No differences

 惜しいな。

 諦めにも似た音色に、レムリナは顔を上げた。
「もっと早くにあれを手元に招いておれば、名実ともに我の後継者となってくれたやもしれぬものを」
 ザーツバルムは月に2~3度、己が被扶養者たる第二皇女の部屋でお茶の時間を過ごす。
 話題に上っているのは先頃、陣営に降った地球人の少年だった。城の主が特に気に入り目を掛けている。
「スレイン様はザーツバルム卿に恭順であると見受けられますが」
 会話の相手を務めるのは、背後に控えた黒髪の青年だ。伯爵は仕事の話を彼女に振らない。
「あれは小鳥の皮を被った猛禽類よ。いずれは我を鋭き爪で引き裂かんとするだろう」
 城主がスレインを引き取らなかったのは、既にレムリナを保護していたからだ。
 レイレガリアは彼女の存在を決して表に出さないことを条件に、ザーツバルムの後見を容認した。一人息子の忘れ形見に対する情けからか、いざという時の代用とする為かは解らない。
 ここにアルドノア研究の第一人者であった男の息子まで呼び寄せては、帝室からいらぬ詮索を受ける恐れがあった。
 国家転覆を目論んでいるなどという疑念を抱かれても困る。

 不信の中に、真実が含まれているときなどは特に。

「猛禽類ですか?」
 耳慣れない単語に、第三階層出身の若者が首を傾げた。
「空を飛ぶ肉食獣のことよ。鉤型の嘴で己より大きな獲物すら平然と狩る捕食の王者。あれに相応しい形容だとは思わんか?」
 戦争賛歌のツールとして、伯爵は地球で重傷を負った第一皇女を使う計画を進めていた。
 アセイラムが和平推進は誤りであったと認め、侵略こそ正義であると唱えれば、未だ日和見を決め込む軌道騎士達もザーツバルムに足並みを揃える。
 意識の戻らない皇女の代役を勤めるのはレムリナだ。
 幼馴染みであったという少年が、アセイラムに教えたのと同等の蘊蓄を得るために。彼から青き星の話を聞くのが、彼女の当座の日課となっていた。
 幾度か付き添う裡に伯爵も、鶏と空を飛ぶ鳥の区別が就く程度にはなったらしい。

 レムリナはザーツバルムの企てを形成する歯車のひとつだ。己が養護されてきた理由を彼女は良く理解している。
 不満を抱いたことはない。彼女にとっても、自分と母を打ち棄てた帝室は憎むべき対象だ。
 皇族を一人残らず、その座から引き摺り下ろす。心に宿すのは復讐の炎。それだけだった。

 でも、最近は。
 彼があの優しげな語り口で。郷愁に揺れる淡い笑みで。
 異母姉と向き合っていた姿を想像するだけで、胸底が収縮するような鈍い痛みを覚える。

「そのような危険人物と認識しておきながら、何故、側近くに仕えさせているのですか?」
 両者の会話は続く。
「帝室の横暴が我よりオルレインを奪い、我は復讐を誓った。されど奴は近似下にありながら、愛する者の命を繋ぎ止めてみせた」
 己に出来なかったことを成し遂げた少年に、ザーツバルムは憧憬に近い感情さえ抱いていた。
 伯爵が帝室への恨みを捨て去る日がこないように、彼もまたザーツバルムを赦すことはない。
 そうであって欲しいし、そうあるべきだと考えている。

 けれどもし、スレインが復讐を終えた行く末に。

 ザーツバルムの理念が少年に少しでも響いていたのなら。志に共感を寄せてくれていたなら。
 跡目を継ぐことはなくとも、我等が悲願を踏襲し逼塞した火星の未来に新たな道を切り開いてくれるのではないか。
 そんな荒唐無稽な夢想をした。

「我も焼が回ったな」
「これはこれは。一代で財を成したザーツバルム卿のお言葉とも思えません」
 相手はクルーテオ卿の抱える一使用人として、肩身狭く暮らしていただけの少年に過ぎないというのに。
「その矮小な地球人に、自ら望んで仕えるお前に問われることではないな、ハークライト」
 黒髪の青年が恭しく腰を折る。
「私はスレイン様こそ我が主と心に定めておりますから。ええ、仰せの通りスレイン様は、何者にも決して阿ることのない御方。やがてはザーツバルム卿を超えて行かれましょう」
「ぬけぬけと言いおるわ」
 忌々しげな口調を装っていたが、伯爵の機嫌は良かった。

 ザーツバルムもハークライトも、ヴァース帝国に身を置くただ一人の地球人に魅せられている。
 そしてレムリナも。

 皇女の持ち物だったから興味を惹かれたのではない。
 眠る姫君を見つめる騎士があまりにもひたむきだったから。羨ましいと思っただけだ。
 どうしてその眼差しの先にいるのが、己ではないのだろうと哀しくなっただけだ。
 もっと早くに出逢えていたら。レムリナも彼の中でアセイラムと同じぐらい大きな存在となれたであろうか。

 スレインが偲ぶ明美な景色の中にレムリナの姿はない。
 ならばせめて。前途の闘いに於いては、彼の傍らを己の立ち位置に定めたかった。
 利用されているのでもいい。役に立つ道具である限り近くにいられるのなら、持てる力の全てを尽くそう。
 それがどれほどに血塗られた道であろうとも。
 最期を迎えるその時まで、レムリナは彼と共にあり続けたいと願った。



1.

 朝靄を漂う意識が、自分のものではない腕の重みを伝える。
 重たい瞼を上げれば、いつの間にかシェードが開き窓の外からドッグの明かりが差し込んでいた。
 陽光よりも柔らかな橙色の灯が、健やかな寝息を立てる伊奈帆の口元を浮かび上がらせる。
 実年齢より若く見られがちな東洋人の中にあっても、青年は童顔の部類に入った。
 安らかに寝入る様は、常にはない稚い印象を与える。
「眠っていれば可愛いのに」
 寝惚け眼のまま、スレインは青年の額に掛かる前髪をそっと除けた。
「君は起きていても可愛い」
 赤みがかった虹彩が、いつの間にかスレインを映し出している。
「起こしてしまいましたか?」
 どこか茫洋とした口調に、伊奈帆が頬を緩めた。
「いや、勝手に覚めた。おはよう」
「おはようございます」
 身体の上にあった腕が絡みつく。優しく、けれども有無を言わさぬ力に覚醒が促された。
「え。……あ!」
 常に緊張を強いられていた火星では隠し果せていたが、スレインは朝に弱い。一時の間、ぼうっとなってしまうのだ。
 吐息が掛かるほどに近づいた距離に目を丸くする。触れ合う寸前、相手の口元を両手で覆った。
「スレイン?」
 思考が晴れるにつれ、クリアになった領域が羞恥に塗り替えられていく。
「………ぁつ!」
 跳ねるように上体を起こせば、節々に痛みが走った。
「急に起き上がると危ない。君は起立性低血圧の気があるみたいだし……スレイン?」
 言うに事欠いて起立性ナントカとか。後朝の挨拶に出てくる用語かそれ?!
 そんな突っ込みを入れる余裕もなく、のぼせる頭。血圧は上昇の一途を辿り、沸騰寸前だ。

 自ら望んで身体を開き、誰かを受け入れたのは昨夜が始めてのことだった。

 優しくされた。
 こちらの様子を伺いながら、躊躇いがち触れてくる指先に愛しさが募った。
 気遣うような、ゆっくりとした動きが嬉しくも、もどかしくて。
 導くように、誘うように、手を伸ばした。

「~~~~~~~っ!」
 調子に乗って、大胆なことをしてしまった気がする。というか、した。
「スレイ……」
 駄目だ、思い出すな!
「あのっ、シャワー!浴びてきたらいかがですか。このままだと朝食に遅れてしまいます」
 昨夜だって食べ損ねましたし。
 まともに伊奈帆が見られない。壁際まで身を寄せ、面を伏せた。
 とにかく一旦、距離を取って心を落ち着けないと。
 深呼吸をひとつ。
 早鐘を打つ心音を誤魔化したくて、視線を合わせてくる相手の肩を押し返した。
 血管が透けるほどに白い腕が把持される。

 過剰な反応を示す恋人を伊奈帆は困惑を持って見下ろした。
「い、伊奈帆……っ!離してください」
 つい数時間前まで濃密な時間を過ごしていたというのに。この初々しさはなんだろう。
「……ゃ、やだ、……」
 桜色に染まる耳朶と項。
 潤んだ瞳。いたたまれなさからか、指先が微かに震えていた。
 うん、これで滾らない奴がいたら、そいつは男じゃない。断言できる。
 背後が壁なのを幸いと、青年はたやすく華奢な身体を拘束して唇を奪った。
「ふ……ぁ、んんっ」
 時間を掛けて宥め、啄むだけの行為を繰り返しているうちに、スレインが徐々に強張を解いていく。
「ん……」
 物足りなくなったのか、息苦しくなったのか。薄く開かれた隙間から遠慮なく舌を侵入させ、思うさま甘い感触を味わった。
 壁に押しつけた掌を撫で上げれば、絡めた指が握り返される。
 口の端から零れた唾液を追って首筋に顔を埋めると、微熱を帯びた吐息が零れた。
「あ、だ……め、です。じか、ん、が……」
 無意識なのだろう、内腿を伊奈帆の脇腹に擦り寄せながら窘められても説得力がない。
 胸から腰にかけて刻まれた無数の傷跡を丹念に辿れば、肌に息が掛かる度に身体が小さく跳ねた。
 余すところなく所有の証を刻み終えた頃には、シーツに沈み込み肩甲骨から上だけを辛うじて壁に預けているといった状態。
 体勢が辛いのか、眉根を寄せる表情が扇情的だった。
「…うっ…んぅ…、伊奈帆……」
 流氷色の瞳が漣のごとく押し寄せる悦楽に溶け、情欲を宿して揺らめいている。
 浅く上下する薄い胸も、乱れた呼吸も。何もかもが艶やかに彩られ、全身で伊奈帆を誘っていた。
「前からと後ろから、どっちがいい?」
 壁とシーツの間に浮いてしまった腰を支え耳元で囁く。
「はぁ、いな、ほ……の、顔が、見られないのは、や…です」
 緩慢な動作で上げられた手が伊奈帆の頬を撫で、するりと首の後ろに回された。
 ちょっと辿々しい口調が腰にくる。なんだろうこの可愛い生き物は。天然か、天然なのか?
 煽られっぱなしでいい加減、思考の煮えていた伊奈帆は、なけなしの理性をかなぐり捨てた。情念のまま、官能に身を委ねることにする。
 せっかくなのだからと、夜来にご教授頂いた学習の成果を堪能して貰うことにした。



2.

