過程・壱/求道

 平日の住宅街は気怠げな静寂に包まれていた。
 昼食の支度を始めるまでには、暫しの猶予を残す頃。子供や夫を送り出した主婦達は、テレビの前で一息吐いている。
 路地に人の通りはほとんど無く、ベランダに干された布団までもが夏の燦々とした日射しにだれているかのような印象を受けた。

 くすんだ、しかし雲一つない空を見上げ雄矢は目を細める。
「雪乃と雛乃もすぐに学校を抜けて合流地点に向かってくれるってさ」
 携帯電話を終えた小蒔が傍らの級友を振り仰いだ。

 桜ヶ丘病院に入院していた美里が姿を消したとの連絡が入ったのは、登校中のことだった。
 雄矢と小蒔は院長のたか子より詳細を聴くためマリィと共に病院へ駆けつけ、そこで意外な事実を知る。
 世間を騒がせ東京の街を混乱に陥れようとしている組織『鬼道衆』の首魁と目される人物、九角が美里と遠い縁戚関係にあったというのだ。
 苔生すほどに古く、蜘蛛の糸よりも細い繋がり。その微かな縁の存在が、廉潔に過ぎる少女に与えただろう衝撃の大きさは想像に難くない。
 思い詰めた美里は仲間達の前から姿を消し──後には『九角に会いに行きます』と記されたメモだけが残されていた。

 常の美里らしくない、レポート用紙を破って綴ったのだろう走り書きを手にした小蒔の肩が震える。
 自分は一体、彼女の何を見ていたのだろう。苦悩に気付いてやることも出来ず、ただ独り敵陣へ向かわせてしまった。
 これでよく親友なんて名乗れたものだ、と思う。
 不安が伝染したのか、少女を見上げるマリィの目に涙が滲んだ。腕に抱かれた子猫が慰めのように小さく鳴く。

 項垂れる二人の少女を前に雄矢にできたことといえば、別行動中の仲間と一刻も早く合流することを提案することだけだった。
 気を落とすなと言う方が無理だし、雄矢の強面で「泣くな」などと告げれば──当人は精一杯いたわりを込めたつもりでも──逆効果になる。
 その点、龍麻ならば自分よりもよほど気の利いた科白で少女達の心を癒してくれるだろう。京一との探索で何らかの手掛かりを掴んでいる可能性だってある。
 他力本願というなかれ。
 醍醐雄矢18歳。中学生の頃より喧嘩と鍛錬に明け暮れた青春を送ってきた彼は、女性の涙に滅法弱かった。

  

「いいのか?彼女達に学校をサボらせてしまって」
 病院を出ると小蒔はすぐに、織部姉妹に助力を求めることを決めた。
 美里の捜索に当たるにせよ、九角の居場所を突き止めて乗り込んで行くにせよ。頭数は多いに越したことはない。
 しかし通常であれば、今は午前の授業の真っ最中。彼女達の修学意欲に水を差してしまったのではないかと雄矢は懸念した。
「京一じゃあるまいし、1日、2日休んだところでどうってことないって」
 携帯電話のストラップを弄びながら、少女は闊達に答える。無理にも明るく振る舞おうとする笑顔が痛々しかった。
 彼女の気が紛れるならば、と雑談に付き合いかけ……、雄矢は不意に口元を引き結ぶ。
「桜井、マリィ」

 大通りから、車の流れが消えていた。
 四方から押し寄せる殺気にざわりと肌が粟立つ。

「まさか鬼道衆?!」
「周リニ見エナイ壁ミタイナノガデキテル。マリィ達、出ラレナクナッテルヨ」
 小蒔が素早く弓袋を解いた。結界の存在を敏感に察知したマリィは、小さな黒猫を強く抱きしめる。
 青年は二人を庇う位置に立ちはだかると、注意深く辺りの気配を探った。二十人余というところか。
 美里が本当に九角の元を訪ねたのならば、この者達が彼女の行方を知っているかもしれない。雄矢は意を決すると声を張り上げた。
「隠れてないで出てこい!お前達に訊ねたいことがある!」
 油断なく身構える三人を包囲するように、鬼道衆中忍と下忍が姿を顕す。
 小蒔がたまらずに身を乗り出した。
「葵は、ボク達の仲間はどこにいるの?!」
 事情を知らずにいれば、意味が通じないであろう問い。だが、忍達の間からは低い笑いが漏れ出した。
「知っているんだな。案内してもらおうか」
 畳みかけて問う雄矢。余裕のない一行を忍び達は嘲った。

