Fortunate's wheel/後編
先行しているサスケを除いた僕たち5人と『坊ちゃん』って呼ばれているあの人、それに「『とうぜん』わたしもついていきますからね!」と息巻いていたグレミオさんを連れて、山道に踏み込んだ。
「君がコウの会いたがっていた『カイネ将軍』なんだね」
「ルックに聞いたんですか?」
さっきのことを思い出しながら聞くと、頷きを返される。
「うん……おもしろいね」
「……僕、そんなに将軍らしくないですか?」
確かに僕はまだ子どもだし、デスクワークも会議も嫌いで、軍のことはシュウさんにまかせっきりだけど……面と向かって変だなんていわれると、やっぱりちょっと傷つく。
しゅんとなってしまった僕に、彼は「そういう意味じゃないよ」と小さく笑った。
「巡り合わせがね、面白いと思ったんだ」
「巡り合わせ、ですか?」
僕はきょとんとする。
「そう、僕と君が出会ったことがね」
謎めいた視線が、ちらりと僕に注がれた。彼が僕を見てくれていることが、なんだかすごく嬉しい。
「ただの偶然だろ」
ルックが冷たく言い放った。なんか、さっきから機嫌が悪い。いつも無愛想だけど、それに輪をかけて言葉がトゲトゲしてるもん。最初、船酔いが治りきっていないところを引っ張り出されたせいかなって思ってたんだけど、どうやらそれだけじゃないみたいだ。
「星に未来をかいま見て宿星の行く末を見届ける、運命の施行者殿の弟子の台詞じゃないね」
「その全てをひと言で蹴り捨てた君に言われたくないよ」
「ひどい中傷だね。僕はちゃんと自分の役割を全うしただろう?」
「……結果だけ見ればね」
ふたりが何の話をしているのか、僕にはさっぱりわからない。わかるのは、ルックの機嫌がどんどん下降していってるってこと。どうしよう、止めた方がいいのかなあ。喧嘩とは違うみたいだけど。
僕が、う~んって唸っていると、フッチがこっそりと袖を引いた。
「大丈夫ですよ。あの二人、あれですごく仲がいいんですから」
ええっ!そうなの?と驚く僕に、フッチが重々しく頷いた。
「ありました。サスケの目印です」
先頭を歩いていたカスミさんが、僕たちを振り返った。急いで駆け寄ると、道沿いから一本奥まった場所に生える木の枝を指し示してくれる。
「これが目印?枝が自然に折れてるだけじゃないの?」
ナナミの疑問はもっともだ。枝の一本が折れ、かろうじてぶら下がってるその木は、なんの変哲もない森の中に生えた一本だった、ちょっと奥に立ってるからよほど注意してみないと見つからないだろうし。
「忍びだけがわかる法則を持っていますから、普通の人が見てもわからないようになっているんです」
カスミさんが言うんだから、間違いないよね。
「なるほど、サスケくんというのは、ロッカクの里の出身だったんですねえ」
グレミオさんが感心している。どうやらサスケとも初対面らしい。
答えようとしたカスミさんが、はっと口を噤んだ。いつのまにか、異質なモノの気配があたりに立ち込めている。
僕がトンファーを構えると同時に、予想に違わず魔物の群が襲いかかってきた。
ここの魔物は、同盟軍の城周辺に出没するのとはレベルが違う。すっごく手強くて油断してるとすぐにやられちゃう。サスケがいないから協力攻撃もできないし、こまったな。
サスケの代わりをあの人にお願いしようか――ナナミ命名の『美少年攻撃』にも余裕で合格してるしね――って、ううん、やっぱりだめだ。囮役なんて酷いコトこの人にはさせられないよ。万が一怪我でもしたら大変だもん。
牙が異様に伸びた虎の攻撃を受け流しながら、僕は件の人に視線を向けた。
彼は棍を構えるでもなく、さっきから同じ場所に佇んでいる。
うん。立ち姿も様になるなあ。なんていうか独特の雰囲気があるよね……じゃなくて!この人、戦う気がないの!?
