綺羅ゝゝと瞬いて。
はらはらと降りきたる光の粒子。
金色に輝く星屑が、龍穴の中一杯に広がっている。
「綺麗……」
幻想的な光景に、美里がほうっと息をついた。
「なんだろうコレ?」
小蒔は手を伸ばして両手の間に光を捕まえる。蕾の形に閉じられた指の隙間から、螢のような淡い灯火が零れた。
「おい桜井。無闇に手を出すと危ないぞ」
「皆さん、あれを見てください」
紗夜が指差す先を見て、醍醐はあっと声を上げる。
《黄龍》の表面に細かな亀裂が走っていた。剥離していく鱗が、蝶の燐粉のごとく踊る。
「これ《黄龍》の鱗の破片だったのかァ」
小蒔が両手を開き、粒子にふうっと息を吹きかけた。
ひらりと舞い、ゆうるりと宙に混ざり合う残滓。
「どうなってんだ……と聞くまでもねぇな」
「ええ。これで終わりでしょう」
飄々とした態度に戻った村雨に、壬生が小さく笑みを佩く。
「アニキッ!やったな……ムググっ!」
龍麻に飛びつこうと勢いよく両手を拡げた劉は、あと一歩というところで京一に止められた。
「うーっ、うーっ!(なにするんや!京一はん)」
劉の苦情を無視し、京一は龍麻からほんの少しだけ距離を取る。
睨みつけようと上げかけた目線が捉えた佳人の表情に、劉も抗議を収めた。
一同が見守る中、《黄龍》は徐々に輪郭を滲ませていく。後には、ほっそりとした青年の姿が描き出された。
艶やかに流れる癖のない黒髪と、涼やかな切れ長の眼。どことなく龍麻と雰囲気が酷似している。
「渦王須……ごめん……」
血を吐くほどに苦渋に満ちた龍麻の声。渦王須は、うっすらと微笑むと緩く首を振った。俯く龍麻の頬に伸ばされた手は、しかし届く前にさらりと崩れて星を散らす。
穏やかな表情を浮かべているように見えた。
安らかに瞳を閉じたように感じた。
それが、却って憐憫を誘う。
「一番の被害者は『彼』だったのかもしれないな」
如月がぽつりと言った。
「そうね。幼少のみぎりに柳生に攫われ、自我を奪われて……。こんなことがなければ、私たちといい友人になれたかもしれないのに」
あるいは。柳生が審判を委ねたのが《陰の器》であったなら。自分達と共に戦い、肩を並べていたのは『彼』だったのかもしれない。
敵対する者こそが、『龍麻』であったのかもしれないのだ。
「せやな。あいつが破壊衝動に駆られたのだって、柳生のヤツが暗示をかけとったからやろ。ホンマ根性の悪いやっちゃな」
憤懣やる方ない様子の劉に、龍麻が睫毛を震わせた。
京一達は知らない。渦王須が龍麻の半身であることを。
渦王須の裡にあったのは龍麻の影。
もしかしたら、あれは宗崇の暗示などではなく――。
龍麻の考えを読んだのか、紗夜がそっと身を寄せた。
「あの人、龍麻にお礼を言ってました。呪縛より解放してくれてありがとうって」
「比良坂……」
「貴方がいたからこそ、わたし達は無事だったんです。それに、与えられた《氣》は他人のものであったとしても、心まで塗り替えられてしまうわけではないでしょう?」
意識を封じられていても。《氣》を奪われ、または異なる《氣》を受け入れても。龍麻が、龍麻自身から変わらなかったように。渦王須にも、彼だけの心があったのだと信じたい。
「俺は……」
「先生、感傷に浸ってるとこ悪いけどよ」
気まずそうに村雨が嘴を挟んだ。
「そろそろここから出ねぇと、せっかくの無事も台無しになるんじゃねぇのか?」
黄金の粒子は無と戯れて溶け、龍穴に真の闇が訪れようとしている。
しかも、心なしか気流の乱れが激しくなっているような……。
龍麻がいま気づいたという風に、肩を竦めた。
「そうだね。さんざん暴れた所為で龍脈も暴走寸前だし、逃げないと全員押し潰されるな」
俺もこれ以上は抑えきれないし。
「……龍麻、恐ろしいことをさらりと言わないでくれ」
醍醐が深くため息をついた。
美里と紗夜が《氣》を集中させる。龍麻は向かい合った彼女達の中間に手を差し入れた。掌が触れた部分から波紋が広がり空間が歪曲する。
目を凝らせば、陽炎の向こうに懐かしい景色が映しだされていた。入り込んできた凍風が、汗ばんでいた躰を急激に冷ます。