「あー、二人ともやっときた!」
 昼時になって食堂に顔を出すと、韻子が頬を膨らませる。
「もう午前の上映終わっちゃったよ」
 休暇4日目は、皆で一緒に映画へ行く約束をしていた。
「ごめん。僕達のことは気にせず行ってくれば良かったのに」
 予定を失念していた伊奈帆は、幼なじみの軽い非難に謝罪する。
「重役出勤だな。休日だからって、惰眠を貪ってたんだろう」
 伊奈帆がスレインと同室になったことで一人部屋となったカームは、趣味のゲームにDVD鑑賞と夜更かしし放題だ。欠伸をしながら共感を寄せられる。
「そんなところ。スレインは座ってて、君の分も取ってくる」
 傍目に解るほど、青年将校は浮かれていた。
 椅子を引いてスレインを座らせ、いそいそと食事を取りに行く。
 ちょっと不気味である。
「何あれ。伊奈帆君、なんかあったの?」
 レア過ぎる笑顔を前に戦くニーナ。
「さあ、いっそのこと砂漠の真ん中に放り出してくれば、少しは正気に戻るのでは?」
 相対するスレインの表情は憮然としていた。
「なんだ、また喧嘩したのかよ。お前らも飽きないな」
 意見の食い違いから始まる二人の小競り合いはいつものことなので、整備士の反応は苦笑に留まる。
 そんなんじゃありません、と小さく答える元火星騎士の声は消耗しきっていた。
「スレイン君、顔色悪いよ。平気?」
 韻子の指摘に、慌てて丸めていた背筋を伸ばす。
「だ、大丈夫です。空腹なだけですから」
 首元の鎖がカシャリと音を立てた。
 今日のスレインは、身体にぴったりとした黒いタートルネックのシャツを着ている。いつもは、服の中にしまっている御守りが表に出ていた。
「長袖とか暑くないのか?」
 カームは汗ばむ顔を、ひっきりなしに手で扇いでいる。
「冷房が効いているので平気です」
 頸部全体が隠れる服が、これしか無かったのだから仕方がない。見えやすい場所に痕をつけるなとあれほど制したのに。
「それ、あの人……女王がしていたのと同じやつ?」
 ライエには青年が提げるペンダントに見覚えがあった。なんといっても己が犯行に使った凶器である。
「女王が親善大使として地球に降りられたとき、お渡ししました。色々あって今は僕の手元に戻ってきています」
 配膳カウンターから戻ってきた伊奈帆が、二つのトレーの内のひとつを元火星騎士の前に置く。
「前から気になっていたけど、それ素材は何?」
 戦時中の、最大限に機能を拡張したアナリティカルエンジンが構成材質の解析に失敗していた。
 可愛いものやアクセサリーが大好きなニーナが、御守りを覗き込む。
「銀じゃないよね、ホワイトゴールトとか。まさかプラチナ?」
 スレインは鎖を外して、「良くみせて」と強請る少女に手渡した。
「やたらと丈夫な鎖よね。細い割に力一杯引っ張っても切れなかったし」
 物騒な発言をするライエから韻子へと、それぞれ順番に手にとって眺める。
「それはオーパーツです」
「オーパーツってどっかの遺跡から発掘されたものだっけ?」
 曖昧な韻子の知識を、伊奈帆が補った。
「その時代の技術では製造不可能な出土品や、製造方法自体が不明な物のことだ」
 手元に戻された御守りの留め具を首の後ろで弄りながら、スレインが口を開く。
「考古学者だった父が地球にいた頃、発掘したものです。共に出土した文献から魔除けとして使われていたものだろうと謂われています」
 御守りは金属の塊から削り出したものではなく、別々の鋳型で作ったパーツを側面で溶接することで形作られていた。出土された遺跡の時代にはない技術であること。どの金属元素にも当てはまらない素体で作られていることなどから、オーパーツとされている。
「発掘品なんて、個人で所有できるモノなのか?」
「調査が終わった後に、正規の手続きを経て買い取っていますから、問題ないと思いますよ」
 そうか、これがあったな……。
「スレイン君、どうかした?」
 声に出さずに呟くと、ニーナが不思議そうな顔をした。なんでもないと首を振り、青年はトレーを引き寄せる。
 メニューは、この辺りで一般的に食されているカブサだった。煮込んだ野菜と羊肉が長粒米の上にたっぷりと乗せられている。暖かな御飯が疲れと空腹を癒やしてくれた。
 ヨーグルト風味の飲み物を口にしながら、改めて休暇の過ごし方についての話となる。
 食堂に来るのさえ辛かったスレインは、韻子たちの誘いを丁重に断った。
 連日の外出で疲れてしまったと言い訳する。
 視聴途中のシリーズものDVDの続きが気になるというカームと、上映内容に興味がわかないと切り捨てた伊奈帆により、映画は女子三人で行くことになった。
 残念がる韻子を、ニーナがうまく取りなす。
「楽しんできて下さい」
 自室に戻るべく、席を立ったスレインを操舵士が仰視した。
「ねえ、スレイン君。ちょっと両手を上げてみて欲しいな」
 肘から上を曲げ、ニーナが万歳の形を作ってみせる。
「はい?こうですか」
 唐突な願いに小首を傾げつつ、素直に真似た。
 無防備になった腰を、ニーナががっしりと掴む。
「ひゃ……っ、な、なな。ニーナさん?!」
 びくりっと、足下から震えを走らせたスレインの反応は、毛を逆立てた猫そのものだった。
 韻子がにやりとする。
「スレイン君って擽ったがり?腰弱かったんだ?」
「い、いえ、そういうわけでは……」
 ただ諸般の事情により、ちょっと接触に弱くなっているというか。感覚が鋭敏になっているというか。
「韻子、暢気に笑っている場合じゃないかもしれない」
 厳かに告げる操舵士。韻子が青年を上から下まで眺めて、はっと息を呑んだ。
「スレイン君。甘い物って嫌いじゃないよね?」
「はぁ、特に好き嫌いはありませんが」
 据わりきった眼が怖い。
「お土産買ってくる。美味しいお菓子とかいっぱい探してくるから!食べてね」
 嫌いではないがそんなに沢山は入らない、などと口に出せる雰囲気ではなかった。
「あー、スレイン細いもんな。ウエストなんてお前らよりよっぽど……うげっ」
 デリケートなテーマに迂闊にも切り込んでしまったカームは、ニーナと韻子の鉄拳制裁により地に沈む。
「馬鹿なんじゃない」
 ライエが情け容赦のない追い打ちを掛けた。過去に同様の不躾な発言で韻子をからかった伊奈帆も、女性三人を敵に回すつもりはないと見え知らん顔を貫いている。
 哀れな整備士の骨を拾う者は一人としていなかった。

