Sweetish Day
季節のイベントがある度に、企画を立てて。実行をして。
ナナミは賑やかなのが好きだったし、じっちゃんもあれで結構お祭り好きだったから。
楽しいものになるように、いつも一生懸命考えた。
だけど。
自分から『何かしたい』って思ったことは、これが初めてかも知れない。
それは、冬と春に挟まれた時期にある小さな慣習。
甘いお菓子に想いを託し、大切な人に好意を告げる日。
気になる相手がいる者達は皆、大いなる勇気と小さな期待を胸に、手にした包みに祈りを込める。
どうか、このお菓子と同じぐらい、優しく蕩ける微笑みが得られますように───って。
僕が脳裏に思い浮かべた人は、こんなことに興味はないだろう。
自分に向けられる感情には疎い人だから、渡したところで気持ちが通じるはずもない。
それでも。
何かしたくて、するからには少しでも喜んでもらいたくて。
他の誰のためでもない自分のためだけに、イベントを楽しもうと決めた。
仕事中は上の空。
終わってからは、あちこちの街を巡って材料探し。
お店が閉まる時間になってからは、厨房に籠もって試作品作り。
元々大貴族だったあの人は、高級品なんて飽きるほど口にしているだろうし、当然、舌も肥えている。
生半可なものは渡したくない。かといって有名店で出してる既製品を渡すだけ、なんていうのは論外だ。
本当にお育ちの良い人だから、何を渡しても喜んでくれるには違いないけど。
やっぱり心からの『美味しかった』っていう言葉が聞きたい。
ハイヨーの料理勝負に強制参加させられているお陰で、料理の腕も上がってきたし。
頑張ればなんとかなるさ、と己に言い聞かせ、連日連夜生クリームを掻き混ぜた。
そうそう。箱にいくつ詰めるかも決めなくちゃ。
あまり多いと飽きちゃうし、少な過ぎるのもケチくさい気がする。
あともうちょっとだけ食べたいかも、とか感じるぐらいの量がベストなんだけどなあ。
こういうのって個々の感覚に寄るもの大きいから。
「カイネ殿。カイネ殿!」
包装紙だって手抜きは出来ない。リボンの色は何にしよう。
「カイネ殿!いい加減、仕事をして下さい!!」
箱も、ただ白いだけじゃ芸がないかな。今は色つきとか変わった形の物とか色々売っているし、今日の夕方見に行こう。
いっそ自分で作るのもいいかも。
外装との兼ね合いも考慮しなくちゃね。どちらも派手だと下品になるし。
「聞こえてないようですよ、シュウ殿。ここ数日、随分と夜更かしなさっているようですし。件のイベントが終わるまで諦めた方が宜しいのでは?」
「まったく、困ったものだ」
目指すイベントまで、あと3日。
苦虫を潰した顔をしているシュウさんと、苦笑するクラウスさんのやりとりも耳に入らないぐらい。
僕は彼の人のために用意するプレゼントを考えるのに、没頭していた。
そうして迎えた決戦の日。
最終的に僕が選んだのは、ごくごくシンプルな生チョコレートだ。
厳選した材料の味を楽しんで貰いたかったし、あまり凝った形にしても食べずらい。
甘さを抑えたふんわり優しいミルク味は、表面に少しだけ苦味のあるココアパウダーを振りかけてある。
味に変化を付けるため、いくつかはヘーゼルナッツやキャラメルを練り込んだ。
箱は両手の平から少しはみ出すぐらいの大きさ。白いと飛び散ったココアパウダーが汚く見えるかも知れないと考えて、焦げ茶色の厚紙で製作した。
包装紙は渋い色の漉き紙を二枚重ねにしたものを少しずらしたり、片襟みたいに折り返したりと工夫して。
銀色と赤の細いリボンを2本に重ね、ハの字に掛けて蝶々に結んだ。
喜んでくれるかな。
美味しいって言ってくれるかな。
イベントの企画は、何度も何度もしてきたけれど。