―――クククッ。知りたくば、この御方に頼むがよい

「……アッ?!!」
 中忍のひとりが応じ、右足を引いて自ら包囲網を崩す。その奥から出現した影に、マリィが驚愕の声をあげた。小さな指の示す先を辿り、雄矢と小蒔も動揺する。
「そんな……」
 弓を番える少女の腕が微かに怯んだ。
 小山かと思えるほどの巨躯。大木のような四肢。
「馬鹿な……。封印を破ったというのか……?」
 狂気に彩られた双眸を怪しく輝かせ、憎悪を瘴氣に変えて吐き出すそれは。

 自分達が五色不動に封印したはずの鬼──岩角。

「小蒔、アブナイ!!」
 マリィが鋭く言い放ち、掌に生み出した炎を小蒔の側面へ投げつけた。音もなく迫っていた忍の一人が紅蓮に包まれ絶叫を上げる。
 雄矢は拳を握り固めた。仲間の発した末期の悲鳴を鬨の声に、敵兵が一斉に行動を開始する。
「難しいことを考えるのは後だ!いくぞッ!!」
 ここには、いつも的確な指示で仲間達を導いてくれる龍麻も、鋭き剣技で活路を切り開いてくれる京一もいない。
 織部姉妹が駆けつけてくるまでには、暫しの時を必要とした。そして、もし二人が現れたとしても、結界に阻まれ合流することは適わないだろう。
(なんとしても、この場は三人で切り抜けなければ……ッ!!)
 雄矢は己を鼓舞すると、先陣に立って襲い来る忍達を迎え撃った。
 傍らで唸りをあげた弓矢が、頭上を飛び越え敵陣へと吸い込まれていく。
 炎の壁に阻まれ蹈鞴を踏んだ下忍を威嚇するように、メフィストが鋭い鳴き声を発した。

  

 小さな黒猫が敵の間隙を縫って走る。意識が逸れた鬼の腹を、雄矢は容赦なく蹴りつけた。吹き飛ばされる鬼。巻き添えを喰らった数体の下忍が、将棋倒しとなった。
 旧校舎で鍛錬を積んだ雄矢達にとって、鬼道衆下忍はもはや、難しい敵ではない。

 岩角は微動だにしなかった。

 薄く開いた鬼面の口から唾液を垂れ流し、遠雷のごとき呻き声を上げ続けている。
 一同はその姿に胸のざわめきを感じつつも、こちらからあえて仕掛けることはしなかった。
 そうして岩角との間合いを測りながら、雑魚を追っている間に心細さは薄れ。
 下忍をあらかた片づけた後、全員で立ち向かえば勝てだろうという確信さえ抱き始めていた。
 子猫を狙って脇差しを構えた中忍の顔面を殴打し、雄矢は仲間達を振り返る。
「ようしッ!もう少しだ。二人とも頑張……」

───ォォォォォォォォ……ンッ!!!

