melting snow into the night
その日、デュナン湖に珍しく雪が降った。
北の国ハイランドと違って、この辺りで水が凍ることは滅多にない。
雪見酒だ。なんて、ビクトールさんは愉しそうに杯を傾けていた。
外は冷たい風が吹き荒れ、灰色の雲が重く立ち込めているけれど。
城の中には暖炉の火が灯り、人々の笑い声とざわめきが漣のようにたゆたっている。
暖かい――と感じるのは、心の奥からぽかぽかしているから。
辛く哀しい戦争のことも、厳しい冬の寒さも暫し忘れて、みんなが僕の誕生日を祝ってくれている。
本当のこと言うと、この日に僕が生まれたのかどうかは判らない。ううん、むしろ違ってる可能性の方が大きいんだ。だって、今日は僕がじっちゃんに拾ってもらった日だから。
ナナミは、僕より1週間ほど前にじっちゃんのところへやってきた。近所にいた年若い夫婦が事故で亡くなったとき、身よりのない子供を誰も引き取ろうとしなかったんだって。押し付け合い、醜い争いをする周囲の様子に見かねてじっちゃんが養育をかってでた。
僕を連れ帰ったじっちゃんに、当然まわりのみんなは呆れた。それまでずっと独り暮らしだった老人に、いきなり二人の赤子の面倒が見れるはずがないって。
けれどじっちゃんは、「目が合ってしまったのだからしかたがない。ナナミも年寄りと二人で暮らすよりは弟がいたほうが嬉しいじゃろう」って豪快に笑ってみせたらしい。
だから今日は、僕が生まれた日とは違うけれど大切な日。
寒さの中で凍え死ぬはずだった僕が、生きていてもいいですよって、許された日だから。じっちゃんやナナミに巡り会えたことを感謝して、みんなにお祝いしてもらって。闘いの連続で疲れた心を少しでも癒せたらそれ以上望むことはないよね。
ただ、欲をいえば……。
「ジョウイもここにいたらよかったのにな……」
隣でジュースを飲んでいるナナミが、ぽつりと呟いた。ちょうど同じ事を考えていた僕は無言で頷く。友達になって以来、この日は必ずジョウイが一緒にいてくれた。じっちゃんが亡くなってからは3人だけでお祝いしてきた。敵国の王様になってしまった僕の親友。いまでは、ナナミさえ彼のことをほとんど口にしなくなっているけれど。
ねえ、ジョウイ。君は今日が何の日か覚えていてくれるかな?遠いハイランドの空の下で、ちょっとでも僕のことを思いだしてくれている?
大好きで大切な幼なじみのジョウイ。気持ちは変わらずここにあるのに、立場だけがどんどん離れていく。
いつか、僕は君と闘うのかな。
ユニコーン隊の演習なんかじゃなく、屍の築かれた戦場の上で刃を交えなくちゃいけないのかな?
その時、僕はいったいどんな選択をするんだろう?
「あれ?カイネどこにいくの?」
立ち上がった僕をナナミが見上げた。
「うん、ちょっと飲み過ぎて顔が火照っちゃったから、外で涼んでくるよ」
「えーっ?風邪ひいちゃうよー?」
「大丈夫、ちょっとの間だけにするから」
いくら考えても答えのでない疑問に、僕は正直滅入っていた。外で頭でも冷やせば気分も変わるかなって思ったんだ。
ついてきたがったナナミをやんわりと断って、酒場の戸口からそっと出る。みんな程良くお酒が回って、それぞれに愉しんでいるみたいだから、少しの間ぐらい主役がいなくなったって判らないよね。
最初は正面から外に出ようとしたんだけど、そこの回廊にもたくさんの人達が座り込んで酒を酌み交わし合っていた。そっか、酒場に入りきれなかった人たちってこっちで騒いでたんだ。
奥のホールに入ってもそれは一緒で。シーナに絡まれ、憮然としているルックが可笑しかった。
……あれ?
