greetinds
やわらかな声が耳を擽る。
緩やかに流れる旋律に意識を絡め取られ、口元に履かれた穏やかな笑みに頭の芯がぼうっとなった。
……この人に触れたら、どんな味がするんだろう。
傍にいる僕がこんな想いを抱いていることなんて、きっとセラウィスさんは気付いてないんだろうな。
「カイネ、どうかした?」
返事を忘れた僕に、向けられる視線。
伏せられていた長い睫毛が花びらみたいに震え、その下から不可思議な色をした虹彩が露わになった。
窓から差し込む光に照らされたかんばせは、清らかでありながらどこか危うい儚さを感じさせるもので。
容易くさわって汚しちゃいけないって思うのに、同時に僕だけのものにして閉じこめてしまいたいという欲望が湧き上がる。
半ば無意識に指を伸ばしてセラウィスさんの頬に触れた。指先に伝わるひんやりとした感触に呼吸が苦しくなる。
「具合でも悪いの?」
小首を傾げ、心配の色を滲ませてひっそりと寄せられる眉根。最近ようやくみせてくれるようになった警戒の解かれた表情に、胸の奥がじぃんって痺れた。
その瞳に僕の姿をもっと映して。誰よりも近いところで僕を感じて。
僕の中で疼いているこの熱をあなたにも伝えたい―――。
「カイネ?」
………………はっ。僕。僕はいま何をっ!!?
「あ、あっ?あ!?セ、セラウィスさんっ!!」
ししし、しまった。僕、僕ってばついっ!つい……フラフラ~ッと。ふらふら~っと……セラウィスさんに…………キス、しちゃったよ。
この人って体温が低いから唇もそうなのかなって気がしてたんだけど、触れあわせたところは意外にも仄かに暖かかくて。砂糖菓子みたいにふわふわしててすごく甘かった。
一瞬だけ見せてくれたびっくりした顔、可愛かったなあ~。
なぁんて、うっとりしている場合じゃない!!
ど、どどどどうしよう。言い訳。なんか言い訳しなくっちゃ。
「あ、あああの、ごめんなさい。僕つい……じゃなくって、えっと、その、そう。習慣!うちの習慣がでちゃって……」
わあ~ん、僕の莫迦!なんでこんなベタベタな言い訳しか思いつかないんだよ!ナナミだけならともかく、じっちゃん相手にキスの挨拶なんてするわけないじゃない。
怒ったかな?もし、僕のこと嫌いになっちゃったりしたらどうしよう?!
「そうなんだ」
恐慌状態に陥りおたおたしていた僕に返された答えは、しかし意外にもあっさりとしていた。最悪の展開を予想して頭を抱えていた腕を恐る恐る解き、発言の主の様子を伺う。
「この辺では珍しいね。カイネのおじいさんの知り合いにハルモニアの人でもいたのかな?」
あ、あれ……?怒ってない……って、え?もしかして……今の信じたの?
―――その時、頭上で小さな天使達が祝福の鐘を鳴らす音色が高らかに響き渡った。
い、生きてて良かった~。カミサマアリガトウ。人間地道に頑張っていればいいこともあるんだね~♪
ついでに生前、英雄なんてモノやってたおかげで顔の広かったじっちゃんにもお礼を言っておく。
ありがとうじっちゃん。じっちゃんが有名だったせいで軍主なんて役目押しつけられてちょっぴり恨んだりしたこともあったけれど、いま始めてじっちゃんが偉大な人だったってことがわかりました。前にシュウさんに内緒でキャロに戻った時にじっちゃんの墓石蹴り飛ばしてつけた跡、今度里帰りできたあかつきにはちゃんとふきふきして綺麗にしておいてあげるからねっ♪
それから数日して。
いつものようにシュウさんに掴まって机に縛り付けられていた僕は、疲労困憊の身体に鞭打ってセラウィスさん探しに奔走していた。
といっても、この同盟軍の城における彼の行動範囲はさほど広くはない。ごくごく親しい人の傍か、逆にあまり人の来ないところか。
大概の人たちには来ているのかいないのか分からないくらいに、彼はひっそりと時を過ごしていた。気を遣わせちゃってるんだろうなーって思う。けどね、あの人の隣はとても居心地が良いから。我が侭だってわかってても、少しでも長い間、僕の近くにいて欲しいんだ。
「セラウィスさーん!会いたかったです~」
発見と同時に両手を拡げて抱きつく。
今日の英雄殿のお話し相手は、ルックとシーナとビクトールさん。それに珍しくニナに追いかけられていないのかフリックさんが混じってた。
「まだ別れてから半日しか経ってないけど」
「それでも、僕にはすっごく長く感じました」
