青陽

 頭の芯を痺れさせていた火照りが静まるにつれ、冷えた大気が染みこんでくる。
 京一は身震いすると、床に散らばった衣服を手に取った。
「大丈夫か?」
 上半身を起こしいまのいままで腕の中に閉じこめていた相手に問いかける。
 しなやかな四肢を力無く床に投げ出した麗人は、気怠げな視線を相棒に投げかけた。
 生返事をしつつごろりと仰向けになり、持ち上げた右手で乱れ散る前髪を掻き上げる。
 本人にとっては何気ない、けれど眺める側からすればいやに艶めかしい仕草に。再び身の裡に熱が凝りそうになった京一は動揺を押し隠して視線を逸らした。
 明日の未明には、柳生宗崇と干戈(かんか)を交えなければならない。
 大事の前なのだ。無理をさせるわけにはいかないと己を戒めた。
「ほら、服。早く着ろよ」
「お前が脱がせたんだろ」
 そのとおりなのだが。暖房しているとはいえ季節は真冬。何時までもそのままでいれば風邪を曳いてしまうだろう。
 なにより一糸纏わぬ姿を目の前に晒され続けては、京一の理性が持たない。
「床ではよせっていつも言ってるのに」
 小さく舌打ちしつつ龍麻が、大儀そうに上体を起こした。
 僅かに安定を欠く肩を支え、手近にあったシャツを羽織らせる。
「んなこと言ったってよォ。ひーちゃんだって止めなかったし……」
「お前が制止する暇も与えなかったんだろうが」
 自分だけの所為ではないはずだと主張してみるも、続けようとした言葉は冷ややかな佳人の視線に遮られた。
 口では絶対に勝てない相手――武力行使でもやはり勝てないだろうが――に、京一は頭を掻いておとなしく己の非を認める。
「悪かったよ……風呂、沸かしてくっから」
 ちょっと待ってろ、と中腰になったところで腕を引かれた。
「ひーちゃん?」
「今沸かされても湯が冷めるだけだ」
 つまりは、動けないということらしい。京一はいまだ羽織っただけの着衣より覗く鎖骨をちらりと見やった。そこには己の刻んだ所有の証がしっかりと刻み込まれている。
「すまねェ……」
「いまさら謝られてもな。どうしてくれるんだ、ベッドまで戻れそうにないじゃないか」
 苦笑する声は、怒りよりも呆れを多分に含んだものだった。寝室は部屋の中央付近にまでせり出すようにして造られた半二階にある。といっても、遮られた場所が閉塞しているというわけでは決してなく。むしろその逆で、二階のある部分が普通の天井で、開かれた方は吹き抜けといって差し支えないほどの高さがあった。しかも、その一階面積の半分である二階でさえ、京一の自宅の部屋よりも広かったりするのだから恐ろしい。
 当人は物欲に乏しく華美を好む質ではないのだが、龍麻を嫁にもらうと金銭感覚のズレには苦労するかもしれない、などとついいらぬ懸念を抱いた。この、世に二つとない名花が『嫁』などという立場を諾意するはずもなく、まかり間違って収まってくれたとしてもおとなしく養われるような性格はしていないのだから心配するだけ馬鹿をみるのだが。
 それはさておき、寝室に上がるためには段数こそ少ないものの螺旋状になっている階段を上らねばならない。起きあがるのさえ辛そうな龍麻が上階に辿り着くのは至難の業であろう。
「俺が運んでやってもいいけどよ……」
 おずおずと提案などしてみる。
「どうやって?」
「か、抱え上げて……とか」
 冗談だろ、と龍麻が即座に却下した。
「あの狭い階段を人ひとり抱えて上れるのかお前?バランスを崩して途中で墜ちるのがオチだ」