「美里、比良坂。維持は俺ひとりで大丈夫だから、外へ出て皆を誘導して」
時空に開いた扉が人ひとり通れるほどの大きさになるのを見計らって、龍麻は後ろに下がった。
「ええ、わかったわ」
最初に美里が揺らめく景色の中へと身を躍らせる。紗夜がそれに続いた。
「皆さん、足場が良くないので気をつけてください」
声に従い、仲間達が順々に龍穴より外の世界へと抜け出していく。
最後まで残っていた京一は、片足を入れかけたところで龍麻にひと声掛けようと振り向いた。呼び掛けるために開いた唇が、その形のまま固まる。
失われたはずの光の粒子が、龍麻の周辺で勢いを取り戻していた。
虚空に向かって開かれた両の掌に導かれ、凝って黄金に輝く小さな宝珠を形作る。
「ひーちゃん……何してんだ?」
片足を上げたままというなんとも間抜けな体勢で、やっとそれだけを口にした。
「京一ってこんなとき必ずいるよな。……野生の勘かな」
冗談めかしてはいるが目は真剣そのもので。新たに創られた宝珠に全神経を集中させている。
「何をするつもりなんだ」
「近づくな京一!」
龍麻が鋭く制した。
「龍脈の乱れを正すだけだ。このままにしておくわけにはいかないだろ。俺もすぐ行くから、京一は先に行ってて」
「んな、死人みてェな面してるお前を置いていけっかよ!」
戦闘に次ぐ戦闘で疲弊しきった龍麻の顔は、血の気が引き土色になっている。
「ひどい言われようだな。でも、このままだと危険なのは俺じゃなくて京一だよ」
「俺の心配なんてすんなって言ったろ。てめえの身ぐらいはてめえで護る。でもって、もしひーちゃんの危ないときには」
にかっと笑う。
「支えぐらいにはなってやれるかもしれないぜ?」
龍麻が口元を少し上げた。
「本当に馬鹿だよなおまえって」
「なぜそこでしみじみ言う!」
感激のあまり抱きついてくれるとかを期待していたわけではないが、せめてもうちょっと、こう、趣(おもむき)のある言葉をくれてもいいのではないだろうか。
「心底そう思ったんだからしょうがないだろ。それより京一、居座るつもりならもう少し離れてくれ」
龍麻の手にある宝珠が、ぐんっと大きさを増す。
京一は蟹歩きで場所を移動した。
「ひーちゃんが持ってるのってなんなんだ?さっき毀した宝珠のようなもんか?」
龍穴内の気流は、いまでは嵐さながらに荒れ狂い、髪や制服の裾を煽り立てている。だが、不思議と音はなく、京一の声はかなり離れた場所からでも無理なく龍麻の耳に届いた。
「同じもの、といえるだろうな。これは《黄龍》の出現によって集まってきた龍脈の《力》を集約させたものだから」
新宿に現れた双頭の塔によって、東京には土地の許容範囲以上の《力》が集まってきてしまっている。もとの状態に戻すためには、過剰な分を取り除いてやらねばならなかった。
「取り除くって、どうやってだよ」
不穏なものを感じ、京一は眉を顰める。龍麻が始めて視線をこちらに向けた。
「京一、正直なところ俺もこれを制御しきれるかわからないんだ。いまならそこの入り口から出られる。どんなことになっても、龍脈の暴走だけは喰い止めてみせるから、先に外に出ていて待っていてほしい……と、言ったところで……」
「俺が聞くわきゃねーだろ」
「……だよな」
できれば聞き入れて欲しかったのだが。もう少し余裕があれば、殴りつけてでも放り出したいところなのだ。
「俺の方こそ、ひーちゃんを引きずってでも帰りたくてうずうずしてるんだけどよ」
自分達はやれるだけのことをやった。できることならこれ以上龍麻を危険な目に遭わせたくない。
「却下だ。俺は東京のためだけに動いているわけじゃない」
「なら、このままいくしかねェよな。俺もひーちゃんも互いに譲るつもりがねェんだからよ」
「俺は、お前に死んで欲しくない」
真摯に訴えかけてくる眼差しに、京一はよろめきそうになった。
こんな状況で殺し文句なんて吐かないで欲しい。いや、この状況だからこその科白なのだろうが。
……人生に未練が残らなくなりそうで困る。
「俺も、ひーちゃんに生きていて欲しいぜ。あいつら待たせるとうるせーしよ。早いとこ終わらせてラーメンでも食いに行こうぜ」