こんなに心弾むのは初めてで。
こんなに楽しいのも初めてで。
こんなに胸が高鳴って。こんなに緊張したことはなかった。
だけど──。
軽い足取りでバナー峠を越えて向かったマクドール邸で。
僕は自分の認識の甘さを嫌と言うほど思い知らされることとなった。
「いらっしゃいカイネ」
いつもと変わらぬ穏やかな笑みに迎え入れられ、いつも通り彼の部屋へと案内される。
長い廊下を歩いていると、通り掛かった客室の扉が少しだけ開いていた。
全国の主婦の鏡、グレミオさんが毎日しっかりお掃除しているから、マクドール邸はいつもピカピカで隙がない。
扉の閉め忘れなんて目にしたのは初めてだ。
珍しいこともあるもんだな、なんて呑気なことを思いつつ、首を巡らせた。
次の瞬間、僕の視界に飛び込んできたのは、部屋を埋め尽くす程に堆い様々な大きさで出来た箱の山───。
この物体はもしかしなくても……。
「セラウィスさん……これって……」
思わず足を止め、薄暗い室内を凝視する。
「ああ、ちゃんと扉を閉じていなかったみたいだね。そこは今日1日、開けたり締めたりしていたから。気をつけてね、勢いよく開けると雪崩落ちてくるよ」
いや、開けませんけど。
お菓子の包みだけじゃない。ぬいぐるみやらお酒やら服やら装飾品やら紋章球やら本やら武具やら花束やら……他にも色々。それらのほぼ全てに、封書が添えられていた。
「いろいろな人が、お世話になった御礼だって届けてくれて。皆、律儀だよね」
本来は女性が男性に対して贈る日らしいのに、何故か、男性の知り合いまでもが持ってきたのだという。
確かに、今日のイベントには、相手に想いを伝えることの他に、普段お世話になっている『義理』を果たすという意味合いもある。
まあ、そちらも基本は『女性から男性に』なわけだけれど。セラウィスさんは、そこまで知らないみたい。
かくいう僕も参加者だし……いや、僕は女性がメインのイベントであることは最初から知っていたよ。気にしなかっただけで。
こんなことなら、もっと朝早くに来て一番に渡せばよかったかなあ。
隣に並び、セラウィスさんが僕と同じように部屋の中を見つめる。
その可憐な唇が紡いだ言葉は、更なる爆弾発言だった。
「ただ、少し量が多すぎて、置き場所に困ってしまってね。暫定的に、使っていないここと隣の客室に置くことにしたんだ」
「……って、ここだけじゃないんですか?!」
「最初は食料庫に置いていたのだけれど、入り切らなくなってしまったから」
貧乏庶民の暮らす6畳一間とはわけが違う。
マクドール邸の客室は、それぞれに天蓋付きのベッドとソファーセットが置いてある広々とした空間だ。
食料庫だって数十人を招いてパーティを開けるぐらい余裕があるのに。
それが満杯って……。
さすがはトランの英雄様、というべきか。
いったいどれだけの人から貰ったんだろうね、この人。
しかし、ここで問題にすべきは渡された人数じゃなかった。
セラウィスさんは『お世話になった御礼』に貰ったと言っているし、実際、そうやって渡されたんだろうけど。
僕が見る限り、間違いなくこれらは全て『本命宛』だ!!
この日の為に準備を進めてきた僕には分かる。
まず、包装紙の質が違う。メーカーものは有名店の高級品揃い。
義理に入手困難な酒なんて贈らないし、ヴィンテージもののワインなんて、まず選ばない。
可愛らしい色をした封筒には、しっかしとした厚みがあって。明らかに中身が挨拶程度のカードに終わらないことを伺わせた。
もてる人だとは思ってたけど。老若男女問わず人気のある人だって知ってはいたけど。
きっと、いっぱい貰ってるんだろうなってことも確信してたけど!!
