第 八 話  【 覚 】
 
 
 


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「・・・ゆう、おい、緋勇!」
 己を呼ぶ友人の声に我に返った龍麻は、いつのまにか思いもかけないほど近くに青年の姿があることに気づいた。
 蓬莱寺が何の前触れもなく龍麻の部屋を訪れたのは、今から1刻ほども前のこと。お茶から立ち上っていた湯気が途切れ、すっかり冷え切ってしまうまで。何をするわけでもなくただ黙然と向かい合って座り続けていた。果たして彼はこの退屈極まりない現状をどう捕らえているのだろうと思い悩むうち、いつしか青年の呼びかけを聞き漏らしてしまっていたようだ。
「具合でも悪ィんじゃねェのか?最近ぼーっとしていることが多いだろ」
 では、彼はそのことを心配して様子を見に来てくれたのか。単に友人の家へ遊びに来たかったからというわけではなく。理不尽と分かっていながら龍麻は軽い失望を覚えた。何とか笑みを取り繕って頭を振る自分に、「まさかとは思うけどよ」と蓬莱寺がひどく楽しげな口調で言い募る。
「恋煩いってやつじゃねェだろうな。聞いたぜ。この間道でぶつかったあの子――紗夜ちゃんつったっけ?とデートしたらしいじゃねェか」
 付き合ってんのか?との問いに、否定の意を返した。この世界で唯一色彩を放つ少女。彼女に心惹かれているのは確かだ。だが、それが恋愛感情に繋がるのかと問われれば、首を傾げざるを得ない。大切だと思う。愛しいと感じる。けれど、その想いにはどこか違和感がつきまとっていた。それはいま目の前にいる青年に抱くものと同じようでいて少しだけ違う。
「またまたァ。誤魔化すなって。『龍麻』なァんて名前で呼ばれてるくせによ」
 青年の声音で紡がれた己が名を示す韻律に。龍麻ははっと顔を上げた。何処か懐かしい・・・精神の奥底に沈む硝子の筺を震わせる――それ。
 けれど、まだ違う。まだ何か足りない。違和感の正体を探り、記憶の糸を手繰りよせる。
 大切に包み込むように。深奥に烈火を宿した眼差しで。自分の鼓動を高鳴らせた、彼だけが呼ぶその響きは・・・。
―――ひーちゃん・・・
 カチリッと音を立てて、硝子の筺が開け放たれた。微細な罅を走らせて、透明な棺が砕け散る。
 堆く降り積もる砂が――葬り去られようとしていた想いが。溢れて零れた。
「お、おいっ?!緋勇?!」
 突如として立ち上がった龍麻に、蓬莱寺が狼狽を浮かべる。
「いきなりどうしたんだ。もしかして怒ったのか?」
 封印は解かれた。狂った時を刻んでいた砂時計は毀れ、散逸していた記憶の欠片は在るべき場所へと戻された。込み上げる衝動のまま、蓬莱寺の声を後にして部屋を飛び出す。マンションの入り口を抜けると、求めるべき少女はすでにそこで待っていた。なにもかもを承知した眼差しが龍麻を見つめる。
「元の世界へ戻るのでしょう」
 比良坂――と、少女の名をはっきり口にして龍麻は頷いた。
「待っている奴等がいるからな。――ごめん。君の眠りを妨げてしまうことになる・・・」
 自分ひとりではこの迷宮を抜け出すことはできない。龍麻をここへ送り込んだ少女と同じ時逆の《力》を持つ者か、あるいは時の制約を受けない場所を通ることのできる協力者が必要だった。そう、此岸(しがん)の理を外れし黄泉平坂を渡る、この栗色の髪の少女のような《力》を持つ存在が。だが、黄泉路を戻ることは、奥津城に安寧を見いだしていた彼女を塵界へ呼び戻してしまうことをも意味した。
「いいの。気にしないで。貴方がわたしをその光で照らしてくれたように、今度はわたしが貴方を照らす光となる・・・貴方が暗闇に迷わぬように。わたしの《力》で導いてあげる」
 曇りのない笑みを向ける比良坂に微笑みを返し、龍麻は差し出された手を握る。開いた方の肘を大きな手で捕まれたのは、ほぼ同時のことだった。
「緋勇っ、何処に行く?!」
 普段のおちゃらけた様子からは想像もできないほど引き締められた精悍な顔が自分を見下ろしている。龍麻は言葉を紡ぎ掛け・・・思い直して小さく首を振った。ここに残していけるものは何もない。忘れ去られてしまうものならば、あえて想いを伝える必要もないだろう。
 比良坂に手を引かれるまま、自分を引き留めようとする温もりからするりと抜けだす。
 自分は行かねばならない。この産湯のように暖かくも渇いた砂丘を抜けて、仲間達の待つ場所へ。龍麻の唯一の相棒たる『彼』の元へ。それは決して、目の前の青年ではありえないのだ。
「・…っ!!駄目だっ、行くなっ!!俺はっ、おまえが・・・っ」
 離れ際、強引に距離を縮めてきた蓬莱寺の声は、空間に隔たれもう届くことはなかった。
 最後に唇を掠めた微かな感触の意味を考える暇もなく。意識は急速に光の中に呑み込まれていった。
 
 
 






《 緋勇龍麻君と豪華ゲストによる希望的次回予告 》
 
【今回のゲスト : 比良坂 紗夜】

龍麻 : 「俺、蓬莱寺に悪いことしちゃったな」
紗夜 : 「龍麻は蓬莱寺さんのことを思って何も言わずにきたのでしょう」
(蓬莱寺さん・・・現実世界だけでなく異界でも龍麻を悩ませるなんて)
龍麻 : 「俺のこと早く忘れて幸せになってくれればいいなと思ったんだよ。けど・・・」
紗夜 : 「龍麻の気持ちはきっと蓬莱寺さんにも伝わってると思う」
(しかもあの人、龍麻を忘れるどころかこともあろうに・・・っ!!!)
龍麻 : 「俺のことで、蓬莱寺の心にしこりが残ったりしないといいな」
紗夜 : 「まかせて龍麻。貴方の気持ちが彼に少しでも届くようにわたしが唄を届けてあげる」
(蓬莱寺さんには黄泉を渡りし常世の唄をたっぷりと堪能してもらわなくっちゃ)
龍麻 : 「ありがとう。比良坂には世話になりっぱなしだよな」
紗夜 : 「えへへ、気にしないで。わたしは貴方の力になれることがとても嬉しいから」
(一緒にこちらの蓬莱寺さんにも唄ってあげるから、二人揃って悪夢を堪能して下さいね)
 
 


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