照れ隠しに軽く答えると、龍麻の顔が微かに歪んだ。
「……お前のそういうところ、尊敬するよ」
どこか泣きそうな、透明な哀しみを宿した表情に京一は息を呑む。
龍麻が黄金の宝珠をゆっくりと全身で包み込んだ。
パキンッ、と殻の割れる音が鳴った。
中核を為していた黄金の焔が、枷から解き放たれた喜びを唄うかのように両翼を拡げる。
幽暗を照らす黄金は虹へと姿を変え、質量さえ感じさせる膨大な《氣》を放つ。
その向こうに見ゆるは、高貴の色を纏う巨大な龍の影――。
「ひーちゃんッ!」
京一はあらん限りの声で叫ぶと、一直線に走り出していた。
重厚な圧力を与えてくる《氣》も、視界を覆い尽くしてしまう閃輝にも頓着しなかった。
圧迫感に軋む躰を酷使し、光源に向かって手を伸ばす。虚空を掻く指先が触れたものに必至で追いすがった。
勢いのまま引き寄せ、力任せに抱き締める。
腕に落ちてきた感触はよく知る佳人のもので。京一はほっと息を吐いた。
「大丈夫か、ひーちゃん?」
問いかけるも反応がない。
「ひーちゃん?おい、返事しろってひーちゃん」
ぐったりと体重を預けてくる相棒を支えつつ、腰を下ろす。肩を揺さぶってみたが目覚める気配はなかった。
状態を確かめようにも、光の矢に射抜かれた瞳孔は用を為さなくなってしまっている。
せめてもと素肌に手を沿わせれば、力無く横たわる肢体からは生き物としての熱量が感じられなくなっていた。
「ひーちゃん……なんでこんなに躰が冷たいんだよ……?」
背中にゾクリと悪寒が走る。手探りで龍麻の唇に指先をあてると、僅かながら息はあった。
脈も、ある。
「気を失ってるだけ、だよな?」
そうだ、それだけだ。……それだけのはずなのに。
―――なぜこんなにも龍麻の《氣》が弱まっているのだろう。
そこまで考えて、唐突に京一は己の不安の正体に行き当たった。
《氣》だけではない。龍麻の存在自体が稀薄となってきている。
抱き止めていた質量は薄れ、変質を迎えようとしていた。
渦王須のように《黄龍》へと変じるか。
あるいは、龍脈の一部となり思念となって地脈をたゆたうことになるのか。
どちらにせよ、『龍麻』はいなくなる。
「冗談じゃねェ……」
京一は呻いた。
耳鳴りがするほどの静寂に、発した声が吸い込まれていく。いつの間にか嵐はぴたりと収まっていた。
天も地もない場所に、たったひとりで取り残されたような錯覚が京一の心に影を落とす。
強すぎる光は深き闇に通ずるのだと、頭の片隅でどうでもいい思考が働いた。喪失の予感に歯の根が、噛み合わないほど震える。
「ひーちゃん……目を覚ませ、ひーちゃんッ!!」
恐慌状態に陥りそうになる精神を繋ぎとめて、繰り返し愛しい者に呼びかけた。
戻ってこいと、俺の前からいなくなるなと、強く念じる。
もし、ここにいるのが美里か紗夜だったら。龍麻のためにできることがあっただろう。京一のように無力感に打ちひしがれることもなく、想い人を救う手だてを講じられたかもしれないのに。
「ひーちゃん、頼むから起きてくれ……龍麻……」
お前がいなくなったら、俺は――。
心が虚無に蝕まれる。奈落の底へと沈み込んでしまいそうになる。
「前に、言っただろ。お前が何かを庇って命を落としたら、俺はそいつを殺してやるって。お前、俺にそんなことをさせたいのかよ……」
東京が、宿星が龍麻を奪ったというのなら、京一はそのすべてを許しはしない。
龍麻がいなければ、世界の存続など何ら意味をなさないのだ。
なにもかもを破壊しつくし、瓦礫の山を築き上げ。
そして、そして―――
「……ッ!!龍麻!!龍脈なんてもんに流されんなッ!!勝手に俺の傍を離れるんじゃねェッ!!!」
狂おしいほどに強く。
慟哭より深く。
怒りよりも熱く、怨嗟よりなお果てもなく。
呼ぶのはただひとつの名。
求める、ただひとりの――人。
「戻ってこいッ!龍麻アァァァ!!!」
龍麻は何もない場所にひとり、立っていた。
そこは混沌とも言うべき場所。光も闇もなく、しかして母なる胎内にいるような安心感を抱かせる原始の海の中。
羊水に抱かれ、このまま眠ってしまいたいとさえ思った。
―――我が器となりし者よ。汝は何を望む?