 オリンポスの砂嵐に抗うことなかれ。

 バルークルス卿の訓示を胸に刻んだ元火星騎士は、慎ましやかな態度を貫き女性陣を送り出した。


 部屋に戻ると同時に、スレインはぐったりしてソファーに倒れ込む。
「だから僕が部屋に食事を運んで来るっていったのに」
 伊奈帆が白金の髪を撫でた。洗い立ての石鹸の香りがふわりと立ち上る。
「信憑性がありません」
 空腹を盾に半ば強引にシャワーを浴びに行かなかったら、未だに解放されていなかったのではないかとスレインは疑っていた。
「若いからね。それに僕だけの責任じゃない」
「少しは反省して下さい」
 背もたれに頭を預けた元伯爵が気怠げに呟く。
 伊奈帆は慣れた手つきで淹れたお茶を青年の前に置いた。流れる動作でこめかみにキスを落とす。
「すごく可愛かった」
 ちゅっとリップ音を響かせてから囁くと、スレインの目元が仄かに色づいた。
「もう、ふざけてないで貴方も早く座ったらいかがですか」
 照れ隠しからか、拗ねた顔で睨まれる。
 これ以上、機嫌を損ねると接触禁止令が出されそうなので、青年将校は大人しく斜向かいに腰を下ろした。
 お茶を一口含んでゆっくり味わうと、スレインは胸の御守りを机の上に置く。
「見ていてください」
 指先が丸く膨らんだ表面を軽く辿った。中央をトンっと叩くと、両者の間にいくつもの画像が浮かび上がる。
「ホログラム……アルドノアだったのか」
 スレインが肯いた。
「父は火星に渡ってすぐ、レイレガリア陛下の要望を請けて小型の汎用性ドライブをいくつか製作してみせました」
 トロイヤードが火星で帝室の客人として遇されていたのは、この時に開発した光学迷彩が評価を得た事による。
「これも、同時期に作られたものです。表面の模様に決まった手順で触れていくことで、記録と内容表示が行えます」
 要はハンディスキャナと表示機能が一体化したものなのだが、アルドノア未使用の既存品と比べ保存量ぐらいしか優位性がないことから、特に公表もせず個人使用に留まった。
 共用タイプのドライブは、最初に権利者がアルドノアを目覚めさせておけば誰でも利用が適う。平時はスリープ機能となって作動を続けているためだ。
 起動は他の試作品とまとめてレイレガリア陛下に願い出ていた。
 御守りに組み込んだのは、中が空洞で丁度良く収まったのと、持ち運びに便利だったから。ちょっとした遊び心である。
「オーパーツをメモ帳代わりにしたの?」
 絶句する青年将校に、乾いた笑いで応じる。
「古代遺産に対する浪漫より機能性・効率性を重視する人だったので」
 らしい選択では、あったといえよう。
「父は情報漏洩を懸念して、研究成果の文章化を避けていました。火星移住後のもので纏まって遺っている資料は、恐らくこれだけです」
 それとて皇族の力に互換性がなければ、レイレガリアの崩御と同時に消え失せていたところだった。
「研究は受け継いでいないって、前から散々表明していたくせに」
 伊奈帆はホログラムに眼を凝らした。びっしりと書かれた文字は細かく、内容が判然としない。
「継いでいませんよ、僕はこれを父の遺品として受け取っただけですから」
 御守りは地球から持ち込んだ品。
 トロイヤードが人前で記憶媒体を扱わなかったことから、周囲はペンダントの付加価値に気が付かなかった。
 起動者たるレイレガリアは、多くの開発品の隙間に埋もれたドライブのことなど記憶に留めてもおらず、ましてや地球の子供に投げ渡された形見のことなど聞かされてもいない。
「セラムさんに、このことは?」
「姫様には、魔除けの御守りとだけお伝えしました」
 いつかアセイラムが帝位に就き、普遍化技術の完成がヴァースにもたらす影響を正しく理解したとき。スレインは御守りの秘密を打ち明けるつもりだった。
 その時の皇女が選ぶのは、内容を活かす道か隠蔽する方向かは分からなくても。
 どのような形であれ彼女の役に立てるのなら、スレインとしてはそれで良かったのだ。
「『彼女には何も知らせないままに』いい加減、聞き慣れてきたフレーズだけど。君はセラムさんに対して過保護過ぎだ」
 御守りの中身をうまく活用すれば、火星におけるスレインの生活はもっと楽なものとなっていたはず。そうしなかったのは、遺産に火星皇族の存在意義を変質させてしまう力があったからだ。彼は常に己よりアセイラムの身を護ることを優先する。青年将校は少々複雑な気持ちになった。
「放っておいて下さい。伊奈帆なら、これにどれだけの価値をつけますか。囚人の解放条件としてはどうです?」
 地球では手に入りにくいアルドノアの研究資料。それもトロイヤード博士が記したものとなれば、有用度は折り紙付きだ。
「火星騎士の一人や二人なら、連合軍は簡単に乗ってくる。上層部と交渉するつもり?」
「喫緊にという話ではありませんが」
 スレインと伊奈帆だけでは、行動範囲にも限界がある。
「バルークルス卿はわかりませんが、ハークライトなら必ず力になってくれます」
 風見鶏を自称して憚らなかったバルークルスは、貴族社会に広く顔が利いた。あれでいて面倒見も良く、マズゥールカが無事に父の跡目を継げたのは彼の尽力に寄るところが大きい。ヴァース帝国上流階級との交渉役として打って付けの人物だった。
 ハークライトはその真逆で、出身は最下層と揶揄されることも多いメラス地区だ。飢えて死ぬ子供など珍しくもない土地で生きる彼らは、横の繋がりが太かった。一兵卒から叩き上げで騎士にまでのし上がった青年は下層民達の仰望を集めている。以前より彼の要請には、多くの市民が無条件でこれに応じていた。
 両者の協力が得られれば、対策の幅もぐっと広がる。
 それでなくとも、スレインは彼等に酷いことをした。
 許されるなら自由にしてやりたい。それが自己満足にしか過ぎないのだとしても。
「正直言って妬ける」
 柔和な顔つきで部下を語る往時の敵将に、伊奈帆はあからさまに面白くなさそうな顔をした。
「彼らはそんなんじゃないですよ」
 くすりと笑う元火星騎士。
「いいけどね。君は今、僕の恋人なのだし。けど、いいの?もし君の父親の遺品からアルドノア起動因子の普遍化技術が確立したら、地球は間違いなく火星侵攻を開始するよ」
 未だ地上を占拠する軌道騎士や耐えがたい貧困から暴動に走る下層市民の存在等。火星が女王の威光の下、足並みを揃えているとは言い難いように、連合軍もまた一枚岩ではない。
 R型エンジンなどは、その良い例だ。事件は火星と距離を置き、地球人のみでアルドノア・ドライブの開発研究を進めようとした一派の画策であったことが、その後の調べで立証されている。
 公爵の計画に加担しているのは組織でも一握り。その連中とていつ反対方向へ舵を切るやも知れなかった。

 火星人が、耳あたりの良い言葉で送り出しておきながら、禄な物資援助をしなかった地球人を許していないように。
 地球人の大半は、ヘブンズ・フォールから続く火星人との確執を捨て去れずにいた。

 『恋人』の響きにスレインは、羞じらいを覗かせ目を泳がせる。
「当面は問題ないかと。まず解読に時間が掛かります」
 研究資料は一文・一節毎に様々な国の言語が混じり、アナグラムや暗号なども用いられていた。
「手分けして解読しようにも写真や映像には映りませんし、他の媒体へのコピー機能もありません。手書きで一文字ずつ転記していくことなら可能ですが、多大な時間を労するでしょう」
 それに。と生涯をアルドノア研究に捧げた男の息子は付け加える。
「トロイヤードは普遍化技術を完成させることが出来ませんでした。ここに足掛かりはあるでしょうが、そこから先には独自の研究がいります」
「君の『それ』は、完成形じゃ無いの?」
 Rドライブと、アルビール揚陸城のアルドノアを停止した件だ。
 あっさりと切り込まれ、スレインは苦笑する。
「違います。僕の起動権は姫様方から頂いたものですし、貸与権だって持っていません」
 スレインが起動権を得たのは火星に不時着した折、幼かったアセイラムが意図せず因子の授与を行ってしまったからであり。
 ノヴォスタリスクでタルシスを動かせたのは、ザーツバルムに要請されたレムリナがドライブを初期化していた為だった。
「じゃあ、君自身に特別な力はないと?」
「いえ、あるにはあるんですが……。ちょっとしたイレギュラー要素のようなもので、普遍化研究の役には立たないだろうな、と」
 トロイヤードがアルドノア研究に傾倒するようになったのは、ヘブンズ・フォールが起こる少し前。
 偶然、ヴァース帝国二代目皇帝ギルゼリアと知り合う機会を得たことに端を発する。スレインの父はその折、体液と細胞の一部を手にすることに成功していた。
 生前ザーツバルムは、トロイヤードに助けられたことがあると語っている。二つを考え併せれば、地球侵攻中の彼等が怪我をしている場に遭遇し、救援に当たったという所だろう。
 彼は入手したサンプルを産まれたばかりの我が子で試した。
「自分の子供を被検体にしたのか」
 伊奈帆が向かい側からスレインの隣へとソファーを移動する。
「研究者としての性ですね。人道的にはどうかというレベルではありますが、痛みや無茶を強いられたことはありませんでしたよ」
 当時は普遍化という明確な目的があったわけではなく。能力の複写ができないかと考えただけだった。
 残念ながら、息子の身体に起動因子は定着せず、代わりに宿った別の要素については数年を経た後、火星に渡ってから知ることになる。
「起動権に関するものではなかったため、発覚が遅れました。どの実験が功を奏したのかも今となってはわかりません」
 父親は息子に力の使用と一切の口外を禁じた。皇族以外、しかも地球人がアルドノア関連の特殊な力を持つことなど、火星圏に勘付かれたら無事では済まない。肝心のデータも即座に削除した。
「困った人ではありましたが、あれで父は息子にそれなりの愛情を持ってはいたんですよ」
 かなりズレていたけれど。
 地球にいた頃は、親子が一緒にいた時間もずっと長かった。珍しい植物の話も、特定の地域にしか生息しない動物の話も、父が教えてくれたのだ。
「そっか」
 青年将校は月光を宿す髪を梳き、頬に手を滑らせる。甘えるように自らの手を重ね、スレインが目を閉じた。
「明後日には休暇が終わりますね。次の哨戒活動期間はどれ位になるのでしょうか」
「レムリナさんが心配?」
 アセイラムの異母妹については、昨夜の内に説明を済ませてある。彼女の大凡の所在も告げていた。
「任地を巡る合間に様子を伺う機会もあるでしょうから」
 本意は一刻も早く無事を確かめたい。自由に行動できないことがもどかしかった。
 伊奈帆は忠実な騎士の額へ唇で触れる。
「大丈夫、ちゃんと協力するよ――ところで。姫君『方』って何のこと?」
 君が起動因子を受けたのってセラムさんだけじゃなかったの?
「え?いえ、その……」
 ずいっと顔を覗き込まれ、スレインの背筋に嫌な汗が流れた。
「レムリナ姫に悪戯されて、一度、タルシスの起動権を上書きされたことがあって……」
 どうしてこんな言い訳めいたことをしているのだろう。
「ふーん。起動因子の受け渡しってどういう風に?」
 今度は両手で頬を撫でられる。スレインはゆっくりと瞬きした。
「……っ、貴方、さっき気にしないって言ったばかりじゃないですか」
「気にしないとは言ってない。それに部下ならともかく『姫様』のことになると君、人格が入れ替わっているのかと疑うレベルで必死さが漂うから」
 下がった分だけ躙り寄られる。ソファーのアームが、それ以上の退路を阻んだ。
「僕はお二方に忠誠を誓っていますし……っ!伊奈帆、お茶が冷めますよ」
「お二方、ね。セラムさんだけじゃなかったんだ。嫉妬深いって言ったよね、僕」
「うう……」
 まるで子供の独占欲だ。ちょっと可愛いし、嬉しかったりもするけど。
 スレインは観念して肩から力を抜く。
「僕も予想外でした。自分がこんなに恋人に甘いとは思わなかった」
 自らも手を伸ばし、両の耳を挟み込むように手を添えた。
「君は誰に対しても甘いような気がするけれど」
「本気で言ってます?」
 質疑応答者を入れ替えて繰り返される、昨夜と同じ問い。
「希望的観測も込めて僕だけ……いや、百歩譲って『姫様方』までだと嬉しい」
 存外に気弱な台詞を吐いて、伊奈帆が隔たりを詰める。

 午後の予定が埋まった。



3.

