地下鉄ホームでの戦いの後、京一達は程近くにある白髭公園に場所を移した。
拳武館に連絡を入れるため、壬生が電話を探しに行ってしまうと――携帯電話は傍受される恐れがあるため、仕事の報告には使わないきまりがあるらしい――京一は残りの者達から散々に攻め立てられた。
身から出た錆とわかっているので甘んじて受け入れる。馬鹿だ阿呆だと罵詈雑言を浴びせる小蒔を筆頭に、少女達は皆涙ぐんでいて、京一としてはちょっと照れくさかった。
諸羽までもが男泣きに泣いているのには弱ったが、それも自分の身を案じてのことだと思えば、まあ、嬉しく感じないこともない。
「京一」
必要最低限以外は、終始無言だった龍麻がやっと口を開いた。
醍醐が要領よく、他の仲間を遠ざける。
(あの野郎、俺が殴られるとでも思っていやがる)
苦虫を噛み潰すが、自分でも一発ぐらいは喰らうだろうと覚悟はしていた。
「ひーちゃん、お前も俺が死んだと思ったのか?」
先には死なないと約束した。龍麻は信じていてくれただろうか。
「……別に。京一がどうなろうと俺には関係ない」
感情を伺わせない声で龍麻が言う。周囲に聞こえないことを、ちゃんと考慮に入れているあたり本音なのだろう。
京一は気落ちした。
(だよなぁ。前に俺が死んでも泣かないって言われたしな)
「でも……」
と、続けてさらに近づく。京一は今度こそ殴られるに違いないと歯を食いしばった。
(『道具』が役立つどころか、迷惑かけちまったんだ。腹ぐらい立てるよな)
なんだか理不尽な気もするが、これも惚れた弱みというもの。俺ってなんて健気なんだ、と虚しい自画自賛なんぞをしてみる。
間近に迫る瞳。微妙に紫色がかる虹彩に、長い睫毛が影を落とした。
『心配ぐらいはするだろ』
肩にふわりとかかる温もり。
己の思考に浸っていた京一が、それが龍麻の頭であると認識できたのは、すでに離れてしまった後だった。遅れること数秒で、やっと言語中枢に意味が到達する。
「えっ、え……」
頬に柔らかな余韻を残す、射干玉色の絹糸。
言葉少なに語られた、哀切の宿る響き。
(嘘、だろ……。うわっ、なんか……すっげェ感激、したかも)
京一は口元を覆った。耳元まで赤くなる。
「ちょっと京一。どうしたのサ。いきなり……」
「…………………」
とても答えられる状況ではない。
京一は深く俯いて、両手を挙げ降参の意を示した。
「龍麻、京一君に何を言ったの?」
「うん、ちょっとね」
美里の問いをさらりと受け流す。口調が呆れを含んでいた。ここまで過剰な反応をされるとは思っていなかったらしい。
「怪しいね。愛の告白でもしたんじゃないの?」
婀娜な仕草で藤咲が、片目を瞑ってみせた。
「まさか、間違ってもそんなことないよ」
「そ……そうかい……」
愛想の良い微笑みを浮かべているが、背後がなにやら薄ら寒い。さすがの藤咲もそれ以上の言及は差し控えることにした。
「緋勇」
戻ってきた壬生が、龍麻の名を呼んだ。赤面したままの京一を放り出し、龍麻はさっさと壬生の元へ向かう。
「壬生さん、大丈夫だったんですか?」
「ボク達のせいで怒られたりしないよね」
諸羽と小蒔もすぐ後に続いた。副館長の陰謀に巻き込まれたためとはいえ、壬生が命令に背いたことに変わりはない。
「敵だった人間を心配する必要はないと言っただろう」
壬生が抑揚のない声で告げた。
「八剣の捜索と武蔵山の遺体の始末も含めて、後のことはすべて拳武館が引き受ける。君達は何の心配もしなくていい」
行きがけの駄賃に武蔵山を切り殺し、八剣は龍麻達の隙をついて逃げ出した。裏切り者には制裁を与えるのが拳武館の掟。見つけ出される時まで、八剣は日本中を野兎のように追い回されることになるだろう。もちろん、海外逃亡など許すはずもない。
