fuss
一連の騒ぎは、テンガアールの一言からだった。
「あ~、セラウィスさん、お久しぶりです!!」
入り口を抜けると、目聡く僕達を見つけた彼女が二階の踊り場から身を乗り出して大きく手を振った。どうやらそこでニナと立ち話に興じていたらしい。
いいけどね、同盟軍の城中に響いてるよ。しかも、城主の僕は完全に無視されてるし。
ちょっといじけてみたりなんかしてると、ばたばたばたって足音が、方々から響いてきた。
一番に現れたのはヒックス。やっぱり婚約者の声には、特別敏感に反応するみたい。へたに聞き逃したりなんかして怒らせると、後でひどい目に遭うってこともあるんだろうけど。
でも今回は珍しく恋人そっちのけで、きょろきょろと首を巡らせて……。
僕達を認めると一目散に駆け寄ってきた。といっても、やっぱり目当てはセラウィスさんなんだよね。
「セラウィス様……本当に、セラウィス様なんですね」
あ~らら。反応がフッチと一緒だ。舞い上がっちゃって真っ赤になってる。
「うん、久しぶりだねヒックス」
微笑を浮かべられて窒息寸前。金魚みたいに口をぱくぱくさせてる。
「おいっ、いまセラウィスって言わなかったか!?」
次に飛び込んできたのが、シーナ。女の子以外のことでこんなに必死になってる姿なんて始めてみたよ。
「うおっ。本当だ。ひっさしぶりだな~」
へらへら笑って、どさくさにまぎれて抱きついたりなんかしてる。べりって引き剥がしたら、「あ、カイネもいたんだな」だって。どういう意味?
それ以前に、セラウィスさんは僕のだ!!気安く触るな!汚れるだろナンパ男!!!子供が出来たらどうするんだっ……て、いけない、ショックにちょっと錯乱しちゃったよ僕。
しかも、後からでるわでるわ。カスミやフッチはもちろん、タイホーにヤクムーに……クっ、クライブ!?
誰も彼もがセラウィスさんと話したがって、正面玄関が押すな押すなの大盛況。一緒にいたはずのカミューやマイクロトフが遥か彼方に流されちゃったよ。
ぼ、僕ってばもしかして、狼の群れに可憐な小羊を連れてきちゃった?!
こ、こいつら、みんなライバルなの!?
意外な人まで元解放軍メンバーだったことがわかって、ちょっとビックリ。なぁんて感想をいてる場合でもなくて。
最悪な展開に頭を痛めつつ、セラウィスさんに眼を向けると、ご当人はいたって暢気にルックなんかと会話してた。
「なんだ、君、やっぱり来たんだね」
「うん。乗りかかった船だから」
「物好きだね」
ものぐさな彼がよく出てきたな、と思ったけど、考えてみれば正面玄関前・石版が彼の定位置だもんね。いるのは当たり前か。
「ところで、あいつらにはもう会ったの?」
ん、あいつらって?意味深な言葉に、僕は耳をそばだてた。押し寄せる人ごみをもろともせず、しっかりセラウィスさんの隣をキープしてたから、そんなことしなくても自然と聞こえてくるんだけどね。
「まだだよ。ここにいるのは知ってたけど。二人とも相変わらずなの?」
「どうせ、そこらへんに隠れているんだろうから、自分で確かめてみれば?」
いったい誰の話しをしてるんだろう。
そこらへんって言葉につられて僕がきょろきょろ見回すと、挙動不審の男がふたり。
のそのそっとした森の熊さんみたいな大男ビクトールさんと、青いバンダナとマントが目にも鮮やかな、人呼んでブルーサンダー先生ことフリックさんだ。
酒場に続く入り口から、こっそりとこっちを盗み見てた二人は、僕と目が合うと思いっきり狼狽した。唇に人差し指を押しあてて――内緒ってことだね――そろそろと後退していく。
僕だって同盟軍のリーダーだもん。部下が喋るなって懇願するなら、ちゃあんと口を噤んでいるよ。
ただね、キミ達が逃げ出す前に、セラウィスさんが僕の視線の先に気づいちゃっただけなんだ。
「カイネ、あの二人とちょっと話しをしたいんだけど、いいかな」