 サウジアラビアを発ったデューカリオンが、横須賀基地へ錨を降ろしたのは2ヶ月を超えた時分。
 マグバレッジが横浜で開催される国際会議に出席するためだった。
 良い機会なので、学生兵達は明朝、学校に顔を出すことにした。高校や大学には徴兵された生徒の為の、特別カリキュラムが用意されている。カームやニーナがデューカリオン内で必死にこなした課題は、提出すれば卒業証書が得られることになっていた。
 いくつかの要件を満たした上で面接を受ければ、希望する大学にも入れる。他者より3ヶ月ほど遅い入学となるが、これもレポートの提出で単位を取得できた。
 祭陽と詰城は後輩達より一学年早く、進学を果たしている。去年は比較的普通に通学できたのが、現在は通信学部に通っているような状態なので、サークル活動で可愛い女の子に知り合えないことが辛いと嘆いていた。
「やっと帰ってきたなあ。そういや、前回の……ほら、工場占拠した奴らってどうなったんだっけ?」
 カームが大きく伸びをする。年の瀬だった季節は冬と春を越え、夏の盛りへと移ろっていた。
 翌日まで自由に過ごすことを許された一同は、なんとなく食堂に集まり無駄話に興じている。
「不見咲さんに保護観察処分を受けたって聞いたけど」
 韻子の返しに驚いたのはスレインだ。
「軍事工場を占拠し、立て籠もりまでして保護観察処分で済むのですか?」
「日本だからね、その辺甘いのよ」
 死亡者も出てないし。
 事件当初はワイドショーなどで散々騒がれたが、今ではキャスターの口の端にも上らないのだとか。
 凄いなあ日本って。
 妙な感心をした青年は、カームが電源を入れたモニターを目にするなり動きを止めた。
 顔から血の気が引く。
 報道局の飛ばすヘリコプターが撮影するのは、黒煙を上げる住宅地の一角だった。
「これ、うちの近所だ!」
 ニーナが叫び声を発する。画面には『ガス爆発?!』のテロップが大きく躍っていた。
「あの辺りの家屋って復興時にガスの配管が間に合わなくてオール電化になっていた筈。その後、整備された?」
 皇女暗殺の決行にあたり、新芦原市内の情報収集を行っていた火星工作員の娘は妙に事情通だ。
 色を成して立ち上がるスレインに、一同が何事かと驚く。
 踵を返しかける肩を青年将校が押さえた。
「待った、スレイン。確認するけど間違いない?」
 直接の言及を避けた問い。元火星騎士が硬い表情で是認した。
「カーム、自動二輪借りる」
「え?いや、それこの間の給料で買ったばかり……っ!」
「ちょっと伊奈帆?!」
「スレイン君?」
 友人達の制止を聞く暇もなく、青年達は走り出す。
 モニターに映し出されていたのは、紛れもなくスレインが用意したレムリナの住居だった。


「伊奈帆、大型自動二輪免許お持ちだったんですか?」
 投げ渡されたヘルメットを被り、シートの後ろに跨がる。
「戦争が終わってから車の免許と一緒に軍で取らされた。しっかり捕まっていて」
 最寄りの駅までは鉄道を使った方が早いが、現地入りしてからは小回りの利く単車の方が便利だ。フルフェイスのヘルメットで顔を覆えば軍関係者にスレインの姿を見咎められる心配もない。
「まさか、新芦原を潜伏地に選ぶとはね。君の剛胆さには脱帽する」
「軌道騎士が実行支配している土地よりも却って安全であると判断しました」
 キリング・ハリド軍事都市でマズゥールカが口にしていた北米のシャトルはブラフだ。
 第二皇女は道中でソフトキル機能のついた小型機に乗り変えている。
 彼女の地球における住居と偽りの身分証明書は、戦争中から用意してあった。
 警護と身の回りの世話は、部下の中でも皇族に対する信仰と忠誠心が特に篤い者を選び、任せてある。

 ザーツバルムの庇護を失った少女が、新たな戦の火種とならないように。
 自由に羽ばたいていけるように。
 スレインは彼女を少しでも危険から遠ざけるべく入念な準備を行った。
 戦争により負った心の傷と疲れを癒す為の、止まり木。
 そこに留まり続けるか、籠から出て新たな世界へ踏み出すかは、いずれレムリナ自身が決めるだろう。

 ただ、叶うならば。
 戦後、彼女に頼みたいことがあった。
 恥知らずと誹られるは必定。それでも、聡明なレムリナであるならば。
 受け入れてくれるのではないかと、都合の良い望みを抱いた。


 事件の現場は黄色いテープで封鎖されている。野次馬の侵入を防ぐためか、二人の警官が入り口付近に立っていた。
 伊奈帆は人目に付かない場所へバイクを寄せ、柱のみを残した建物の残骸を観取する。うだるような暑さに、立っているだけで汗が噴き出した。
 コンビニで調達したお茶で水分を補給しながら辺りの様子を覗う。怪しい動きをする者の姿は認められなかった。
「火星、地球共に軍関係者の影は無し、か……」
 近隣へ聞き込みに行ったスレインを待つ間、事件を考察する。
 ライエの発言通り、この辺りは都市ガスの整備が遅れていた。当該家屋はプロパンガスも引いていなかったという。緩める元栓や漏れるガスがないのだから、過失や自死を目的とした事故の線はあり得なかった。
 通りすがりの犯行も排除する。レムリナと共に暮らしていた女性は帝国軍出身者だ。一般人が対処できる相手ではない。
 連合軍は第二皇女の存在すら知らなかった。
 やはり、これまでの流れからいっても、公爵の采配を受けた火星人の仕儀と判じるのが自然か。
 強引なやり口に違和感は残るものの、スレインの配下だった付き人の排除に手を焼き、痕跡を残してしまった為に焼き払うことで隠滅を図ったのだとすれば、一応の辻褄は合う。
 相方の持ち帰る情報と合わせれば、また違った状況も見えてくるだろう。
「さて、あっちはうまくやっているかな」
 専門家による犯行なら証拠など残っていないだろうが、確証は得ておきたい。
 飲みかけのお茶は、まだ幾分かの冷たさを残していた。

