What to tell to the best friend
出逢いは、星の数ほどあるという。
ならば、いつかはこの寂しさを紛らわせてくれる人に目見(まみ)えることもあるのだろうか。
来訪者が現れたのは、夜半を過ぎたあたりだった。
そうした刻限に彼が訪ねてくるのは、珍しい事でもなんでもない。
複雑な家庭の事情を抱える僕の親友は、父親から阻害されたり理不尽な叱責を受けたりしたとき、屋敷をこっそりと抜け出す癖があったから。
部屋を離れるのは決まって闇が真実を柔らかく包み隠してくれる頃で。
誰かに見咎められることを懼れ、余人に弱さを見透かされることに怯えて。
人の寄りつかない場所を選んでは、ひっそりと憂鬱を吐き出していた。
柔らかな月の眼差しに促され、涙を流すこともあるけれど。
ひとりで孤独が癒されるはずもない。
そして、孤児であることを理由に村の者達から不当な扱いを受けていた僕もまた。
共に暮らしている心優しい人達を哀しませたくなくて。傷ついた心と身体を押し隠し。
あかねさす昼には屈託なく振る舞い、ぬばたまの夜には口を閉ざして、白んでいく空を眺めていた。
狭い村の中、人気のない場所ばかりを選んで散策していれば顔を合わせてしまうのは必然のことで。
互いの中に同じ寂寥を見つけた時、僕らは親友となった。
以来。
どんなに夜が更けても。どんなに闇が深くても。
涙に暮れたくなったときには必ず声を掛け合うことを。癒すことはできずとも心が落ち着くまでは傍にいることを。
二人で堅く誓い合った。
同病を相憐れんだところで孤独が減じるわけではないことにしばらくして気付いたけれど。
独りではとてつもなく長かった夜が、二人だと少しだけ短くなったように感じられた。
躊躇いがちに窓を叩く音に目を覚ました僕は、ベッドの下から靴を引っ張り出すと窓を開けて飛び越える。
「いつものところにいく?」
堅苦しい挨拶を交わさねばならない相手でもなかったから、だた確認するように問いかけた。
いつもより強ばった笑みを浮かべた親友がぎこちなく頷く。
「今日は月が奇麗だね、ジョウイ」
なにも聴かずなにも話さないのが暗黙の了承だったから、道行きには他愛のない話題を選んだ。
事情を聴いたところでどうせ理解なんてできっこない。
僕は捨て子で家庭の不和よりも親がいないことで被る不利益の方がよほど大変だと思っていたし。上流社会に生まれたジョウイはいっそのこと身分も財産もない生まれだったらどれほどに楽であったろうと考えている。
たぶん、どちらも正しくてどちらも間違っているんだろう。
けれど。
落ち込んでいるとき、人に理解を示して貰えないことほど哀しいことはない。
自分が可哀想で仕方がないとき、誰かに同情してもらえないことほど腹立だしいことはない。
だから僕らは沈黙を守る。
傷つくことも傷つけることもなく、相手の優しさだけを受け取るために。
柔らかな草を踏みしめ、辿りついたのは村はずれの大きな樹の下。
歩いている間、ずっと口を閉ざしていたジョウイがゆっくりと振り返った。
「こんな夜更けに呼び出したりしてすまない。どうしても伝えたいことがあって……。考え出したら、いてもたってもいられなくなったんだ」
「急に改まってどうしたの?いつものことでしょ。僕だって呼び出す時もあるんだしさ」
目を瞬きつつ告げると、彼は「そうじゃないんだ」と首を振る。
「今日はいつもとは違う。僕……、僕は……」
「ジョウイ?」
僕から少しだけ距離を取り、幼馴染みの少年は何かに堪えるように唇を噛みしめた。
その頬が紅潮しきっているのを認め、僕は首を傾げる。もしかしてなんか怒ってるのかな?
「えぇと、ジョウイ?僕、何か君の癇に触るようなことした?それで腹を立てている……とか?」
恐る恐る顔色を窺うと、否定の意味を込めて大きく手が振られた。常にないオーバーリアクションだ。
「それなら一体何が……」
あったっていうの?
困惑を隠せない僕に、ジョウイは少し待つようにと手の平を挙げた動作で告げる。
「ご、ごめん。ちょっと緊張して……」
胸を手で押さえて深呼吸を繰り返し……。
繰り返し……。
「僕、君のことが好きなんだ」
息を大きく吸い込むと一気に言い放った。
「……………?僕もジョウイのこと好きだよ?」
そもそも嫌っているんだったら親友なんてやってない。
きょとんとしている僕を一瞥し、彼がガックリと肩を落とした。
「そうじゃなくてね……。好きっていのは、その……恋人にしたいっていう意味での好きってことで……」
「なんで?!」
ジョウイってばどっかで頭でも打ったの?!