 確かに、と京一は以前に一度龍麻を担いで上ったときに強いられた苦行を思い出す。あのときは相棒が気を失っていたからまだしもなんとかなったが意識のしっかりしている今、無理矢理抱え上げようものなら階段に足をかけた時点で暴れ出されかねない。この上怪我でも負わせてしまったら、明日の戦いに響く……前に、京一が仲間達に殺されてしまうだろう。
「しょうがねェ。布団敷いてやるから今夜はここで寝ろよ」
 妥協案を打ち出すと、佳人が息を吐き出した。
「……今何時だ?」
「あ?4時を回ったところだな」
「美里達との待ち合わせは9時だったよな。これから寝ると起きられなくなりそうだ」
 戦勝祈願か受験合格祈願かは知らないが、日中は仲間達と初詣に行く約束をしている。深夜の決戦に備えて午後一杯を休息の時間に充てるため、必然的に待ち合わせは早い時刻となっていた。
「心配すんなって、ちゃんと責任とって俺が起こしてやるからよ」
「遅刻の常習犯にそんなこと言われてもな」
 安心できるはずないだろう。
「う……そりゃ、まあ、そうかもしんねーけどよ……」
 言葉に詰まった京一を見返し、龍麻がふっと口元を緩めた。
「中途半端に眠るよりは、このまま夜明かししてしまった方がいいかもな」
「なら、もう少し部屋の温度を上げてくるか?」
 再び床に寝ころんだ相棒に意向を尋ねる。いつもならすぐにきっちりと着込んでしまうというのに、龍麻はいまだ薄い上衣を一枚羽織っただけであった。それほど疲れさせるような真似をした覚えはなかったのにと京一は首を傾げる。相方への気遣いを忘れ暴走してしまうことはままあることだったが、今回は後に控えるもののことが念頭にあったため常よりは手加減した……はずなのだが。
「京一が責任をとってくれるんだろう?」
 もしや具合でも悪いのではと口に出しかけた京一の思考がそこではたと止まった。
 ……いま、龍麻は何と言ったのだろう。
「ひー……ちゃん……?」
 暖房器具に向かいかけていた視線を戻し、声の主を見やる。龍麻の瞳はまっすぐに京一だけを映し出していた。
 つい先ほど己が腕の中にいたときにみせていたのと同じ色を宿す虹彩に。静まりかけていた熱がじわりと再燃する。
「んなこと言っていいのかよ。今度こそ手加減きかねぇかもしんねェぜ?」
 京一の掌の下で、きしりと僅かに床が軋んだ。
「加減なんて高等技術、お前が出来るとは知らなかったな」
 身を寄せ肩に体重を乗せていっても龍麻は逃げない。
「ひでェ。なんなら俺の本気がどれくらいか教えてやってもいいんだぜ?」
 にやりと笑って覗き込むと、佳人の口角がゆうるりと持ち上げられた。
 蠱惑の香り漂う傾国の微笑に、眩暈がおきる。
 根刮ぎ奪い尽くされそうになる意識をなけなしの理性と不屈の精神力を総動員して繋ぎ止め、指先を顎の線から項、首筋へと滑らせた。
 途端に小さく跳ね上がる躰。先ほどの情事の名残か、いつもよりも顕著な反応を示してくる。仄かに色づいた目元に煽られ、唇をよせると龍麻がゆっくりと目を閉じた。
「……俺を凍えさせるなよ」
 互いの吐息が伝わるほどの至近距離で囁かれ、京一は不遜な顔をする。
「こんな風に誘われちまったら、後にはひけねェよな」
 友との約束も、強く抱いた決意も。世界の命運でさえもが、この華の前では意義を失う。
 手を沿わせれば吸い付いてくるような氷雪の肌の感触。鮮やかに色づく薄く開いた唇。
 夜になお映える漆黒の髪の艶やかさ。
 鑑賞だけではとても足りない。余すところなく貪り尽くしたい。
 底知れず湧き上がる渇望は果たしてどちらにより多くの責任があるのだろうかと考えながら、青年は身の裡を巡る衝動に忠実に従っていった。 