 合流した元火星騎士は酷く疲れた顔で、自動二輪のシートに突っ伏した。同じシートの前側に浅く腰掛けた伊奈帆が水の入ったペットボトルを手渡すと、スレインはすっかり温くなってしまった水を一気に煽る。
「やはり、伊奈帆が行くべきでした」
 尽きることのない主婦達のお喋りは聞いているだけで気力体力を消耗した。彼女達は炎天下の中、長時間立ちっぱなしで草臥れたりしないのだろうか。
「ここでは僕の方が、顔が売れてしまっているから。別に疑われもしなかったろう?」
「そうですけど!」
 ご近所の奥様方を頼れと言ったのは伊奈帆だ。国元から訪ねてきた親戚の振りをして近づいたスレインに、主婦達は事件のみならずレムリナの普段の生活ぶりや近所づきあいなどについても教えてくれた。見込み以上の情報収集能力だったが、諜報員には向かない人達だな、と益体もないことを考える。
「火災の少し前、不審な外国人が近隣を彷徨いているのを目撃した方がいらっしゃいました。『見た』というだけなので、警察には相手にされなかったようですが」
 戦後の復興により人の出入りが激しく、髪や肌の色が違う者達が日常に混じる光景の中、地元民が抱いた違和感。それを異なる惑星の人間が持つ気配だったと決めつけるのは早計に過ぎるだろうか。
「僕の方でも、通りすがりを装って警官から概要を聞いておいた。軍関係者であることを明かしたら詳細を教えてくれたよ」
 警察は事件と事故の両方の線で捜査している。
 庭に充分なスペースがあったことから近隣に被害は及ばなかったが、一緒に住んでいた年上の女性は亡くなった。
 レムリナと思わしき少女の遺体はなく、警察では外出中だったと考えており連絡先を探している。
「そう、ですか」
 スレインは束の間、目を閉じ黙祷を捧げた。
「警官が姫の行方を捜されているなら、賄賂は受け取っていないということですね」
「日本の警察は優秀だ。金銭では動かないよ」
 公爵が『もうひとりの姫』の存在を公表でもしない限り、連合から圧力が掛かることもなかった。
「なんとしても姫は取り戻します」
 元伯爵の拳がぐっと握り締められる。
「まずは、行方を追うのが先決だ。マズゥールカさんが何か掴んでいるかも知れないし、メールで状況を知らせておこう」
 KKMC以降、火星騎士とは定期的に遣り取りを行っている。青年将校はタブレットを取り出した。
 画面をスライドさせると、噂の騎士からのメール着信表示がある。
 伊奈帆は、液晶の向きをスレインからも見える位置へ調節した。
 文章を確認した二人の青年が、申し合わせたように真顔になる。
「……レムリナ姫が北米にいないことを、いち早く察知された理由がこれで解りました」
 戦後も地上の支配権を手放さない軌道騎士達の中で、最大規模を誇るのが北米だ。
 当主は帝室の政策に批判的な人物で、皇統派筆頭のクルーテオとも反りが合わない。
 女王やクランカインがシャトルの行方を尋ねたところで、北米騎士はけんもほろろに突き放すと確信を抱いていたからこその不時着先だった。
「カルガリーは既に公爵の手に落ちていた。レムリナさんが連れ去られた先も、海の向こうって事で間違いないのかな」
「マズゥールカ卿の報告には、その様に記されています」
 スレインは伊奈帆の手から、そっとタブレットを取り上げた。
「珍しく写真がありませんね。いつもは、嫌がらせのように添付してくるのに」
 旅道楽が過ぎるのか協力者の青年は連絡を寄越す度に、訪れた先の風景やら食べ物やらの写真を大量に送りつけてくる。稀に重要な情報が混じっているため全部に目を通さないわけにもいかず、二人は少々閉口していた。
「僕は、いい加減慣れた。直ぐに消去しているから、さほどメモリは圧迫してないし。……今回は無駄な観光案内文言も入ってないな」
 要点のみが記された、実に簡潔でスマートな報告文である。毎回こうだったらいいのに。
 つまるところ。
「生きていますかね、彼」
「さあ」
 マズゥールカは間諜行為が露見して捕らえられた、と認定するのが正しい。
 青年将校は、元伯爵の手から戻されたタブレッドに重ねて目を通した。
「文面からはマズゥールカさんに似せようとする努力が一切感じられない。疑われることが前提だ」
「クランカインなりの宣戦布告でしょう。エデルリッゾさんの話では、陛下は僕の生存を公爵に告げてなかったようですが、この一件で確定されましたね」
 伊奈帆と行動を共にしていることも。
 諜者が口を割らずとも、ヴァースは地球の通信会社へのハッキング手段をいくつも持っている。通信ログを辿られれば、それまでだった。
「僕達の帰国のタイミングに合わさって事件が起こったのも、派手な足跡も意企的だったということか」
 デューカリオンの行動予定など、公爵ならば連合軍上層部を通じて容易く掌握できる。
「あからさまな挑発で招く先は北米。復活させた火星のカタフラクトで、準備万端に待ち受けている様が目に浮かびます」
「危険度は高いし、お勧めはできないな――それでも。受けて立つでしょ」
 問いではなく確認。スレインの唇が緩やかな弧を描いた。
「はい」
 微かに目を眇めた表情に艶麗な色香が漂う。
「自尊心の高い公爵は、北米の揚陸城を僕達が攻略できるなんて夢にも思いません。流石に敵を招く場所にアセイラム陛下を置いたりはしないでしょうが、レムリナ姫様なら」
「蓋然性は高い、と元伯爵様は踏んでいるわけだ」
 伊奈帆達はマズゥールカに、こちらの陣容を伝えなかった。青年将校とスレインが二人だけで行動していることを知り得る術がない以上、公爵は自陣に他の密偵が紛れ込んでいる懸念を拭い去ることができない。二人を確実に誘い込むために。彼が罠の中に置いた餌箱を空にすることはないだろう。
 レムリナは必ず北米にいる。
「ああ、行き掛けの駄賃としてマズゥールカ卿を見かけたら連れ出すのもいいかもしれません」
 戦力としてはまだ使い道があるし、一応世話にはなった。
「連合軍内協力者のリストは完成している。反対者の顔ぶれも解った。こちらとしても用はもうないけれど。そうだね、ついでならいいか」
 単身、敵地で働いていたマズゥールカが聞いたら、涙しそうな会話である。
 身内認定した相手なら、どんな無茶をしても救いだす青年将校だが、あいにく火星騎士は線引きの外にいた。
「さしあたってヴァース本国と連絡が取りたいのですが、近くに通信手段はありませんか?」
 スレインは服の下にあるペンダントを握り締める。
 これを使う時が来ているのかもしれない。
「駅前にネットカフェがあるけど、発信元も通信内容も傍受されないほうがいいよね。だったら僕の家に行こう。カスタマイズしたPCがある」
 不本意ながら、軍神の名を戴いてからいらぬ敵が増えた。隕石爆弾に壊された以前の住まいから引っ越した先は、軍と係わりのない普通のマンションだったが、セキュリティ対策は万全に施してある。
「通信の相手が誰かとは聞かないんですね」
「隣で見ていれば解ることだ。それより近くのスーパーで買い物していこう。卵が特売されてる」
 長年に亘って染みついた慣習により、伊奈帆は通りすがり目にした店頭ポスターをしっかりチェックしていた。
「トクバイ?」
 トクバイって何だろう。
「店が客寄せのために行う安売りのこと。これから家に寄っているとデューカリオンの夕飯時には間に合わないから」
 そういえば日本語で会話をしていたなと、青年将校は今になって気付く。あまりに自然な流れだったため意識していなかった。
「食事より黙って出てきたことを心配した方がいいのでは?」
 主要戦争犯罪人の無断外出も知れ渡った頃だ。艦内で青ざめている不見咲の姿が容易に想像つく。
「謝罪ついでに艦長殿を夕食に招待しようか」
「マグバレッジ殿に協力を仰ぐんですか?」
「良い機会だからね」
 この先、デューカリオンの協力は必須。スレインが連合軍お偉方に政治的取引を持ちかける場を設けることも大佐なら可能だ。
「大佐出席の会議も終わった頃だ。ライエさんの携帯から連絡を取ってみよう」
 ダルザナの番号も知っているが、用心に越したことはない。
 シートに肘を預けたままだったスレインは、通話ボタンに指を伸ばす青年将校を見上げた。
「厳しい闘いになりますが、お付き合い願えますか?」
 小首を傾げて伺うと、見下ろす瞳が笑みを形作る。額に影が落ちた。
 視界がただ一人の姿で埋め尽くされる。
「もちろん」
 奈落の底まで付き合うよ、と触れる唇が囁いた。



4.

 伝言を受け、足を運んできたダルザナとの合議は夜遅くまで続いた。
 これまでの様子から、何かあるとは感じていたのだろう。艦長は規律に背いた件を頭ごなしに叱りつけたりせず、静かに話を聞いてくれた。
 年齢や出身に左右されることなく相手の価値を計る。彼女もまた、ザーツバルムと同じく上に立つ者としての希有なる資質を持つ人物だった。
 この女性の庇護下にあるからこそ、伊奈帆は己の才能を存分に活かすことができた。
 そして今も。ダルザナ・マグバレッジの広い度量があればこそ、自分達は次なる手立てを講じられる。
「まったく貴方達ときたら。また碌でもない話を持ち込んできましたね」
 界塚邸の居間で食後のお茶を啜る大佐は、先の戦争が地球連合軍上層部と火星会議派の予定調和であったことを知り、静かに激怒していた。
 犠牲になった数百万の人命やいくつもの街や都市は、アルドノアのレンタル料に過ぎなかったと?
 低能揃いが巫山戯やがって。とは、表現は悪いが紛う事なきダルザナの本心である。
 しかも、連中は更に業腹な計画を推し進めようとしているらしい。
 話が長くなることを予期し、運転手を務めさせた不見咲に駅前のホテルで待機を命じたのは正解だった。心の機微に疎く、少しばかり情緒に欠けるところのある彼女だが、あれでいて案外繊細なところがあるのだ。
「地球の火星化計画。世界全土に厳しい階級制を敷いて民から圧搾する一方、自分達は切り離された楽園で富と権力を享受する――ですか」
 頭に茸の胞子が詰まった連中が、いかにも好みそうな話だ。
「さりとて、連合軍将官達も地球の住人。迎合は表面的なものに過ぎず、アルドノア起動因子の普遍化に漕ぎ着けるまでの間、のらりくらりと躱し続ける腹積もりであったのだろうと信じたいところではあります」
「そうはいっても、計画が実行されたら、その方々は唯々諾々と従うのでは?」
「否定はしませんが、あまりに強引な手法は、両者の間に埋まらない溝を生じさせます」
 普遍化技術の完成も待たず、一方的に計画を進められては連合軍としても立つ瀬がない。
 以降も、地球側の意見を無視した振る舞いをされるのであれば、協調路線などは絵に描いた餅だ。
 信頼関係が一切ない中で樹立された新政権が、長持ちするかどうか。
「考えたのですが、地球圏の望みは彼等が自由にできるアルドノア起動因子を手中に収めること。そうですよね?」
 ならば、普遍化技術である必要はない。代わりとなるモノを宛がってやれば良いのだ。
「まさか、それがレムリナさん?」
 青年将校の声に嫌悪が滲む。
「第二皇女はヴァースの民にその存在を知られていません。どの様に扱おうと火星側から反発は上がらない。公爵にとってこれほど使い勝手の良い道具もないでしょう」
「富と権力を占有化したい一握の人間にとっては、いつ完成するとも知れない普遍化技術などより余程確実で、且つ手っ取り早い方法ですね」
 気持ちを落ち着けるべく、ダルザナが音を立ててお茶を啜った。
「話はわかりました。では、貴方達は連合軍上層部を相手に、北米侵攻と第二皇女の奪還を提唱するというのですね」
 火星人だろうと地球人だろうと、我らが住み暮らす地を踏み荒らそうというのなら阻止しないわけにはいかない。
 幸いにも国際会議の開催期間中であることから連合軍のお偉方も多くが横浜に集まっていた。
 二人が賛同派と反対派それぞれの名簿を掴んでいるというのなら、交渉先を探すことも容易い。
「念のため、確認しておきます。お父上の遺品を渡せば二度と手元には戻りませんよ。構いませんか?」
「私が持っていても意味のない情報ですから。いずれ適切な研究者の手に渡り有効活用される日がくるのなら、その方が父も喜ぶでしょう」
 アセイラムは目下の公約に普遍化技術の完成を掲げた。遺品の解析は彼女の望みにも添う。それに、未確定事項のため伊奈帆達にはまだ明かしていなかったが、遺産は近い将来、その価値を減じる恐れがあった。取引材料とするなら、ここで使い切ってしまわなければならない。
「わかりました。交渉相手は反対派の中からこちらが選んだ人物で構わないのですね」
「はい。お願いします」
 軍の内情や人物評についてはダルザナの方が詳しかった。彼女ならば最適な人物を選んでくれる。
 連絡が取りやすいのはエーリス・ハッキネンだが、あいにく彼は賛同者の末席に連なっていた。
 艦長は直属上司の名を聞き及ぶに付け、酢を飲んだような顔で「俗物め……」と吐き捨てている。
「忙しくなりますね。脱走犯の為に懲罰房の準備をしてきたのが無駄になってしまいました」
「申し訳ありません」
「日本は未成年者に甘い国ですから。僕はまだ18歳以下ですし」
 冗談混じりに告げると、元敵将は殊勝な態度で謝罪したが青年将校は飄々と言ってのけた。