「あの人がいない……」
ビクトールさん達のところにもシエラさんの傍にもいなかったから、てっきりルックと一緒だと思ってたのに。
いつもは帰ってしまうあの人に、今日だけは泊まっていってください、ってお願いしたのは僕だ。約束を途中で破るようなことをあの人はしない。
だとしたら……。
僕は急に顔が見たくなって、心当たりの場所へと足を向けた。迷いのある時や、落ち込んでいる時なんかにあの人の姿を見るとほっとする。
別に何かを言ってもらったり、してもらったりするわけじゃないんだけど。なんとなく心が安らぐんだ。
いつも使っているエレベータを避け、階段を昇る。今日ぐらいはエレベーターバーバリアン達にもくつろいで欲しいもん。アダリーさんがそれを許してくれるかどうかはわからないけどさ。
4階に辿り着くと、シュウさんの部屋から明かりが漏れていた。こんなときまでお仕事してるんだね。生真面目な軍師殿があの騒ぎに混じれるとは考えてなかったけど。……うん。あとで差し入れを届けてもらうように誰かに頼もう。
邪魔したら悪いのと、見つかったらなんとなくお小言を喰らいそうな気持ち半分で、足音を忍ばせて軍師殿の部屋の脇を抜けた。
扉を開けテラスへ出る。
床も手摺りも、ジュドさんが制作中の銅像も。今はうっすらと雪化粧が履かれていた。
綺麗だけど、寂しい光景。
「……セラウィスさん」
紅い服。若草色のバンダナ。白い景色からはこの上なく浮き上がる衣装に身を包む人は、けれど溶け込むような儚さをもって、そこに佇んでいた。
「カイネ?こんなところで何をしているの?」
ふわりと微笑む顔さえ哀しく映るのは、僕の心がそう感じているからなのかな。
「セラウィスさんこそ、いつからここにいたんです?」
近づいて、どうしてか手袋の外されている手を取る。握った手の平はびっくりするくらい冷たかった。
「雪が……綺麗だったから……」
どこか遠くを見つめるかつての英雄。六出花(りくしゅつか)に感情を凍らされてしまったかのような、虚ろな表情を見ているうちに何故だか自然と口が開いた。普段だったら絶対しない類の質問をしちゃったんだ。
「セラウィスさんは、大切な人を自分の手に掛けた時、どんな気持ちがしました?」
僕はもう知っている。この人が、父殺しの英雄を呼ばれていることを。望まぬままに親友の命を奪ってしまったことを。
「……命を奪うという行為自体に対しては、特別な感慨を持ったことはないよ。他人であれ、近しい者であれ、ね」
「どうしてですか?」
「僕にとって死は忌むべきものではないから」
死は解放。あまねく柵も、大地に足を縫い止める楔も、かの存在に追いつくことはできない。
あるのは、静寂と深遠なる闇。孤独と眠りのもたらす永久の安寧。
「彼等に傍にいて欲しかった。でもそう願っていたのは僕の我が儘で、死こそ彼等が得た最高の救いなのかも知れない」
歌うように言うセラウィスさんに、ああ、この人は本当に壊れてしまってるんだなあって、感じた。
「ダメですよ……」
握りしめた手を引き、花車な身体を抱き締める。
「セラウィスさんは、死んじゃダメですよ。貴方にはまだここでやるべきことがあるんですから」
「うん、そうだね。僕は罪人だから。救いなんて得られるはずもない……」
魂を喰らう紋章を持ち。誰よりも死に近い場所にいるこの人だけが、死を求めることが許されない。
たとえどんなに望んでいたとしても、呪われた紋章が彼を生に引き留めるから。
だけど……。
「地上に繋がれているのも悪くないですよ。嫌なことも辛いこともたくさんあるけど、その先に幸せが待っているかもしれないでしょう?」
温もりを伝えたくて背中を撫でた。セラウィスさんはされるがままに、僕の肩に頭をもたれかけている。
「幸せを求めることに意味があるのかな。大地を血で染め上げ、多くの命を奪い去った者が求める心の平安に何の価値があるんだろうね」
この人は優しい人だから。他者を犠牲にしても生き抜こうとする本能や、貪欲に幸せを求める性は誰にでもあるんだってことを知らないんだ。それは決して罪じゃないんだってことが解らないんだ。
「価値とか意味とかってなくちゃいけませんか?だとしたら、きっと幸せになったときにわかることなんだと思いますよ」
「だったら、僕にそれを見せて」
セラウィスさんが僕の腕を解き、数歩の距離を開けた。
「君が生きていることの証を。幸せの先に何があるのかを。――哀しみ以外の結末を僕に見せて」
……ジョウイをこの手に掛けることになるかもしれないって漠然とした想いがあった。
ハイランドへ戻ることを決めたのは、ジョウイ自身だったから。彼の気持ちがわかったから、邪魔しちゃいけないって考えてた。その一方で都市同盟に残ることを選んだ自分がいて。
そりゃあね、半分流されたし強要された部分もあるけれど。最終的にここにいることを決めたのは僕の意志だったから。誰の所為にもできないよね。
責任と職務。親友への思慕と愛情。いろんな感情がごちゃ混ぜになって僕自身にもどうしたらいいのかわからなくなっていた。
だから、僕が真に戦争の結末を頭で描いたのは今日この時が初めて。
そして、最後の時までその形が崩れることはないだろう。
誰もが幸せになる未来なんてあり得ないけれど。幾多の屍を踏み越えようと、他の何を犠牲にしようと。僕は幸せになってみせる。
ナナミの笑顔が曇らないように。ジョウイが僕の親友であり続けるように。
―――セラウィスさんの望んだとおりに。
「約束します」
僕はセラウィスさんに再度近づき、誓約の印(しるし)を唇に送った。
「だから、最後までちゃんと傍で見ていてくださいね」
死を救いと言えてしまうこの人に。
輝かしくなくてもいい。浅ましく醜いものであってもいい。
だた、生命は暖かいものなんだって、ほんの少しで良いから感じてもらうために。
命を奪う清冽な皓の中、紡ぐことを赦された僕の人生を。
その行き着く先がどこにあるのかを、貴方に見て欲しい。
2001/08/26 UP