詠うように。祝うように。

 遠くから聞こえてくるのは、聖なる鐘の声。
 古き年に別れを告げ、新たな気持ちで来るべき年を迎える節目の夜。
 人々はそれぞれが皆、大切な誰かと今日のこの刻を過ごしているのだろう。
 バルコニーの窓に寄りかかった龍麻は、都会のくすんだ空を見上げた。
 視線を落とせば、晴れ着に身を包み足早に駅の方へと向かう者達のざわめきが届く。
 彼等はきっと明日も明後日もその次の日も、いつまでも同じ平穏が続くと信じ、疑いもしないに違いない。
「けど、鐘は諸行無常の響きを持つとも言われているんだよ」
 この国はいま未来を決する岐路に立っている。世界は明日にでも滅んでしまうかも知れないのだ。



 軽快な音楽が部屋の奥で鳴る。
 何の変哲もない電子音を使用していた龍麻の携帯に、味気ないからとメロディー入力をしたのは小蒔と京一だった。通話という本来の用途にしか興味のない自分に代わり、二人は暇さえあればせっせと設定をいじってくれている。
 いま流れている曲も、先週発売されたばかりの舞園の曲だという話だった。
 室内を横切り表示を確かめる。相手は着メロを入れた片方の人物だった。
 何か異変でもあったのだろうか?
「京一、どうしかしたのか?」
 挨拶もそこそこに問いかけると、返ってきたのはいたって暢気な声。
『そういうわけじゃねェんだけどよ。その、これから会いにいってもいいか?』
「家にいたんじゃなかったのか?」
 電話口から流れてくるのはどう考えても外の音だった。
『さっきまではいたんだけどよ。どうにも我慢できなくなっちまって・・・・・・』
「なにが?」
『だから、その、それは・・・・・・。会って直接話すからさ』
 どうあっても、やってくるつもりらしい。こちらが断っても押し掛けてくるのならわざわざ電話など寄越さなければいいのに。
「しょうがないな。いま何処にいるんだ」
『ひーちゃんちのマンションの下』
「・・・・・・は?それなら、呼び鈴ならせば事は済んだろうに」
 一体何を考えてるんだか。呆れつつオートロックを解除する。
「ほら、鍵開けたから上がってこい」
『へへっ、サンキュー。それじゃあとでなっ!』
 素早く言って電話が切れる。龍麻が部屋の灯りを付け、暖房にスイッチを入れていると、今度は玄関口から物音が聞こえた。
「よっ、ひーちゃん。相変わらず玄関には鍵かけてないんだな」
「必要ないからな」
「隣近所の奴等も金持ちだから盗みに入ってくる心配なんてないってか?」
 周りも何も、このマンションに住んでいるのは龍麻だけなのだが。京一はまだ気づいていなかったらしい。これだけ頻繁に出入りしているというのに、迂闊な奴だと龍麻は思った。
「――ま、んなことはどうでもいいんだけどよ」
 京一は遠慮なしにずかずかと上がり込んでくると、おもむろに部屋の主を抱き締める。
「ちょ・・・・・・京一?いきなり何を・・・・・・」
 驚いて身じろぎする相棒の躰を押さえつけ、漆黒の髪に頬を埋めた。
「お前、外にいた俺と同じくらい冷えきってんじゃねェか。今までなにしてたんだよ」
「ああ、そこから外を眺めてたんだ」
 両腕ごと抱き込まれてしまっているので、しかたなく目線でバルコニーを示す。
「にしたって、電気ぐらいはつけろよな。お陰で留守かと思ったじゃねーか」
 なるほど、それで確認の電話をかけてきた訳か。
「寝てるかもしれないとは思わなかったのか?」
「こんな時間からか?それはねェだろ」
 明日の夜には決戦を迎える。どれ程の長丁場となるのかは解らないのだ。眠気で技が鈍るなどといった愚挙は冒せない。今宵の睡眠は軽めに取り、明日の昼頃からしっかりと眠れるよう体調を整えておくようにと仲間達に指示したのは龍麻だった。
「・・・・・・それで?お前はこんなことをしにきたのか?」
 引き剥がそうとしても、青年は一向に離れる様子はない。
「それもある」
 あっさりと明言され、思わず脱力した。
「・・・・・・お前。除夜の鐘の中に入って一度、その爛れた思考を矯正してもらえ」
 除日の夜に百八の煩悩を打ち払うとされる清めの音も、この男にはまったく効き目がないらしい。
「冗談。んなとこ入ったら鼓膜が破れちまうぜ」
「そうだな、お前の煩悩じゃ鐘の方が壊れそうだよな」
「ひでェ」
 くつくつと喉を鳴らし、京一は戒めを少しだけ緩めた。
 やっと楽に息付くことが出来るようになった龍麻は、青年の肩に手を置いて拳ひとつ分距離をあける。
「とりあえず、お茶でも入れるからそこに座ってろよ」
「後でいい。まだ一番の用件がすんでねェからな」
 京一は腕に閉じこめた名花を放すつもりはなかった。
「一番の用件?」
「ひーちゃんに、年明け最初の挨拶をすることに決まってんだろ」
「お前が、そんなにイベントに固執する方だとは思わなかったな」
 意外そうに龍麻が相棒を見る。京一は肩を竦めた。
 実際の所、自分でも驚いているのだ。これまで一年の始まりだから特別に何かしようなんて考えたことはなかった。学年が変わるのは4月だし、テレビの番組はつまらないし。蕎麦だって餅だって食べようと思えば何時だって食べられるというのに。
 家族と炬燵に入っていたら、どうにも相棒の顔が浮かんできてしょうがなかった。
 ただ一人で新たな年を迎えようとしている麗人の傍にどうしてもいてやりたくなったのだ。
(そりゃあ、ひーちゃんがひとりで寂しがる性格だとは思っちゃいねェけどよ)
 苦笑する青年の首に、龍麻がするりと腕を絡める。
「明日には滅んでしまう世界を前に、刹那の快楽にでも浸ってみたかったのか?」
 ふっと細まる双眸。緩やかな三日月を描いた口元に漂う色香に、京一の躰は素直に反応した。
 込み上げる衝動のまま押し倒してしまいたい気持ちをぐっとこらえて、熱の篭もった声で囁く。
「今だけなんてもったいねーこと誰が言うか。俺はひーちゃんと明日も明後日もこうしてるつもりなんだからよ」
 抱擁を交わし、温もりを伝え合い。
 愛しき人の息吹を感じ、見つめ合う瞳の奧に己の存在を確認する。
「そのために世界の命運を掛けて闘うって?崇高な使命の割には理由が俗物的だよな」
「他の奴らだって似たり寄ったりだろ」
 自分たちが胸に抱いた決意は、決して高邁な精神からなどではなく。
 ましてや自己犠牲の気持ちなんて持ち合わせてもいない。
 大切な人を護りたいから。大好きな街を壊されたくないから。
 真神の聖女でさえ、闘う理由をそう答えているのだ。
「星だの運命だのってのに振り回されてるよりは、よっぽど健全だろ」
 自分の望む物の為に自ら剣を取った。
 他の何者にも干渉されていない己の意志だからこそ、負けるつもりはなく。また闘いの行く末に責任を抱いてもいる。
「・・・・・・お前らしい意見だな」
「悪ィかよ」
「いや、俺もそうだよ」
 笑みを深くし、龍麻はある意図を込めて相棒の名を口にした。
 正しく読みとった京一は、今度こそ情に導かれるままに想い人の躰を横たえる。

