nursery tale
吐息を感じて。
鼓動を伝えて。
絡めた指の力強さを。
合わせた手の平から滲む汗を。
あなたに刻み込んでいこう。
言葉だけでは足りないのなら、僕の全てで想いのたけを伝えるから。
忘れないで、信じていて。
時の風化に晒されようとも色褪せない気持ちもあることを。
カーテンの隙間から差し込む朝日がうららかな春の兆しを伝え、小鳥の囀りは心地よい目覚めをもたらしてくれる。
傍らには、愛しい人の安らかな寝顔。
毛布からはみ出した白い肩にそっと指で触れると、朝の大気にさらされた肌は透き通る雪の印象さながらのひんやりとした感触を僕に伝えてきた。
このままだと風邪ひいちゃうかな?
暖めてあげたくて、なだらかな曲線を手の平で覆うようにして包み込む。
小さな吐息と共に震える睫毛。
「……おはよう。カイネ」
神秘的な色を湛えた虹彩が、僕を映して柔らかな光を灯した。嬉しくなって薄く開いた唇に朝の挨拶を落とす。
「おはようございます。セラウィスさん」
羽毛みたいに軽く何度も触れると、セラウィスさんが擽ったそうな顔をした。
「ダメだよ。もうじき出掛けないといけないんだから」
緩やかに押し戻してくる手を掴んで、少しだけ行為を深くする。甘い感触を存分に味わったあと身体を起こせば、瞳を潤ませ頬を上気させて僕を見上げる彼の媚態にゾクリと震えが走った。
「まだ大丈夫ですよ。それにセラウィスさん、僕が夜中に毛布を引っ張っちゃったから冷えちゃったんですよね」
身体が冷たいと動きが鈍くなる。セラウィスさんにはこれから、お願い事を果たしてもらわなくちゃいけないのに。支障が出てしまったら大変だ。
「ですから僕が、責任を取って暖めてあげますね」
「……そういうのをね、屁理屈って言うんだよ」
ちょっと困ったようにはにかんで、それでも受け入れてくれる優しい人。僕は後ろ手に毛布を掴んで引き上げ、ゆっくりと彼の上に覆い被さっていった。
頭から毛布にくるまって。
朝の光を遮って。
限られた二人だけの空間でくすくすと笑い合いながら子犬みたいにじゃれ合う。
徐々に上がっていくセラウィスさんの呼吸が。少しずつ蕩けていく互いの体温が。心地よくて全身で抱きしめた。
「……ぁ……カイネ……」
身体の一番奥深いところに僕の熱情を伝えると、腕の中の人が息を詰まらせる。
「大丈夫、ですか?」
沸点を超えそうになる意識を抑え付けて耳元で囁くと、長い睫の下から熱を孕んだ瞳が顔を覗かせた。
「んっ……ちょっと、ま…って……」
しがみついてくる腕に力が篭もり、少しでも楽な体勢をとろうと身じろぎする。
この瞬間がすごく好き。
セラウィスさんの表情ときたら、ちょっと言葉にできないくらいには色っぽいし。僕のことを気持ち的にも受け入れてもらえてるんだなあって全身で感じられる。
だから、よっぽど気が急いているって場合でもない限り、僕はいつも彼が落ち着くまで体重を掛けないようにしてじっとしていた。
そうやって待ってると、セラウィスさんの方から「カイネ」って小さく僕を呼んでくれるんだ。
もう平気、大丈夫だよって、涙の滲んだ瞳で先を促してくれる。
「……大好きです、セラウィスさん」
尽きることのない恋情の一部を言葉に変えて、暴走してしまわぬように深い呼吸と共に吐き出した。
気持ちだけじゃ寂しいから。身体だけじゃ哀しいから。
あふれる想いを言葉に変えて。早鐘を打つ心臓に真実の欠片を宿して。
ここにあるものは、決して一方的なものではないんだって、少しでいいから僕に教えて。
そうしてできることならば。あなたの中に僕という存在を少しでも長く留めておきたい。
まどろみの中で、ぼんやりと霞む瞳。額にまとわりつく前髪を梳きあげると、情を交わしたばかりの麗わしき英雄は子猫みたいに目を細めた。
もうちょっとこうしていたいけれど、そろそろ出陣の準備をしなくちゃいけない。絶対に遅刻しませんって正軍師殿に誓っちゃったし。ビッキーのテレポートが失敗する可能性を考えたら、ホントにぎりぎりの時間だ。
兵卒は皆、目的地へと到達して布陣を敷き終えている頃だろう。
いまから僕たちは歴史の分かれ目を体験することになる。この一戦で、ジョウイと僕、ハイランドと都市同盟が雌雄を決する。
最終決戦の前に、こんなにのんびりしてるのって不謹慎かな?
