murmur1/夢の痕
眠れない……。
何度目かの寝返りを打った後、僕はあきらめて寝台から身体を起こした。
今、僕が居るのは、ずっと憧れていたトランの英雄の生家・マクドール邸の一室で。立派だけれど華美ではない部屋は、居心地よく設えられていた。当の英雄と一緒に夕食の膳を囲んでいたのはついさっきまでのこと。気分が高揚するのも当然のことだよね。
「少し散歩でもすれば、気が静まるかな」
ひとりで呟くと、僕は部屋を抜け出し、階段を下りていった。
途中、パーンさんの部屋から大きな鼾が聞こえてきて、ちょっと笑ってしまう。だって、ビクトールさんといい勝負なんだもん。
「あれ?クレオさん。どうしたんですか?こんなところで」
玄関口に立つ人影に一瞬ドキリとなる。けれどすぐにそれが、マクドールさんが姉とも慕う人であることに気がついた。
「ああ、カイネくん、だっけ?眠れないの?」
振り返るクレオさんに、僕は頷いてにっこりと笑いかけた。
やっぱり、大切な人の家族にはいい印象を持ってもらわないとね。
僕だってナナミや他のみんなが思うほど子どもじゃない。マクドールさんに対する感情がなんなのか、そろそろ気づいてる。
そう、僕はあの人に惹かれているんだ……。尊敬、もあるけどそれだけじゃなくて……。
「カイネくんに聞きたいことがあったんだけどちょっといいかしら?」
あの不可思議な虹彩をもつ瞳を思い浮かべてうっとりとしていた僕に、クレオさんがためらいがちに口を開く。僕はこれにも快く頷いた。
「ええ、なんですか?」
「カイネくんは、なぜ同盟軍の将軍をしているの?戦いはつらくないかしら」
思いもよらなかった質問に、僕は驚いてクレオさんを見つめた。クレオさん、なんだかすごく哀しそうだ。
どうやって軍主になれたんだい?とか、闘いに意味はあるのか?とかって、実はよくされる質問なんだよね。大抵は好奇心か、正義感ぶった似非平和主義者がご託を並べたくって発したものなんだけど。もちろん、クレオさんはそういう人たちとは違う。
って、そこまで考えて、僕は気づいた。
そっかあ、この人僕と『彼』を重ねてるんだ。
彼――3年前、解放軍を率いて一国をうち倒した、いまは英雄と呼ばれるあの人と。
クレオさんもまた、解放戦争に大きく貢献した人だったって聞いた。最初から最後までマクドールさんの側にいたのは、この人だけなんだって。パーンさんやグレミオさん、それにフリックさんやビクトールさんも一度は彼の元を離れてる。理由までは教えてくれなかったけど……。
戦争ってそんなに奇麗なものじゃない。
奇譚とか伝説とかって言葉で着飾っても、やっぱり人がたくさん死んでるんだし、自分が勧善懲悪のヒーローだなんて思えないよ。
だけど……。
「僕には戦う理由があるから……」
今は敵国となってしまった故郷にいる幼なじみの顔が浮かぶ。ジョウイが何を考えてハイランドについたのかは解らないけど、あのまま放っておく訳にもいかないでしょ。
できることなら、一発はたいて目を覚まさせて、それでもって、ちゃんと和解して連れ戻さなくちゃ。ナナミのためにもね。
「強い子……3年前の坊ちゃんとよく似ているわ」
クレオさんがほうって息を吐き出した。
「クレオさん?」
「坊ちゃん……いえ、セラウィス様も、今の貴方みたいに強い瞳でみんなを導いたわ。でもね、今になって思うの、あの戦争でセラウィス様はいったい、何を手に入れたんだろうって」
否、全てを失ってしまったのではないか。
顔を伏せたクレオさんは、最初に出会ったときの『すごく芯の強い女性』って印象が、嘘みたいだった。
側にいたのに、自分は何も出来なかったって思ってるみたいだ。なんとなく、クレオさんの打ちひしがれた姿がナナミとたぶる。もしかしてナナミもクレオさんみたいに悩んだりすることがあるのかな……性格はまるでちがうけどさ。
僕はつとめて明るい口調を装った。
「でも、クレオさんは、ちゃんと生きてるでしょ」
クレオさんが顔を上げる。
「グレミオさんやパーンさんだっているし。僕だったら好きな人はね、側にいてくれるだけで嬉しいですよ」
「……でも、セラウィス様は……」
クレオさんは何かを言いかけて、やめた。やるせなさそうに首を振り、複雑な微笑みを浮かべる。
「そうね、ありがとう。カイネくん……もしかしたら、あなたなら坊ちゃんに欠けているものを教えてさしあげることができるかもしれない」
僕は首を傾げた。あのマクドールさんに僕なんかが教えてあげられることなんてあるのかなあ。
「いいえ、いいの。もう、夜も遅いわ、休んだ方がいいでしょう」
……セラウィス様のことよろしくお願いします。
クレオさんは僕に寝室に戻るよう促しながら、真摯な瞳で、最後にそう付け加えた。
お願いされるまでもない。僕はもっともっとマクドールさんと仲良くなりたい。ううん、絶対になってみせるんだからッ!!!
愛想良く「おやすみなさい」って挨拶して、僕は外へ出ていくクレオさんを見送った。
とりあえず、家族に好感を与える作戦は成功したかな。なんたってあの人のことお願いされちゃったもん。
掴みはOKってことだよね♪
Continuation ... カスミ
2001/08/05 UP