 それは、鶏が喉を絞められた時に発する声のような雄叫びだった。
 結界がビリビリと音を立てて震える。
 得体の知れない恐怖に心臓を萎縮させる雄矢達の目の前で、岩角の全身が激しく痙攣した。
 濁り充血した両の眼は、眼窩が零れ落ちんばかりに見開かれている。
「一体何が……」
 起こっているというのだろう。
 息を呑む一同。周囲で、岩角より吹き出す瘴気に耐えきれなかった下忍達が次々と蒸発していった。
 気化したそれらの怨念さえも取り込んで膨れあがる鬼の躯。その輪郭が崩れ行く様にジル・ローゼスの姿を重ねたマリィは、込み上げる嘔吐感を必死に堪えた。
 慈善家の仮面の裏で引き取った子供達に人体実験を繰り返していた狂人は、最後は人の形を捨て化け物と成り果てたのではなかったか。目の前の光景は、まさしくその時の再現であった。
「これは……」
 雄矢が呻く。
 こめかみより突き出る二本の角。伸びていく鼻。盛り上がる筋肉に衣は引き千切れ、下から覗く皮膚を堅い獣毛が覆っていく。
 鬼の面が乾いた音を立てて地に落ちた。露わになった醜貌にマリィは戦く。
「Minotauros……」
 掠れる声で呟かれたのは、遙かなる神話の御代、人々に戦慄をもたらした半牛半人の怪物の名だった。
 人気の失せたコンクリートの道路。結界の向こうに揺らぐ高層ビルの群れが、魔牛を封じこめたとされる巨大な迷宮を彷彿とさせる。
 雄矢の3倍はあろうかという怪異を、小蒔はありったけの気力で睨め付けた。
 恐怖に負けてしまうわけにはいかない。九角に捕らわれているかもしれない親友のためにも。
 岩角を斃し、一刻も早く織部姉妹と合流しなければ!
「えーい、先手必勝だ。いっくぞーッ!!」
 心臓を的と定めて弓を引き絞る。狙い澄ました場所へ一直線に飛んで行く矢。
 しかし、次に訪れた結果は、少女の予想の範疇を大きく超えていた。
「うそォ……」
 堅い幹さえ穿つ《力》を秘めた少女の弓の手。
 その一矢が、巌のごとき皮膚に阻まれ、報いられることなく地に落ちた。
「下がれ桜井!!」
 呆然と立ちつくす小蒔に向かい、岩角が足を踏み出す。
 変生してより初めての挙動。少女の頭蓋骨ほどもある拳が、ひどく緩慢に打ち降ろされる。
 雄矢が同級生の少女を引き寄せるより遅れること二拍。対象物を失った攻撃は、彼女が影を残したアルファルトを突き破って沈んだ。
「HAAH!!!」
 中腰となった巨魁に向かい、マリィが両手一杯に溜めた焔の固まりをぶつける。灼熱の花弁が岩角を押し包んだ。
 地面より腕を引き抜き、化け物が天を仰いで吼え猛る。
 全身より発する《氣》と振り回される腕の風圧に押され、炎の華が散った。
「マリィの焔も効かんか……」
「バラバラに攻撃してちゃ駄目なのかも。マリィ、次は一緒にやってみよう!」
「ウンッ!!」
 方陣技とまではいかずとも、同時に攻撃すれば多少の相乗効果が得られる。
 マリィと小蒔は一致団結すると、敵将に向かって集中砲火を浴びせ始めた。
 瘴氣に呑まれることなく残った中忍達を相手に、雄矢は終わりの見えない攻防を繰り返す。
 結界を壊してしまうわけにいかなかった。
 鬼道衆は自分達という獲物を逃がさぬ為に張ったのであろうが、闘いを衆目に曝したくない雄矢達にとっても目隠しとなってくれる結界の存在は有り難い。白昼の街中にこんな化け物が出没すれば、間違いなく辺り一帯が恐慌を来すであろう。
 結界を維持するのは、恐らく中忍達の仕事。と、なれば彼等を斃すことはおろか気絶させることさえ躊躇われた。
 呼吸が乱れ、知らず知らずのうちに肩が上下する。加減をしなければならない分だけ躰に余計な負担を覚えた。
 クナイを叩き落とし、少女達を狙う敵に牽制を与えて、ただひたすら時間稼ぎに努める。
 流れ出る汗が目に入らぬよう留意していた青年は、唐突に弓箭の音が止んだことに眉を顰めた。
「桜井?」
「醍醐君、どうしよう、矢がもうないよォ……」
「なんだとッ?!」
 視線を巡らせれば、折れ曲がった無数の矢が岩角の足元に散らばっている。あれでは拾ったところで役には立たないだろう。
「よし、桜井は下がっていろ。後は俺がやる。マリィはまだ大丈夫か?」
「ウン、ガンバレルヨ!」
 足をふらつかせながらも少女が健気に頷いた。過分な働きをした子猫はマリィの肩でぐったりとなっている。酷なようだが、小蒔が抜けた分彼女に頑張ってもらわねばならなかった。
「すまん。だが、無理はするなよ」
 雄矢は二人を結界の縁まで下がらせマリィに小蒔の警護を任せる。いざというときは彼女達だけでも撤退させようと考えていた。
「ごめん……ボク足手纏いになっちゃったね…・・」
 項垂れる小蒔の肩を宥めるように軽く叩き、雄矢は岩角に向き直る。その顔はいつになく厳しいものだった。
 敵は凄まじい破壊力を持っているが、如何せん動きが鈍い。攻撃を避けるに難くはなかった。
 だが、それもこちらの体力が続いてのこと。早期に決着を付けなければ、危ないと勘が告げている。
 岩角が丸太のような腕を水平に振り回した。頭を下げてやり過ごした雄矢は敵の懐に飛び込むと、正拳中段突きを見舞う。
 指の関節の皮膚が爆ぜ、血飛沫が舞った。
 己の持てるありったけの《氣》を練った渾身の一撃。しかし、まともに受けたはずの敵は殆どダメージを得ていない。
 堅い岩壁を相手にしているかのような感触に、雄矢は奥歯を噛みしめた。
 小蒔の矢もマリィの炎も通じなかった相手に、己の拳など通用するのだろうか。
 生じた迷いが隙を産んだ。
 思考に沈んだ雄矢の喉元を激しい圧迫感が襲う。伸びて来た腕を避けたはずが、間合いを見誤ったのだ。
「……ぐッ…」
 片手で首を捕まれた青年の爪先が地表より浮き上がる。
「醍醐クン!!」
「醍醐ォ!!!」
 視界の端に駆け寄ろうとする少女達の姿を捉えたが、制する余裕は残っていなかった。
 小蒔は闘う術を持たず、マリィが炎を発すれば囚われている己までもが巻き込まれてしまう。
 雄矢の腕力は化け物に遠く及ばず、霞む意識に指先より力が失われていく。

