第参話 花篝

 桜の花のようだと美里は言った。
 春の日差しの中、優しくけれど鮮やかに心に映える、そんな微笑みだと。



 月が中天に差し掛かる頃、京一はご満悦の体で家路を辿っていた。
 土曜日の午後。折しも世間は花見シーズン真っ盛り。四谷の土手沿いへ出向いた京一は、そこでOLのおねえさま方の花見の席に潜り込むことに成功した。
 女性ばかり5、6人で遊びに来ていたおねえさま達は、調子も良く見た目も悪くない京一をいたく歓迎してくれ、そのまま呑めや歌えで夜半近くまで騒いだのだ。
「やっぱ花見はこーでなくっちゃな」
 ぶらぶらと歩くその手には、大きく膨らんだ買い物袋が握られている。中身は、おねえさま方がおみやげにと持たせてくれた、あまった缶チューハイやらビールやらおつまみやらだ――まあ、単に彼女たちが持って帰るのが重くて面倒だっただけかもしれないが、好意としてありがたく受け取っておいた。
 因みに京一は学生服のままだったが、京一はもちろんおねえさま方も誰一人、気に留めるものはいなかった。
 綺麗に化粧されたOLさんたちの麗しいお顔と、土手一杯に広がる桜の花。どちらがメインだったかはさておき、京一にとっては今年初めてゆっくりと花を愛でることの出来たひとときだった。
「この前の花見の時はひでェ目にあったからなァ、アルコールは禁止だわ、小煩い美少年やアン子は一緒だわ、担任は同伴だわ……っていやいやマリア先生は眼福だからいいとしても……」
 あげくに流血沙汰ときたもんだ。
 思い返し京一の顔が酢を飲んだように歪んだ。

 龍麻の歓迎会を兼ねて行われた花見は、真剣を手にした男の乱入によって血の宴へと様変わりした。京一達は、靖国神社宝物殿より盗まれたという呪われた妖刀村正相手に、大立ち回りを演じる羽目に陥ったのだ。
 なんとか警察の厄介になる前に騒ぎを収めて逃げおおせたものの、自分たちの持つ《力》は、マリアの知るところとなってしまった。

 どうも、旧校舎の事件からこっち、妙なコトにばかり巻き込まれている。

 闇に紛れて跋扈する、人あらざるもの。
 呼び起こされた自分たちの《力》。
 血に染まる桜。

 そして――。

「龍麻……」
 漆黒の髪と瞳を持つ友人の姿を思い浮かべ、京一は嘆息した。

『なるほどね。さすがは……というべきか』

 あの旧校舎で。
 美里を助け起こす龍麻の口から零れた呟きが、いまだ京一の耳の奥に残っている。醍醐達には聞こえなかったに違いない、それほどの小さな声。
 まるで、美里の《力》のことを初めから知っていたような口振りだった。思い起こせば、彼女の居場所を言い当てたのも龍麻だ。
 しかし、尋ねる機会はなかった。その後すぐ戦闘に突入してしまい、終わったと思えば妙な声に神経を掻きまわされ……。
 次に目覚めたときは、校庭の片隅にそろって倒れていた。
 意識を失う寸前までは確かに旧校舎にいたというのに、いつの間に移動したものか――あるいは何者かによって運ばれたのか――誰にも分からない。京一はなんとなく龍麻だけは理由を知っているような気がしていたが、同時にそれを確かめることの困難も容易に想像できてしまった。
(問いただしたところで、あっさり躱されちまうんだろうなァ)
 なんといっても、あの笑顔が曲者だ。
 龍麻の微笑みは人を和ませる。どれほど強固な意志で挑もうと、あの表情と柔らかな声音にたちまち籠絡されてしまう。あげく、次の機会にすればいいかなどと思い始めてしまうのだから、我ながら情けない。京一はこれまでにも、龍麻の家族構成や自宅の場所などを聞き出そうと試みては何度も失敗していた。
 龍麻は自分のことをほとんど喋らない。本人が話したがらないものを無理に聞きだすほど野暮ではないつもりだったが、それにしても京一達はあまりにも龍麻のことを知らなさすぎた。なにせ最寄り駅の名前はおろか、電話番号さえ知らないのだから。
 学校の名簿を調べることも考えたが……やっぱり本人の口から直接教えてもらいたい。
 京一はもどかしさに、がしがしと頭を掻く。
「あーもーわかんねェッ!!」
「えっ、何?」
 苛立ちを声にすると、思わぬ反応が返ってきた。
(あっと、やべえッ!)
 京一はきょろきょろとあたりを見回す。人気がないのをいいことに、つい独り言を連ねてしまったが、真夜中、住宅街のど真ん中ですることではない。よくよく考え……なくとも、これではまるっきり危ない人だ。
「あ、いやその俺は決して、怪しいもんじゃ……」
 まだ、見えない相手に向かって、あたふたと弁明する。
「……京一?」
「え?なんで俺の名前……ってその声は、まさか、ひーちゃん!?」
 声のする方角に向かい、暗闇に目を凝らした。