僕が口を開きかけたとき、後ろからヒトガタの魔物が彼に向かって攻撃を繰り出した。外見はかわいい女の子なんだけど、3人そろっての攻撃はすごく凶悪だ。
危ないって思った瞬間、その人の身体がふわりと動いた。体重を感じさせない優雅な動きで、なんなく魔物の攻撃を避けると背後に回り込んで棍をくるりと回転させる。
トントンって軽く突いただけみたいなのに、魔物はあっけなく地面に伸びちゃった。
僕が呆気にとられていると、近づいてきた彼がおもむろに囁いた。
「早めにケリをつけよう。カイネできるね」
初めて名前を呼んでくれた。こんなときだっていうのに、つい頬が緩んでしまう。
言われたとおり、反対側から回り込んで、敵をなぎ倒した。
あ、この感じ、ジョウイとやった幼なじみ攻撃――やっぱりナナミがつけた――に似てる。ジョウイと僕は小さい頃からじいちゃんの元で一緒に修行してたから、二人で呼吸を合わせて動くと、いつも以上の力が出せたんだ。並み居る敵を一撃でなぎ倒すことだって出来たんだよ?
でも、この人は違う。同じように協力して、おんなじように敵を倒すことができたのは、この人のおかげだ。僕が両手のトンファーで2打与えて敵を倒すところを、彼は棍のひと突きで同じダメージを与えてる。
その上で、僕のために一呼吸まってくれてるんだ。
……この人、すごく強い。
だぶん僕よりずっと。もしかしたらルカ・ブライトと比べてさえ。
僕は初めて、目の前の人の素性が気になった。いったいどういう人なんだろう。
「すっごーいっ!息ぴったりじゃない!!この前通ったときにはあんなに苦労した魔物達が、あっというまに片づいちゃった」
ナナミがパチパチと手を叩いた。
「あなた強いのねぇ。カイネについていけるひとなんて、ジョウイ以外で初めてだわ。あ、ジョウイって言うのはわたしたちの幼なじみなんだけどっ」
違うよナナミ。僕があわせてもらってたんだ。
彼は「そうなんだ」と小さく答えて、つつましやかな笑みを浮かべている。
「あ、あの、ナナミさん……」
カスミさんがおずおずと口を開く。
「カスミ。先を急ごう」
やんわりと制され、カスミさんは顔を赤くして俯いた。
「はい。そうですね。申し訳ありませんセラウィスさま」
カスミさんこの人のことが好きなんだ。僕はいまさらに気づいた。
「ねえねえ。カイネ」
ナナミが僕の腕をつついた。
「あの人、ジョウイに似てるね」
「そうかなあ?」
僕は首を捻った。
「そうよ!体が細っこいところとか、本当は違うのになんとなくトロくさく見えるところとか。棍の使い手だし」
「ナナミ、それ言葉の使い方間違ってる。ああいうのはね、花車で動作が優雅だって言うんだよ」
本人に聞かれてたらどうしようかと思って、びくびくしながら訂正した。幸い、聞こえてなかったみたいだけど。
「ほら、やっぱりあんただってそう思ってんじゃない」
ナナミが胸をはった。
うーん。言われてみればそうかな。育ちの良さそうなところとか、棍を使うって表面的なことだけ考えればって意味だけど。
だって、他は全然似てない。
この人は、ジョウイよりもずっと強靭だ。技術や技だけじゃなく、きっと心も。そして、ジョウイよりずっと深い哀しみを抱えている。
だって、ジョウイは……。
「お前ら、おせーよ」
ふいに頭上の枝が揺れた。山賊を尾行していた少年忍者が、僕のすぐ目の前に飛び降りてくる。
その間、10センチ。
「サスケ。あぶないなーもう」
考え事に没頭していた僕は、サスケに文句をいった。まったく。もう少しで魔物と勘違いして殴り倒しちゃうところだったじゃない。
でも、サスケにそんな心の声が届くはずもなく、
「ぼけーっとしてる方が悪いんだろ」
そっぽをむかれてしまった。
「サスケ。コウ君は?」
カスミさんに話しかけられ、サスケがちょっと緊張した。サスケってば、カスミさんに憧れてるんだよね。そこで反発しちゃうあたりが、子どもだけど。
「この先の分かれ道のところに山賊達がいます。コウの姿は見あたりません」
山賊は、一度コウを抱えてもっと奥まで進んだ後、何故か手ぶらで再びもどってきたらしい。
「その時には、もうコウはいませんでしたから、きっと奴等のアジトが近くにあるんでしょう」
「そこにコウを運び込んだってことだね。でも、盗賊達はなんで戻ってきたのサスケ?」
フッチの言葉に、サスケも首を傾げてる。
「それはわかんなかった。なんか深刻な顔で、ぼそぼそと話し合ってるだけなんだよな」
「でしたら、あとはご本人達にお伺いするしかありませんねえ」
ねえ、坊ちゃん。とグレミオさんが、にこやかに笑った。
……あの、言ってることがわりと物騒なんですけど?