(これまでか……ッ)
 観念しかけた時、結界の外より、一本の蟇目(ヒキメ)が飛来した。

 蟇目は、本来の名を響目(ひびきめ)といい、鏃の代わりに朴(ほお)、桐などで製した大型の鏑(かぶら)を取り付けた矢を指してこう呼ぶ。
 鏑に穿たれた孔が風を孕んで音を発するところから、妖魔降伏の儀式に用いられた。
 風を孕み瘴氣を祓いながら、矢は雄矢の鼻先を掠めていく。
 鼓膜を震わせる清音が、霞む意識を引き戻した。青年は半ば無意識に、自らの首を捉える腕を掴むと躰を持ち上げる。
 不意を突いた膝蹴りが、敵の肘関節に決まった。反射的に開かれる鬼の手。
 雄矢は地面に放り出されると同時に、形振り構わず転がって距離を取った。
 背中を丸め咳き込む躰を伸びてきた四本の腕に助け起こされる。
「大丈夫か?待たせたな」
「織部の名にかけてご助力いたします」
 頭上より降ってきた声に、青年は目を見開いた。小蒔が嬉しそうに声の主達を呼ぶ。
「雪乃、雛乃ッ!!」
「お前達、どうしてここに……」
 ようやく呼吸を整えれば、双子の姉である雪乃がにやりと口角を吊り上げる。
「合流地点に向かおうと先を急いでたら、妙な結界を見つけたんでな。とりあえず雛乃と二人で割り込んでみたんだ。間に合って良かったぜ」
「雛乃、矢を分けてくれる?ボク使い切っちゃったんだ!」
 勢い込んでねだる小蒔に、織部の妹は頷きを返した。
「畏まりました。ですが小蒔様、どうぞ祖母の教えを思い出してください。弓は矢を飛ばすだけの道具ではないのです」
 蟇目の法に則り雛乃は今ひとたび鏑矢を放つ。
 5人の動きを封じようと包囲の輪を狭めていた中忍達が、音に縛られ動きを止めた。
 流れるような雛乃の動きに、小蒔は「あッ」と声を上げる。弓の師たる織部が祖母の言葉が脳裏に蘇っていた。