セラウィスさんが、僕の袖を小さく引く。
「はい、もちろんです♪」
許せ友よ!愛は友情よりも重いんだ!ってことを考えたわけじゃないけど、お客様のご要望にはお応えしなくっちゃ。
玄関の広間は、いまや元解放軍のメンバーだけでなく、同盟軍の物見高い人達も参加して満員御礼、鮨詰状態になっている。
え、区別?ちゃんとついてるよ。
一言でもいいから、話し掛けたいと躍起になってセラウィスさんに近づいてくるのが元解放軍のメンバーで(←もちろん要チェック!ライバルは早めに蹴落としておかないとねっ!)。
わけもわからず、周囲に状況を尋ねているのが同盟軍のみ参加のメンバー。彼等、トランの英雄が来ているってことまでは聞き出せても、セラウィスさんの姿とは結びつかないみたい。とまどってきょろきょろしてるもん。
それにしてもセラウィスさん、これだけ人がいるのに、誰にもぶつからないなんてすごいよなあ!これが英雄の実力ってものなのかもね。
おもしろそうだから僕もついていっちゃおっと。
「ビクトール、フリック」
こそこそと背中を向ける二人に、セラウィスさんが呼びかけた。それは決して大きな声じゃなかったのに、二人はビクリっと身を強張らせて、その場に固まってしまう。
「二人とも元気そうだね」
にこやかに挨拶するセラウィスさん。
ビクトールさんがグギギギギって首を巡らせた。錆付いてるよこの人。油足りてないんじゃない?後でメグに差してもらうといいよ。
「よ、よお。セラウィス久しぶりだな」
フリックさんは、ぎこちない笑顔を作りながら片手を上げてる。こっちもからくり丸みたいな変な動きだ。
「うん。ここへ来たら、懐かしい顔が随分いるんでびっくりしたよ。でもビクトールとフリックが一番感慨が深かったけど」
「えっそうなんですか?」
それってルックよりもってこと?もしや、この二人が一番の強敵!?
内面で激しい闘争心を燃やしはじめた僕の隣で、セラウィスさんが重々しく頷いた。
「うん。なんと言っても、崩れ落ちる赤月帝国皇城で別れたのが最後だったからね」
「…………………」
フリックさんの顔が、青磁の壺より蒼白になった。
セラウィスさんは、ちょっと沈んだ顔で俯く。
「その後、何日か待っても二人からの連絡はなくて、無事の知らせを受け取ることもできなかったし」
「セラウィスさんお気の毒にっ!」
この奇麗で繊細なセラウィスさんを何日も心配させたってぇ!?なんて、なんて薄情な奴らなんだ!!
「…………………」
ビクトールさんの全身から、だらだらと脂汗が流れ出した。
ガマの油ってよく聞くけど、熊の油はどうなのかな。売り出して軍費の足しには……やっぱりならないか☆
僕だって欲しくないもの、そんな怪しいモノ。
「いや、あれは、その。おっ、俺はてっきり、ビクトールが連絡を入れたもんだとばかりっ」
前にもどっかで聞いた台詞――アップルへ言い訳したときだ――をフリックさんが懸命に繰り返している。
「お、おめー俺だけに責任をおっかぶせてるんじゃねーよ」
「うるさい。きっぱり、はっきり、全部お前のせいだ!!」
責任の押し付け合いって醜いよ、二人とも。
「なんだ、キミあのとき、いやにだらだらしてると思ったら、この二人を待ってたの?」
いつのまにか、背後にルックが来てた。むむっ、やっぱり一番のライバルはルックかも……。
ビクトールさんが口角泡を飛ばす。
「だいたい俺の性格を知ってるなら、予想ぐらいついたろうが!」
「やっぱり気になったからね……お陰でひどい目にあったけど」
微苦笑を浮かべるセラウィスさん。
「知るかそんなこと。俺はお前が任せろっていうから……っ」
負けじと声を張り上げるブルーサンダー先生。
ただいま多重音声でお送りしていますな感じ。
「ああ、戦争の後始末と建国の準備に追われたことかい?だから、逃げるならさっさとしろって忠告したのに」