 平和な世界であれば、平凡な生涯を過ごしたであろう少年達。
 戦争が彼らを恐るべき怪物へと変えた。
 人は彼らを英雄と呼び、神と崇め、時代の寵児よと持て囃す。
 だが、彼らにどれほどの才覚が眠っていたのだとしても、当人達がそのことを悲観していなくとも。
 子供を醜い争いに巻き込んでしまった大人達の罪がなくなるわけではなかった。

 もはや、彼らの力なくして事態の収束は適わない。

 ならば、先を行く者として。
 若人達が少しでも生き延びることの出来る道を探ることが、己の役割だとマグバレッジは再認識した。


 単身で東名高速を下ってきた伊奈帆は、涙目で自動二輪との再会を祝するカームに鍵を返す。
 スレインは一足先に、副長の運転する車で横須賀基地へ戻っていた。
 自宅に残った青年将校は、出立するまでの数時間を各地レーダーサイトのデータを漁るのに費やした。火星の機影が映り込んでいないか確認するためだ。
 自動警戒管制システムへの接続は無断かつ無許可で行っている。連合軍特殊回線内でのことなのでハッキングとはならないから問題ない、とは本人の弁だ。
 裏付けは簡単に取れた。峯岡山の防空監視所が、火災発生と同一刻限に火星型戦艦が太平洋に向けて飛び立つのを捉えている。
 クランカインは態とらしく証拠を残すことで、こちらが出向いてくるのを待っているのだ。
 後の成否はスレインが握っていた。

 伊奈帆は戻ったその足でブリッジに足を踏み入れる。間を置かずに艦長が元伯爵を伴ってきた。
「首尾は?」
 帰りが今なら、都合4時間は対談していた計算になる。
「6割といったところです」
「これ以上望むべくもない成果を引き出しておきながら、なにが6割ですか」
 ダルザナは疲労を漂わせ、自席に腰を落ち着けた。
 ブリッジのメンバーは只ならぬ雰囲気を察し、黙したまま3人の会話に耳を傾ける。
「あの狸連中を相手に囚人の解放のみならず、北米侵攻の全軍指揮権までもぎ取るとは。つくづく恐ろしい相手を敵に回していたものです」
 倦まず弛まず、引くことも無く。連合軍高官とその取り巻きを相手に堂々と渡り合った青年の胆力にマグバレッジは驚愕を禁じ得なかった。日常に於いては気弱で柔らかな物腰の青年が、海千山千の軌道騎士を束ねた将であったのだと痛感させられる。
「北米の攻略許可を得るのにレムリナ姫の存在を示唆するしかありませんでした。手痛い失態です」
 始めは表だった敵対行為を渋っていた反対派も、火星化計画賛同者が女王以外の起動因子保持者を囲うとなれば手を拱いては居られなかった。
 ザーツバルム陣営擁するアルドノア起動権の正体については、地球連合軍内でも度々俎上に載せられた議題だ。ノヴォスタリスクで瀕死の重傷を負った皇女が、たった数ヶ月で回復するほど火星の医療技術は進んでいるのか。偽物が姫を演じているのだとすれば、起動権はどこから来ている?
 もしや、トロイヤードの遺児が普遍化因子の完成形を持っているのでは、という疑念に駆られた連合軍上層部は、スレインの生体情報の収集――伊奈帆は看守の性欲処理だと勘違いしていたようだが――や、自白剤を用いた尋問を試みたが、めぼしい成果は得られなかった。
 後に本物のアセイラムが月面基地で長らく第三勢力の監視下にあったことを公表した為、容態の悪い皇女に強要していたのだろうという結論に落ち着いていたのだが。
 他国のカタフラクト隊を動かす理由として、もう一歩踏み込んだ事情を明かすより他なかった。
「囚人解放の件はどうなりました?」
 背もたれに深く寄りかかったマグバレッジが、天井から界塚弟へと視線を移す。
「手順通りです。人質交換やヴァース帝国からの要請により解放された囚人は、火星の護送船に乗せられ本国に送られます」
 そこで彼らは、本格的な裁判に掛けられるのだ。解放までは地球圏の裁量で行われるが、その先を取り仕切るのは火星会議派の仕事。この流れに関しては連合軍将官と雖も口を挟む余地はない。
 解き放ちを望んだ者の一人はスレイン・ザーツバルム・トロイヤードの片腕とされた男。もう一人も最後まで忠義を尽くした軌道騎士だ。火星側の注目度も高く定期的に監察が入る。下手な干渉はできなかった。
「時間もありませんし、囚人をこちらに取り込むなら護送船を強襲でもするしかありませんが、貴方達はどのように考えていますか?」
 軍人にあるまじき発言をする艦長に、周囲が驚倒する。彼女が取り繕う暇がないほど、急迫した問題が持ち上がっているのだとその場にいる全員が理解した。
「その件については既に話がついています。次に護送船が出立するのは2週間後。適当な場所で二人を降ろしてくれるそうです」
「いつの間に?!」
 頭を悩ませていた問題をあっさり片付けたスレインに、ダルザナが勢いよく身を起こす。
「昨夜、エデルリッゾさんのお父上とお話しさせて頂きました。会議派の重鎮で議長も勤められたことのある方です。ノヴォスタリスク以降、個人的な付き合いがありまして」
 会議派は軌道騎士がギルゼリアに従い地球侵攻に乗り出した隙を狙って、政治の世界に足場を確保していった一派だ。
 地球との和議を望む者が多いのは、議員の多くが火星開拓中期以降の入植者である為。彼等は母星での生活を克明に記憶している。その中にあっても移住の時期が遅く、他者より高齢だったエデルリッゾの父親は、和平推進派の中心人物とされていた。
 だが、皇女の地球親善訪問時、己の娘を危険にさらす作戦に反対したこと。エデルリッゾが長らくスレインの元に留まったこと。クランカインを中心とした派閥が勢いづいたことなどが、男の立場を弱めた。戦後は、重要な会議から外されるようになっている。
 スレインとの交流は、アセイラムの傍から頑なに離れようとしないエデルリッゾの近況を知らせたことが契機となって始まった。年老いて産まれた娘を溺愛する父親は命の恩人たる地球人に深い感謝を抱き、両者の遣り取りは月面基地爆破直前まで続いたのだという。
 これが、実行犯のザーツバルムさえ知り得なかった皇女暗殺事件の真相をスレインが握っていた理由だった。
「往年程の権勢はなくとも、護送船に便宜を図るぐらいは何とでもなると請け負ってくださいました」
 彼はアセイラム同様、真に地球との和平を望んでいた。公爵の危険な思想に賛意を示すことはない。
「ハークライトもバルークルス卿も解放されたばかりでは戦力にならないでしょうが、この先を鑑みれば日本を出る前に合流できるのは大きいかと」
 最も、ハークライト達が協力を拒む可能性もある。
 その時はもう一度、護送船に乗って貰いましょうと元公爵は少し寂しげに笑った。
「組織としての力は得られなくても、個人としてなら率先力になる。一般の施設は健康管理も行き届いているし、体力維持のための運動時間もきちんと設けられているから、君の時とは違うよ」
 彼らの助力について、伊奈帆はまったく心配していない。
 戦争の最中、ひときわ輝いていた一条の流星。
 どれだけ自分が、彼らを惹きつけていたのかスレインは知らない。
「まったく貴方達の周到さには感心します」
 ダルザナが称讃と呆れが綯い交ぜになった息を吐いた。
「賛同派から横槍は入りませんか?」
 界塚弟の憂慮は払い除ける。
「彼等とて諸手を挙げて公爵の計画を是認しているわけではないでしょう。大半が静観に回ると予測されます」
 邪魔が入ったら、その時はその時だ。
「一掃してしまえれば楽なのに」
「地球連合軍側の処断は後回しです。散々人を振り回してくれたお礼はいずれしますよ」
 ちらりと為政者の顔を覗かせるスレインの背後から、伊奈帆は腕を回した。
「そういえば、君宛てにメールが来ていた」
 普段の穏やかな笑みも好ましいが、こうして時折見せる挑発的な表情もそそる。などと爛れた思考を抱いたことは内緒だ。
 ざわり、とブリッジ内の空気が波立ったのに気付かず、元火星騎士は顔の前に提示されたモバイル機器を手に取る。
「エデルリッゾさんからですね」
 操舵席で待機していたニーナは吃驚した。伊奈帆は自分のタブレッドが他人に弄られるのを極端に嫌がる。姉のユキや幼なじみの韻子にさえ触らせないのに。
 さも当然のように画面をタップする元火星騎士を咎め立てもせず、青年は彼の肩に顎を乗せ表示された文面を覗き込んでいた。タブレットを渡して空いた両手を、スレインの腰の前で組み合わせて。まるで後ろから抱きついているみたい……ではなく完全に抱きついている。
「君がKKMCで頼んでいた件?」
 さしものクランカインも会議派重鎮の娘を身ひとつで放り出すような真似はしなかった。最後の仕事を終えたエデルリッゾは一度、迎えに来た航宇船に乗せられている。
 補給のため立ち寄った中継基地で強引に実家を説き伏せ、蜻蛉返りに戻ってきたのだそうだ。かなりの強行軍で役目をこなしてくれたらしい。
「はい。彼女ともどこかで合流しなければなりませんね」
 えぇー?!なんでスレイン君、そんなナチュラルに受け答えしているの?!!
 あたりを見回せばマグバレッジ艦長や不見咲も固まっている。
「なら戦闘後がいい。作戦に参加させろと騒がれても困る」
「では、帰投予定時刻に合わせてコールドレイクへ来て頂きましょう。レムリナ姫もエデルリッゾさんがいた方が安心するでしょうし」
 ヘブンズ・フォールでほぼ壊滅状態に陥った米軍・北米基地の中、奇跡的に軽微な損傷で済んだ基地の名前をスレインは挙げた。他国のカタフラクト隊とは、ここで落ち合う手筈になっている。
「いいね。後援部隊に頼んで、近くの空港まで迎えに行ってもらおう」
 ニーナは、手慣れた操作で作成したメールを背後の伊奈帆に見せた後、送信ボタンを押す元伯爵を呆然と眺めていた。
 スレイン君、伊奈帆君のタブレット随分と使い込んでいるなあ。そして、やっぱりそのままなんだ。
「あのー、スレイン君?」
 我慢できなくなって恐る恐る名前を呼ぶと、きょとんとした顔で見返される。
「はい………あっ!?!」
 己の腰のあたりを仰視する操舵手に、漸く状況が飲み込めたらしい。
 モバイルタブレットごと青年を些か乱暴に押し除けた。
 あ。伊奈帆君、いま舌打ちした。
「スレイン、いきなり酷い」
「だ、だから、過剰なスキンシップは止めて欲しいと何度も……」
 迂闊、と顔に書いて慌てふためくスレイン君。何度も、なんだ?
 過剰なスキンシップしてたんだ。あの伊奈帆が。
 察した祭陽が生温い目線を二人に向けた。詰城は趣味の範疇外なのか、無関心を貫いている。
「問題あるの?」
 自動二輪運転のため眼帯を外していた伊奈帆が、両目でじっと青年を見つめた。
「問題はある、というか、ないというか……」
 耳まで赤くしたスレインは、かなりの間を置いた後「人前では駄目です」と消え入りそうな声で鳴く。
 伊奈帆は表情こそさほど変わらないものの、明らかに満足げだった。
 ああ、これは韻子が泣くなあ。と、ニーナは嘆息する。
「……頭が痛くなってきました」
 艦長が、額を抑えた。