けど、大切な戦の前だからこそ。誰にとっても大きな意味を持つ一日になると解っているだけ尚更に、『その場』に立つまでは何も考えたくなかった。
何を為すべきか。この後どうするのかは、もう決めてある。僕にいま必要なものは充分な休息と迷わない――強い心。
中途半端な紋章が奪っていった、気力と体力を少しでも回復しておく必要もあった。
ハイランドには、ジョウイの持つ『黒き刃の紋章』の他に、もうひとつ『真の紋章』が存在している。ミューズを陥落せしめ、猛り狂う顎(あぎと)で引き裂いた黄金の獣の本性を持つもの。
軍勢はこちらが有利。ジョウイと僕の一騎打ちなら五分と五分。でも、ふたつの『真の紋章』を相手取るとなると、正直言って僕の手には余る。
だからこそ戦争には参加しないはずのセラウィスさんが、ルルノイエの皇城へ突入するときには同行することを承諾してくれたんだし、シュウさんはぎりぎりまで僕の体力を温存できるよう取りはからってくれた。
軍主の不在に、兵士達の志気が多少下がることになろうとも、僕の体調を整えることのほうが肝要だって考えたらしい。
セラウィスさんと一緒に過ごすのが僕にとって一番の休息です、って言ったら渋い顔をされたけど。
取り立てて何も言われなかったのは、あながち方便だけでもないってわかってるからなんだろう。
最近は立っているだけでも胸が重い時があるのに、彼と一緒だと不思議と気分がよくなる。
もしかしたら、これが彼の持つ紋章のもうひとつの『力』なのかな。
『生と死の紋章』の『生』の部分の力――。
生命を奪うばかりだったら、わざわざ『生』なんて言葉はつけない。普通に『死の紋章』っていえばいいはずだ。そうじゃないのは、そこになにかしらの意味が込められているから。
彼のために、今は眠っているその『力』が優しいものであることを願う。
「カイネ。そろそろ支度しないと」
「あ、はい。そうですね。……起きられますか?セラウィスさん」
手放しがたくて、ちょっと無理させちゃったかも。
反省しながら手を貸すと、柔らかな微笑みが返ってきた。
彼はこの後、クライブと一緒に行動することになっている。
先日、流離いのガンナーの探し求める人物がサジャの町にいることが解った。
この戦争の間中、追いつづけながら、いつもすんでのところで取り逃がしてきた相手。すぐに捕捉しないとまたいなくなってしまうだろう。
決戦を目前にして手の放せない僕は、クライブだけでも送り届けてあげようかと考えていたんだけど。
サジャはルルノイエのすぐ近く。自分と彼の力が必要となるのは城攻めの時だから、用を済ませたあとで合流しても十分に間に合うよねって、セラウィスさんが同行を買って出てくれた。
トランの英雄が軍といっしょにいたら参戦しないわけにはいかない。クライブの単独行動を許せば、大事の時に役目を放って逃げ出したのだと兵卒達の不穏を招きかねない。
彼の申し出は、双方にとって有益なものだった。
「お名残惜しいです。セラウィスさん~」
上体を起こした想い人にぎゅうっと抱きつく。
「大袈裟だね。またすぐ後で会えるのに」
「そうですけど……」
じゃあ、その後は?とは、聞けなかった。
答えが解っているからこそ、彼からはっきり告げられてしまうのが怖かったんだ。
「ねえ、セラウィスさん。僕は、ずうっとあなたのことが好きですよ」
彼の双眸をひたりと見つめて、ひと言ずつ噛み締めながら口にする。
セラウィスさんが静かに首を振った。
「君は幸せになるんだから。僕の事なんて気にしている暇はないよ」
ジョウイを助けてあげないとね。
「僕は欲張りなんです。ジョウイのことは当然助けますけど、セラウィスさんを諦めるつもりもありません」
だって僕の幸せには、あなたの存在が必要不可欠なんだから。
「僕はここに留まることはできない……」
戦争が終わったら、また旅に出るのだと彼は言う。
「わかってます。だからせめて約束だけでもしておきませんか?」
もう一度、あなたに会いに行くことを許してはくれませんか?
そう、続けようとした唇はしなやかな指に遮られた。
「守れない約束はしないほうがいい」
「どうして、守れないと思うんですか?」
抱き締める力を強めると、背中に回された手が宥めるように動かされる。
「言葉は淡雪のように溶けてなくなってしまうものだから。君はこれから積み重ねていく新しい日々の中で、僕のことなんかすぐに忘れてしまうだろう。もちろんその方がいいんだし、あたりまえのことなんだ。だけど僕は……時の流れを止めてしまった僕は、一度約束をしてしまったら、忘れることも捨てることもできなくなってしまうから」
形さえ残らない約束を抱えて待ち続けるのは、あんまり楽しいことじゃないね。と、先の戦の英雄は僅かに目を伏せた。
「淡雪だってたくさん降れば、積み重なっていきますよ」
堆く降り積もって、長い間溶けることなく形を留める。
「それでも、春になれば……時が経てば消えてしまうものだよ」
セラウィスさんは、僕を信じていない。きっと自分のことさえ信じていないんだろう。
「だったら、雪が溶ける前に迎えにいきます」
「そんなこと……ん…」
きっぱりと宣言して、両頬に手を添え反論を封じる。
「……ッ……カイ、ネ……」
息苦しくなったのか、あえやかな抵抗を始めた彼を解放すると僕はにっこりとしてみせた。
「それと溶けた雪はね、消えるんじゃなくて小川になって拡がっていくんですよ」
周囲に春の芽吹きをもたらしながら、やがては海になるんですよ。
いつか、両手いっぱいに春を抱えて必ずあなたを迎えにいくから。
それまでは降りしきる約束の雪のなかで眠り続けていてくれればいい。
僕の言葉に、御伽噺みたいだねってセラウィスさんは小さく笑った。
この胸を疼かせるのは、物語みたいに甘いモノでも優しいモノでもない。
苛烈で苦しくて、痛くて……悲しくて。もてあますほどに熱くて、息さえつけずに僕を狂わせていくものだけど。
こんなことでめげるくらいなら最初からこんな面倒くさい人を欲しがったりなんかしなかった。
人生の全てを傾けても、手に入れたい愛しい人。
ジョウイやナナミにさえ抱いたことのないほどの強い執着を、僕があなたに対して持っているって知ったらあなたはどう思うのかな。
吐息を重ねて。
鼓動を溶かして。
繋いだ指先から交じり合う温度を。
沿わせた手の平が与える熱を。
あなたの中に残しておきたい。
時のもたらす忘却に打ち克つ想いもあることをきっと証明してあげるから。
疑わないで。覚えていて。
僕の預けた想いの結晶を、優しく抱きしめて待っていて。
2001/12/17 UP