第 九 話  【 得 】
 
 
 


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 マンションにも。学校にも。人々の記憶にも。己の痕跡を一切残さず、緋勇は文字通り姿を消した。
 ―――唯一、京一の記憶だけを鮮やかに留めて。

 緋勇は確かに、ここに存在していた。あの遥かな眼差しも、抱き寄せた体温も。そして乾いた唇の感触までも、まざまざと思い出せるというのに。
 自分だけを取り残して回る世界はひどく不快で。苛立ちを持て余した京一は荒れた毎日を過ごしていた。
 それでも毎朝、学校には顔を出す。奇蹟なぞ起こるはずがないとは知りながらも。今日もいつも通りの空席を確認すると、京一は諦めの悪い自分に半ば呆れつつ机にうつ伏せた。
 程なくしてチャイムの音が聞こえ、教室の引き戸が開閉される。HRが始まったはずなのだが、一瞬の静寂ののち、何故か頭上は俄かに騒がしさを増した。鬱陶しいことこの上ない。
 うつ伏せた姿勢のまま、耳を塞ぐべく手を動かそうとすれば。思いがけない響きが京一の耳を打った。
「緋勇龍麻です。よろしくお願いします」
 驚いて顔を上げれば、壇上の青年と目が合う。深淵を宿した双眸を僅かに瞠らせたのは、紛れもなく京一が求めていた人物だった。

 休み時間になるのももどかしく、校舎の案内と称して緋勇を連れ出した。時期外れの転校生に興味津々な教室内は、とても込み入った話をする場所ではない。
「助かったよ、蓬莱寺。ちょっと息が詰まってたんだ。・・・パンダか何かになった気分で」
 人気のない屋上で、緋勇は寛いだように口許を綻ばせる。あでやかな表情は明らかに『彼』とは異なる色を有しており、京一の干上がった喉は舌に乗せるべき言葉を飲み込んだ。―――佳人に見惚れ尽くしていたのも、また事実だったが。
 物言いたげな視線を送る自分に何を見たのか。緋勇は穏やかな瞳に影を落とす。
「―――悪いけど、君が好きだった『緋勇龍麻』はもういない」
「・・・・・・!?」
 いきなり核心に切り込まれてなおも絶句する京一に、緋勇はぽつぽつと話し始めた。
 事故で生死を彷徨っていた際に、異世界から何者かに飛ばされたらしい『彼』の意識との同化により命を救われたこと。けれどもその意識の強さに、眠れる人格の如く見守っているのが精一杯だったこと。『彼』が封じられた記憶を取り戻し、鍵となる少女に導かれ自分の世界に帰ったこと。同時にこの世界は『彼』を忘れ、緋勇がようやく己の意識を復したこと。
「君の記憶が残ってるのは、『彼』の唯一の誤算だよ、蓬莱寺。・・・『彼』は君を見ていなかった。これほどまでの強い想いに、気付きもしなかった。なのに・・・君は『彼』を忘れるどころか、俺を見るたびに思い出して苦しむんだ」
 俯いて言葉を紡ぐ佳人は、ひどく辛そうで。京一は、その細い肩を抱き寄せたい衝動を抑え、代わりにポンポンと優しく背中を叩いた。
「あいつのことは、俺が勝手に憧れてただけだ。もう、いいから。・・・お前が気に病むこたねェよ」
 確かに京一は『彼』に強く惹かれていたけれど。今はここにいる緋勇の方が気になるというのは、都合のいい言い分だろうか。
 どこか遠く儚げな『彼』よりも鮮やかに。目前の青年は京一の心を塗り替える。だからといって、簡単に伝えられるような気持ちではないが。―――特に、『彼』への想いを知っていた緋勇には。
「―――違うんだ、蓬莱寺。俺はそんなにいい奴じゃない。俺は身勝手で・・・汚い」
「緋勇・・・?」
 背中を宥める手を振り払い、緋勇は苦しげに言葉を重ねる。
「俺はただ・・・、『彼』なんかじゃない、俺だけを見てほしかっただけ・・・!」
 今度は衝動に逆らわなかった京一が、その続きを強引に封じた。抱きすくめられ、大きく見開かれた瞳がゆっくりと閉じる。
「確かにあいつに似てるけどよ・・・、お前の方が好き、とか言っても・・・やっぱり信じねェ?」
「・・・わからない」
「ゆっくりでいいから。俺のこと、信じてくれ。・・・な?―――龍麻」
 問いかけに、言葉は返されず。しかし背中に回された腕が、承諾の意を伝える。
「『彼』も・・・大切な人のそばに、戻れてるといいね」
「そうだな。俺を振ったんだから、そのぶん幸せになってなきゃ困る・・・俺以上は無理だろうけど」
 促すように覗き込むと、腕の中の佳人は目許をほんのり染めて微笑み、京一の望み通り瞼を下ろした。
 
 
 






《 蓬莱寺京一君による今回の反省と希望的次回予告 》
 
「なッ、なんなんだよ!?このご都合主義はッ!」

―――正直、今回はちょっと反則だけど『異世界京一救済編』ってことで。

「俺の出番がない間に、こいつ一人で幸せになりやがって・・・」

―――うんうん、よくわかってるね。勿論、幸せなのは『こいつ一人』だよ♪

「ちょ、ちょっと待て!俺の方が絶対可哀相なのに、何で救済編がねェんだよ!?」

―――異世界の京一は猫さんが気に入ってたからね。君は番外編だけで充分でしょ。

「ひどすぎるぜ・・・。次回は久々の出番だってのに、このままじゃ俺、立ち直れねェよ・・・」

―――あ、じゃあもうしばらく出番遅らせようね。紗夜ちゃん×ひーちゃんで話進めるから。

「させるかッ!!・・・こうなったら次回、意地でもひーちゃんといちゃついてやるからなッ!!」
 
 


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