悠久の彼方から、心の奥底に届けられる何者かの思念。
自らが、望むもの……。
(適わぬというのなら、一切の破壊を!!)
紅の色を纏った男の慟哭。
(世界ニ、破滅ト混沌ヲモタラサン)
己が半身の裡に秘められていた嘆き。
(壊セ。滅ボセ。ナニモカモヲ無ニ帰スルノダ)
深淵に蠢く意識の世を呪う声。
―――世界を還元し、新たな構築を始めようぞ
いちから創り直すためには、その場にあるものを取り除く必要がある。
けれど、誰もが求めたのは消滅までで、その先を考えた者はいなかった。
彼等が望んでいたのは、己を含めた遍く(あまねく)ものの終焉と、永久の眠りという甘美な夢……。
世界とは窓の外を流れていく景色のようなもの。ならば造作を変え多少風光が変わったところで、何の意味がある?
何かを創らねばならないというのなら、誰も悲しむことのない、誰も夢見ることのない荒寥を……。
『――――――ッ!!!』
魂を揺さぶる響きに、はっと顔を上げた。
厚く覆う雲を切り裂くほどに。
海の深奥を照らすほどに。
時を、空(くう)を、界を超えて、届けられる己の名。
誰よりも近くにいる。
自分を相棒と呼ぶ唯一の青年の声。
「京一……」
意識が鮮明になる。自我を覆っていた霞が晴れた。
宗崇も渦王須も……かの存在も。彼等がいかに自分に深く関り影響を与えた存在であろうと。それが己の願いに直結してるわけではない。
思惟し意志を決するのは、あくまでも緋勇龍麻という一個体。
他の誰でもない、誰かの思念に踊らされているのではない龍麻自身が答えを選ばなくてはならないのだ。
―――汝は望む世界とは何か。
「……俺は、この世界のことをよく知らない」
慎重に言葉を探し、目を閉じる。
瞼の裏を、思い出という名の記憶が閃いては流れていく。
「いつも見ているだけで、自分から手を伸ばしたりはしなかったから」
白木の部屋を汚す深き紅。龍麻の頬を、髪を濡らす生暖かい液体を拭ってくれた白い指先。
龍麻に『世界』を見せてくれた少女の、あどけなくも強い瞳。
「目の前に景色が拡がっていても、それが現(うつつ)か幻なのかもわからなかった」
変わる目線。
ざわめく教室の風景。美里と小蒔が他愛ないお喋りに興じ、遠野が学校新聞を片手に飛び込んでくる。裏密に忍び寄られて怯える醍醐の顔。笑みを刻むマリアの朱唇、呆れ顔で煙草を銜えている犬神の吐き出す紫煙の色。
「けれど、仲間達と出逢って少しだけ『世界』を身近に感じるようになった。誰かと話すこと、目を合わせること、……触れあうこと。他愛のない日常の中に俺がいて、皆がいて。そんな些細なことが俺も『世界』の一片であることを教えてくれたんだ」
水族館で熱帯魚の動きを愉しげに追う紗夜の後ろ姿。
……ひとり、またひとりと仲間達の顔が、鮮やかな彩を伴って思い起こされていく。
「なにもかもが、まだ始まったばかりなんだ。きっと俺は彼等に会って始めて、本当の意味でこの『世界』に生まれることができたんだと思う。だから『世界』を壊したいと願うほどには理解できていないし、新しい『世界』を望むほどに絶望もしていない」
始めて覚えた色は紅だった。
次に目に飛び込んできたのは、連れ出された外で見上げた空の蒼。
龍麻にとって、世界とは未知なる色を見せてくれる映写機のようなものだったのだ。
ただ眺めていたそれらに、直に触れ感じることができるのだと気づかせてくれたのは友人達。
そして、色とは与えられるだけのものではなく、己の内からも生まれるのだということを京一が教えてくれた。
『ひーちゃんッ!』と自分を呼ぶ、あの太陽の笑顔で――。
「俺が『世界』を好きにしていいのなら、俺に『世界』を自在にする《力》があるというのなら、俺はこのままがいい」
仲間達がいて、京一のいる、この『世界』が。
―――変革を望まぬ、と言うのか?