  

 触れ合わさる場所から生まれる熱は、温もりなどという生やさしいものではなく。乱れる吐息が闇を甘く染め上げていく。
 寒さなどもう、とうに感じなくなっていた。
「……ぁ、…っ……」
 喉を突いて漏れそうになる声を抑えようと唇を噛みしめれば、伸ばされた指先にあえなく目的を阻まれる。くつくつと笑うその仕草までもが、身を震わせる刺激と変わった。
「声、抑えんなよ」
 言われて頭に上る血は、怒りと羞恥とどちらのものであろうか。
 その、判別すらも既につかなくなってしまっているというのに。己を組み敷く男に余裕が残っているのが悔しい。
 翻弄され霞む意識を無理に引き戻せば、うっすらと開けた視界に広い胸板が映し出された。鍛え上げられしっかりとした質感を持つ――けれど無駄な筋肉の一切ない躰は、きちんとした計画の元に鍛錬を積み重ねてきたものであることが容易に知れる。
 不検束とみえて京一はこういったことに手を抜かない。半分でいいからその熱心が学業の方に向けばな……と考え、龍麻は小さな笑いを零した。
「ひーちゃん、何考えてんだよ」
 途端に憮然とした声が降ってくる。
「お前の成績って相変わらず地を這ってるよなって思ってたんだ」
「あのなァ……」
 青年が眉根を寄せ、がくりと肩を落とした。
「醍醐や美里達からお前を無事卒業させてやって欲しいと頼まれている身としては、心配するのは当然のことだろう」
「だからって何もこんな時に、んなことに気を回すこたーねェだろうが。……他の奴の名前なんて出すなよ」
 情けない顔を見せる相棒に苦笑する。
「お前こそ何言ってんだか。美里達は仲間……?!…っ、きょ、京一?!」
 いきなり膝を割り男の躰が間に滑り込んできた。驚き、思わず逃げを打つ肩を押さえ京一が口端を吊り上げる。
「無駄なことを思い浮かべちまうのは、まだまだ余裕がある証拠だよなァ?」
「ちょ、ちょっと待……ア――ッ……」
 押し止めようとする努力も空しく、躰の最奥が相手の意志に浸食された。顔を蹙め反射的に目の前の肩を掴めば、指先が込められた力に血の気を失う。
「ば……馬っ鹿……いきな、り…っ……」
「俺のことだけ考えてろ」
 抗議を遮り男が傲然と言い放った。仰のき晒された白い喉に舌を沿わされ、空いた方の指先に下肢を絡め取られる。無遠慮に伝えられる欲情を、しかし今日既に何度か受け入れている身は悦楽として受け取った。
「他のことになんか気を向けるな。俺のことだけを見てろ――龍麻」
 甘く。染みこむように告げられる己が名。四肢から力を奪い、抵抗を一切剥ぎ取るこの切り札を男はどこまで自覚して用いているのであろうか。龍麻は微かに睫を震わせると、行為が一方的なものとならいないよう京一の首に腕を回した。

 性急な行為は嫌いではない。
 それだけ相手が己に溺れているのだと感じることが出来るから。

 想う数だけ、想いを返されたい。
 奪われる分だけ、奪い取りたい。

 欲しいのは絶対の位置。
 背中を合わせるも、向き合うも。隣り合うも、肩を並べるも。
 常に同じ場所に立ち、同じ高さからものをみることができるように。

「…ふっ…京一……」
 龍麻が相棒の頬に手を添え、婉然と微笑む。
 半ば無意識に浮かべられた表情が、どれほど麗質たるかを知るのは京一だけ。
 その事実に満足を覚え、青年は己の心を支配してやまない愛しき人を深く抱き込んだ。

2002/07/31 UP
うに様に捧げた18000hit記念SS。
リクエストは、ひーの誘い受け(滝汗)裏なお話でした。
らぶらぶって何だろう、裏ってなんだろう、と遠い目で呟きながら書き綴ったという……(>アブナイ)
最初、前半部分で終わらせるつもりだったのですが(途中にある罫線の前です)、さすがに苦情が入るかと思われましたので無理矢理後半部分を付け加えてみました。


【一年の計は元旦にあり】

京一:「美里達との待ち合わせまであと1~2時間あるな」
龍麻:「京一……頼みがあるんだ」
京一:「なんだよ、ひーちゃん改まって(もしや今日は出かけずいちゃいちゃしてようとか?)」
だらしない顔で京一はいまだ龍麻を抱きしめている。既に正常な思考回路は作動していないと考えてよい。その証拠に、そんなことをすれば菩薩様からの報復が待っているだろうことをすっかり忘れ去っている。
龍麻:「今すぐ勉強してくれ!」
京一:「…………へ?」
龍麻:「2時間もあれば、ワークブックの10ページぐらいできるだろう」
京一:「ちょ、ちょっと待て、ひーちゃん。いきなりなんだって」
龍麻:「さっき、お前の成績のことを思い出したら気になってしかたなくなってな」
京一:「…………………」
自分が勉強を教えているというのに京一が卒業できなかったとあっては龍麻の沽券に関わる!……らしい。なにも最中に考えなくても、との思いはもっともだが、所詮は自業自得である。
龍麻:「一生懸命勉強している姿が目にとまれば先生方だって情けを掛けてくれるかも知れないだろ」
京一:「いや、けど……ひーちゃんも疲れてるだろうし……」
龍麻:「俺のことよりお前は自分の成績のことを心配してろよ」
初詣に行ったら俺も一緒にお前の卒業祈願をしてやるから、とまで言われ京一は引き攣り笑いを浮かべた。
これも幸せの光景、といえるのかもしれない。