 ダルザナ・マグバレッジがデューカリオンの全メンバーへ大規模作戦の始動を発令したのは、この日の夕刻である。



5.

 豪奢な調度品が整えられた一室で、皇女レムリナはまんじりともせず膝上の拳を握り締めていた。

 心優しく従順な同居人。質素でありながら、完全バリアフリーに仕立てられた居心地の良い屋内。庭を彩る季節の花々。温かく細やかな気配りに溢れていた、小さな一軒家。
 彼女に用意されていた新たな生活の拠点は、準備を行った者の人柄が反映されたような空間だった。
 驚くレムリナにスレイン直属の部下だった女性が差し出した一通の手紙。
 中身を読んで初めて、第二皇女は偽りの夫だった青年の真誠を知った。
 彼の想い。彼の願い。彼の――孤独。
 あの人は最初から、自分を連れて行ってくれるつもりなどなかったのだ。

 酷い人。愛しい人。
 ああ、もう一度会えるのなら。
 思いっきりその頬を張って、文句を言って、抱きしめて。今度こそ絶対に離さないのに。

 最初の数日は泣き暮らした。その後の数日は疲労から体調を崩した。
 回復してからは足の治療とリハビリに専念している。
 彼の頼み事を引き受けるために。
 次に会えたとき、二本の足で大地に立つレムリナを見て貰うために。
 スレインは、どこかで必ず生き延びていると念じて。
 緩やかに過ぎていく日々の中、レムリナは少しずつ心と身体を癒やしていった。

