murmur3/厨房の二人
コトコトと鍋が湯気を立てている。
久しぶりのまともな晩餐で存分に腕前を披露したグレミオは、後片づけを終えてからも休む暇ことなく嬉々として朝食の準備に取りかかっていた。
なにもそんなに張り切らなくても、と忙しそうに立ち働く従者の背中を眺めるセラウィスは思う。
「いやあ、なつかしいですねえ坊ちゃん」
鍋の中身をかき回しながら、グレミオは背後の調理台に腰掛ける主に語りかけた。
お行儀が悪い、などと叱ることはいまさらしない。
普段は良すぎるほどに素行のいい少年が、調理場にいるグレミオのそばで黙して座っているということは、なにかしら気に負うところがあったという証拠だ。
昔からの変わらぬ癖に、正直グレミオは少しだけほっとしている。あの解放戦争以来、彼の大切な主人はめっきり口数が少なくなり、感情をあまり表に出すこと――もとから感情の制御には長けた方だったが――をしなくなってしまっていたから。
聞いてみたところで、落ち込んでる理由を話してくれるとも思えないが、グレミオは様々な思い出を残すわが家に帰ってきたことで、少々メランコリーになっているのではと憶測していた。
「いろいろなこともあったけれど、やっぱりわが家はいいですねえ」
「……いつでも帰ってきていいんだよグレミオ」
少年が、ひっそりとした微笑みを浮かべる。
「3年前もいったけれど、なにも僕に付き合うことはないんだ。もう、父上もいらっしゃらないし、グレミオが義理を感じる必要はないんだよ」
「何言ってるんですか。坊ちゃん!」
グレミオは鍋をかき回していた柄杓を握りしめたまま、勢いよく振り向いた。
「坊ちゃん、お願いですからグレミオを置いていこうなどと考えないで下さい。そんなことされたら、グレミオは泣いてしまいますからね」
大の男がする脅迫ではない。
セラウィスは苦笑した。
グレミオなら、本当にやりかねない。というよりも前科がある。セラウィスとしても、大男に泣きながら後を追いかけ回される趣味はなく、諦めを含んだうなずきを返した。
「うん、わかってるよ。でもね、グレミオは自由で、いつだって何処に行ってもいいんだってことを記憶に留めておいて欲しいんだ」
柄杓からシチューが零れてるよ、との指摘も耳に入らず、グレミオは瞳を大きく見開いた。
「グレミオが坊ちゃんのお側以外のどこに行くっていうんです!!」
両手を振って力説し……振り回された柄杓から、さらに雫が零れる。
「それに、坊ちゃんは解ってらっしゃらないかもしれませんけど、家っていうのは建物だけあってもダメなんですよ」
そこまで告げてから方々に飛び散ったシチューにやっと気づき、「あああ~~」と情けない声を上げた。
「わたしにとっては、坊ちゃんのいるこの場所こそが『家』なんですからね」
右手を布巾に持ち替え、床にしゃがみ込みながら、にっこりとした笑みを主に向ける。
「……うん。ありがとう、グレミオ」
いつかは、別れの刻がくると解っていても。
家にいるこの時間だけは、安寧に心を委ねるのも悪くはないかも知れない。
Continuation ... 子供たち
2001/08/05 UP