第 六 話 【 彷 】 |
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さらさらと流れ落ちてゆく乾いた音。 事故により両親を喪い声を奪われて。混迷する意識の中、過去の経験は朧に滲んだ。馴染んだはずの級友達の顔は見知らぬものへと変わり果て、憐れみの名を借りた好奇の視線ばかりが我が身に降り注ぐ。 転校は亡き両親の友人だったという鳴瀧氏に奨められてのものだった。心にかかる不安を減じ、哀しみを癒すために新天地でいちから始めみてはどうかと、面倒な手続きの一切を代行してくれた。その際、彼自身の経営する学校が選ばれなかったのは、鳴瀧という知り合いがいることで龍麻が気を遣い、萎縮してしまうことを怖れたせいである。 その心遣いは、いまのところ成功しているといって良い。自由な校風と気のいい新たな友人達に囲まれた日々は、疲れた心に安寧の時をもたらした。 転校当初は毎晩のように精神を蝕んだ悪夢の訪れも、日が経つに連れ疎遠になってきている。 声が出せないのは心因的なもの。精神の均衡を取り戻し、事故の恐怖が薄まればやがて元通りに喋れるだろうと医者からは診断を受けた。代わり映えのない日常。緩やかに欠けては満ちる静穏な月。不満などあろうはずはない。不安を感じる要素など何一つとしてありはしない。 なのに、何故か意味もない苛立ちが募る。 「よぉ、どうした緋勇、難しい顔して」 自席に腰掛け、ぼんやりと外を眺めていた龍麻に木刀を担いだ青年が声をかけてきた。 乱暴者と評判の彼は意外にも面倒見が良く、新参者の自分を何かと助けてくれている。柔らかく見下ろしてくる眼差しは、友人を見るものというよりは庇護すべき相手に向ける様相を呈していた。 「緋勇?どうかしたのか?」 訝しげな表情を浮かべた蓬莱寺になんでもない風を装って首を振る。もう一度、自分の名前を呼ぼうと開きかけた唇の動きを制して微笑みを向けた。青年が自分を呼ぶたびに胸に鈍い痛みが走る。理由など特になく、彼を厭っているわけでもない。ただそこには、拭いきれない違和感のようなものが横たわっていた。あるいは、心を通わせた同志のごとく名前で呼んで欲しいという願望を持つからこそ、感じた苦痛だったのかもしれない。拳一つ満足に振るえない自分を、蓬莱寺がまともに相手にしてくれる可能性など皆無に等しかったが。 やりきれなさを覚えて、龍麻は半眼を伏せた。 「だったら、ラーメン食って帰ろうぜ。あっちで醍醐達も待ってからよ」 龍麻の笑顔に安堵したのか、なんのてらいもなく誘ってくる青年に了承の意を返し席を立つ。 ぱらり、と。頭の隅を乾いた音が掠めていった。 さらさらと、はらはらと。硝子の棺に閉じこめられた微細な粒子が落ちてゆく。 少しずつ、しかし確実に『何か』が自分から喪われようとしている。 早くしなければ間に合わなくなると、意識の奥底で響く声。 事故当時よりも薄れたとはいえ、自分を惑乱するそれを振り捨てることができずにいる。 談笑しながら歩いていく友人達の少し後ろをついていく。 己の定位置に侘びしさを感じたことはなかった。 曖昧且つ混沌とした世間は、現実味に乏しく。足場を失った己の瞳が捉える世界は、薄い膜に覆われていた。これも事故による後遺症なのだとしたら、いつか薄い膜を取り払い、直接触れていると信じられる日がくるのだろうか。 「あっ、ごめんなさいっ」 思考の淵に沈みながら渡っていた横断歩道の中央で、肩に軽い衝撃が走った。 鼓膜を震わせた可憐な声音に目を転じると、不自然に座り込んだ少女の姿が映る。 慌てて差し伸べた手に触れた温もりに、思わず息を呑んだ。 すぐ目の前で揺れる栗色の髪に、思わず指が伸びそうになる。 重く立ち込めた世界の中で、彼女だけが色褪せずに存在していた。 零れ落つるは時の破片。渇いているのは己の心。 喪われようとしているものは―――。 少女の微笑みを網膜に焼き付け、龍麻は不意に襲ってきた眩暈に眉を顰めた。 |
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《 緋勇龍麻君と豪華ゲストによる希望的次回予告 》 |
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【今回のゲスト : 桜井 小蒔】
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