 弓道の目的は矢を射ることにあらず──。

 矢が的に中(あた)るのはあくまでも弓を引いた結果に過ぎない。
 織部の巫女が鏃のない矢で鬼共を制してみせたように。大事なのは『弓を引く』という行為そのもの。
 《氣》を籠め矢の勢いを増すことに専一するあまり、小蒔は弓道の本質を疎かにしていた。
「そっか……。ボク思い違いをしてたんだ」
 少女は頭を掻く。己の未熟さに、顔から火の出る思いだった
 雪乃はやっと立ち上がることの出来た青年と、健気にもそれを支えようとするマリィを振り返る。
「お前ェ等もだぜ。力任せに押すだが能じゃねェだろ!ちっとは考えろよ」
「ダッテ、龍麻オ兄チャンモ、葵オ姉チャンモココニハ居ナイカラ……ッ」
 姉妹の登場に張りつめていた気が緩んだのか、マリィが半泣きとなった。
「何言ってやがる。これからその『葵お姉ちゃん』を助けにいくんじゃねェか!」
 お前が頑張らなくてどうするんだよ!
「心技一体……心が弱くなれば自ずと技の威力も弱まってしまいます。《氣》を強く持ってください」
 雛乃が労るように蜂蜜色の髪を撫でる。雪乃は続けて檄を飛ばした。
「人を頼ってばかりいるんじゃねェ。闘ってるのはお前等自身だろうがッ!」
 二人に諭され、幼さを残した少女は塗れた頬を手で拭う。
「……ウンッ。葵オネエチャンハ、マリィガ守ル!!」
 雄矢は目の醒める思いがした。

(そうだ、誰かに言われたから拳を振るっていたのではない。俺は俺の意志で闘っている……)

 信頼と依存は似て非なるもの。
 龍麻の指示に信を置いていたつもりが、いつの間にか己がすべき判断までをも委ねてしまってはいなかったか。

 闘いとは己に打ち克つこと。
 精神を鍛え、恐怖を抑え、試練に耐えてこそ初めて勝利を手にすることができる。

 《道》を求め、極みを目指す。
 自分達にはその志が欠けていたのではなかろうか。

「どうやら俺達は、大事なことを失念していたようだ」
 すっきりとした一同の表情を見渡し、雛乃が目容を緩める。
「皆様、迷いを断ち切られたようですわね」
「あの狂牛野郎の始末は、お前ェ等に任せていいんだな?」
 雪乃の確認に、雄矢と小蒔はしっかりと頷いた。
「あァ。このままでは龍麻に合わせる顔がないからな」
 青年が両の拳を打ち付ければ、同級生の少女が続けて気勢を上げる。
「あんな奴にやられるようじゃ、京一に馬鹿にされるもんね!」
 織部の姉巫女は破顔した。
「よしッ!雑魚共はオレ達が引き受けてやる。マリィ、闘えるな?」
「Don't be worried!メフィストモ一緒ニ闘ウッテ!!」
 元気を取り戻したマリィが子猫を撫でながら、笑顔を浮かべる。
「偉いぞ!もうちょっとの辛抱だからな」
 雪乃は幼い少女の髪をぐしゃぐしゃと掻き回した。その手は妹と違って乱暴だったが、何故かマリィに活力を与えてくれる。
「醍醐様、小蒔様。あの怪異の驚異的な破壊力は、何者かにより外から《力》を与えられたことに由縁します。しかし、あまりにも多くの《力》を一度に注ぎ込まれたため、受け止めきれずにいるのでしょう。己が存在を潰されまいと、必死で耐えているように見受けられます」
 矢筒から数本の矢を取り出し、雛乃が小蒔に差し出した。
「だから、あんなに動きが鈍かったんだ……」
 少し迷った末、少女はそこから一本だけを抜き取る。
「けど、それにも徐々に適応してきてやがる。油断すんじゃねェぞ!」
 なるほど。よくよく注視すれば、鬼の動きは変生した当初より滑らかになっていた。先ほど青年が捕らわれたのも、岩角の腕が予測以上に長く伸びてきた為。雄矢は忠告に感謝を述べると、ゆっくりと深呼吸をする。
 焦りは禁物だ。