「副館長というのはどうなるんだ?」
醍醐がずばりと核心をついた。末葉を燃やしたところで、肝心の大樹が残っては意味がない。
「副館長にも相応の報いは受けてもらう。八剣を逃したのは痛かったが、地下鉄ホームには彼等に力を貸した者達が山と転がっている。証拠は造作なく掴めるだろう」
「じゃあ龍麻さん達が狙われることはもうないんですね」
さやかが胸を撫で下ろした。
「君達には本当にすまないことをした」
きっちりと頭を下げられ、小蒔が両手を振る。
「い、いいよ、もう。それに、ボク達ちょっと思い上がってたみたいだったし」
「え?どういうことですか?」
諸羽が首を捻った。
「うん、ボクね、自分が物語りの主人公にでもなった気でいたんだ。危険な事件に首を突っ込んで、東京を護ってるんだ、なんていい気になってサ。そのくせ自分達は絶対に死なないと思いこんでいたんだ」
そんな保証どこにもないのに馬鹿みたいだよね。
「そうね、私達、一歩間違えば身近な誰かを失う危険性があることを忘れていたのかもしれないわ」
「今回のことはいい教訓になったな。お前には礼を言うべきなのかも知れん」
美里と醍醐も、それぞれに思うところがあったようだ。小蒔の言葉を厳粛に受け止めている。
「君達は面白いね。自分のことより他人を先に心配する……仲間とはそういうものなのかい?」
「あたりまえじゃないか。ってあたしもさ、龍麻達が教えてくれるまでは信じちゃいなかったんだから、偉そうなこといえないけどね」
藤咲が小さく笑った。重なるように、ピロピロと軽快なメロディーが流れる。
「あ、ごめん俺」
龍麻が制服のポケットから、携帯電話を取り出した。立ち回りの最中によく壊れなかったものだ。京一が後で聞いたところによれば、戦闘中は前線に出ない美里に預けているらしい。
「……やっぱり、あなたでしたか。……いえ、すみません今まで地下にいたものですから」
龍麻の笑みが深くなった。軽いしぐさで断りをいれ、皆から距離を取る。
「さやかちゃんの新曲……」
少し離れた場所で通話する龍麻を見つめながら、諸羽がポツリと呟いた。あの龍麻の着メロがアイドルの歌なんてかなり違和感がある。小蒔と京一が面白がって入れたものなのだが、テレビを見ない龍麻が、それをさやかの曲であると認識できているかどうかは不明だ。
短いやり取りをしばらく続けた後、龍麻は壬生を呼んだ。
受話器を差し出され、壬生は困惑する。知り合ったばかりの自分達に共通の友人がいるはずもない。
戸惑いつつも電話口に出て……愕然とした。
「館長!?」
叫びを耳にした京一達も、驚いて二人のほうを振り返る。
「いつ日本に?……はい、はい。……えっ、緋勇が……ですか!?」
壬生の目が大きく見開かれた。京一たちは興味津々で、壬生の口元を注視する。
「……わかりました。では、後のことは戻ってから……」
プツリと通信を切った壬生は、衝撃の覚めやらぬ顔で龍麻に携帯を返した。
「とても驚いたよ。まさか君が……」
愉しげに龍麻は携帯を受け取る。
「拳武館の館長が欧州に視察に出ていることは、新聞などに取り上げられていたからな。知り合いのルポライターに頼んで、連絡先を調べてもらったんだ。なかなか捕まらないんで、ホテルに伝言だけ残しておいたんだけど、まさかこんなに早く日本に戻ってくるとはね」
京一たちにもわかるように説明する。さやかと諸羽は、過日龍麻が天野と会っていたのはこのためだったのかと合点した。
「そうか。……館長が君達によろしく伝えてくれといっていたよ」
全員に向かって伝えると、龍麻の肩に手を置き、今度はひとりだけに聞こえるように囁く。
「君が有明の月を見る必要も、もうないだろうね」
龍麻がちらりと視線を上げた。