「んなこと言ったってよ……っ!!」
おいこら熊!もう少しボリューム下げてくれないと、セラウィスさんの声を聞き逃しちゃうじゃないか。
「うん。……あのときはもう、マッシュもいなかったから大変だったよ。でも、一番は困ったのはグレミオに押し切られたことかな。彼が調子を取り戻す前に消えたかったんだけど」
「へえ、一応、置いてくつもりはあったんだ?」
「えっ、と……」
「……当然じゃない?僕はグレミオを二度と危険な目に遭わせたくはなかったからね」
ふっとセラウィスさんの瞳が翳る。憂える表情も素敵だな、この人。僕以外の人間がそんな顔をさせてるっていうのが、ちょっと……かなり腹立しいけど。
「…………………」
「…………………」
「…………………その、セラウィス?」
あ、二人の世界を繰り広げてた人達がやっとこっちに戻ってきた。
「なに?」
にこやかに応じるセラウィスさん。どんな顔でも奇麗だけど――泣いている顔はまだ見てないけど、それは、ま、おいおいね★――やっぱり笑ってくれているのが一番いいな。
ところが、笑顔を向けられた二人の腰は引けていた。額から滝のように汗を流して、喉なんか鳴らしてたりして。……感じ悪いったらないね!
「――すまんっ!!俺が悪かったっ!!!!」
うおっ、ビクトールさんが謝った!!真剣な顔して頭下げてる!
腰なんか90度に折り曲がってるよ。そんな殊勝な態度も出来たんだねー。声は相変わらず馬鹿でかいけどさ。
フリックさんがビクトールさんの肩を後ろからガシっとつかんで、押しかぶせるように喋りだした。
「そ、そうだ。い、いや、ちゃんと確かめなかった俺も悪かったんだ。お前が心配してくれてたってわかってたら、顔ぐらい出していったのにな、う、うん」
フォローのつもり、なのかな?あれで。
今度は二人して庇い会っちゃってる。仲良きことは美しき哉。と、いいたいところだけど、なんか必死というか、命懸けというか。死刑宣告を待つ罪人みたいに悲壮な顔しなくてもいいじゃない。
セラウィスさんに不義理をしたことが、よっぽど後ろ暗いんだね。因みに僕に向かってそんなマネをした日には、輝く盾の紋章できっちり片をつけてあげるから、そのつもりでいてね。
「別に、怒ってないよ」
土下座しかねない勢いの二人に、セラウィスさんが小さく吹き出した。
「二人が無事なのは、なんとなくわかってたしね」
「……本当に、本気で、怒ってないか?」
上目遣いでフリックさんが恐る恐るご機嫌伺いをする。
「あれから、3年も経ってるんだよ」
「そ、そうか。……そうだよな」
フリックさんが、顔を輝かせた。
「よかった、よかったなあっおいっ!!」
「ああ、まったくだ。また会えてうれしいぜ、セラウィス」
手を取りあい涙して喜んでる……。セラウィスさんの寛容な態度に、よっぽど感激したんだ。
そうして、ほっと和んだのもつかの間……。
「これは何の騒ぎだ!!!!」
大音声があたり一帯に響き渡った。
げっ、シュウさんだ。どうしよう。ものすごく怒ってるよ。理由は……僕が黙って城を空けちゃったせいだろうな、やっぱり。
「カイネ殿?!」
うっ、目ざといっ!見つかっちゃった。
「騒ぎの発端は、また貴方ですか?!いったい何があったんです」
また……ってシュウ、僕そんなに頻繁に騒ぎを起こしてな……う、う~ん。そりゃ、ちょっとはそういう時もあるけどさ。
すさまじい形相で、軍師が僕に向かって突き進んでくる。並み居る人を無理矢理押し分けての強行軍だ。
きっといま彼は、草深き前人未到の森林だか山だかを制覇する冒険者の気分を満喫してるんじゃないかな。なんて、ちょっと現実逃避に走ってみたりなんかして。
軽く息を乱しながら――少しの距離なのに、運動不足だよ――目の前まできたシュウさんは、仁王立ちで僕を見下ろす。
あううっ……こあいよ~。シュウさんってばカルシウム不足?
