
 村雨に対するときと比べると格段に柔らかな口調で訊ねた。お役目第一の堅物も、龍麻のことだけは気に入っているらしく、口元には微かな笑みさえ浮かべている。
 こいつ、いつから見てやがったんだ、と祇孔が毒づいた。
「欲しいものがあるんだ」
 薄く細められる眼。蠱惑的な仕草に、さしもの御門も僅かに頬を紅潮させる。
「なんですか、それは?」
「そうだね、当面はこの街を護ること……ということにしておこうかな」
 龍麻がやっと躰ごと御門達の方へ向き直った。
「そうですか、……それを聞いて安心しました。マサキのために、貴方には是非とも頑張ってもらわねばなりませんからね」
 青年が何を考え、何を求めているのか。
 どのような理由で戦い続けているのかを、知る術はここにはない。御門に分かるのは、龍麻が真実ではないにせよ嘘は吐いていないだろうということだけだ。
 御門が欲しているのは、マサキを護るための《力》。そのために東京を平穏に保持する手段だ。同じ目的を持っている間は、ともに歩んでいける。それで充分だと陰陽師は割り切った。個人の事情に深入りすると、いざ利害が対立したときに刃を向け難くなる。特に相手が、自分の関心を引いてやまない人物であるならば。
「では、わたしはこれで。芙蓉いきますよ」
 龍麻、如月、壬生に優美に会釈を残し、するりと踵を返す。
「御意」
「おめえら、俺を迎えにきたんじゃなかったのか?」
 来たときと同様、唐突な行動に祇孔が慌てた。
「子供ではないのですから、ひとりでも帰れるでしょう」
 マサキの手前、形だけ取り繕ったのだといわんばかりだ。
「けっ、あいかわらず嫌味な野郎だぜ」
(こいつ、先生の顔を見に来ただけじゃねえのか!?)
 出来るなら離れて歩きたいが、御門だけ先に返すと、マサキに申し訳が立たない。
 しかたなく後を追おうとして直後に思い直し、龍麻の元へとって返した。
「そうだ。忘れるところだったぜ。これから俺のことも下の名前で呼べよ」
 きょとんと龍麻が眼をしばたたく。
「如月と壬生だけってのはつれねえじゃねえの?俺もお仲間なんだろ、先生?」
 凍えきり色をなくした唇が、くすりと笑んだ。
「……わかったよ、祇孔」
 一瞬、自分のそれで暖めてやろうかという悪戯心が頭をよぎる。が、周囲の反応が恐ろしいのでやめておいた。
 名前を呼ばせることが出来ただけでも、上々の首尾とすべきだろう。

  

「村雨、また悪い癖がでましたね。ほどほどにしないと痛い目を見ますよ」
 御門は勝敗のわからない賭けには乗らないという。龍麻に思慕を寄せながらも、あえて傍観者の立場を貫き通すつもりなのだと、暗に告げる。
 ご親切な『友人』の忠告に、祇孔は鼻を鳴らした。
「へっ、俺はあんたと違って、勝敗の見えない勝負ほど燃えるんでね。これぞ博打の醍醐味ってもんだぜ」
 手に入るのは、またとない至高の宝玉。試してみる価値はあまりある。
「龍麻様を煩わせるような言動は、控えなさい村雨」
「おや、珍しいですね、芙蓉が他人を気にかけるなど」
 出すぎた真似をと恐縮する式神に、御門は差し支えないと軽く手を振った。
「どうしてでしょうか、わたしはあの方に興味を覚えるのです」
 芙蓉自身、困惑しているらしい。
 祇孔は大声で笑った。
「はっ、感情の無い式神にまで肩入れさせるとはね。たいしたもんだ。さすが俺が見込んだ先生だぜ」
 ますます、欲しくなるではないか。

 緋勇龍麻という人間は、例えるのなら万華鏡のようだと思う。

 儚く、麗しく、大胆に、繊細に、艶やかに。
 刻一刻と変わっていく極彩色の紋様。
 見る者によって色を違え、触れる者によって形を変じる。
 狂気と正気の狭間。不安定にして絶妙の均衡に、誰もが魅せられる。
 目を奪われて、離せなくなる。

 傷ひとつつけたくなくて、手を触れることすら躊躇い。
 暴き立てたくて、壊してしまいたい誘惑に駆られる。

 他人のものであるならなおさら。奪い尽くし心ゆくまで堪能したい。

(ヒトのモノほど欲しくなるってのは、人間の性かねえ)
 リスクばかりが大きくて、勝率の低い賭け。

(久しぶりに勝負師の血が騒ぐぜ)

 これも一興。祇孔は滅多に感じることのない高揚感を満喫していた。

2001/06/03 UP
いまさら言うまでもないでしょうが(笑)、朝霧は紫龍組がご贔屓です。
女の子なら歌仙組で、仲間以外ならば某生物教師がお気に入り。
なので、彼等はこれからもちょくちょく顔を出しては美味しいところを持っていくことでしょう。

【次号予告(偽)】

霧雨の降る中、柳生の凶刃に倒れた龍麻。
京一:「ひーちゃんッ!!しっかりするんだッ!!!」
弦月:「くそっ!柳生め、アニキになんてコトを……っ!!」
美里:「小蒔、どう思う?」
小蒔:「天龍院高校の制服だよね、アレ」
美里:「ええ……」
醍醐:「お前達、敵の素性を詮索するのもいいが、いまは龍麻を助けるのが先決だろう」
小蒔:「だって、醍醐君ッ!天龍院高校だよ。変だと思わないのッ!?」
醍醐:「確かに、あそこは既に廃校になっている。生徒が存在するとも思えんが……」
美里:「違うわ醍醐君。あの人があの顔で、高校生を名乗っていることが問題なのよ」
醍醐:「う……」
弦月:「そやな。高校生にしちゃ老けとるな。柳生は俺らの生まれる前から生きとるわけやし」
美里:「若作りしているのね。それにしても無理がありすぎだわ」
小蒔:「ホントだよ!全国1億人(推定)の魔人ファンだって、納得してないってッ!!」
京一:「おまえら、いい加減にしろッ!!ひーちゃん(主人公)が死んだら、話が続かないだろうが!!」