「夜の散歩は俺の趣味だよ」
「だとしても、毎晩、夜明けまで歩き回っていては躰が持たなかっただろう?」
「……監視の目はあるのに、一向に仕掛けてこないなとは思ってたけど……あれは壬生だったんだ?」
問いからは、微妙にずれた答え。
やはり気づかれていたのかと、壬生は微苦笑を浮かべた。気配は完璧に殺していたというのに。
普通の高校生だと思いこんでいた相手が、いかに強大だったかを改めて思い知らされる。
龍麻は拳武館が接触してくるよう誘っていたのだ。強襲されたところを逆に捕らえ、藤咲と京一の行方を聞き出すために。
「あんなに隙だらけで、いかにも襲ってくださいという風情では、却って罠かと警戒したくもなるよ」
これは、嘘だ。
壬生は龍麻達を見くびっていた。仕掛ければ、他愛なく幕を引けるだろうと軽んじていた。
傍観に徹してしまったのは、少しでも長く眼にしていたいと思ってしまったから。
仕事を忘れてしまうほど、瞳を奪われた。
夜に溶け込む儚き美貌。
白んでいく空に残る月よりも淡く、幻想的な佳人の姿に。
「おい、お前ら二人で世界創ってんじゃねェよ!!」
頬を寄せ合い内緒話に興じる二人に京一が、がなり立てた。
「男の嫉妬はみっともないな。蓬莱寺」
戒めの言葉は、半ば自分へと向けたもの。
龍麻が自らを省みないほどに無茶をした理由に、果たしてこの青年は気づいているのであろうか。
拳武館の襲撃を待ち受けるだけなら、体力が消耗するのを押してまで毎夜出歩くことはない。
彼の体調が万全であったなら、八剣の攻撃から壬生が庇う必要もなかったはずだ。
龍麻には、眠りを妨げられるほど気に掛かることがあったのだ。その要因は……考えるまでもなくひとつしかないだろう。
「う……よけいなお世話だ壬生!ひーちゃん、こんな奴と仲良くすんなッ!!」
「京一には関係ない」
「ひーちゃぁ~ん、冷たいぜ」
京一が龍麻を後ろから羽交い締めにする。
……やっと、いつもの調子が戻ってきたようだ。
「これで一件落着だね」
小蒔が大きく伸びをした。久しぶりにゆっくり休めそうだと欠伸混じりに呟く。
「いや。まだだよ」
龍麻が目を眇めた。
「壬生、俺達の殺人を依頼した人物について、何か知っていることがあったら教えてくれないか?」
一同がはっと息を呑む。京一は冷や水を浴びせられた思いがした。
肝心なことを忘れていた。拳武館が動いたということは、報酬を払う何者かが存在するということだ。
「すまない。あいにく僕は、詳しい経緯を知らないんだ。ただ、何かの折に八剣が口にした名前がある」
「そいつは、何てんだ?」
京一が身を乗り出した。
「柳生……確か、あいつはそう言っていた。それが直接の依頼人の名かはわからないけどね」
「……柳生……」
龍麻の目が光の冴えを増す。
「なんだひーちゃん?心当たりがあんのか?」
「…………」
「副館長を問い詰めれば、詳細は知れるだろう。何かわかったら連絡するよ」
「大丈夫なのかい?そんなことして」
申し出はありがたいが、プロの暗殺者が簡単に情報を漏らしてはマズイことぐらい藤咲にも解る。
「ああ、僕ももう少し君達に付き合ってみたくなったからね……言っとくけど、館長にいわれたからじゃないよ」
もし、龍麻が万全の状態で八剣の鬼剄を躱せたのだとしても、壬生は迷わず彼の前に飛び出していただろう。己を突き動かしたあの衝動が、いまだ熱となって胸の奥に残っている。
「壬生……ありがとう」
龍麻が嬉しそうな顔で新しい仲間を見上げた。
京一はなんだか面白くない。
(ちっ、もしかしなくても恋敵が増えちまったじゃねーか)
それも、かなりの強敵となることは必定だ。
嘆息する背中につい、哀愁を背負ってしまう京一である。
明け方が近くの空には、白い月が掛かっていた。