「カイネ殿、だいたい貴方はいままでどこへ……?」
さあ、お小言を始めようって息を吸い込んだシュウの勢いが、そこでぴたりと止まった。僕の隣にいる見慣れない人物――セラウィスさんのことだよ――に目を留め怪訝な顔をする。
「お前は?カイネ殿が、何処からか拾ってきた新しい仲間とやらか?……いや、まてよ、どこかで見たことのある顔だな」
失礼だな!!セラウィスさんをこれまでの有象無象と一緒にしないでよ!!
僕が言い返そうと口を開いたとき、ドサドサって書類の落ちる音が響いた。
アップル……シュウの後を追いかけてきたんだ。大変だね君も。って、シュウの暴走の原因は8割方僕なんだけど。
驚愕に大きく目を見開いて、大切な書類が落ちたのにもかまわず彼女が見つめる先は……。
「セラウィス……さ……ん……」
あれ?なんだろう、アップルの反応ってなんか……。
「セラウィス?……セラウィス・マクドール……?」
アップルとセラウィスさんを交互に見ていたシュウさんが、ポツリと呟いた。
「……まさか、トランの英雄?」
ひゅって息を呑む音が聞こえるようだった。シュウさんが驚く顔なんて、始めて見た。
「本物……か?」
信じがたいのか、アップルに確認取ってる。強張った顔で頷く妹弟子を見て、やっと納得したみたい。
周囲にいた同盟軍の人たちが、おおっ!!ってどよめいた。
さあ、どうでるんだろう。うちの正軍師殿は。
僕は興味深く見守らせてもらうことにした。
「失礼いたしました……ようこそ同盟軍の城へ、トランの英雄殿」
ちっとも歓迎していない口調で恭しくお辞儀するシュウ。台詞、棒読みくさいよ?
「申し訳ありません。まさか、トランの英雄が、あなたのような子供だとは存じませんでしたので。ご無礼をお許しください」
カミューさんと同じようなことを、でもいかにも含みを持っていますっていう口調で述べる。
「して、本日はどのようなご用向きですか?」
「僕が呼んだんだよ」
僕は慌てて口を挟んだ。シュウの馬鹿。そんな言い方したら、セラウィスさんが気を悪くするじゃないか。
「セラウィスさんには、僕がお願いしてお客様として来てもらったんです。だから、シュウさんもそのつもりでいて下さいね」
そう説明すると、シュウさんはこめかみに血管を浮き上がらせた。
「カイネ殿、今がどういう時かわかっているのですか!?戦争中なんですよ。客など呼んでお茶を飲んでいる暇がどこにあるというんです!?」
なんで?シモーヌなんか毎日お茶してるじゃないか。
「マッシュの弟子だと聞いていたけど、あなたはどちらかというとレオンに似ているね」
セラウィスさんが、僕たちを見比べてゆっくりと口を開いた。そこに気分を害した様子は無くて、僕はほっとする。
「……………は?」
ぽかんとシュウさんが口を開けた。今日はよくよく珍しい顔が見られる日だ。
「レオンってレオン・シルバーバーグのことですか?元赤月帝国軍の軍師だった」
「元解放軍、副軍師でもあるわ」
アップルが前で組み合わせた手を、ぎゅって握り締めた。
へえ、そうだったんだ。
「その人って、そんなに怒りっぽかったんですか?」
「カイネ殿!」
シュウさんが声を上げるのと、セラウィスさんが口元を軽く抑えるのが同時だった。
「無愛想ではあったけど。短気ではなかったね」
笑いをかみ殺しながら教えてくれる。
「じゃあ、慇懃無礼なところですか?」
今度こそ、セラウィスさんが肩を振るわせた。
「…………?僕、そんなおかしなこといいました?」
「……カイネ殿」
シュウさんが額を抑えた。なに眩暈なんて起こしてるの?