 蛍光灯の消えた部屋に落ちてくる夜の帳。
 窓の外に鳴り渡るのは、逝く年を嘆く弔鐘。そして新たなる年の誕生を寿く祝福の声。

 壁の時計の針がカチリと音を立てて動いた。過去の予言者によって終焉を詠われた年が来る。
 永遠がないことを知っているからこそ、何気ない瞬間がたまらなく愛おしい。
 滅び行く世界を前にして。去りゆく古き時を偲び、新たなる年の前途を祈る。

「あけましておめでとう」
 使い古された、けれど新鮮な気持ちを与えてくれる言祝ぎを同時に口にして。
 龍麻と京一は互いの想いを確かなものとするために、どちらからともなく腕を伸ばした。

2002/01/02
『さきがけ』と読みます。以前お年賀として配布させて頂いたものですが、そろそろ時効だろうと思いUPしてみました。
この話は、『青陽』へと続きます。

【祝福は鐘の音とともに】

龍麻:「・・・・・・ん・・・」
京一:「龍麻・・・・・・」
(ピンポーン♪)
龍麻:「・・・・・・・・・・・・京一」
京一:「黙ってろ、龍麻」
(ピンポーン♪ピンポーン♪ピンポーン♪)
龍麻:「客だ。ちょっとどいてくれ、京一」
京一:「・・・・・・・・・・・・イヤダ!ほっときゃそのうち諦めるだろ!」
(ピンポーン♪ピンポーン♪ピンポーン♪ピンポーン♪ピンポーン♪ピンポーン♪)
龍麻:「あれが諦めるようなチャイムの音か?」
京一:「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
(どんどんどん!)
弦月:「アニキーッ!おるんやろ、ここ開けてくれやー」
(筆者注釈:京一は、入ってくるときに鍵を掛けました。なにやら思惑があったらしいです/笑)
壬生:「如月さん、本当に龍麻は中にいるんですか?」
如月:「飛水流の名にかけて間違いはない!玄武たるこの僕が気配を感じ取ってるんだぞ」
村雨:「いい酒が手に入ったんだ。一緒に呑もうぜ先生」
龍麻:「(京一を押しのけ)ということらしい。諦めろ京一」
京一:「お約束な展開しやがって・・・・・・っ!くっそー今年は厄年か?」
相棒をどかして、さっさと玄関に向かう龍麻。今夜は徹夜で飲み会だ。
敵は柳生だけではない。今年もがんばれ京一!