 《氣》を強く持つということは、無闇に高ぶらせるという意味ではない。
 《力》を使うということは、無意味に振りかざすことではない。

 力任せに打ち据えたところで、巌を砕くことなど出来はしないのだ。

「よし、いくぞ桜井!」
「うん、頑張ろうね醍醐クンッ!!」
 頼れる友がいる。信じてくれる仲間がある。
 どれほどの危機に陥っても、護るべきかけがえのないものがある限り、自分達は絶対に負けられないのだと二人は強く実感した。
 雛乃の仕掛けた金縛りの効力が薄れ、中忍達が再び活動を始める。
 散開するマリィ達を横目に、雄矢は両足を大きく開いた。
 重心を下げ、上体をまっすぐに伸ばして騎馬立ちと呼ばれる姿勢を作る。
 そのまま軽く目を閉じると、大きく息を吸い込んだ。
 岩角を中心に青年から東に45度の場所に陣取った小蒔は、弓束(ゆづか)をしっかり握ると肩から余分な力を抜く。
 『足踏み』、『胴造り』、『弓構え』、『打ち起こし』、『引き分け』、『会』、『離れ』……。
 射法八節の動作を頭で忠実になぞりつつ、両足をゆっくりと外八文字形に開いた。
 天と地と。己が一体となったような感覚を得ると同時に、目にも留まらぬ早業で弓を引く。
 一見、無造作とも思える施為には、少女の全神経が集約されていた。
 『残心』の姿勢で見守る小蒔を後に残して、疾風と化す放たれた矢。
 息を呑んで見守る雛乃の耳に、ぷつり、と薄い膜を破るがごとき微かな音が届いた。
 迸る咆吼。
 大地を揺るがす叫喚に全ての者が動きを止める。
 ひとり微動だにしなかった雄矢は目蓋を上げると、異物の刺さった喉を掻き毟る巨魁を無心に眺めた。
 人に血液が流れるように、地に龍脈があるように。
 万物は《脈》の流れによって形を得、その内を巡る《氣》によって存在を続けている。
 そうして《脈》には、必ずそれを統制する《芯》があった。
 《芯》とは文字通り、物体の根幹を為す心臓部。雄矢はそれを見定めようとしていた。
 『目』ではなく『眼』で『視』る。
 姿勢を保ったまま、青年は小刻みに足場を移動した。
 熱い皮膚の下で脈打つ、命の流れを追いかける。一切の雑念を払った世界で、魔牛より放たれる鼓動だけを聞き分けていた。
 苦痛に躯を仰け反らせる敵将に向かい、脇を締めると拳を繰り出す。
 体重を乗せた猛打は岩壁にも似た皮膚を突き破り、敵将の胸に吸い込まれていった。

 破岩掌――。

 固唾を呑む一同の前で、大きく腕を振りかぶった岩角の動きがぴたりと止まる。
 黒ずんだ皮膚に亀裂が走った。
 細かな砂の粒子となった怪物の躯は、あっけないほど簡単に風に攫われ。後には檜皮色(ひわだいろ)に塗られた小さな木の人形(ヒトガタ)が残された。
 五色不動に封印された摩尼の珠の代わりに、怨念の依代となっていたものだろう。
 しかしそれも、拾い上げた青年の手の上で見る見るうちに朽ち落ちていく。
「醍醐クン……」
 小蒔が放心したように名を呼んだ。
 雄矢は掌に残った塵を払うと、大きく息を吐く。
「どうやら終わったみてェだな」
 雪乃は逃亡を始めた中忍をあえて見送ると、血糊を払うべく長刀を軽く振るった。
「お疲れ様でございました」
 マリィの肩を抱き、雛乃が微笑む。
 いつの間にか結界が解け、街の喧噪が戻ってきていた。
「ボク達、勝てたんだ……」
 感慨深げに小蒔が呟く。
「ひとまずは、というところでしょう。敵もさらなる勢力を上げて向かってくると思われますから……」
 律儀な返答をした雛乃を、彼女の姉が嗜めた。
「水を差すなよ雛乃。まずは勝利を祝おうぜ!」
 未来に不安を抱くより先にするべき事があるだろうと、雪乃は言う。
「姉様の申される通りですわね。失礼致しました」
 大事なのは目の前の《道》をしっかりと踏みしめ、一歩ずつ着実に進んでいくこと。二度と己を見失うことのないように。雄矢達には己を律する術を学んでいく必要がある。
 ただ今は、目の前の喜びを素直に仲間達と分かち合いたかった。
 生きていることに感謝をし、仲間達の無事を悦び、闘いで得た経験を成長の糧とすることこそ、次なる戦を制する力となる。
 闘いは、まだ終わらない。
 再び血は流れ、敵も味方も多くの傷を負うことになるのだろう。
 それでも、己の中に闘う理由が存在する限り。雄矢はどんな困難も正面から立ち向かうつもりでいた。
「ミンナ、早ク葵オ姉チャンヲ助ケニ行コウヨ」
 マリィが青年の袖を引く。時間を確認した小蒔が、顔色を変えて騒ぎ出した。
「うわっ!?大変、もうこんな時間だ。早くしないとひーちゃん達待ってるよ!」
 雄矢は暫し瞑目し、今度こそ岩角が安らかなる眠りにつけるよう祈りを捧げる。
「うむ、急ぐとしよう」
 蜂蜜色の髪の少女に急かされ、一行は目的地へ向けて歩き出した。