「考え方がなんとなく似てるってことだよ」
ふうん。そんなもんかと僕は頷いた。
「ただ……」
「なんですか?」
いや、いいんだとセラウィスさんが手を振る。
「はっきり仰ってください!」
シュウが忌々しげに吐き捨てた。
「途中で止められるのは気分が悪い」
キレてるよ……。ほんと未熟なんだから。
「たいしたことではないよ。ただ、あなたは、もう少し余裕を持ったほうがいいと思ってね」
軍師とは対照的な口調でセラウィスさんが語る。
「余裕!確かに足りないかも」
僕は思わず、ぽんって手を叩いた。さっすがセラウィスさん。人を見る目があるね♪
「……ご忠告痛み入ります」
苦虫を噛み潰したような顔でシュウさんが会釈する。垂れた髪の間から、僕を凄まじい目つきで睨んできたけどもちろん無視した。ふんだ!図星指されたからって、八つ当たりしないでよ。
「カイネ殿。あなたには、お話しがあります」
……きた。
「僕、セラウィスさんに、城の案内をしてあげようかな……っと」
および腰で、おずおずと言ってみる。
「今度にして下さい」
「そんな!せっかく来てもらったんだよ。ちょっとぐらい……っ!」
「駄目です。わたしは余裕のない人間ですから」
うわあ。根に持ってる~~。
でも、本当にどうしよう。シュウのお小言はすごく長いし。その間にセラウィスさんが帰っちゃったりなんかしたら大変だ。ほら、なんといっても彼はグレミオさんに『夕食までに』帰るよう言われてるから。
ちらりとセラウィスさんを窺うと、彼はふわっと目元を和らげた。
「行っておいでカイネ」
「でも、セラウィスさんは……」
まだいてくれますか?ってお願いしようとした時だった。
「あ~っ!!!!マクドールさん」
甲高い声が、響き渡った。
今日はお客様が多いなあ。まあ、ほとんどがこの城に住んでる人たちなんだけどさ。ひどいときは一月近く顔を合わせない人だっているのに……て、あれ?
「ナナミ!?」
そういえば、いなかったような……。いつもなら、いの一番に駆けつけてくるのに。
階段を下りてくる軍主の義姉に、一同がさっと道をあける。ぼけっと突っ立ってると、踏み潰されちゃうからね。
過去に数名犠牲者が出ているから、みんなちゃんと心得てるんだ。
「マクドールさん、こんにちは。いついらっしゃったんですか?」
顔を輝かせて訊ねかける。
あの騒ぎに気づいてなかったのか……。
「いまさっきだよ。元気そうだねナナミ」
「もっちろん!」
ナナミが両手を上げて力瘤を作る。……元気すぎるのも考えものだと……いや、いいです。
「ナナミ、いままでどこにいたの?」
「ハイヨーさんに、お料理を習ってたのよ。みんなにおいしいケーキを食べてもらおうと思って、がんばってたんだ」
なるほど。
それなら、この程度の騒ぎじゃ気づくはずもない。
食堂……大丈夫かな。せめて半壊ぐらいにとどまってるといいけど。
僕は気の毒なハイヨーに心の中で合掌した。無事生き延びてるといいけどなぁ。
あはは、人の心配している場合じゃないや。ナナミの『みんな』には、必ず僕も含まれてるもん。生まれたときからだし、もう慣れたからあきらめもつくけどね。あとはしばらく戦闘に連れ出さない人を数名選んで、人身御供になってもらえば……。
……あ、ちょっと待て!?
僕は、ばっと隣を振り返った。そこにはいきなりの行動に驚くセラウィスさんの愛らしい姿がっ!!
マズイ。ひっじょーにマズイっ!!
ナナミはセラウィスさんのことすっごく気に入ってるから、絶対お手製のケーキを食べさせようとするはず。
あんなものこの人の口に入れさせるわけにはいかないよっ!!
ナナミの料理の破壊力は、そこいらの紋章なんかじゃ太刀打ちできないくらいなんだから。もしナナミの料理をハイランド中に配ったら、僕たち戦わずして勝利できちゃうんじゃないかってぐらいに。
前に、シュウさんに提案してみたら、費用が掛かりすぎるって一蹴されちゃったけど。挙句、「あんな怪しいものを誰が口にするんですか」だってさ。
結構、みんな食べてるけど。ナナミの笑顔にほだされないのはシュウぐらいなもんだよ?