 突然の侵入者に『親戚』として共に暮らしていた女性を目前で殺されるまでは。


 住居を襲われたショックで気を失っていた第二皇女が目を覚ましたのは、豪奢な天蓋付きのベッドの上だった。
 美しいドレープの連なる紗膜の向こうに、華美な調度品で飾り立てられた部屋が透けて見える。広く、寂々とした雰囲気の漂うそこは、ザーツバルムに与えられていた自室を彷彿とさせた。
 レムリナは瞬時に悟る。これは鳥籠だ。
 同居人の死を悼む間もなく、近くに控えていた女性がレムリナの衣装を整える。彼女は備え付けの電話で何処かへ連絡を入れると、少女を抱え上げ部屋の中央にあるソファーへ座らせた。意外と力はあるらしい。無駄口を一切叩かず支度を終えた女性の退室と入れ替わるように、一人の男が部屋に足を踏み入れてくる。
「お会い出来て光栄です、レムリナ姫様。ご無事で何よりでした」
 現れた誘拐犯は、開口一番そう告げた。
「狼藉者の口上ではありませんね、公爵クランカイン殿」
 顔だけは知っていた異母姉の配偶者にレムリナは眦を吊り上げる。
「配慮が足らなかったことは謝罪致します。一刻も早くお連れせねばと気が急いておりました」
 裏表を感じさせない誠実な口調で、クランカインが頭を垂れた。
「大罪人スレイン・トロイヤードに利用されている異母妹姫様がいると陛下よりお伺いしてから、ずっと心を痛めてまいりました。月面基地では、アセイラム殿下と共にお救いすることが適わず申し訳ありません」
 政略結婚だからだろうか、公爵は女王に対し臣下としての立場を崩していない。
「わたくしは自分の意志で、あの場に残ったのです」
 さりげなく周囲に気を配った。使い慣れた車椅子も代わりとなるものもない。男はレムリナを自由に行動させるつもりがないのだ。
 公爵は慈悲深く、解っているという風に相槌を打った。
「お可哀想に。トロイヤードの洗脳が解けていないのですね」
 彼女は自ら望んでスレインに力を貸したのだが、男に告げたところで平行線を辿るのは目に見えている。相容れない言い争いなど続けるだけ時間の無駄だった。
 レムリナは意識を切り替える。まずは自分の立ち位置を確認しなければ。
「ここは一体何処なのです。お姉様はどちらにいらっしゃるの?」
 怖じ気づいた素振りで不安を前面に押し出せば、クランカインにやんわりと掌を包まれた。
「ご安心ください。安全な場所です……といっても納得されないでしょうね。ここは北米にある揚陸城です」
 払い除けたい衝動を必死で堪える。
「北米……まさか、カルガリーなのですか?」
 他の軌道騎士が制圧した土地に、揚陸城を降下させれば侵略行為と見做され騎士同士の争いが勃発する。地球側でもニュースとなるだろう。騒動が聞こえてこない以上、ここは北米を支配した騎士の居城であると考えられる。
 だが、彼は会議派ともクルーテオ卿とも一線を画していた。皇統派筆頭の息子など招き入れる筈がない。
「アセイラム陛下のご意向に従わなかった愚か者です。陛下に成り代わり私が裁断致しました」
「その後、占有したと?」
 あの頭が花畑になっている異母姉の要望は、支配地の召し上げに非ず。軌道騎士を撤退させることだ。
 公爵の行動は、女王の意志を反映していない。
「決闘の勝者は敗者の財を得る。騎士の作法に則った迄のこと」
「どの様な巧言で、お姉様にアルドノアの初期化を行わせたのやら」
 参考までに、お聞かせ願いたいところだ。
「このようなことで陛下のお手を煩わせは致しません。ここは慮外者討伐の膳立として選んだ地。遂行まで持てば良いのです」
 決闘により虫の息となった、北米の騎士は生命維持装置に繋いである。用が済むまでの間のことと、治療は一切施していなかった。
「惨いことを」
 痛みや苦しみを徒に長引かせ、騎士の尊厳をも踏みにじる所業に第二皇女は唇を噛みしめる。
「慮外者と仰いましたわね」
「ええ、陛下の御代に影を落とし、我等に徒為す不届き者共です」
「では、私はさしずめ、その膳に乗せられる一品というところかしら」
 クランカインが話を持ち出したのは、それがレムリナに関する事柄だからだ。
 散りばめられた情報を集め組み立てていく。
 ヴァース皇族血縁者の保護を目的とするなら、住居まで燃やすことはなかった。派手な狼煙は第三者に知らせるためのものだ。
 男は彼女を餌に、対手を誘き寄せようとしている。
「一品などとは恐れ多い。姫君ならば膳に上られた瞬間からメインディッシュとなるでしょう」
 公爵は否定しなかった。適当な嘘偽りを吐かなかったことに対し、レムリナは男の評価を少しだけ上方修正する。下らぬ嘘で女を誤魔化せると信じ込んでいる凡愚より多少はマシか、程度だが。
 彼女が囮として機能するのは、第二皇女の存在を相手が知っている場合のみ。端的にいえばザーツバルムの関係者だ。
 確率性が高いのはハークライト。次点でバルークルス。月面基地で働いていた一般兵卒の誰かという展望もある。
 あるいは。
 胸に淡い希望を忍ばせたレムリナに気付いたのだろう、公爵が気を惹くように握っていた手の甲を撫でた。
 嫌悪に肌が、ぞわりと粟立つ。
「ご安心を。貴女に危機が及ぶことは決してありません。敵を迎え撃つに万全の態勢は整えてあります」
 どうぞ高みよりご見物下さい。
「大口を叩く割には、随分と眺めの悪い観客席ですこと」
「御身の保全が第一優先。ご不便をお掛けすることはお許しください」
 重要視しているのはレムリナの身ではなく、アルドノア起動因子だろうと思ったが、この程度の嫌味で動じるような男ではない。
「貴方はまだ肝心な問いに答えていません。異母姉はどこなのです」
「陛下は軌道上にある揚陸城におられます。直ぐにも会わせて差し上げたいのですが、女王にあらせられましてはご出産を控えておられる身。今は心身共に療養に専念して頂きたいのです」
 お姉様が妊娠?!
 なるほど、それでは自分を近づけたくはないはずだ。
 数ならぬ身であるレムリナが、正当な血筋であるアセイラムを嫉んで危害を加えないとも限らない。まともな思考回路を持つ者であれば、そのぐらいは考える。
「軌道上というと、以前ザーツバルム伯爵に半壊されたという、クルーテオ卿の揚陸城のことですか?」
「トロイヤードが卑劣な手段により所持するに至ったマリルシャン卿の居城ですよ。女王陛下は殊の外あの城の庭をお気に召してしまわれて」
 困ったものですが、花々に罪はありませんから。
「スレインはマリルシャン卿との正式な決闘によって権利を得たのです。貴方がこの城を手に入れたのと何ら変わりありません」
 大切な人を悪し様に罵られ、黙っていられるほどレムリナは大人しい性格はしていない。
「あの者は卑劣にも己の主より奪ったカタフラクトで勝ちを得たのです。我が父にあれだけの恩を受けておきながら、それを仇で返すとは……っ!」
 クランカインは語気が荒くなったことに気付き、直ぐさま謝罪を述べた。
「失礼。姫君の前だというのに、つい感情を高ぶらせてしまいました」
「構いません。優しく誠実なだけの羊になど、価値はありませんもの。騎士ならばその胸に野心のひとつやふたつ抱いていなくては」
「レムリナ様は、姉君とは随分お考えが違われるのですね。聡明な所や、ご自身の意見をはっきり仰るところはとてもよく似ていますが」
 世の少女達が目にしたら、うっとりするような甘いマスクを公爵がレムリナに向ける。
「世辞はいりません。それで?囮として利用した後、貴方は私をどうするつもりなのです?」
 無条件で解放されると信じられるほど、彼女は楽天家ではなかった。
「貴女様をお連れしたのはトロイヤードの魔手よりお救いしたかったのが一番の理由です。こちらでお過ごし頂く裡に、あの者の影響も抜けご自身のお心を取り戻されましょう。その時は是非とも、女王の治世のため妹姫としてお力添え下さい」
 ぴくり、とレムリナの眉が跳ね上がる。
 ザーツバルムは第二皇女にアセイラムと同等の教育を施した。蝶よ花よと育てられた異母姉が知らされていないヴァースが抱える闇も学んでいる。与えられた知識を全て吸収している彼女は己の立ち位置と、求められている役割を読み取る能力に長けていた。
 公爵にはレムリナを道具として使う魂胆があるのだ。
「この世で最も高貴なる血を引くたった二人のご姉妹。貴女様と陛下を私は心よりお守りしたいと願っております」
 レムリナの甲に畏みて口づけを落とす。
「どうぞ、私に貴女様の騎士としての役目をお与え下さい、レムリナ姫様」
「貴方はお姉様の騎士でしょう」
 耐えきれずに手を引く。クランカインは首肯した。
「もちろん私がアセイラム陛下の夫であり騎士でることに変わりはありません。ですがレムリナ姫、私は貴女様のことも同じぐらい大切にしたいと思っているのです。スレイン・トロイヤードが傲岸にもアセイラム殿下の騎士を名乗りながら、貴女様の騎士としても仕えていたのと同じこと」
 違う。とレムリナは叫びそうになった。
 スレインが献身を捧げていたのは、アセイラム・ヴァース・アリューシアただ一人。
 だが、それを口にすることは自尊心が許さなかった。
「下がりなさい。私にはスレイン・ザーツバルム・トロイヤード以外の騎士など必要ありません」
「トロイヤードは、一年以上も前に処刑されました」
 第二皇女は決然として顎を上げる。
「いいえ。スレイン生きています。彼は必ずやこの危難に駆け付け、私を救いだしてくれるでしょう」
 公爵は口を噤んだ。
 彼女がスレインの去就を耳に入れていないことは調べが付いている。故にこの言は虚勢でしかないのだが。的確に真理を突いてくるのだから、女というモノは侮れない。

 アセイラムは王婿であるクランカインにさえ、スレイン・トロイヤードの生存を明かさなかった。
 女王が時折口にする界塚伊奈帆という男の存在。その動静を探っていく中、彼が頻繁に訪れる離島の存在に気付くことがなければ。その意味を考えることがなければ、クランカインは現在も知らぬまま過ごしていただろう。
 敵に通じていたマズゥールカは捕らえ、牢に放り込んだ。取り上げたモバイルに残っていたデータからある程度の事情は掴めている。憤懣遣る方ないことに界塚伊奈帆とスレイン・トロイヤードは、こちらの計画を阻止すべく行動を共にしているらしい。

 だが、レムリナや女王にそのことを明かすつもりはなかった。
 彼女達が知るのは、奴等の屍を荒野に晒した後でいい。

「いいでしょう。貴女にも陛下にも劣等民族の程度を知らせる良い機会です。我が配下に為す術もなく捻り潰され、無様に死にゆく様を、その目でとくとご覧下さい」
 男の口振りは、標的が地球人であることを匂わせていた。
 レムリナを知り、レムリナが知る、ただ一人の地球人。即ちそれは。
「貴方こそ思い知ると良いわ。わたくしの騎士がどれほど強く素晴らしいのかを」
 期待に胸が膨らむ。嫣然と微笑む第二皇女に、公爵は肩を落した。
「この場では、私がどれほど言葉を尽くしても届かないようですね。仕方がありません、事が済んだ後にもう一度、お話し致しましょう。その時こそ、私の真心がレムリナ姫様に通じるものと祈念しております」
 折り目高い礼を残し、クランカインが退室する。
 情実など受け取るつもりもないが、もし本当にスレインが来るのだとしたら。レムリナは彼に心から感謝を送るだろう。
 胸に手を当て、静かに目を閉じる。波立つ心は暫く収まりそうもなかった。


 それから2週間。
 期待と不安と。希望と諦念が入り交じった日々をどのように過ごしたのか、レムリナは覚えていない。
 世話役として付けられていた侍女は、戦闘開始早々に姿を消してしまった。
 公爵は身重の妻を見舞うため早々に揚陸城を後にしている。
 本国に留まり地球侵攻にも参加しなかった臆病者。ご大層な台詞を連ねていたが、恐れを成したに相違ない。
 主人が主人なら部下も部下。双方とも尻尾を巻いて逃げ出したのだと少女は決めつけた。
 部屋に設置された大きなモニターには、戦争の最中、火星騎士達を散々に翻弄したオレンジ色のカタフラクトが映っている。
 公爵が自分と異母姉に劣等民族の度合いを理解させると道破したのは、あの地球産カタフラクトのことだったのだろうか。
 スレインが姿を見せてくれるものと待ち焦がれていたのに、宛てが外れてしまった。
 本当に助けは来るのか、相手は何者なのか。それさえもわからない。
「いいえ、信じましょう。現に外での戦いは始まっているのですもの」
 レムリナは背筋を伸ばした。ここへ辿りつくのが誰であろうと醜態を見せるわけにはいかない。
 自分は第二皇女などではなく、スレインと並び立つザーツバルム家門の当主だ。例え誰にも認められなくとも、彼女自身がそう決めた。
 レムリナが在るべき場、帰るべき所は、スレインの傍らだけ。
 部屋の前に複数の人が立つ気配がした。ロックが解除される。

 扉が開け放たれる瞬間を、レムリナはじっと待った。

2016/02/28 UP
ふわっと適当に話を書いてきたツケがここにきて噴出しました。
時系列だの辻褄合わせだのに四苦八苦してます。
頭の良い人達が頭良さげなことを考えている話は苦手です。思考が追いつかないよ!
その分、糖度は高め(当社比)となっています。
なんといっても人目を憚らないですからね、この人達。