「なんだよあんたは?」
グレミオが『坊ちゃん』と呼んだ相手を見て、サスケが警戒心をあらわにする。
サスケってば忍者のくせに、人見知りが激しいんだよね。コウが誘拐されたときに、グレミオさんとは顔を合わせてるけど、この人とは今が初対面みたいだからなあ。
だけど意外なことに、サスケの言葉に反応したのはカスミさんだった。
「サスケ!この方に無礼な口をきくなんて!」
ふわあ、カスミさんが声を荒げてるところなんて初めてみたよ。サスケも驚いたのか、目をぱちくりさせてる。
「僕のことは後だ」
カスミさんの肩にぽんって手を置いて、話題の当人が口を挟んだ。それだけでカスミさんは茹で蛸みたいに真っ赤になる。
「僕にそんなに気を遣うことはないよカスミ……昔とは違うんだから」
カスミさんがはっと目を見開いた。そしてすぐに哀しそうに目を伏せてしまう。
「愁嘆場はあとにしてくれない?さっさと片付けて早く宿で休みたいんだけど」
泣きそうな顔のカスミさんにルックがうんざりして言った。
「ルック君、船酔いで具合悪かったんだよね。大丈夫なの?」
ナナミが思い出したようにルックの顔色を見る。
「今更言われてもね」
「船酔い……ルックあいかわらず駄目なんだ」
くすりと小さな笑い声があがる。ルックが顔を顰めた。
「昔のことを持ち出さないでくれるかい。あんな乗りごこちの悪いモノに乗れば、誰だった気分ぐらい悪くなるよ」
ルックってば、船に悪い思い出でもあるのかな?きっと聞いても教えてくれないよね。いいや、あとでリッチモンドさんに調べてもらおうっと。
いろいろと考えたいことはあるけど、今はコウを助けなくっちゃ。僕たちは小走りになって、サスケの案内する場所へ急いだ。こんなところで話し込んでいる間に山賊達が居なくなっちゃってたら目も当てられないもんね。
胸まである茂みを回り込むと、視界が開ける。
その正面で、いかにも人相風体の悪い3人組が何事かを言い争っていた。どうでもいいけど、山賊とか盗賊とかって、どうしてこう代わり映えのない服を着るのかな。山賊がみんなああいった格好をしなくちゃいけないって決まりがあるんだったら、僕はこのさき絶対、彼らの仲間にはならない。
「ちょっとコウを返しなさいよ!!」
一番に飛び込んだナナミが、勢い込んで怒鳴りつける。
山賊の人たちは、びっくりして顔を上げた。一瞬身構えるけど、ナナミを見てすぐに警戒を解き、にやにやと笑い出す。
「なんでえ、お嬢ちゃん。ずいぶんと勇ましいじゃねえか」
「でも、そりゃ、人にモノを頼む態度じゃねえなあ」
気の利いたことを言ったつもりなのか、悦に入って悪役っぽくガハガハ笑ってる。自分の役割りに酔ってるのかなあ、いやだなあ。同じナルシーなら、シモーヌの方がよっぽどマシだよ。
「あのお、後悔しないうちにコウくんを出した方が身のためですよお」
グレミオさん……。あいかわらず丁寧だけど、それって間違いなく脅迫だよ。
「なんでい、力づくでくるってのかい……」
山賊達もさすがに、グレミオさんには警戒してるみたいだ。男の大人の人だし、手には戦斧を握っているしね。
実際、さっきの魔物が襲ってきたときだって、グレミオさんは一流の戦士の動きを見せてくれた。まあ、結局は僕と彼が、力を合わせて(ここがポイント!)一掃しちゃったんだけど。
「そうよ!あんた達なんか、ボロボロの雑巾みたくしてやるんだから!」
ナナミが合いの手を入れながら、いきなり僕を押し出した。
「このカイネがね!」
……やっぱり。
突き飛ばされて、たたらを踏んだ僕を、彼がさりげなく支えてくれた。よかったあ、こんなところで転んだら様にならないよ。
一息ついて顔を上げると、山賊の一人と目が合ってしまう。山賊がまじまじと僕を見た。
「……カイネ?」
悪役三下のくせに、呼び捨てにしないで欲しいな。僕がむっとしてにらみ返すと、息を呑んで後退る。
「お前らどうしたい?」
いちおう首領らしきおじさんが、残りの二人を怪訝な顔で見つめた。
あれ、そういえば、反対方にいる人も顔色を無くして、じりじり下がっていってるよ。
「ア、アニキ……お、俺、コイツの顔、知ってる……」
脂汗まで流して、恐る恐る指さした先は僕の隣にいる赤い服の人。
えっ?知ってるって、どういうこと?