多少、命に危険が及ぶことになっても、ナナミの哀しむ顔は見たくないからね。ああ、でもハイランドの人たちひとりひとりに、ナナミが直接料理を勧めるのは無理があるか。
だとしたら、やっぱりこの計画は無理があるな。
「せっかくだからマクドールさんにも食べてもいた……」
はっ、しまった!
「うわあああああ。ナ、ナナミちょっと待って!」
僕はがしっとナナミの両肩を掴んだ。
「なっなによ、カイネったら、いきなり大声出して……」
「あ、あのね……えっと……そ、そう!僕たちグレミオさんに、お菓子をご馳走になったんだ!だからあんまりお腹すいてないんだよ。ねっ。そうですよね、セラウィスさん!!!」
僕の剣幕に押されて、マクドールさんがぎこちなく頷いた。
「そっかあ」
よおっしっ!なんとか切り抜けられるかもしれない。グレッグミンスターを出てから半日以上経過しているなんて事は、とりあえず黙っておく。
「それならよかった」
……へ?
「実はちょっと失敗しちゃったのよ。なんでかオーブンが爆発しちゃって」
てへへっとナナミは頭を掻く。
「マクドールさんに食べてもらえなかったのは残念だけど、お腹がすいてないんだったらちょうどよかったのかもね」
そっか、オーブンが爆発……。ハイヨー生きてないな。あの世で安らかに眠ってくれ。
心の中でお祈りしながら、ほっと胸をなでおろしたのもつかの間、
「でも、次の機会には食べてくださいね」
ナ、ナナミぃぃぃぃ。
「ナナミは料理が得意なんだ」
セラウィスさんの言葉にナナミが大きく頷く。
……いいえ、セラウィスさん。それは違います。ナナミは『料理好き』であって『料理上手』ではないんです。
それはその場の全員の心の呟きだったように思う。
「カイネとマクドールさんがそうやって並んでると、兄弟みたいよね」
約束を取り付けたナナミはご満悦で喋りつづけている。
僕とセラウィスさんは思わず顔を見合わせた。
セラウィスさんと兄弟……それも悪くはないどけど……僕はどちらかといえばこいび……い、いやだなあ。これ以上恥ずかしくていえないよ。
「あたしも、なんか弟が二人できたみたいで嬉しくって」
あ、それはあるかもしれないよ。僕がセラウィスさんとけっこ……ご、ごほん。以下自主規制しときます。えへへ♪
僕が愉しい将来設計に想いをはせていたら、ビクトールさんとフリックさんが盛大に笑声を響かせた。
「弟!そうだよなあ、たしかに弟に見えるよなあ」
ばしばしってセラウィスさんの背中を乱暴に叩く。
フリックさんなんて、腹を抱えて眼に涙まで浮かべてるよ。
「ビクトール、フリック」
セラウィスさんが、ちょっと恨みがましげにに二人を睨んだ。そんな目つきもカワイイ。
「キミ達より、彼のが年上だよ」
ルックがぼそりと告げた。
「ええ~、うそうそうそっ。そんな風に見えない」
ナナミ……そんな、思い切り否定しなくても……でも、セラウィスさんって幾つなんだろう?
