Chapter 01

 それは穏やかな一日だった。
 嵐が起こる前の静穏。
 平和と呼べる最後の日常。



 グレッグミンスターの正門を出てすぐ西側。城下を一望できる小高い丘は僕のお気に入りの場所だった。やわらかな草むらに寝転がり、風に吹かれて流れゆく雲を見上げる。
 心に浮かぶのは、いつまでもこうしていたいという気持ちと、変化のない日常に対する少しの退屈。そして、こんな日々はそう長くは続かないだろうという予感めいた不安――。
「やっぱりここにいたな」
 人の気配が近づいて、瞼を暖めていた日差しが遮られた。
 僕は腹筋を使って上体を起こし、日照権を侵害した相手に微笑みかける。
「テッド」
「いいのか、こんなところにいて。今日は皇帝陛下に謁見する日なんだろ?」
「約束をしたのは父上であって僕じゃない。それに城へ出向く刻限までにはもう少し間があるからね」
「スゴイよなあ」
 テッドは僕の隣に腰を下ろすと、大きく伸びをした。
「相手はあの、黄金の皇帝バルバロッサ・ルーグナーだぜ。俺たち一般人には雲上人もいいところだっていうのに。さっすが大貴族様は違うよな」
 帝国軍を統括する5将軍の一人。それが僕の父テオ・マクドールの地位だ。彼の率いる鉄甲騎馬兵団は敗北知らずといわれ、皇帝陛下の信も厚い。それも当然のことで、父は現皇帝とその叔父との間で争われた7年前の継承戦争の折、当時皇太子だったバルバロッサ様を支持して敗色濃厚とも言われていた戦を勝利へ導いた立て役者だった。
 皇帝陛下に謁見できるのは父の功績と威光によるもの。単なる七光りに過ぎない。僕がそう告げると、テッドは肩を竦めた。
「おまえってホント醒めてるよな。でもまあ、崇拝しすぎて盲目になるよりはマシか」
「テッド……?」
「反乱軍がまた騒ぎを起こしたみたいたぜ」
 ぴくりっと僕の眉が跳ね上がる。
 反乱軍。いまの皇帝陛下の御代に不満を抱き、新たな体制の確立を目指して活動する組織。こう言えば聞こえはいいけれど、実際は方々でささいな破壊行動を行うテロ集団と大差ない。
「あの程度では、帝国の基盤を揺らすことさえ無理だと思うけど」
「わからないぜ。解放軍のリーダーはひとかどの人物だって噂だからな。頭もそれなりに切れるらしいし。今はまだ大人数を指揮するのに慣れていないみたいだけど、経験を積んだらあの組織は大化けするかもな」
「帝国軍が浮き足だっているとなればなおさら、ってこと?」
「そういうことだな」
 赤月帝国始まって以来の賢帝と誉れも高かったバルバロッサ陛下が政務を省みなくなって久しい。歴史の影に女性ありの言葉通り、美しき宮廷魔導師に心を奪われてしまった所為だというのがもっぱらの風評だった。
 華やかなりしグレッグミンスター。皇帝のお膝元である皇都に荒廃の兆しはまだ見えない。けれど、近隣の小さな町や村には確実に崩落の危機が忍び寄っていた。

 弱小組織である反乱軍が潰れずに済んでいるのは、民草の中に彼等を支持する者が多いから。
 騒ぎを起こすしか能のない集団に縋らねば希望を見いだせぬほどに、この国は病んでいる。