「そ……そういえば、オレも、こっちの奴に見覚えがあるような……」
僕と目が合った方が、震える指をこっちに向ける。失礼だなあ、人を指さしちゃいけませんって、お母さんに習わなかったのかな。
「なっ、なんだよ、こいつらがどうしたってんだよ」
手下の様子にただならぬモノを感じたのか、首領の声もうわずってる。
「こっちの奴は、さ、3年前の戦争で解放軍のリーダーだったやつだ」
……え?
「解放軍のリーダーっていやあ、あの赤月帝国をぶっ倒した……」
首領の人もごくりと喉をならしている。
「んでもって、こっちが同盟軍のリーダーやってる奴だ……」
3年前のって、門の継承戦争だよね?
「あの、ルカ・ブライトを倒したっていう……?」
もう一人が僕について、話しているのを、僕はまったく聞いていなかった。
めいいっぱい目を見開いて、隣にいる人を見つめる。
「ヤバイって。こんな奴等相手にしてたら、命がいくつあってもたりねーや!!」
「あ、おいコラおめーら逃げんな!!」
なんて、やりとりがされているのも上の空だった。
キャロにいたころ、ジョウイから聞かされた話が甦る。
『帝国の腐敗を正すために決起し、同士を募って大陸最強にして無敵とも言われた帝国軍隊をうち破ったんだって』
何度もねだり、聞くたびに胸を躍らせた、御伽噺のような英雄譚。
『そのリーダーってね僕たちとほとんど歳が変わらないんだってさ、すごいよね』
誰もが讃え、吟遊詩人が詩華に乗せて謡うその名前。
僕は、唐突にレパントさんのところで見た英雄の部屋を思い出した。
赤い服に、黒い棍。若草色のバンダナ。中央に置かれた胸像の顔は、確かにこの人のものだった。
グレッグミンスターの城で、ロッカクの里で。僕は何度もこの人に似てるって言われた。
この人が僕に似てるんじゃない、僕がこの人に似てたんだ。
「……トランの英雄……?」
からからに干上がる咽を押さえ、おそるおそる呼びかけてみる。
「え、えええええっ~~~っ!!!」
ナナミの叫びが響き渡った。鳥たちが驚いて、バサバサと木立を揺らして飛び立つ。
「……そう、呼ぶ人も、いるね」
その人――セラウィス・マクドールさんは、少しだけ目を伏せて微笑んだ。
僕とナナミが――ちょっと離れたところでサスケも――パニックを起こしている間に、グレミオさんたちが、コウの居場所を聞き出してくれた。
「慣れない誘拐なんてやるんじゃなかったぜ」と、がっくりと肩を落とす山賊の首領に、同情を覚えるものは当然いない。
魔物に遭遇したので、小さな子どもを放りだして逃げてきました、なんていう奴、なさけなくって殴る気にもなれないよ。
とにかく、そいつらはまとめて縛ってそこらへんにくくりつけておく。いちおう役人には届けておいてあげるから、運が良ければ魔物に襲われる前に迎えがくるでしょ。
僕たちはコウの姿を求めて全力疾走した。
やられる――って思った。
魔物の毒にやられて動けないコウを連れ、グレッグミンスターにいるっていうホウアン先生の師匠の元へつれていこうとしていた矢先だった。
強大なイモムシが僕たちの前に立ちはだかったんだ。
前に訪れたときにもいた、けれどそのときよりもひとまわりもふたまわりも、大きなヤツ。
甘く見ていたのかも知れない。前にも斃せたんだから、今回もきっと大丈夫だって。
大きいせいか、以前より格段に攻撃力の高いソイツを、やっとのことで斃したと安堵を覚えた刹那――魔物の背中がばっくりと割れた。
脱皮し、さらに大きくなった蛾みたいな化け物は、毒の鱗粉をまき散らし、炎を吐き散らす。
気がついたときには、かろうじて立っているのは、僕と、マクドールさんだけになっていた。
「坊ちゃん、お願いですから逃げてください」
地面に爪を立てながら、グレミオさんがようやくそれだけを告げる。輝く盾の紋章の力も使い果たしちゃった。これって結構絶望的?