 京一の右手には、高いフェンスに囲まれた時間制駐車場がある。その一角――街灯も届かない場所に、ぽつんと一本だけ桜の木が立っていた。
 世間から忘れ去られたような桜の樹は、しかしよくよく見れば大振りの枝に見事な花を咲き誇らせている。
 その下にぼんやりと浮かぶ人影があった。
「どうしたんだよ。こんなところで」
 京一は左右を見渡すと、フェンスの切れ目を探して回り込む。
「散歩してたら、ここの桜があんまり見事だったから」
 幹に身を預けたまま、龍麻は舞い散る花弁を見つめていた。月明かりに照らされ、白い肌が幻想的に浮かび上がる。
「散歩?ひーちゃん家この近くだったのか?だったら、俺の家とも近いじゃねーか」
 ちらりと投げてよこす視線が妙に艶めかしい。京一は訳もなく焦り、おろおろと視線を彷徨わせた。
「近くってほどでもないな。1時間ぐらい歩いたから」
「1時間って、おい……」
 こんな真夜中に何をやっているのか。
 京一が呆れているのが伝わったのだろう。龍麻が小さく笑った。
「月とか星とかを見ながら歩くのが好きなんだ……静かだしね」
 そういう京一こそ、どうしたの?
 反対に問いかけられて、京一は手にしていた荷物の重みを思い出す。なぜかざわめくいている気持ちを落ち着けるために、わざと明るい口調を装った。
「へへへっ。よっくぞ、聞いてくれました」
 がさごそと買い物袋をあさって一本を龍麻に投げ渡す。京一は本日の首尾について語りだした。

 その後、なんとなく桜の根本に二人でしゃがみ込み、酒を酌み交わしつつ他愛ない話をした。
「ひーちゃん、酒強かったんだな」
「そうかな?」
 きょとんと首を傾げられ、京一は大きく頷く。
 水割り、サワー、カクテルと龍麻は手渡されるままに次々と杯を重ねていった。それでいてまったく酔った気配がない。
 京一の方はといえば、昼間すでに下地が出来ていたこともあって、500ml缶のビールをちびちびと嘗めていた。
「缶のお酒ってアルコール度が低いから、見た目ほどじゃないよ」
「それにしたってよ」
 10本近くも空ければそれなりになるのでないか。しかもちゃんぽんだし。
 いっぱいだった買い物袋は、ほとんどぺしゃんこになっている。
「だけど、その人たちは、なんでこんなに余るほど買い込んだんだろう」
「最初はもっと大人数になる予定だったんだとさ」
 ところが急な残業でこれなくなった人たちが、続出したらしい。
「へえ、OLも大変だね」
 龍麻は他人事のような――事実そうなのだが――感想を述べながら、底に残った最後の一口をぐいっと煽った。
「それで京一は?」
「へ?」
「さっきなんでわめいてたの?」
「う……っあれは、わめいてたわけじゃ……」
 京一は返答に詰まった。忘れてくれたものだとばかり思っていたのに。
「わからないって何が?」
 黒耀の瞳にじっと見つめられ、京一はたじろぐ。少し目元が赤くなっているのは、やはり酒の影響だろうか。
(ひーちゃん、ちょっとそれ卑怯かも……)
 京一の座っている場所の方が少しだけ高い。必然、龍麻は京一を見上げる形になり――。
 濡れた瞳で上目遣いに京一を見上げる麗人は、男だとわかっていてもぐらついてしまうほど艶があった。
「京一?」
 ずいっと詰め寄られ、自然と頬が熱くなる。胸のざわめきが一段と激しくなった。
「えーっと、それは、だな」
 龍麻がくすりっと笑う。
「もしかしなくても、俺のことだったりする?」
「ひーちゃん?」
 互いの視線を合わせたまま、龍麻が音もなく立ち上がった。