ここまで、凄かったなんて。
当の本人が『本命宛』貰ってるって自覚がないのが救いといえば救いだけど。
これじゃあ、僕のプレゼントなんて霞んでしまうよね。ってか、そもそもこれだけあったら迷惑でありがたみも湧かないよね。
寧ろ、始末に困る。
「カイネ、どうかした?」
セラウィスさんの部屋に腰を落ち着けてお茶を出された後も、僕の気持ちは沈んだままだった。
「いえ、何でも……。この部屋にもお菓子があるんですね」
取り繕って湯気の立つカップを手に取る。上げた視線の先──セラウィスさんの背後にある棚の上にもプレゼントの包みがいくつか置いてあった。
「あれは特別……」
家族がくれたものだから、とはにかむようにセラウィスさんが告げる。
なるほど。セラウィスさんの大切な家族、クレオさんとパーンさんとグレミオさんからもらった物なら、扱いが異なって当然だよね。
うん、そうだよね。セラウィスさんは公平な人だし、貰い物はどれも同じ扱いをするんだろうなって思い込んでたけど、全部が全部同じってわけじゃないよね。
彼にだって特別はある。
だったら、僕のは?
僕からのプレゼントも『特別』の中に入れてくれるかな。
入れて貰えたら、すごく嬉しい。
だけど、あの部屋の中に放り込まれてしまったらどうしよう。
顔も覚えていない誰かのものと一緒くたにされて、どこかに始末されてしまうかも。
何日も夜更かしして、毎日毎日思いを巡らせて用意した『僕の気持ち』。
その他大勢と一緒にされたら、ショックできっと立ち直れない。
確かめてみたいけれど、確かめるのがちょっと怖い。
どうしよう、かな……。
「あれ?それにしては、数がひとつ多くありません?」
決心がつかず、方々に視線を巡らせていた僕は、もう一度棚の上に目を遣って違和感を覚えた。
セラウィスさんと一緒に暮らしている人達。彼の大切な家族は、クレオさんとパーンさんとグレミオさんの3人だ。
だから当然、プレゼントも全部で3つの筈なのに、瀟洒な彫刻が施された棚の上には何故か包みが4つある。
「ひとつは、ルックからだよ」
「………………………」
へえー。ふ~ん。そうなんだ、ルックからかあ。
イベント事になんか興味ありませんって顔してるくせに、ちゃっかり抜け駆けしてたんだあ。
「セラウィスさん、これ、僕からです。受け取ってくれませんか?」
プレゼントの箱を握った右手をずずいっと突き出す。
先程までの迷いも、胸の高鳴りもどこか遠くへ吹き飛んでしまっていた。
「カイネ?」
へええ、特別なんだあ。ルックの分って~。
同盟に戻ったら、あの根性悪魔法使いは暫く実家に戻そう。ほら、なんてったって今日は『義理』を果たすイベントの日だし。
覗き見の好きなおばさん……もとい、彼の大切な大切な師匠・レックナート様にも常日頃お世話になっている御礼をしなくっちゃ。
僕ってば、なんて部下思いなんだろう~。
半眼で包みを差し出した僕を、セラウィスさんが不思議そうに見つめた。
「もらって良いのかな?」
「はい。是非に!」
声のトーンが下がった僕に戸惑いつつ、包みを受け取る英雄。
小さな箱が膝の上に置かれる。薄い漉き紙に包まれた表面を、細い指先が大切そうに撫でた。
春の陽射しのように穏やかな眼差しがプレゼントを見つめる。頬に陰を落とす睫毛が見惚れるほどに奇麗だった。
「ありがとうカイネ。大切に食べさせてもらうね」
セラウィスさんが再び顔を上げ、僕を瞳に映してふわりと顔を綻ばせる。
その声は、本当に嬉しそうで。
心から喜んでくれているのが伝わって。
僕の、ささくれた心を一瞬で蕩かした。
「は、はい!ありがとうございます!!」
思わず頭を下げる僕に、セラウィスさんがくすくすと笑った。
「お礼を言うのは僕のほうでしょう」
そうして、再び手にした包みを大切そうに棚の上に乗せてくれる。
他の人達の包みとは、少しだけ離れた場所。
それにどんな意味があるのか。どちらをより大切に思ってくれているのは、僕にはわからない。
でも、セラウィスさんの笑顔が見れたから。心から喜んでくれたのが分かったから、もうどっちでもいいや。
なんか、報われたーって感じ。
……と、思ったけれど。僕の包みの側に置いてあるプレゼントがもうひとつ?