僕の疑問に気づいたのか、セラウィスさんが教えてくれた。
「一応、18歳になるんだけどね」
あっ。2歳年上なんだ。
「そうなんで……」
「なっなに~~!?」
僕の言葉をさえぎり、再び大声を上げるビクトールさん。ちょっと煩いよ。
「……なんでビクトールが驚くの?」
セラウィスさんが首を傾げた。ビクトールさんは口をぱくぱくさせている。
「おまえ……おまえ、20歳じゃなかったのか?」
いや、いくらなんでも20歳には見えないと思うけど。
「なんで、そうなるんだい。セラウィスと僕はひとつ違いなんだよ?」
ルックが呆れてる。
「だって、俺と初めて会ったのが16だったろ?」
「14歳になったばかりの頃だったよ。僕は『これ』を引き継いだ次の日に、ビクトールと会ったんだから」
「14歳……」
あれ、ビクトールさん、頭を抱えてしゃがみこんじゃったよ。どうしたんだろう。
「ビクトール?」
「放っておきなよ。どうせ、過去の罪悪感に改めて目覚めただけなんだから」
ルックが肩をすくめた。
セラウィスさんは、わけがわからないといった顔をしている。僕は鬱陶しい熊よりは、セラウィスさんの示した右手の甲に気を取られていた。
茶色の皮手袋で隠されたその下には、バナーの峠で見た神秘の力が宿っている。
「ねえ、マクドールさん。『それ』って『真の紋章』ですよね?」
腕にしがみつきながら尋ねると、方々ではっと息を飲む声が聞こえた。
「そう。『生と死の紋章』っていうんだよ」
「すっごい威力ですよね。あの巨大蛾を一瞬で塵に変えちゃうなんて」
僕の紋章も発動した――あの時以来、あの技また使えなくなっちゃった。なんでだろう――けど。セラウィスさんの力は僕のものより遥かに強大で、強力だった。
「使ったのか?」
フリックさんが掠れた声を出した。
「お前、いつから使えるようになったんだよ?」
「最初から使えたよ。……あの戦争で威力が強くなったのは確かだけど」
「なっ……だってお前3年前は一度も使わなかったじゃねーか。『覇王の紋章』と戦ったときでさえ発動させなかったくせに、なんだって……」
3年前には、とセラウィスさんが遮った。
「必要のなかった力だからね」
「今は必要だってえのか?」
しゃがみこんでいたビクトールさんが、頭だけ起こした。立ち直ったのかな。
「それを決めるのはカイネだよ」
「えっ僕?」
いきなり話を振られてびっくりする。澄み切った眼差しが静かに僕に降り注いでいた。
ドキンッって心臓が跳ね上がる。……もう、セラウィスさんってば奇麗スギ。
「カイネが望む限り、僕は力を貸すと約束した。それをどう使うかは、この子次第かな」
「刃物の使い方をしらない子供に、大剣を与えても怪我するだけだと思うぜ」
ムッ。ビクトールさん、それが仮にも軍主に向かって言う台詞!?
「君たちが思うほど彼は子供でもないと思うけどね。それに僕は最初に言ったよ。……僕を傍に置くのはリスクがあるよって」
「あんまり買いかぶらないほうがいいんじゃない?キミの言いたいことも解るけど、彼が十全に理解しているとはとうてい思えないね」
ルック……次の遠征の時は、最前列中央に配置決定。
「子供に最初に剣を持たせたのは君達なのに?」
びくんってルックの肩が揺れた。ビクトールさんとフリックさんがあからさまに視線を外す。
くすりとセラウィスさんが笑った。子供をあやすみたいな包み込むような暖かな微笑み。
「そんな警戒しなくても大丈夫だよ。僕は新しく出来た友人の心配をしているだけなんだから」
「……お話は済みましたか?」
頬をぴくぴくと引き攣らせながら、シュウさんが笑っていた。いまのセラウィスさんの微笑とは似ても似つかないそれはそれは陰鬱な顔で。
忘れてた……もとい、忘れていたかったよシュウ。
反射的に身体の向きを変えた僕の襟首を軍師殿がむんずと掴んだ。
「今日予定していた執務は明日以降に持ち越します。じっくりと話しましょう」
嬉しいでしょうって言われても……。これなら執務してたほうがいいなぁ、なんて思ったりして。
僕はずるずるとシュウさんに引きずられながら、最後の力を振り絞って叫んだ。
「セラウィスさあーんっ。まだ帰らないでくださいね!ナナミ、セラウィスさんをお願い!」
大切なお客様を退屈させないでねって意味と、帰っちゃわないように見ててねってお願いを込めて後を託す。
ああ、僕とセラウィスさんの距離が次第に遠のいてくぅ~~。
シュウの莫迦ぁ!ぜったい途中で逃げ出してやる!!
僕は密かに決意を漲らせつつ、信じてもいないカミサマにお祈りした。
どうか、どうか僕のいない間に、周囲に群がる連中がセラウィスさんに変なちょっかいを出しませんように――って。
2001/09/09 UP