「いまはまだいい。けど5年後にはどうなってるかわからないな」
 成長した反乱軍が帝国に牙を剥くか。あるいは国民が立ち上がり一揆を起こすか。
 どこかしらから必ず火の手は上がるだろう。
 テッドの予言はよくあたる。僕は眉間に皺を寄せて呟いた。
「困ったね。僕はあんまり戦争には関わりたくないんだけどな」
 皇帝陛下に謁見すれば、必ずどこかの隊に配属されることになる。面倒は避けたいけど、皇帝直々のお声かかりとなれば断るわけにはいかない。5年後ともなれば、旅団か下手をすれば師団を束ねる立場にはなってしまっているはずだった。
「おまえまだ13じゃないか、軍の予備軍に入れるのは16歳からだろ」
「うん、まあ、いろいろと事情があってね。皇帝陛下は僕を手元に置いておきたいんだ。それに、僕はあと2日で14になるよ」
 そいつはおめでとさん、とテッドがにこりとした。
「お偉いさん達の事情ってのは、俺にはよくわからないけどな。嫌なら俺と旅にでも出るか?」
「一緒に世界を回るの?」
「そう、きっと楽しいぜ。俺もお前と一緒なら退屈しないな。そうだ。いっそのこと二人で反乱軍にでも参加するか?お前と俺なら打倒皇帝陛下も夢じゃないぜ!」
「そんなことあんまり大きな声で喋ってると、近衛に連行されてしまうよ」
 嗜めてみるが、テッドは一向に意に介さない。瞳を輝かせて僕の方に身を乗り出してきた。
「なあなあ、お前だったらどうやってこの国を落とす?どのくらいの期間があれば帝国をひっくり返せそうだ?」
 興味津々の顔で訊ねてくる。テッドと僕はよくこういった問答を好んでおこなった。机上の空論と呼ぶにはあまりにも緻密に練られる計画。下手な軍師の策よりもお前の考えることの方がおもしろいから、とテッドはいつも言う。
 本来、僕と同じ年頃の貴族の子弟は外の様子をほとんど知らない。上流階級の子供ともなれば、営利目的の誘拐を目論む者や歪んだ政治的思想を幼いうちに植え付けてしまおうと近づいてくる者が後をたたないためだ。必然、子供は安全のために屋敷の中で過ごすことが多くなり、外出といえばせいぜいが親の知り合いのサロンかパーティーに出席する程度だった。
 だけど、僕にはこの友人がいる。彼が自分の過去を語ることはこれまでになかったけれど、言葉の端々からはいろんな場所で見聞を広めてきたことが窺えた。平民の出だという割には政治に明るく、周囲の情勢をいち早く察知する能力にも長けている。
 時には大冒険と称して遠くの街まで共に足を伸ばすことも、僕が世間を知る手助けとなっていた。
「赤月帝国を落とすまでに必要となる年月は……そうだね、1年から3年ってところかな」
 専制政体を用いている赤月帝国の機能は、グレッグミンスターに集約されているといって良い。ここさえ攻略してしまえば平定は労せずおこなえるだろう。
「その2年の差はなんだよ?」
「いまの反乱軍にどれだけ『使える』人材が揃っているかの違いかな」
 適度に揃っているなら1年。いちから集め直す必要があるなら3年。
「現時点において、帝国軍と反乱軍の力の差は歴然としている。軍としての規模が違いすぎるんだ。その差を少しでも埋めるために、反乱軍に参加している者はたとえ女子供だろうと戦える者ならすべて戦争にかり出す必要がある。軍事経験のない民間人を萎縮させることなく動かすためには、大隊に一人は優れた指揮官を配置しておきたいね」
 大隊というのは、戦術単位のことだ。指揮官が直接戦闘を指揮できる最大の部隊でもある。
「あとは、その指揮官にひとりでも多くの人間を生き延びさせられるほどの実力があるといいんだけど……」
 人員の欠如は軍事力の低下に繋がる。指揮官には指導力の他に、とっさの判断力と決断力が求められるだろう。だけど、さすがにそこまでを期待するのは難しいかも知れない。
「お前が言うと、実現しそうだから怖いよな」
 テッドが喉の奥で笑った。
「本当なら、子供の戯言って笑い飛ばす所なんだけどよ」
「子供の戯言だよ。でも、そう思ってるなら聞いてこなければいいのに」
「俺はいたって本気だぜ。お前は誰かの下に使えるってタイプじゃない。人の上に――民衆を導く指導者としていずれは立つ奴だと思ってる」
 僕は苦笑する。
「買いかぶられても困るよ。僕は僕の大切な人たち……父上とグレミオと……あとはテッド、君さえいてくれればいいんだから。大望なんて抱いてないよ」
「……お前、よくそういう恥ずかしいこと臆面もなくいえるよなー」
 やっぱそういうところは育ちの良いお坊ちゃんだよな。
「そう?僕は正直なところを口にしただけだけど」
「じゃあさ、もし……もし俺達がいなくなったらどうする?」
 そのときは……と僕は考えながら小さく呟く。
「そのときは、すべてを滅ぼしてしまうのもいいかも知れないね」
 身に巣くう狂気のままに。心を乱す嵐のままに。
 意味のなくなってしまった世界に、自らの手で幕を引こう。
 テッドが目を細めた。
「おっかねー奴」