巨大な蛾の触覚が揺れ、羽根が大きく羽ばたかれる。
「うわっ!!」
それの作り出す鎌鼬に、僕とマクドールさんはあっけなく、弾きとばされた。
このままじゃ死んじゃう。ぎゅっと目をつぶった。
せっかく、せっかく憧れてたトランの英雄に、会えたのに。ろくに話しもできないままなんて、嫌だよ。
……ううん。違う、トランの英雄だからじゃない。この人だからだ。
この人ともっと話がしたい。この人のことをもっと知りたいんだ。
死ねない!絶対に!!僕が目をかっとあけて、拳を握りしめたときだった。
『我が真なる紋章よ―――』
呪文が、聞こえた。凛とした、空高く吸い込まれそうな玲瓏たる声。
最初はルックかなって思った。ルックが真の風の紋章を発動させたんだって。
でも、そうじゃなかったんだ。
マクドールさんが、立ち上がり、巨大な蛾の前に立ちふさがった。
たったひとりで。
僕は彼の後に続いた。身体の痛みなんてわからなかった。
マクドールさんに並んで立つと、彼は僕をその深い瞳で見つめる。
視線に促されるままに、僕は右手をあげた。
「我が目前に立ちはだかりし者よ。我は裁きて許す者なり。わが輝く盾の紋章の名の下に、求むる者に救済を、猛りし者に永久の眠りを与えん」
唇が、無意識に呪文を紡ぐ。
紋章から、光があふれた。
ナナミ達に癒しの光を、魔物には裁きの光を与える――『許すものの印』。
これまで一度も使えなかった、使えることさえ知らなかった、輝く盾の紋章、最高峰の魔法。
呆然としている僕の耳に、マクドールさんの声が流れてくる。
「黙示録に記されし断罪の天使達よ、生と死を司る我が紋章の与えし啓示のもと、最後の審判を成さしめよ」
闇があふれた。
夜よりもなお深い、原始の闇が、そして、とけ込むように、反発するように光があふれる。
降臨する天使から、天へ向かって伸びる光の柱。
人も魔物も、命あるものも命費えた者も。すべてをさらけ出し、断罪する『裁き』の光。
相次いで開放された真の紋章の力の前には、さしもの巨大蛾もひとたまりもなかった。
「ソウルイーター……これが……」
フッチが熱にうかされたように呟く。
「そんな、本当に……」
カスミさんの哀しげな声が、いつまでも余韻として残った。
「この先は、トラン王国領である」
いかめしい顔で、槍を突き上げるのは、国境守護警備隊のバルカス隊長だ。領土としては鉱山も一応トランに属するんだけど、山道を通って密入国する者が後を絶たないため、ここに検問を設置したんだって。
僕がバルカスさんに挨拶しようとしたら、先に相手の方が気づいた。
「おや、これはカイネ殿ではないですか。また、グレッグミンスターにご用ですか?」
愛想良く――いいおじさんに愛想振りまかれたって、気持ち悪いだけだけどね――挨拶してくれてから、何気なく僕の隣を見て――。
「あっ、あああああ~~~っ!!!」
天まで届くほどの絶叫をあげた。
一緒に警備についていた人たちも、みんな目を丸くしたり耳を塞いだりしてる。
だけど、バルカスさんはそんなこと気にも止めてなかった。彼は真っ直ぐ僕の隣にいる人を見つめて、ひたすら口をパクパクさせている。
「おやあ~、だれかと思えばバルカスさんじゃないですか。お久しぶりです~」
ひとり緊張感のないグレミオさんが、ルック達にむけたのと同じ挨拶をしている。グレミオさん、頭なんか下げたら危ないよ。コウを抱えているってこと忘れないでよ。
「セ、セ、セラウィスさま……よくぞ、お戻りで……」
後で聞いたんだけど、バルカスさんも3年前の解放戦争に参加していたんだって。
ひとしきり騒いだ後、バルカスさんは今度は目に涙を浮かべ始めた。男泣きしてるよこの人。どうしよう早くコウをリュウカン先生って人に診せたいんだけどな。
「バルカス、でかい図体でいつまでもぼーっと突っ立ってるのはやめてくれない?はやくグレッグミンスターに行きたいんだけどね」
ルックが溜息混じりに口を開いた。
バルカスさんはあわてて袖で涙を拭う。
「そ、そうですね。失礼いたしました。至急、馬車を用意いたしますので。……どうぞお早くお戻りになって下さい。レパント大統領もきっとお喜びになりますよ」
涙の跡が頬に残る笑顔全開ではしゃぐバルカスさん――だから怖いってば――とは逆に、マクドールさんは終始無言だった。
その瞳がすっごく遠くを見ているようで、なんだか僕は取り残されたような気持ちになる。
「マクドールさんっ。馬車が来ましたって。早く乗りましょう!!」
腕を組んでぎゅうっと抱きつく。あ、困惑してる……って、あっさり引き抜かれちゃった。
「そうだね行こうか。バルカスひとつ頼まれてくれるかな?」
マクドールさんは何事もなかったように、僕を促した。ううーん。手強い。でも!めげないもんっ!