 桜が舞う。

 風に煽られ、流されて。
 足下から、頭上から、舞い上がり、舞い落ちる淡い花弁が、龍麻を包み込む。
 この世ならざる花の宴。
 草木も眠る妖し(あやし)の時刻。
 龍麻が桜に攫われてしまうのではないかと、京一は急に不安を覚えた。
 夜の桜は魔的なものを感じさせる。
 とっさに立ち上がり、薄紅色に覆われる肢体に手を伸ばす。
 腕を取られ、急に引き寄せられた龍麻の髪がふわりと煽られた。
 長い前髪が割れ、隠されていたものが露わになる。
 京一は声もなく立ちつくした。
 整った顔立ちをしているとは思っていた。
 女達が騒ぐのも頷けるほど、小奇麗な面をしていると。
 だが――。

 そこにあるのは、そんな生やさしいものではなかった。
 微笑みひとつで国さえ傾ける、魔性の力を有するもの。
 蠱惑にして凄艶な美貌の主が京一と視線を絡めている。

 あれほど傍にいて、なぜ今の今まで気づかなかったのか。
 否、気づかなかったのではなく、気づけなかったのだ。
 全ては、目の前の佳人によって覆い隠されていたのだから。

 思考が形になる前に、言葉が口をつく。
「龍麻……おまえは『何』を知っている?俺達に何をさせるつもりなんだ?」
「何だと思う?」
 龍麻がうっすらと目を細める。
 そうして、はぐらかされたと感じた京一が吸い込んだ息を怒号にする前に、――――婉然と微笑んだ。

 冴え渡る蒼い月より透明に。はらはらと散りゆく薄紅色より艶やかに。
 瞬く星々よりも美しく。

「京一は運命って、信じる?」

 桜は人の血を吸って色づくのだという。

 可憐な風情に惑わされてはならない。儚げな様子に手を差し伸べてはならない。
 春風に優しく色づくその陰には、淫靡で妖艶な、なにかが秘められている。
 月の銀光さえ届かぬ根本には、魔性に魅入られた者達の屍がうずたかく積み上げられているのかもしれない。

 それでも、人は桜に惹きつけられるのだろう。
 より美しく咲き誇る姿に、進んで己が血肉を与えるのだろう。
 その先に待つのが破滅だとしても。

 京一はこの時、確かに自分も惑わされたのだと思った。

2001/02/26 UP
やっとゲームから離れた内容になりました。でも、ひたすら呑んでるだけ。
それでいいのか!?未成年(笑)

【次号予告(偽)】

死蝋の罠にかけられた龍麻。連れ込まれた廃屋ビルは、恐るべき人体実験の研究室となっていた。
死蝋:「君は、ブードゥー教を知っているかい?」
龍麻:「知るわけないだろ。そんなマイナーな宗教」
死蝋:「マイナーだと?失敬な。ブードゥー教は……」
龍麻:「いいよ説明なんて。それより宗教なら自分で起こした方が得だと思うけど?」
死蝋:「自分で?僕に宗教法人を設立しろというのか?」
龍麻:「そのいかがわしい実験。金がかかってるんだろ?宗教は波に乗せると儲けられるよ」
死蝋:「税金もかからないしな。ふむ、悪い話じゃない……」
龍麻:「だろ?やるなら、俺をマネージャーにして欲しいな」
紗夜:「緋勇さん。兄さんは単純なんですから、変なこと吹き込まないでください」