吃驚した僕は、仮にも告白してくれた相手に対して至極失礼な反応を示してしまう。
「なんでって……聞かれても困るんだけど」
聞かれて困るようなこと言わないで欲しいんですけど。
「友情を取り違えてるんじゃなくて?」
とりあえず、あり得そうなことを聞いてみる。素っ頓狂なことを言い出した困ったちゃんな親友は、やはり戸惑った顔で首を振った。
「僕も気のせいだと思って、あれから何度も考え直してみたんだ。でも、やっぱりこの気持ちは恋だとしか言いようがない。君に対する気持ちは、ナナミや他の皆に向けるものとは明らかに違うんだ」
……………恋、ですか?
あ~、う~、どうしようかな……。
生々しい言葉に眩暈を起こし、よろめきそうになる身体を叱咤激励して、僕は無理矢理顔に笑みを貼り付けた。
「あれからって……いつから?」
「昼間、ユニコーン隊の皆と好みのタイプについての話をしたときだよ」
……あれか。
少年兵の訓練に出たとき、珍しく他の隊員に声を掛けられたことを思い出す。
雁首揃えてやってきたと思ったら、いきなり『お前達の好みってどんなんだ?』なんて訊いてきた。
差し入れに来た女の子が僕達みたいなのが好みだと言ったことに端を発しているらしい。
そっかぁ。あれのせいなんだあ。
ジョウイがトチ狂ったのは本人のせいだとしても、その原因を作った者達を放っておくほど僕は寛容にできてない。
あとできっちり報復しておかなくっちゃね~。
屈辱をはね除けることもできず、甘んじて受け入れるしかなかった昔とは違う。努力をしたし、それに見合うだけの実力だって手に入れた。
幼い頃そのままの印象を引きずって僕達を見下している野郎共とは異なり、早熟な女の子達は現実的な物事の捉え方をする。
有り体に言ってしまえば、顔良し!頭良し!武術の腕前は折り紙付き!な好物件が、色事に興味を持ち始めた年頃の少女の目に留まらないはずがないわけで。自惚れではなく、己を磨くことでしか足場を固めることの出来ない僕ら二人にとってこれは当然あるべき結果だった。
とはいえ、こういう事態は予測してなかったよ……。
「ジョウイはあの時、『お姫様』みたいのがタイプだって答えてたじゃない」
『お姫様』、というのは夏になるとキャロへ避暑に来る女の子のことだ。毎年、暑い盛りになるとやってきて、鈴虫の声が聞こえる頃まで、田舎には不自然なほど豪奢な屋敷に滞在していく。中央の有力貴族だっていう噂が流れていたけど、詳しいことは村の大人達も知らなかった。ジョウイの両親も関知してないって話だから、たぶん彼女の素性を知ってるのは村長さんだけなんだろう。
往路も復路も馬車を使い、屋敷より一歩たりとも外に出ることのなかった深窓の令嬢を、僕達は何度かこっそり覗きに行ったことがある。さらさらっとしたストレートの黒髪が、絹で仕立てられたピンクのドレスによく映えていて、とても可愛らしい娘だった。
「うん、名前も知らない子だったけど。彼女が僕の初恋だったんだと思う」
「だったら……ジョウイなら今後知り合う機会もないとも限らないし……」
諦めずにアタックかけてみたら?
建設的な意見を出した僕に親友が切なげな微笑みを浮かべた。
「でも今は、君に対する気持ちの方が大きいんだ。違うかな、もともと僕は君のことが好きだった。でも、あまりにも距離が近すぎたために気付かなかっただけなのかもしれない」
「いや、あのね……」
「君の好みは『落ち着いた年上の人』だったよね。僕はそれには当てはまらないかな?」
「確かにそう言ったけど……っ」
断じてジョウイのような人を思い浮かべた訳じゃない!