寂しかったんですよ~。って、甘えてすり寄る。ふっ、熊や青マントにこんな芸当はとてもできまい(されたら気持ち悪いし)。
「キミちょっとソレ甘やかしすぎなんじゃない?」
ルックが呆れて溜息を吐いている。人のことソレ呼ばわりするなんて失礼だなー。
「カイネ、お前また、途中でシュウから逃げ出して来たんじゃないのか?」
外野が水を差すもめげずにしがみついてると、シーナの言葉を気にしたのかセラウィスさんが窺うように僕を見た。
「大丈夫です!きっちり全部、終わらせてきましたから!」
やましいところなんて一点もない――シュウの奴、終わるまでずうっと見張ってるんだもん、逃げられなかったじゃないか――僕は、胸を反らして愛しい人の期待に答える。
「へえ、珍しいこともあるもんだな。お前さんが真面目に執務に取り組んでくるなんて」
「そうだよなあ。明日は雨かもな」
うるさいよ!外野その2とその3。
僕が憤慨していると、セラウィスさんがくすくすと笑って宥めるように頭を撫でてくれた。はーっ、疲れが癒される~って感じ。
「ちゃんと頑張ったんですよ、僕。だからセラウィスさん、ご褒美下さい」
幸せを感じつつ、おねだりなんかしてみる。
「何が欲しいのかな?」
「軍主として当然の努めを果たしただけなんだろ?キミが報いる義理はないと思うけど」
……ルック。それ以上口を開くと星見のおばさんのところに送り返すよ?お茶汲みだの皿洗いだのの雑用に戻りたくないんだったら、上手に世渡りする方法を覚えようね。
「でもルック、カイネも頑張ったみたいだし、僕にできることなら……」
ああ。さすがセラウィスさんはやさしいなあ。
「ありがとうございます!嬉しいですっ!!」
感動の気持ちを伝えようと、すぐ目の前にある可憐な頬に軽く唇を寄せる。
どこか『ふたりっきりっ!!』になれるところでお話ししましょう。って続けるつもりだった僕のおねだりは、刹那にして周囲に沸き起こったどよめきに掻き消された。
「カ、カイネ……お、お前……」
こちらを指差して、あぐあぐと口を開閉するシーナ。
「お前らが、そういう仲だったとは知らなかったな」
明らかに興じているビクトールさん。
「………………」
ひたすら無言のルック。
フリックさんといえば、絶句したまま硬直している。
「みんな、どうかしたの?」
ひとり、おっとりと首を傾げるセラウィスさんに、ごくりと喉を上下させたシーナが恐る恐る問いかけた。
「どうって……お前、いま自分がなにされたかわかってるか?」
なあーんか嫌な言い方だな、それ。まるで僕がセラウィスさんが何も知らないのをいいことにつけ込んでるみたいじゃないか――まあ、違うとも言い切れないけど。
「いまの挨拶のこと?ハルモニア風なんてこの辺では珍しいよね」
トランの英雄のお言葉に、全員が物言いたげな表情になる。
『それはお前、騙されてるだろ』
……という声にならない突っ込みが聞こえてきそうだった。
「そっか。セラウィス、実はな。俺ん家にもそういう習慣があるんだよ♪」
立ち直りの早いシーナがさっそくコナをかけてきた。そうはさせじと伸びてきた手を情け容赦なく叩き落とす。
「……ってぇ。おいっカイネッ!!」
涙目になって睨みつけてくるトラン大統領の放蕩息子に、僕はにっこりと笑いかけた。当然、セラウィスさんとの間に立ちふさがることも忘れない。
「知らなかったなあ。あの厳めしいレパントさんがそんなことしてたなんて。今度あったら、話をきいてみなくちゃね」
なんだかんだいってレパントさんってば一人息子が可愛くて仕方がないみたいだから。「シーナがこんなこと言ってたんですよ。え?嘘なんですか?僕にこんな作り話をしたってことは、きっとシーナ本当はお父さんともっとコミュニケーションをとりたいのかもしれませんねぇ」とかなんとか話をもっていけば、あのレパントさんのこと。本当にハルモニア風挨拶の習慣を始めかねない。
「ちょ、ちょっと待て、カイネっ」
僕の意図に気付いたのか、シーナの顔が青ざめた。腕に鳥肌まで立ててる。仮にも実の息子なのにね。気持ちはわかるけどさ。
「おい、セラウィス」
にやにやと人の悪い笑顔を浮かべながら今度はビクトールさんが口を開いた。
「今のがハルモニア式の挨拶だって知ってるってことは以前にもされたことがあるんだろ?」
な……っ!!???
「相手はハルモニアの人じゃなかったけどね」
はうっ!!そ、そんな……。セラウィスさんが僕以外の誰かとそんなことをしてたなんてっ!!
