murmur2/星に願いを
『諦めた方がいいんじゃない。だってアイツは――』
以前、ルックに聞かされた言葉が、カスミの心に重くのしかかっていた。
3年振りに再会した少年は、絶対的なカリスマと指導力で一軍を率いて帝国の腐敗を退けた英雄で。
凄まじい戦闘能力と、強靱な精神力で己の父をも手に掛けた武断の覇王と呼ばれている人だった。
いまに伝わる説話はそんなものばかりだけれど。少年の裡には限りない優しさがあったことをカスミは知っている。カスミだけではない、あの戦に参加した者達はみな、彼の慈愛に触れていたのだ。
誰もが彼に惹かれた。彼と共に歩み、築いていく未来を夢見た。
誰一人、少年の抱いていた苦悩に気づくことなく。
「どうしよう、わたしったら……」
密かに思慕を寄せていた少年と再び会いまみえたことが嬉しくて。元解放軍メンバーの主だった者の消息や、ロッカクの里の様子などを調子に乗って喋り続けてしまった。
きっと気に掛けてくださっていたに違いないと思い込んで。
その挙げ句が……。
「きっと、お気を悪くされたわ……」
込み上げる涙に、視界が滲む。
自分の身長が伸びたと言ったとき、あの人はちょっと困った顔をした。
その瞬間まで、気づかなかった……気づきたくなかったのかもしれない。
彼が『真の紋章』の継承者であることは噂で聞き及んでいた。
けれど、解放戦争時代に、彼が、真の紋章を発動させることはなかったから、特段気に留めたことはなかったのだ。
いつだったか、ルックがぽつりとカスミに呟いた言葉を除いては。
―――アイツハ、不老ノ呪イヲウケテイルノサ。
普段は話しかけても返事すらしない紋章使いの少年が、珍しくカスミの元を訪れて忠告めいたことを残していった。
胸に棘となって残っていたあのひと言が。3年前とまったく変わらない少年の姿を前に、唐突に甦る。
哀しかった。切なくなった。どうあっても、カスミは彼の側にはいられないのだと、思い知らされた。
それが、とてもいたたまれなくて……気がつけば、カスミは何も言わずに彼の部屋を飛び出してしまっていた。
「馬鹿みたい、一番お辛いのは、あの方なのに……」
時の狭間にただひとり、取り残された少年。
親しくしていた者も、家族同然に思っていた者達も、誰もがやがては彼を置いて逝く。
たったひとり世界に残されて。
それでも、彼は顔を上げ潔く生きていくのだろう。
誰よりも強く、哀しい人。
非礼を詫びたところで、彼はきっと軽く受け流してしまう。
「大丈夫、気にしてないよ」と――。
悔やんでも、悔やみきれず、カスミは唇を噛みしめた。
身分違いだと諦めていた恋。心に秘めたまま、口に出すことのない言葉。
一生実ることのない想いだから、時折向けられる微笑みだけで満足すべきなのだと、己に必死に言い聞かせてきたというのに。
「わたし、いつのまにか欲深くなってしまっていたのかもしれない」
彼が相変わらず優しかったから、有頂天になって。たかが時の流れが違ってしまったくらいで、彼を責めるなどよくできたものだ。
カスミと彼の人の間にある隔たりは、いまさら多少のことが加算されたとて大した違いが生じるわけでもないではないか。
誰よりも強くありたい。
彼の人に追いつくことは永遠に叶わなくても、彼が振り返ったとき、少しでも目に留めてもらえるように。
いつか彼が今を思い返したとき、カスミがいつも微笑みを浮かべているように。
今日は、今夜だけは、少しだけ泣いたとしても。
明日には変わらぬ笑顔で向き合えますようにと、カスミは星に願いをかけた。
Continuation ... セラウィス&グレミオ
2001/08/05 UP