クレオさんとパーンさんとグレミオさんと……ついでにルック。
プラスして僕の渡した包みがひとつ。で、合計5つ。
うん、数は合ってる。家族の分は一緒にするだろうから、じゃあ、あれはルックのかな?
え~、ルックと扱い一緒~~?
なんか嫌だなあ。
「セラウィスさん。僕のプレゼントの隣にある包みって……」
再び微妙な不満が込み上げてくるのを感じながら、ピンクの包装紙を纏う小箱を睨む。
あのすまし顔が用意したにしてはリリカルな装いだったから、てっきりグレミオさんあたりが用意したプレゼントなんだろうなって思ってたんだけど……。
「これは、先程ナナミが届けてくれたものだよ」
「は?」
ナナミ?
ナナミって……ナナミ~~~?!!!!!
「こちらの3つはクレオとパーンとルックからもらったもの。グレミオは夕食の時を楽しみにしててくださいねって朝に告げたきり、厨房から出て来なくてね。晩餐自体も特別メニューを考えているようだし、よかったら君も一緒にどうかな?」
そうか、だから今日はセラウィスさんが出迎えてくれたのか……なんて、呑気に考えてる場合じゃないっ!
せっかくの晩餐のお誘いも、聞いている余裕はなかった。
椅子を鳴らして勢いよく立ち上がる。
膝がぶつかって白いテーブルクロスに紅茶がちょっと零れちゃったけど、それさえも気にならなかった。
ナナミが用意したお菓子なんて。お菓子なんて!
間違いなく手作りに決まってる!!!
「だ、駄目ですセラウィスさん。そんなもの、捨ててくださ……いや、流石に捨てるのはマズイので僕が責任を取って食べますから~~っ!」
僕の義姉、ナナミの料理が『アレ』なことは、セラウィスさんにも説明してある。
口に合わないとか、味付けが微妙だとか、ぶっちゃけ美味しくないだとか。
そんな生やさしい表現で、彼女の料理は語れない。
とにもかくにも『アレ』なのだ。
「あまりお料理が得意ではないことは聞いているけれど。せっかく作って持ってきてくれたのだし、一口ぐらいは食べないと悪いでしょう」
「悪くないです!全然、悪くないですからっ!!」
あまり得意でないどころか、ナナミの料理は『熊でも一撃必殺!』なのに。
うん、そうだよね。経験者でなければ、『アレ』の凄まじさは伝わらないよね。
経験させる気は絶対にないけど。
僕が命に代えてもお守りしますから。安心してくださいねセラウィスさん!!
その後。
必死に止める僕と、騒ぎを聞きつけて駆けつけたグレミオさん(ナナミ料理体験済み)の懸命な努力により、件のチョコレートはパーンさんのお腹に収まることとなった。
生まれてこの方、食べ物に中ったことがないというパーンさんは……一口で白目を剥いてひっくり返り、正気を取り戻すまでに丸1日を要したのだという。
ありがとうパーンさん。貴方の尊い犠牲は忘れません。
セラウィスさんやクレオさんは、普段から風邪ひとつ引かないパーンさんが寝込んだことに衝撃を受けたらしく、この出来事はそれからしばらくの間、マクドール邸のお茶の間を湧かせ続けた。
あ~あ、僕だって頑張ってチョコレート作ったのになあ。
流石に、ナナミ料理のインパクトには勝てないよ。
来年はもっと頑張ろうっと。
だけど、凄く楽しかった。
セラウィスさんのことを考えて。
セラウィスさんが喜んでくれるプレゼントが渡せるよう頭を悩ませて。
いろいろと準備をしている間、とてもとても幸せだった。
イベントの企画は、何度も何度もしてきたけれど。
誰かを楽しませるために考えることが、自分自身の喜びにも繋がるなんて初めての経験だった。
それは、冬と春に挟まれた時期にある小さな慣習。
甘いお菓子に想いを託し、大切な人に好意を告げる日。
気になる相手がいる者達は皆、大いなる勇気と小さな期待を胸に、手にした包みに祈りを込める。
渡した相手と、差し出した自分。
どちらも、ほんのり甘く蕩けるような幸せな気持ちに浸れますように───。
2010/02/14 UP