 そんなんだから――に好かれちまんだよ。

 途中から小さくなった声は僕の耳には届かなかった。
「けど僕は戦争なんかに興味はないから。それよりもテッドと二人でいろんなところを巡る方がいいな」
 都市同盟やハイランド。群島諸国、ハルモニア。そしてその先の海の向こう、まだ見ぬ大地の果てまでも。
「お前がもっと大きくなって大人になったらな」
 テッドが軽い調子で請け負う。
「うん。それに僕はきっと長生きするだろうから」
 僕達は長い時間を一緒に過ごせるよと言うと、傍らの少年は驚いた顔をして振り返った。
「おまえ……」
 始めて出会ってから2年。拳ひとつぶん僕の方が小さかった身長はほぼ同じくらいになっている。テッドの中の時間が流れていないことに、僕は薄々気付いていた。それ故に、彼が長い時間をひとつの場所で過ごさないのであろう事も。
「だから、テッドがこの国を出るときは僕も連れてって欲しい」
 ダメかなって、首を傾げて訊ねると、親友は目を和ませた。
「…………お前にはかなわないよな。わかった約束する。俺が旅に出るときは必ずお前も誘うよ」
「絶対に約束だよ」
 顔を綻ばせて念を押す。テッドの頬が仄かに赤く染まった。
「こんな顔も出来るくせになんだってこいつは……」
「なにブツブツ言ってるの?」
「なんてもないって。ほら、いい加減帰らないとヤバイんじゃないのか?」
 見上げれば太陽はそろそろ中天に差し掛かろうとしている。
「そうだね。そろそろ行かなくちゃ」
 僕が答えると、テッドは素早く起きあがって手を差し伸べてくれた。
「皇帝陛下に会ったらどんな様子だったか教えてくれよ。俺、王城とかって入ったことないしさ」
「噂の傾国の美女がどんな人かだとか?」
 その手に掴まって立ち上がる。くすくすと笑いながらテッドの目を覗き込むと、彼は大きく頷いた。
「そう!なあ、いいだろ一生のお願いだよ」
 テッドは『一生のお願い』を1日に1度は口にしている。僕が笑いながらもこれに応えるのはいつものことだった。
「じゃあ屋敷の方で待っててよ。今夜はグレミオが特製シチューを作るって言ってたからテッドも一緒に食べていくといい」
「ホントか?やった!グレミオさんのシチューは絶品だからな」
 他愛のない話を交わしながら家路を辿っていく。
 テッドは僕以外の人たちの前では必要以上に子供であろうとする。それはおそらく長い時間を独りで過ごしてきた彼なりの保身術なのだろう。
 そして僕もまた。大人達の間では、極力目立たないように振る舞っていた。
 誰かの害意の対象とならないために。帝国での将来を嘱望されてしまわぬように。
 僕は帝国も軍も皇帝も興味はない。その未来さえどうなろうとかまわない。
 望むのはいつでもたったひとつのことだけで、他にはなにもいらなかった。

 大切な一握りの人たちが、いつまでも僕の傍で笑っていてくれること――。
 ただ、それだけを強く願っている。

 それは、穏やかな一日だった。
 嵐が起こる直前の静穏。
 平和と呼べる最後の日常。

 友人と。家族と過ごした、いまとなっては遠い時の向こうの……楽園の記憶。
2001/12/01 UP
坊ちゃんもテッドも歪んでる……(滝汗)
ごめんなさい、うちの奴等は無邪気さの欠片も持ち合わせてません~。
どんなに優秀な人でも教師がいないことには始まらないということで、うちの坊ちゃんにいろいろなことを教えたのは実はテッドだったりします。
このふたりは互いの秘密を知り共感できたからこそ、親友となれたのでしょうね。

【締めはやっぱりWリーダーです(笑)】

「ねえ、セラウィスさん。時期が来たら本当にそのお友達と旅に出てしまうつもりだったんですか?」
「うん、僕はそのつもりだった」
「……大切な人だったんだ」
「僕にとっては、いまでも彼が一番の親友だよ」
「ただの親友ですよね?」
「そうだけど?なんで?」
「い、いえ。なんでもないです。そっか親友ですか。……うん、僕は別に親友になりたい訳じゃないし、まだチャンスはあるよな……ぶつぶつ……」
「カイネどうかしたの?」
「なんでもないです♪さあ、夜は長いんですから続きを聞かせてください」