「先のことはわからないけど、少なくとも今は」
―――だが、お前の中には闇がある。この世界にまつろわぬ異形の神が
「わかっているよ。いずれ、俺の裡に巣喰うものが胎動を始めるだろう。この街へ来たのだって、もともと、それを鎮める手段を探すためだったんだから」
けれど、と龍麻は言った。
「一緒に立ち向かってくれる人がいるなら、乗り越えていける。京一が呼んでくれている限り、俺はきっと狂わずにいられる」
ふっと、思念が微笑んだように感じた。
―――好きにするがよい。吾は汝。汝は吾。《力》は《器》に戻り、《黄龍》は永き眠りより目覚める
「うん。一緒に還ろう」
瞳を上げ、天高く両手を差し伸べる。
羊水を泳ぎ渡ってくる黄金の煌めきを受け入れるべく、静かに待ちかまえた。
さらなる《力》を手に入れることで、さらなる悲劇を招くことになるのだとしても。
やっと、手に入れた『世界』を、自分の中に芽生えた感情を、手放したくないから。
ともに歩んでいこう。ともに仲間のまつ場所へ戻ろう。
龍麻を待ってくれている相棒のもとへ――。
ふわりと何かが頬を掠めた。
その感触に、京一は自分の頬が濡れていたことを知る。
「……きょ……いち……」
微かな呼吸に混じる、けれど幻ではなく聞こえた……音。
京一は依然として機能を果たさない眼を、それでも大きく見開いた。
「た、つま……?」
「……お前……なに泣いて……るんだ?」
どうやら、龍麻の方は、ちゃんと見えているらしい。京一の涙を優しく親指で拭う。
「たつま……たつま。龍麻、龍麻ッ、龍麻!……」
乱れた心情のままに、ぎゅっとしがみついた。
「……苦しいんだけど」
憎まれ口を叩きながらも、背中に回される腕。
「うるせえ、ぜんぜん見えねーんだから、こうでもしないとお前を確かめられないだろッ」
様々な想いが綯い交ぜになった声で、わめき散らした。
「京一、目を開けてみろよ」
龍麻が京一の肩をそっと押し返す。
促され、きつく閉じていた目を開けると、あたりを包んでいた虹色の光は消え失せていた。
急激な環境の変化に眩暈を覚える。
「大丈夫か?京一」
「あ……?ちょっと待ってくれ。なんか真っ暗になったみてェで……」
強すぎる光彩を見つめ続けていた京一には、通常の明かりも新月の晩ほどにしか感じられない。
「これなら?」
焦点を合わせようとしきりと頭を振る相棒の頬に、龍麻が両手を添えた。
額が触れ合うほどの至近距離から見つめてくる、深窈(しんよう)なる漆黒の星。
命を宿す意志の色。
想い人の双眸が宿す京一の顔が新たな雫で滲んだ。
「まだだ……まだ、見えねえよ。もっと近くじゃねェと……」
更に、顔を近づける。龍麻は軽く目を伏せた。
深く重ね合わせた唇を通じて伝わる互いの体温。青年は飽くことなく、角度を変えては生きている証を求めた。
龍麻は柔らかく微笑みながら、されるがままに受け止め、応える。
「ありがとな。京一」
俺を呼んでくれて。
温度を上げていく吐息の合間に、ごく小さな声が囁いた。