いまだ感激のさめやらぬバルカスさんにこれまでの事情を話し、早駈けの馬で先に城に向かってもらうことにした。僕たちが馬車で着く頃には、リュウカン先生が治療の準備をして待っていてくれるだろう。
ホント、マクドールさんって気がきくっていうか、準備がいいっていうか、尊敬しちゃうよね。
そんなこんなで、僕たちは馬車で一路、グレッグミンスターを目指したんだけど、着いてからがまた大変だったんだ。
「セラウィスさま、よくぞお戻りで!!」
バルカスさんの知らせを受けたレパント大統領は、城門前で今や遅しと待ちかまえてた。後ろにはアイリーンさんやアレンさんやグレンシールさんや……他にも、えっと……あと、名前忘れちゃったけど、とにかく、勢揃いで並んでいたんだ。声を揃えて歓声を上げる様子は、合唱団みたいだった。かなり不揃いだけどね。
まあ、それだけトランの英雄の帰還が嬉しいってことなんだろう。
……そういえば、彼はなんで、3年前に出奔してしまったんだろう。戦争がつらかったから?でもそれなら、途中で逃げ出してるよね。
せっかく平和になって、みんなが彼を褒め称えてこれからって時だったのに。
「レパント、リュウカン先生は?」
今にも縋りつかんばかりのレパント大統領から、さりげなく遠ざかり――当然だよね!おっさんの分際でマクドールさんに気安く触ろうとするなんて――トランの英雄は落ち着いた声で言った。
特に大きな声でもないのに、みんな一瞬、はっとなる。すごいなあ、威厳ってきっとこういうのを言うんだろうな。
これじゃ、コウが同盟軍のリーダと間違えるのも当然だよね。
「こちらにひかえておりますぞ」
おっとりとした声がして、小柄な老人がレパント大統領の影から出てきた。へえ、初めて見る。この人がホウアン先生のお師匠さんかあ。
「悪いけど、この子をお願いできるかな」
グレミオさんの抱えているコウを指さす。リュウカンさんは鷹揚に頷いた。
「お任せ下さい。……あなたもお元気そうでなりよりですな」
グレンシールさんにコウを診察室に運ぶよう指示した後、思いついたように付け加える。
マクドールさんが微かに頷くのを慈愛の笑みで見つめると、リュウカンさんは自分の仕事に取りかかるために退出していった。
「さて、セラウィスどの」
促されるままに通された謁見の間で、レパントさんは口調を改めた。
「長らくのご不在よりの帰還、慶賀の至りです。つきましては、トラン共和国が大統領の席を正当なるお方の手にお戻しいたしたく存じます。さあ、どうぞこちらへ」
こほんっと咳払いして恭しく手をさしのべる。
マクドールさんは無言で頭を振った。
「どうなさったのです。さあ、どうかあの席にお着き下さい」
赤い布の張られた座りごこちの良さそうな椅子を指さして、レパントさんがなおも言い募る。マクドールさんは苦しそうな顔をして俯いた。
「なぜです?ここはあなたの国ではありませんか。あなたが闘い、血を流し、貴方自身の手で築き上げた国です。なにをためらうことがあるのです」
「レパント……違うよ」
「何が違うと言うのですか!?」
レパントさんが声を荒げた。怒っているのとは違う。たぶん、哀しんでるんだ。都市同盟の僕たちは口を挟むことも出来なくて無言で成り行きを見つめた。グレミオさんもハラハラしながら経緯を見守っている。
「あなた、およしなさい」
側に控えていたアイリーンさんがそっと夫の肩を押しとどめた。
「セラウィスさんの目は、きっともっと大きな世界に向けられているのでしょう。引き留めては酷というものですわ、あなたとて、若い頃をお忘れになったわけではありませんでしょう?」