  

 場数を踏み、経験を積むことで人は強くなれる。
 しかし、経験をものとし、活かすことができるかどうかは己次第なのだ。
 考えること。判断すること。求めること。目指すこと。
 それら総てが自らの意志で行われることによって始めて、人は小さき己を知り、新たな目標を課する術を得る。
 与えられる指示に諾々と従うのではなく。何故そうすべきなのかを考え、吟味し、自分なりの結論を出して納得をする。
 龍麻と出逢ったばかりの頃は当然のように行っていたことを、いつの間にか怠っていた。
 一方的に寄りかかるだけの関係は『仲間』とは呼べない。
 自分達は知らず知らずのうちに龍麻と京一に甘え、負担を与えてしまっていた。

 躰だけでなく心も強くあるように。

 雄矢は己が所業を省みると、決意を新たに拳を握りしめた。

2003/12/15 UP
これは、『曉/第六話・誘い』で表に出てくることの無かった鬼道衆幹部達のお話です。副題を『鬼道衆給料獲得大作戦』といいます(笑)←この理由がわからない方は誘い・2の次回予告(偽)をどうぞ。
今回メインが醍醐と小蒔だったので、戦闘シーンにかなり手こずりました。弓……まったくわかりません(TT)
経験者の方から見ればなんだかおかしなことが書いてあるかも知れませんが、あまり気にしないで流してやって下さい。
『ゆづか』という漢字は弓偏に付の方を使いたかったのですが、常用漢字ではないためにWEBで文字化けしてしまいました。泣く泣く断念して別の漢字使ってます。
よくあるんですよね、こういうこと。
それにしても、醍醐が主役って……微妙ですよねやっぱり(汗)

【その頃の葵様】
美里:「九角、ちょっとその辺に転がっている女性達を集めてくれないかしら?」
九角:「言われなくても解ってるぜ。さっさと追い返せってんだろ」
美里:「ええ。でもその前に彼女達にはやってもらわなくてはならないことがあるの」
九角:「……って、その手に握られている箒は一体……」
美里:「こんな汚いところ一秒だっていられないわ。隅々まで綺麗にしてもらわなくちゃ」
九角:「いや、けどここはお前の家ってわけじゃねェし……」
美里:「これから龍麻達だって遊びに来るのよ!埃まみれの姿なんて見せられないわ」
九角:「……奴らは遊びにくるわけじゃねェと思うぜ……」
美里:「うふふ、そんなことどっちだっていいの。彼女達が手を抜かないようきちんと言い聞かせてね」
九角:「………………………。(なんで俺はこんな奴を呼び寄せちまったんだろう)」
麗しき菩薩笑いの裏に潜む迫力に気圧され、逆らえない九角。箒片手に部屋を出て行く彼の後ろ姿は非情に情けないものであった。
五分後、九角の頬にたくさんの手形がついたことは言うまでもない。