「ハルモニアの人間じゃないっていうとどこの奴だ」
「秘密」
心なしか頬を染め(たように僕には見えた)て視線を逸らす憧れの人。
ショ、ショック……。衝撃によろめきセラウィスさんの肩にもたれかかる。
「カイネ?どうかした?」
「変な病気にでもなったんじゃないの?感染る(うつる)とアブナイから捨ててきた方がいいよ」
ここぞとばかりにルックが言い募った。ビクトールさんがくつくつと喉を鳴らすのが聞こえる。
うう~、熊め。僕の繊細な心を引っかき回してくれた代金は高くつくからね。
僕が密かに復讐を心に誓っていると、どこからか香ばしいクッキーの香りがふわりと漂ってきた。
階上を渡る足音は、軽やかって表現には多少縁遠いけど生命力に溢れたもので。
「……ルック」
僕は俄に表情を引き締めると、石版の守人を鋭く呼んだ。
セラウィスさんをそっと押しやって預けると、察しのいい紋章の申し子は黙って頷き魔力を発動させる。
「ルックいきなりどうしたの?」
「いいから、一緒にきて」
二人の会話が途中で掻き消えてしまうのを背後に確かめ、僕はいまだ硬直しているフリックさんとシーナの腕をがっちりと掴んだ。
「うわっ、いきなりなんだ?!」
いまごろになって、やっと正気を取り戻すブルーサンダー先生。
「お、おい、離せ!」
この後何が起こるのかうすうす感づいたらしいシーナが激しく藻掻いた。
熊といえば、ちゃっかりと姿を消してしまっている。
要領のいい奴め。失敗したなあ。こっそり舌打ちする僕の前に、やたらと大きな駕籠を手に提げたナナミが駆け寄ってきた。
「カイネーっ!!みてみて!クッキーを焼いたのよ。今日は会心のできなんだからっ」
「へえ、おいしそうだねナナミ」
暴れるシーナの向こう脛を蹴りつけて、にっこりと微笑みを浮かべる。
ナナミのクッキーはこんがりときつね色に仕上がり、本当においしそうにできていた――見た目だけなら。
彼女の料理の恐ろしさは、見た目と味のギャップにあったりする。それが匂い味ともにおいしそうにみえればみえるほど、反比例して味が個性的になっていくんだからスゴイ。この感動はちょっとやそっとでは表現できないよね。だって、たいていの人は2、3日全身を痙攣させたまま起きれ上がれなくなっちゃうもん。まあ、僕は慣れてるから大丈夫なんけどね。
「そうでしょう♪セラウィスさんにも味見して欲しかったんだけど、どこいっちゃったの?」
「ごめんね、ナナミ。急用があるっていってさっき帰っちゃったんだ」
「そうなんだ……」
しゅんと項垂れる義姉さんに罪悪感を覚えながら、僕は努めて明るく言を継ぐ。
「でも、ほら、変わりにシーナとフリックさんが食べたいってっさ。お茶にしようか」
「お、おいカイネッ!!」
「なに、シーナ?もしかしてレパントさんが恋しくなった?」
逃げるとさっきの話をレパントさんにしちゃうからね。
爽やかな笑顔を振りまいて見上げると、シーナはがっくりと肩を落としておとなしくなった。最初からそうやって従順にしてればいいのに。
「えっ、えっ?ええ~???」
会話についてこれないブルーサンダー先生だけが、目を白黒させていた。
その日、同盟軍の城に響き渡った悲鳴が、誰のものであったかはご想像におまかせしておく。
―――約1時間後。
屍と化したナンパ男と青マントを踏みつけて、僕は正面ホールへと向かっていた。
セラウィスさん、まだいてくれてるかな……。シュウかアップルが使っているのか、エレベータは遅々として上がってこない。焦れた僕は、階段を急ぎ足で駆け下りた。
ホールの上の階段に到達すると、微かな話し声が階下から聞こえてくる。どんなに小さな声だって聞き逃したりなんかしない。これは我が愛しの人、セラウィスさんのお声っ!
満たされていく想いのままに呼び掛けようと吸い込んだ息は、けれど次のルックの台詞で飲み下す結果となった。
「キミ、あいつが嘘ついてるってこと解ってるくせに、どうして黙って受け入れてるのさ」
「なんとなく、かな」
え?セラウィスさん知ってたの?