にっこりと優雅な微笑みを浮かべて大統領を諭している。やっぱアイリーンさんって綺麗だよなあ。こんな人がレパント大統領の奥方なんて信じられないや。シーナのお母さんって方がもっとすごいけど。
う、うーむっとレパントさんは唸った。認めるのは断腸の思いなんだろうね。
「わかりました。ですが、ひとつだけお約束してください。ここはあなた様の故郷です。いつか必ずお戻り下さい」
「わかった、ありがとう……」
ふわりと、マクドールさんが初めて微笑んだ。
どうもお礼の言葉はアイリーンさんに向けられていたみたいだったけど。本当の傑物はレパント大統領よりもアイリーンさんだって噂は本当だったんだ。影の実力者か。この人だけは敵に回さないように気を付けよっと。
僕たちはしばらく歓談した後――マクドールさんはほとんど喋らなかったけど――お城を後にした。コウの様子は一晩たたないと分からないみたいだし、そろそろ日も暮れてきたから、今日はマクドールさんの家に泊めてもらうことになったんだ。
前に来たとき、あそこだよって、場所だけは教えてもらっていた大きなお屋敷。赤月帝国で皇帝の信頼が最も厚かったって言われている将軍家は、はっきりいってジョウイの実家より数倍も立派だ。
ジョウイの生家であるアトレイド家だって、それなりの名家なんだけどね。やっぱり、国に対する貢献度が違うせいかなあ。
マクドールさんは城下でも大勢の人に囲まれていた。マリーの宿屋の人たちや、マクドールさんの家族も同然だっていうクレオさんやパーンさんが、顔をほころばせて周りを取り囲んでいる。
その中でマクドールさんだけが、寂しそうに見えた。
「どうしてレパントにはっきり言ってやらなかったのさ」
やっとのことで解放されてお屋敷の門をくぐったとき、ルックがマクドールさんに言った。
「何を?」
ここになって僕にも解ってきた。マクドールさんは普段ほとんど喋らないけど、ルックに対してだけは違うんだってこと。
「大統領になれない理由だよ。はっきりさせておいたほうが、後腐れなくてよかったんじゃない?」
マクドールさんが苦笑する。
「納得するとは思えなかったからね。アイリーンが助け船を出してくれるだろうと思ってたし」
それに、とマクドールさんがちらりと僕の方を見た。
……?
いったいなんだろう?
「ああ、なるほどね」
ルックは解ったみたいだ。意味ありげに頷いてる。
ふたりして理解し合っちゃってさ。ずるいよ。一時は消えていた胸のムカムカがぶり返してきた。
「ねえねえ、マクドールさん!僕お腹がすいちゃったな」
会話に割り込み、後ろから抱きつく。うわあ、思っていたよりもずっと細いや。こんなに花車でどうやったら、あんな力をだせるんだろ。
今度は逃げられないようにしっかりと抑えながら、感慨に浸る。
「カイネ……そうだね。いまグレミオに用意させるから」
マクドールさんは溜息をひとつ吐いて、あきらめたようにおとなしくなってくれた。これって、僕が抱きついてるの許してくれたって事だよね。
僕は勝手に解釈すると、嬉しくなっていっそう強く抱きついた。
「やれやれ、とんだお子さまに懐かれたみたいだね」
ルックの皮肉も今は気にならない。
今夜はマクドールさんの家にお泊まりだもん。後でいくらでも友好を深める機会はあるよね。
絶対ルックより仲良くなってみせるんだから!
僕は大いなる野望を胸に秘め、マクドールさんの手を握って食堂へ続く階段を登った。
トランの英雄。
強くて奇麗で、そしてちょっと哀しいこの人のことを僕はもっともっと知りたくなった。
伝説のなかじゃない、本当のこの人は僕にどんな顔を見せてくれるんだろう。
これからのことを考えて、僕はすごくわくわくしていた。
2001/04/29 UP