というか、あれは後腐れなくお付き合いできるタイプがいいっていう意味で……。どう考えたって、目の前の親友は『後腐れなく』別れられるタイプじゃないよね。
…………ってそうじゃなくて。
口説きの常套句を耳にしながら、これはどうあっても彼が引きそうにないことに僕はやっと気付いた。そうだよなあ、相応の覚悟がなければ親友――ましてや男――なんかに告白しようとは考えないよなあ……。
「これでも悩んだんだよ。もし君が嫌悪感を示したら、傍にいることさえできなくなるかもしれないんだからね」
悩んで半日ですか?そのまま10年ぐらい悩み続けてくれれば良かったのに。
「ジョウイに嫌悪を抱いたりしないよ」
溜息を吐きつつ呟くと、少年が嬉しそうに笑った。
いや、そんな無邪気に喜ばれても困るんだけどね。
「それで、具体的にはどうしたいわけ?」
これを訊ねるのは、かなりの勇気を必要とした。
希望としては、『告白できただけで満足なんだ』とか言って済ませてくれたら嬉しいんだけど。
「そ、それは……」
じぃ~っと見つめていると、ジョウイが目に見えて狼狽え始めた。
「できれば、僕の気持ちを汲み取ってくれると嬉しい。その、つ、付き合ってくれたらな……って」
やっぱりそうきましたか。
ずきずきと痛み出したこめかみを押さえ、僕は親友(ここ強調)の両肩に手を置く。
「ジョウイ……考え直した方がいい。初体験は可愛い女の子としたほうが幸せだっていうよ」
僕にはよくわかんなかったけど。
確かに汚いおじさんに抱かれるよりは、女の子抱きしめる方が柔らかいし気持ちがいいよなあ~なんてことをぼんやりと考えながら諭す。
「は、初体験って……」
さらに赤くなったジョウイが絶句した。
「そういう意味で僕に告白したんじゃないの?」
「い、いや……確かに、そういう、意味、なんだけど……」
なんか君の口から直裁的に聞かされると恥ずかしいね、と少年が照れる。
「えっと、君はイヤかな、僕とそういうことをするのは」
……だから、泣きそうな顔で問いかけてくるのはやめて欲しいんですけどっ!
さらに盛大な嘆息を漏らし、僕はいまの気持ちを率直に口にした。
「別に。どうでもいい」
「どうでもいいって…………」
僕の辞書に貞操観念という文字はない。必要があれば誰だって相手にする。
嫌いな奴だろうと、名前も知らない人だろうと。
これで親友で幼馴染みでもあるジョウイの切なるお願いだけを邪険に扱ったらさすがに酷というものだろう。
でも、これだけは言っておかなくちゃ。
「僕は、特段そういうことに夢を持ってる訳じゃないから、どうしてもっていうのならしてもいい。けど、僕にとってあくまでもジョウイは親友だから、それ以上にはならないしそれ以下にもならないよ」
「親友以上にはなれない……?」
ずっと一定以上の距離を取っていたジョウイが近づいてくる。僕は黙ってそれを待ち受け、頬に手が伸ばされても払いのけることもしなかった。
「うん」
「こういう……ことをしても?」
顔が近づき軽く唇が触れても、僕は動かない。
嫌悪も、好意も、反応も、拒絶も。何一つ返してあげることができなかった。
「そう」
いいんだけどね、ジョウイってこれが初めてだったんじゃないのかなあ?
僕と違ってこういうことに夢を持っていそうな親友を見上げ、少しだけ気の毒に思う。
僕なんて相手にしたってひとつもいいことなんてないんだよ、ジョウイ。
「でも、この先気持ちが変わらないとも限らないよね?」
「変わらないよ」
さらに一歩、距離が縮まる。
「受け入れてもいいってことは、少しは僕のこと好きだってことじゃなくて?」
「好きだよ、親友としてね」
抱き竦められると、高鳴るジョウイの鼓動が伝わった。
「親友はこういうことはしないよ」
「だったらしなければいい」
恐らく、こんなことをして後々傷つくのはジョウイの方だろう。彼のためを想うなら、拳を振るってでも抗うべきだった。それで僕達の友情も終わる。
だけど僕はこの親友と過ごす時間を失いたくなかった。
その位には彼のことを大切に想っていたし、言い換えればそのために彼の心を犠牲にしてしまってもいいと考える程度には彼のことなんてどうでもよかったのかもしれない。
大好きだけど。大切だけど。
「無理だよ。僕は君のことが好きだ。好きなんだ………っ!!」
血を吐くようなジョウイの叫び。
失いたくない親友で、ずっと一緒にいたいと思える幼馴染みだけど。
君ではね、駄目なんだ。
だって、僕の心は相変わらず虚ろなままだから。
肌が触れ合わさっても、温もりを感じても。
心の中に拡がる荒寥は、そよとも動かず渇いたまま。
虚しさだけが場を支配する。
僕より長身の彼に体重をかけられれば、何の抵抗もしていなかった身体はあっさりと草むらに倒れ込む。
覆い被さってくる影を静かに抱き留め、その肩越しに空を見上げた。
葉陰に透けて星が瞬いている。
この大陸にはあの輝きの数ほどに人が住んでいるという。出逢いの場面もまた、それと同じ数だけあるのだと。
だとしたら、僕もいつかは出逢えるだろうか。
ジョウイにもじっちゃんにも、ナナミにさえ満たされることの無かった空虚を埋めてくれる人に。傍にいるだけで幸せだと思える誰かに。
辿り着く日もあるのだろうか。
神様も運命も信じていない僕は、親友が与えてくる行為を受け入れながらそっと目を閉じた。
己の進む道の向こうに、そんな奇跡が待ち受けていてくれることを願って――。
2003/08/25 UP