「嫌ならハッキリ言わないと、どんどんつけあがると思うけど」
う……耳に痛い。ルックの口が悪いのは今に始まった事じゃないけど、今回は特にイガイガしてる。胸を押さえて突き刺さった棘の衝撃に耐えていると、信じられないような一言が続けられた。
「別に嫌じゃないし」
え?そそそそれって……。憧れの英雄様のお言葉に、心臓が一気に跳ね上がる。
「キミがそこまであいつの事を気に入ってるとは思わなかったね」
ルックの声がさらに不機嫌な様相を帯びた。
「小さな子がね、母親が自分以外の人と話しているとヤキモチを焼いたりするじゃない」
「…………」
突然なにを言い出すのかと魔法使いの弟子が眉間に皺を寄せる。僕もきょとんとして首を傾げた。
「あとほら、お気に入りのおもちゃに他人が触ろうとすると、取られまいとして必死に抱え込んじゃったりとか。あの子が僕にかまうのは、それと似たようなものじゃないかな」
「……ナニ、キミもしかして母親の気分だっだの?」
「お兄さんの方がいいかな。うん。だけどイメージ的にはそんな感じ」
可愛いよね、って付け加えられて僕の頭は最上階から降ってきたエレベータの箱が直撃したぐらいの衝撃を受けた。
こ、これは、立ち直れないかも……。僕ってば、セラウィスさんに手足をじたばたさせてダダ捏ねている子供と同じくらいの扱いしか受けてなかったってこと?
「なんだかんだ言って、一番あいつを子供扱いしてるのはキミじゃない。さすがのボクもちょっと同情を覚えたね」
む~。ルックなんかに同情されたくなんかない!
めげそうになる心を奮い立たせ、意地でもなんでもありませんって顔して残りの階段を下りた。
「セラウィスさん!」
僕の声に反応して、セラウィスさんの笑みが深くなる。嬉しいんだけど、これってお母さんが子供を見る慈愛の表情だったりするのかな。
「カイネ。ちょうど良かった。そろそろ帰ろうと思うんだけど」
「はい。わかりました。じゃあそこまでお送りしますね」
『ハハオヤ』の言葉が頭の中で渦巻いていた僕は、いつもなら散々引き留めるところをあっさりと承諾してしまった。ルックが物問いたげにこちらを見たけど、思いっきり睨みつけ黙らせておく。
余計なことを聞かせてくれた怨みも相まって、それは自分でもかなり陰惨な目つきだったように思う。
「元気がないみたいだけどどうかした?」
寄るところがあるからと、ビッキーのテレポートを断った彼を送って外門まで歩く。
その間、ずっと俯いていた僕をセラウィスさんが覗き込んだ。
この人に悪気がないのはわかってる。可愛がってくれるのが嬉しくないわけじゃない。
だけど……。
「セラウィスさん……」
小さく名を呼ぶ。「うん?」って答えてくれる人の腕を掴んで引き寄せた。
「えっ?カイ……んっ!」
強く抱き締めて閉じこめ、吐息を重ねる。
いつもの挨拶じゃない、恋人達がするみたいなそれに、セラウィスさんが僕の肩に手を当てて押し返そうとした。それでも、かまわすに続けけていると、いつしか彼の指先から力が抜け落ちた。
「…ふ…っ……」
膝が崩れそうになる身体を腰に回した手に力を込めて支える。セラウィスさんがとっさに僕に縋り付いてきたことで一層互いの距離が縮まった。
思う様、甘やかな感触を堪能してから開放する。ほんのりと色づいた目元に名残のキスを落とすと、花車な肩が小さく震えた。
「僕、子供じゃないです」
これだけは納得してもらわなくっちゃって真剣な顔で告げる。セラウィスさんが「あ……」って微かな声をあげた。
「さっきの話聞いてた?」
「通りかかったら、偶然聞こえちゃったんです」
立ち聞きしてたことにちょっと後ろめたたさ感じつつ答える。トランの英雄は、憮然とする僕を暫く見つめた後、緩慢な動きで手を首の後ろに回した。
ふわりと肩に被さる、しなやかな黒髪。
……セラウィスさんから抱きついてきてくれたのって始めてかも。
「そっか、ごめんね」
呆然と立ち竦んでいると、軽やかな笑い声が僕の鼓膜を震わせた。
「僕、セラウィスさんにはちゃんと一人前として見て欲しいです」
「うん。そうだね。気をつける」
俯く頬に手を添えてそっと上向かせる。セラウィスさんが仄かな微笑みで僕を見返してくれた。
「約束ですよ?」
額を寄せると、自分から受け入れるように瞳が伏せられる。
僕は満足して、いつもより少しだけ長いお別れの挨拶をした。
多少強引だったかも知れないけど、セラウィスさんに僕の気持ちを理解してもらういい機会だったかも知れない。
有頂天になっていた僕は、彼の人が心の中で「ムキになるところが子供なんだよね」なんて考えていたことを当然知るよしもなかった。
うー、こんなことぐらいでめげるもんか!絶対にセラウィスさんとオトナの関係を築いてみせるんだからねっ!!
2002/03/23 UP